指と恋慕と背中とピアス








 全てがなくなったのはあのときだったと、夏空の夜風が沁みる左耳に想う。
 一歩一歩、新しくおろしたてのスニーカーがアスファルトを踏みしめて――それは決意であったり、今にも尻込みしそうな自分が逃げない為の抑制めいた力だったり、案外、
「おせーぞ」
毒づきながらも、マンションの外に立っている無造作な赤い髪の存在を期待したからかも知れなかった。ごめんス、そうへらりと笑った顔は、絹糸のような金髪と満月に近い明るい月の逆光に阻まれて、相手に届いたのかどうかは定かでない。
「オニオンスープ、できてる」
「やた!さすが火神っち!」
少し上気した頬で短髪を掻き毟ってから、大柄な彼は背を向けた。
「ん」
「え?」
言葉少なになるのは、恋愛になれない純朴な彼の照れ隠し。そう気付いたのは、なにも自分が対象となってからではなく、目の端に映る彼の言動を一つ見れば容易にわかることだった。それが今、本当に些細なきっかけで自分だけに向けられることとなったことが、くすぐったい様な幸せと、泣きたくなるような優しさと、やりきれない切なさと、「明日、海常は練習ねぇの?」
未だ抱える未練にすがる浅ましさを運んでくること。
「……え、あ?なんスか?」
「はぁ?」
「いや、あのごめん。聞いてなかったっスわ」
「だーから、海常は部活ねぇのかって」
「……ない!と思うっスけど、あれ?」

 ロブに釣り下がる小さな金属の終焉は、未だ見ていない。纏めようとすればするほど、思考の端から青い色に食い潰された。ぐちゃ、と思考の潰れる音がする。

「なぁ黄瀬、お前さ」
「んー、ごめん。ちょっと仕事忙しかったんスよ。それで。ぼーっとしちゃって」

 歩む足は二人分、並んでアスファルトをする音。これがバッシュのスキールならばと考えて、もう一度黄瀬の思考は青く潰れた。半歩先を行った火神は、それ以上の追随は要求しなかった。
「ちょっと、なんか……うん」

それでも饒舌に迷いを口にするのは、やはりどこかで打ち明けたいと、悲鳴を上げているからなのかもしれない。話すべきことでないのは、黄瀬本人が一番にわかっていた。ただ、聴いてほしい相手は、最早”彼”ではなくなってしまった事実に苦笑せざるを得ないのだから、やはり自分の思考は兎角面倒くさいのかも知れない――そう結論付けて、火神との距離を半歩詰める。
「あ?」
「へへ」
 不意に絡む火神の左指と黄瀬の右指。人差し指と親指で、太く無骨な火神の中指を引っ張った。何日か前にテーピングを施されていたのは知っていた。それでも何故か、無性にこの指が欲しかったのは、ほんの少し――1年前に恋慕した、あの指に似ていたからなのか。彼の背を通して見えるかつての同胞であり憧れのその人は、やはり似て非なる人間だろうか?わからないだけ弱くなる。弱気になって思考が潰れて、揺れるピアスが酷く頼りない。もうとっくに安定したはずのピアスホールが、熱風に煽られて、小さな小さな傷が泣いている様だった。
「ねぇ火神っち。」
「ああ」
こんな時は黄瀬の口が止まらない。いつもなら、煩いだの静かにしろだの怒って見せるか、共に馬鹿げた話題に腹を抱える火神は、こんな時ほど喋らない。

 熱い指先と夏の夜風が、左耳に熱をうつす。
 とくんと早まる鼓動を抱いて、黄瀬はまた一歩遅れて歩く。指は繋いだまま。
「オレ、女の子にフラれたことないっていったじゃないスか」
「ああ」
「あれ、マジの大マジなんっスよ、自慢じゃないけど自慢にしかなんないってゆーか、だってホラ、オレっスし」
「ああ」
「けど……ほら。好きっていうのと……違うけど。憧れて、触れられないって気付いた時に、ああこれって失恋したんだーって。そう思ったことはあって」
それきりの少しの沈黙に、たどり着いたマンションの入り口のスロープを風が抜けた。
「気付いた時には失恋だったんス。……やっぱかっこ悪いよね?」
「……いや、別にいんじゃねーの。かっこ悪いってこたないだろ。っつかむしろ一回もフラれないってのが」
「まぁ、だよねぇ」
へらりとそう言った口元は、ほんの3分前よりも幾分穏やかに金髪を風に遊ばせて、タン!と一歩、前へ出る。星空の光が降り注ぐマンションに舞い降りた金糸が、

「うおっ…!?」
「……がみっち、火神っちは……!」

子供の用に背に縋った。体の頑丈さには自負のある火神の腰が前に揺らいで、それでも背と腹は一寸の隙間もなく張り付いたまま、黄瀬の独白を赦していた。
「火神っちはさ……、そーゆーの、フェアじゃないって思う?今は火神っちと一緒にいるのが一番で、バスケもアンタとやんのが楽しくて、絶対負けねぇって思うし、リベンジするし、一緒にって……けど、なんか、聞いたんスよ。一年前。どうしようもなくバカで、」
溢れ出す不安定な言葉はもう二度と止められない。そのことはなんとなく互いがわかっていることで、濁流の様に続く言葉を受け止める背は黄瀬以上に熱かった。必死に縋る子供のような悲痛な声に、そう伝わったかどうかは定かではないが。

「もう絶対届かないんだと思ったら、左耳ロブ1個のフープって、”劇的に変える”って、ジンクスって、きいて――」

変わりたいと願ったのは、誰の為だったのか。消えた影と、加速して燃え盛る青い光と、伸ばした手を振り切られた自分自身と。葛藤から1年が過ぎて、運んできてくれた穏やかな幸せと。
「でもオレ、まだ……まだ」
「うん」

「このピアスは、……外せない」

 その言葉が最後だった。

 泣いていたのかもしれない。涙が出るだけがなくことではないと、興味のない現国の授業の哲学めいた論文読解が告げていたけど、それを今覚えていることがおかしくて仕方なかった。
「バカっしょ?笑える……ってか、怒るっスよね……」
「バカ黄瀬」
重なる腹と背と。火神の胸に回した黄瀬の白い指に、熱い指が絡まって笑った。

「オニオンスープ、食おうぜ」

 きっといつか、膿んだピアスホールに祝福のキスをできたらいい。まろやかな香りに包まれて、忘れられない指を想って、髪を撫でる今に甘えて、

「火神っち――今度、新しいピアス選んでくれないっスか」

言えそうで言えない甘酸っぱい一歩を、スープの湯気に混ぜて昇らせた夏の夜。きっとあの日よりは確実に、変れたのだろうと信じて。


end.

2012/08/31 pixivにて

帝光時代のピアス空け捏造エピソードと、現在の彼。元青黄で現火黄です。記念日というにはビターですが。
ちょっと補足▼

8月30日が「黄瀬涼太が度胸一発ピアスを開けた日」でして、そのピアスの色が、青。
青と言えば、黄瀬くんが憧れてバスケを始めるきっかけとなった「青峰大輝くんを彷彿とさせませんか?」というお話でした。
苦い想い出ばかりの初恋の元彼と、優しくて楽しいけど、あの人に似てるから選んだ今彼。
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