涙雨の決戦前夜(3/3)




冬将軍の匂いを纏った空っ風が捲り上げる茶ばんだ部誌の古臭いモノクロ写真。いや、カラーだったはずだ。退色したのは絹目のカラー。

並ぶ人影に見開かれる発の目が一心に見詰めるその先に、確かに見える見慣れた光景。否、傷がない。あの憎たらしくて可愛らしい愛してやまない一本傷が。
そこにあるのは覚えある凛々しい釣り目と上がり眉、隣に佇むぶっきらぼうなようで愛嬌ある幼い垂れ目の笑顔。

「……ちげぇ…太公望、と」

記憶の中の自分自身より僅かに高い背、ずっと逞しい腕と脚。ピンと正された背に光る藍染めと赤い胴が、雄弁に語りかける。

「おやじ……?」

慣れ親しんだはずの大嫌いな三文字を形どる唇はさっと青ざめた。きっと寒さだけじゃない。

「え?あ、…え?…なに、おやじって剣道やって…」

──否。

「このガッコ、通ってた…、ってか?」

何を紡ごうにもぶつ切りになる言葉と疑問が不格好に滑り落ちて、後退りの足でよろめけば、埃まみれの得点板に背がぶつかった。発は力なくその場に立ち尽くすしかない。

真っ白な頭で汚れた上履きの爪先を見つめ、──なんだ?仕組まれた?同じ高校へ進学しろと?同じ学舎を卒業しろと?そうすれば保たれる体裁と世間体?父親と同等の学力と学籍を?兄のみならず弟にも劣る次男の学力をブランド校名で誤魔化す為に?親孝行な次男としていつかくだらない社誌の記事にでも書き足すつもりか?

渦巻く疑問と渦巻く卑屈。

「……知らねぇ…んだよこれ…っ!うちってこんな秘密主義なワケ…?」

父の母校だと教えなかったのは何故だろう。なぜ、黙っていたのだろう?疑問も疑念も卑屈も尽きない部室の屋根を、冬の匂いを引き連れた小雨がしとしと叩く。

「ちくしょーーっ!!」

叩けば軋む得点板。得点板が古いわけじゃない。発の力が強いのだ。発の怒りと、鍛えだしたばかりのこの腕が強いのだ。

「どうしたさ王サマ!?」

そうけたたましい足音で倉庫のドアの隙間に歩み寄った一本傷は、

「……おうさま…」

発の背中に何を見るのだろう。"王様って言うな。"そう訴える力もないこの震える背中に、一本傷は。

「王サマ。そのままでいいさ、……聞いてくれ。」
歩み寄る凛とした体操着の声がする。発の背と、後ろに忍び寄った天化の胸が、得点板越しに張り付いたまま脈動する音。つめたい、あたたかい音。

発の唇は意味をなさない震えを伝えることしかしない。痛々しく張りつめた吐息と空気と吹き込む小雨。

「あーっと……その、俺っち国語得意じゃねぇのはあーたも知ってっと思うから、なんちゅーかハナから上手く言おうとも思ってねぇけど、」
「……おう」

口火を切ったのは天化だった。
冷や汗とドキドキ煩い胸騒ぎに邪魔されて、たったの二文字がひどく小さい。思わず逃げ出したくなる足の裏がムズムズ、床に張り付いてドクドク。天化は強く目を閉じたまま、祈るみたいに絞る声は続く。

嘘みたいに、雲間を縫った光の射し込む夕陽の部室で。

「……俺っちは、王サマの味方だかんね。」

確かに、凛と放たれた魔法の言葉は胸を掴む。途端に堰切る発の心音と全身の血流も逆立って訳がわからない。そんな、そんな、

「道は沢山あるんだと思う。すげぇ高い壁もあるさ。だから俺っちも迷って、走れなくなったときも、まぁ、どうせ王サマは全部知ってるっしょ。……そんときに、わかったから。」

