溶けるオレンジ(3/3)




「袖が邪魔くせぇさ」
それも今更見当違いだ。仁王立ちで100円の幸せを抱えたその人は、黒と白のビロードとレースに包まれていた。
「脚も動きにくいし!」
「……おう、意外と…」
お決まりだろう逞しい身体を包むエプロンドレス。風を含んで膝の上のスカートが翻る。
「意外と、なにさ」
「いや……意外と」

――意外と可愛くない!

多分それはクラス中が抱えた大問題だ。大げさなパフスリーブは肩幅の広さを助長させる選択ミス。
「王サマだって似合ってねぇさ!気持ちわ」
「気持ちわりぃって言うな!」
こっちはこっちで大問題だ。ミドル丈が膝丈になったワイン色。フリーサイズの女性物、女子は赤系、男子は黒!ノリとノリで注文した衣装段ボールの、どこをどうひっくり返しても赤のこれが1着余った。今はどうにも目に余る。
「天化!髪やってあげるから、こっちいらっしゃい!」
「いーやーさ!」
「もぉ!おとなしくしてっ!」
櫛とレースを片手の三つ編みの前で、悲鳴と共にカーテンの向こうに消えた恋人。再会の頃には頭上にこんもりレースが乗っかっていた。
「…うん、こっちの方がいいさ。邪魔んなんねぇから」
「あっダメ、仮止めだから頭動かしたら落ちるわよ!」
耳回りを編み上げられた黒髪がふわり。思いの外気に入ったらしい首筋の後れ毛をしばらく掻いて、ああ、なるほど。部活の手ぬぐいと面のときと原理は同じだ。頷いた発の髪も問答無用で上げられた後、無言のままに下された。
「ちくしょう覚えてろ!」

大股の仕切る"太公望印のプリン茶屋"──開店合図の上履きが、こっそり椅子を蹴った。


瞬く間に渦巻くお祭り騒ぎの校内で、休む暇なくアイスが舞う。
「王サマは外回り行った方がいいさ、のろのろやってると溶けちまう」
「うるっせぇな…」
既に流動食とミルクに近い発のアイスと、景気良くまんまる天化のアイス。注文数は言わずもがなだ。クラス全員が骨折り通しのアイスディッシャーを握り締めて、天化の口角が弧を描く。
「……大丈夫なのかよ」
「ん?なにがさ?」
眉を寄せた耳元の発の問いは、笑顔とオーダーにかき消された。つまみ食いの溶けたアイス。噛み砕いた最期の氷を頭に刻んで、
「しゃーねーな、おーっし!行くぜ、買い出し班!!」
開けたドアを振り返ったら、震える指先のディッシャー越しに、極上の笑顔が見送っていた。

胸を突く。
衝動なんて粗っぽい言葉は無縁だろうと思っていた。
震える腕がそうさせた。

たった半年で世界は変わる。

愛しく突き上げる衝動の塊が、肩の向こうで笑うから。──この笑顔を見たかったんだ。
発の脚が廊下を駆ける。飛び乗ったあの日の折り畳み自転車にクーラーボックスを乗せて。

あの煙草が嫌だった。ひとりぼっちのあの目がずっと嫌だった。
ならなにを望んだの?

太陽の下にゲリラライブのギターの音。テニス部の交流試合のホイッスル。日常だけど毎日じゃない。今しかない風の匂いは、確かに9月の匂いがして、立ち去り際に溢れ出した自信に満ちたあの笑顔が、きっと誰より望んだ天化なんだ──。
胸に一発ストレート、納得したら愛しさが増した。

「あんだってぇ!?」
氷がみんな溶けちまった!クラスから悲鳴めいた電話が繋がる頃は、
「待ってろ!すぐ行く!!」
立ち漕ぎの右膝が勢い付いて遠くに伸びる。

何処まで行っても終わりが見えない。果てしない、あの日のオレンジ、あの日のサブグラ。近所のスーパーもコンビニも、アイス屋台とジュース屋台の溢れる学園祭日和に氷が残る筈がないんだ。
発ちゃん、発ちゃん、
待つ者の声に膝が曲がってまた伸びる。手分けした買い物班はあと二つ出た。しかし買って帰る保証はない。上がる息。加速しなきゃ坂は昇れない。
昇れっこない、加速だ!漕ぎ出せ!すっかり膨らまなくなった肺は、5キロ先、漸く手にした氷を積んでクーラーボックスが下り坂。──果てしなかった。

「わりぃッ…!!」
転がり込んだ教室に歓声が満ちる。
「とちゅーで蓋、ふた、坂おりたら開いちまってて、全然、きがつ…」
気が付かないまま溢れた水。H2O(個)=H2O(液)-6.01kJ、とっくに過ぎた融解点。半分遺して氷は去った。まだ夏だったのか。酸素が足りない発の目の前で、
「王サマ!」
「あ…」
笑い返す震える腕に溶けたオレンジがそこにある。
「お疲れ、助かったさ。"発ちゃん"」

