奪い、与う、保健室の帰り道(2/3)




「ゔぁーー」
「うるせーなー、さっさと保健室行けよ、発ちゃん」
「ゔーーんぁ゙ーー」
何度も呻いた。教室の真ん中の机に突っ伏して、紙ヒコーキ済みのプリントの山にうんざりして。朝練は韋護の目を避けるのに骨を折るかと身構えたのに、なるほど、腹痛には触れないらしい。発がそう望んだことを、大抵叶えてくれるのが彼だった。"案外空気読めるヤツ"、言ってることは意味わかんねぇしうぜぇけど──
「ったく迫真の演技だな、発ちゃん」
「へへ、だろ?朝イチの数学なんか誰がやるかっての」
いつまでも騙されてくれる教室の皆より、よっぽど空気の読めるヤツ。ウインクと一緒に机と仲良し。近付く天化の気配に、反対の目も閉じた。

「王サマ、あーたいい加減病院行かなきゃダメさ!」
「はいはーい。んじゃぁ俺サボっからよろしくな〜」

ひらひら指を振りながら、言い終わる前に声を被せて逃げ去る廊下。閉まったドア越しに力の抜ける脚がしゃがみたがる。頑張れ、保健室まで。


「……失礼します」
今日は言った。それだけのことだろうに、デスク前に腰掛ける外はねの癖っ毛は微笑んで、利用者カードは渡されなかった。先生自ら代筆とは珍しい物だ。
「……ベッドは空いてるけど、寝ていく?」
「んー…あ゙ー……センセーはさぁ」
「うん」
机の上の水のわっか。暖かい入れたてのお茶が入ったマグカップの底が描いたまんまるが、あの猿のシンバルみたいだ。柔和な声は少しだけ眠気を誘うのはいつものこと。
「……怒らねぇわけ?俺のこと」
「なんて怒られたいの?」
「いや…フツーに……"サボるな"って話を」
「だって君、サボってないでしょう?サボりなら一番に怒るよ。」
「……あー、……うん」
最早定位置の長机に額をくっ付けて、居心地の良さと悪さに発の口ははっきりしない。脳裏にチラつく三者面談のわら半紙が、日に日に大きくなる気がした。その度に襲いかかる腹痛に、さては自分は虚弱だったのか?なんて自嘲すら浮かぶ。ゆらゆら揺らめく湯気の中で、
「君は強いね」
酷く優しい声がした。
白い指先が汗ばんだ髪の隙間をすり抜けて、子供扱いを怒る隙もない。目許がじんわり水分を含んで、額を強く擦り付けた。
「──……かには…」
「うん?」
「天化には、ぜってぇ言うな……」
「うん」
俯せた片方の肩が大きく跳ねて、溢れ出したら止まらない。
「……太公望にも」
「わかってるよ。」

天化みたいに、天化より早く大人にならなきゃ。

おやじなんか大嫌いだ、顔も見たくない。
旦だって大嫌いだ、俺より出来る弟なんて可愛かねぇ。
雷震子のかっこいい兄貴になれない。
伯邑孝兄ちゃんの嘘つき。
嘘つき。行っちゃう癖に。バカ。

みんなどうしてるんだろう。

みんなどうしてるんだろう?


ぐずついた真っ赤な鼻と額が痛くて堪らない。メモを取るでもなく、頷いて髪を梳く手があたたかい。
「三者面談、……いやだ」
咎めるでもなく、
「どうせ俺、頭良かねーし…っ、夢とか…あるわけねぇだろ、天化と」

"天化と違って"。

頷く声がして、
「アイツみたいにっ…天化、みたいに…強くなれねぇ……ッ!」
そう唱えたのが最後だった。失速する涙の粒が少しずつ乾き始めて、頬がぱりぱりヒリヒリ痛い。泣き疲れた子供の頃もそうだった。拭ってくれたのは誰だったっけ?

「遅くなってすまないな、発」

弟の手を取って泣き疲れて眠った自分を、一番に高く抱き上げて頬を拭ってくれた人。

「……嫌いになれない、自分が嫌だ……」

いつになったら大人になるんだろう?子供の頃からの一番の疑問は、いくら手を伸ばしても解決なんてしなかった。

「奪って、ばっかで…兄ちゃんも、おやじも旦も…俺なんか見てねぇしっ…」

再び蓋が開かれたパンドラ。ぱたぱた机に落ちる滴は、見ないフリをして泣いた。
ぱたぱた、ぱたぱた。
雨音みたいに降り注ぐ。
ぱたぱた、ぱたぱた。

夢中で発の名を呼ぶときの、あの瞬間に早鐘を打つ天化の心音と同じ早さで、ぱたぱたぱたぱた。

「……っ、逢いたい…あいてぇよ…!」

それは、誰に?

浮かび上がる残像がぶれて重なって、涙で見えない保健室。震える発の髪をとく手が、
「……劇的に、奪うことが上手いヒトはいるよね」
何故だか溢して微笑んだ。発から見えはしないのに、寂しく笑う、そんな気がする声色だった。

──少し休む。そう告げた発が潜り込んだ保健室のベッドは、冷たくも温かく発を迎え入れてくれる。
のどかな秋空を飛ぶ飛行機の音。行けー!カットカット!白熱する男子体育。学園のざわめきが共存する不思議な場所で、久方ぶりの安眠を得た。夢の中の靄を纏った恋人は、心配そうな顔をしていたけれど。

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