切々と続く想いがあって。クレッシェンドの声は震えて、覇気に合わせて埃が舞った。オレンジの夕陽に照らされて、キラキラ。キラキラ。想いと誇りと声が舞う。狼狽しきった発の指に汗がびっしり。上手くなくていい、息がしたい。息をしたい苦しい。でも、それは

「真っ暗闇に強引に入ってきたのはあーただったさ。それが嫌でムカついてわかんなくて、ホントに、すげぇ嫌でキライで堪んなかったのに、……あー…っ…」

心地の好い、そんな不思議な低酸素。いい淀む喉が上下する瞬間に、天化の左指が発の右指を引ったくって叫んだ。

「だから!」

力、一杯。

「王サマを守るのは俺っちの役目さ!!!」

放たれた力強い叫びは、きっと意志を持った言霊なんだ。舞い上がる埃が眩しくて痛くて、開きっぱなしの発の目は水分を溜めていられそうにない。とっくに越えたキャパシティは、想いも、涙も、埃も誇りの色も、意地も弱音も強がりも。

「発、が、ハッポウフサガリでも、ずっと一緒じゃなくても隣じゃなくても、空見たら繋がってるっしょ?風はどっかで繋がってるし、地球ってのは丸いし、……ゔーぁ゙ーよくわかんねぇさチクショウ!」

洗い流す不思議な言霊。ぱたぱた雨音。天気雨はやがて集中豪雨。

「っ、でも、必ず、王サマの……発のこと見てっから。味方、だかんね。」

──得点板の背中合わせで、発の上履きと床が声なく濡れた。真っ赤でくちゃくちゃの顔を覆うなんて、そんな女みたいなこと出来っこない。格好いい泣き方なんか知りやしない。
どくん、どくん。走り出した鼓動は、歪なキモチを丸くする。強すぎる力で浚われたまま痺れて行方不明になった発の指先は、汗ばんで震えて、天化の温度と脈を伝える媒介だ。
どくん、どくん。違う目を持って、同じだけ走ってきた心臓。共有してる幸せの色、傷の数。好きの数だけ走った毎日。発の肩が大きく震えた瞬間だった。

「行きたいとこ考えとく。面談終わったら、道案内頼むさ。──っ、はなし終わり!んじゃね、明日!」

真っ赤な耳だけ覗いた得点板の影で、捨て台詞は走り出す。まるで初めて対峙したあの屋上だ。真っ赤な天化は走り去る。一体あれから何度言葉を交わしただろう。発の肩がもう一度大きく上下して、喉と鼻は決壊した嗚咽を紡いでいた。

「あとえーっ…とあー…あー…んと…」

ふ、と開かれかけた重たいドアが止まったときだ。
「んー……なん、ちゅーかさ…その……」
また釈然としない天化の唸る声の後、小さく小さく、本当に小さくツンツン聴こえた呪文。捨て台詞。

「…エロい、こととか、触ったりとか…させてやっから…。最近そーゆーのが足んねぇさバカ。あんまり俺っち待たせんなボケナス!」


んじゃあね!!──なんて今度こそ真っ赤な怒号でドアが開く音がゴリゴリガリガリギギギギギ。ゴウン!と盛大な悲鳴を上げながら、錆びた匂いを抱き締めた。
埃も想いもオレンジも、劣等も、誇りも好きも嫌いも大好きも。自分の、肩も。強くつよく。

「……っ、ばぁかやろ…っ、んなの、っこつけて言っ、ぅ、ことかよぉっ!んのエロてんっ…──!!」

込み上げて込み上げて愛しくて胸を引っ掛かれてあたたかくて。無理に紡いだお調子者の皮肉は、不器用な嗚咽と笑い声と混じって昇る。ぽろぽろぽろぽろ、埃は流されて、錆びもいつか癒えるのだろうか?

愛してる、のキモチも一緒に。立ち上がる力も一緒に。

「いっちょ前に人のハジメテ、……奪ってんじゃねぇわ、アホっ…」

ハジメテの、男泣きを知った日だった。



end.


長らく間が空いてしまいましたが、このシーンを書きたくて書いてきた物語だったりします。
2014/01/19

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