──ああ。
込み上げるフロートを飲み干して、似合わない女装野郎を抱き寄せた。

「王サマ―、王サマ卒業おめでと」
「……はは、意味わかんねぇ」
苦笑しながら今日は無礼講、文句はなしだ。そう言えば、加速した鼓動と膝はずっと奮えていたっけ。



ひとりでおとなにならないで。

「よく胸悪くなんねぇな」
「そりゃー好きだからさ」
橙に染まる屋上は、二人の影に満ちみちて、噛み千切られそうなストローの影は橋渡し。終始穏やかな笑顔とピンクのパックを従えて、金のフェンスが天化の体重に軋んだ。預けた肘と胸。イチゴオレの甘い匂い。ふわふわ鼻先をくすぐっていた。
くすぶる下心と、甘い匂いに誘われた悪戯心。
「俺は無理だなー」
呟きながら2歩後ろ。上履きに、ソックスに、安いビロードが貼りついて、
「……隙あり──!!」
「──……いひゃ!?」
風を掴まえる音がした。突風に舞い上がるのは黒のビロード。
「ぎゃぁぁーーーっ」
「天化のみーずーいろっ!!」
「なにするさ!いきっ、い」
いきなり!
現れたブルーの縦縞の叫びはフェンスと胸に預けたままで、
「予告するスカートめくりがあるかってんだよー!アホ!」
「そんな意味じゃねぇさ!!」
きっと帰っちゃこないんだろう。ちくしょう!
日焼けの天化色、付け足すなら白い内股は別腹なんだ。悪戯な発の手に、今度こそギリギリとストローを噛む音がする。珍しく内股と両膝をぴったりつけた天化の目が、物言わず発を射る。
「だってよ、天化のスカートだぜ?一生めくる機会ねぇよ?水色おぱんつ」
「当たり前さ」
「だからさぁ!」
胸に触れる真っ赤な肩甲骨が震えていた。背中に張り付くその声とその髪が、風に靡いて飛びそうだった。
「……今日でスカートめくりも卒業じゃねぇか」
編み上げた項に触れる髪が二人分。
「ずいぶんなさけねぇ卒業さ……」
大袈裟な悲鳴に混ぜて、似合わないパフスリーブから覗く二の腕をひっぱたいたのは、震える右。
「王サマ、あんた」
「つーか想定しとけよ!こーゆー流れだろ!あれ、しゃがんだら絶対見えてたじゃねーか!」
「王サ、…」
「っんとお前ってそーゆー自覚ねぇし危機感ねぇし!ちょっとはカレシの身になろうとか思わ」
「──隙あり王サマ!!」
思わねぇのか、──答える前に舞い上がるワイン。

「──……お、っまえな!」

溶け出したオレンジの屋上に、真っ赤な頬が滲んでいた。
風の運ぶワインのスカートの下で、背を丸めた天化が猫みたいに小さくなった。目が丸い、びっくりの黒猫は毛を逆立てて、

「本気でヤったろ…目がマジだぜ」
「……、るさい」
「めくっといて照れられてもな…」

スカートの下から覗いたのは、いわゆる"想定"用だった。広がるワイン、少しだけ筋肉がついた見慣れた白い腿。
「……後でチラ見せしてやろうかなって思ってよ…履いてたんだけど。……もっかい見る?」
「い、いらないさっ!」
三角形のシルクは深いワイン色。
「いや、だってよ!ギャグだったのにお前マジでめくるから!」

ハジメテのスカートめくりは、ハジメテのワインパンツにすっかり姿を変えていた。
無言の屋上に風が駆ける。雲間の夕陽が溶けて流れて、オトナのパンツがひしめく頭を、かき混ぜて洗い流す。

「……あんなのどこで買ったさ、王サマ…」
「ん?あ、なんか疑ってる?」
「違うさ!そーじゃなくて…」

ぞっとするぐらい。オトナっぽいオトコの王サマは、指先の震える天化の胸を、酷く冷たく浚ったらしい。

きゅ、きゅ。止まらない加速の切ないドキドキに、二人で滲む秋の空を見る。
まぁだから、全部シャレだけど――なんてかっこつかない予防線を張れるくらい、大人にはなれただろうか?

重力に素直なスカートを手放して、身体の芯が切なかった。こんなに頼りない布きれに包まれていたんだっけ?風に飛ばされてなくなりそう。女子って結構すごいらしい。
「なぁ」
「うん?」
身体が冷えて、暑くて。苦しくて、少しだけそこも触れたかった。言えはしないそのモヤモヤを、イチゴオレと飲み干して。
「……集合、5時だっけか」
触れ合う赤い肩と黒い肩だけが、
「…うん」
子供の終わりを知っていた。
「いかなきゃな」
早く。
「……うん」

ひとりで、おとなに、ならないと。

この日のキスは、唇に触れるだけですごく長くて、震える指が耳に触れて、名残惜しいのはあのオレンジ。楽しい、苦しい──加速しなきゃ。
もう一度、強い風が震えるビロードを拐って行った。


end.
→補足女装image 240px 480px

2012/03/04

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