呻いた。
まだ真夜中なんだろうか。見間違える程に部屋は暗くて、風の音もしやしない。
「あんちゃん、あんちゃん」
子供は今日もひた走る。長い廊下の端から端まで。
「ちーに、め!走ったらめーです!」
知恵の早い下の弟の声がして、
「あんちゃん!やだ、あんちゃ……!」
紅葉の手は背中に向かって伸ばされる。
「発。ほら、これで寂しくないだろう?」
差し出された白いふわふわを、小さな紅葉が捕まえた。
「……おとうさん……」
「……おとうさん……」
「って…いだだだだー」
呻く。
「あ゙ーもうちくしょっ…あだだだ黙れ腹…」
もう毛布を出さなきゃならない季節だ。タンクトップの薄さを棚に上げて、真夏の間中活躍したタオルケットをきつく睨んで、発の右手が、下にした腹と腰とを往復する。
枕元にチカチカ光る携帯は、淡白カレシの着信を告げていた。
「あ……?あれ、そか…」
眠ったんだっけ。メールの途中で。半ば気を失うように眠りについて、
「……どこ行ったんだ、あれ」
とっくの昔になくなった白いふわふわを探す左手。
薄汚れていてダサくって、大嫌いだった憎々しいあれ。
"いつでも発のことを見ているよ。ほら、この目でなんでも見えるんだ"
それが本当なら随分悪趣味な猿だ。時代遅れのシンバルを持って、賑々しく歌う白いふわふわ。人を見下したような、まん丸の瞳。幼いながらに疑ったものだ、
「親父ってセンスねぇんだなー…」
姫グループのおもちゃ業界初進出を、一手に引き受けた真っ白い猿のぬいぐるみ。
「……どこやったっけ…あいつ…」
思い出すには、まだ腹が痛かった。名前もつけた筈だけど、とっくの昔に忘れたそいつ。吹く筈のない秋風が染み込んだみたいに、目と鼻の奥が酷く痛くてかなわない。
ってゆーか、一体誰だ、"おとうさん"なんて涙ながらに叫んだ、寂しがりのいい子ちゃんは。
ごろんと左に寝返りひとつ。伸び盛りの170センチが、携帯のランプをなかったことに決め込んだ。