タイトル

はじまりO

「世界中の人から愛される代わりに本当に愛する人から愛されないのと、本当に愛する人から愛される代わりに世界中の人から嫌われるの、研磨ならどっちを選ぶ?」

 唐突に、目の前の幼馴染みはそんな事を言ってのけた。
 トサカの様な寝癖、なんだか落ち着かせなくさせる鋭い瞳、そしてこちらを操ろうとしているかのような挑発的な表情。見慣れているはずの幼馴染みの容貌に、研磨は背筋がゾッとする感覚を覚えていた。

「ほら、どっちか選べよ。どっちが研磨にとっての最善で、最悪になるのか答えてみろよ」

 困惑する研磨をせかすように黒尾は言葉を重ねる。だが、どうして自分が今こんな状況に立たされているのか、それすらも研磨は把握できていなかった。
 まず、研磨は いや、音駒高校バレー部は合宿中だ。年功序列主義の先輩方が引退して最初の合宿。
 研磨と1年の時、同じクラスである名前の両親が経営している宿を格安で提供してもらえる形でスタートした合宿は、無事一日目が終わる所だった。練習に追われ、日々全国制覇の夢を達成すべく励んでいる。はずだった。
 今、この瞬間までは。
 五日間の合宿の一日を終え、新入部員の人柄も理解し出した所だ。慣れないコミュニケーションも少しずつ自分なりにやり方を覚えてきて、今日もなんとかノルマを達成し2年用に割り当てられた部屋で眠りにつく為トイレから戻る途中...のはずだった。
 研磨は周囲を見渡した。遠くから犬岡のはしゃぐ声が聞こえる。暗い廊下に漏れる光。あそこから聞こえているのか。
 ああ、もしかしたらこれはただの悪ふざけではないだろうか。
 そう思い至った時、研磨は妙に納得することが出来た。それならこの意味の分からない質問にも説明がつく。真剣に悩む必要なんて無い。
 悪ふざけなのだ。これは、いつものクロがする真面目ぶった暇つぶしなのだ。

「ちょーっと聞いてんの? オレも暇じゃないんだからさ、さっさと答えてくんない? 次がつかえてんだ」

 暇つぶしのくせに幼馴染みが思考に没頭していた研磨を呼び覚ます。その黒尾の顔を改めてまじまじと見る。

「……それを選ぶことに何の意味があるの?」
「んー、まあそれは後のお楽しみってことで! ネタバレ喰らったら面白くないだろ?」

 瞳をチェシャ猫のようにニヤリとしならせ、黒尾は含みを持った返答をよこしてきた。背後で尻尾が揺れていると錯覚してしまいそうなくらい、彼は楽しそうにこちらの様子を窺っている。
 世界中の人から愛される代わりに本当に愛する人から愛されない事と、本当に愛する人から愛される代わりに世界中の人から嫌われる事。選べるとしたらどちらを選ぶのかと黒尾は提示してきた。
 パッと見は、前者の方が幸せそうに見える。たった一人から愛されないだけで、世界中の人から愛される人生の方が楽しそうだ。逆に、後者はとても生きづらそうに思える。
 たった一人から愛される代わりに、世界中の人から嫌われるなんて条件がつり合っているとは思えない。生きている間、たった一人からしか自分のことを理解されないなんて自分なら耐えられない。
 自分のことを好きなってくれる人が多い方が幸せに決まっている。
 自分のことを認めてくれる人が、称賛してくれる人が多い方が良いに決まっている。
 だから研磨は、迷わず前者を選んだ。

「おれは、世界中の人から愛される方を選ぶ」
「はは、やっぱそっちを選ぶんだ。予想通りでつまんねー気もするけど了解。研磨は世界中の人から愛される代わりに本当に愛する人から愛されない。そういう世界で生きたいんだな?」

 黒尾の手が伸ばされ、トンと研磨の額に触れた。その瞬間、ぐにゃりと研磨の視界が歪む。 研磨はパニックに襲われた。

「研磨の望み通りの世界にしてやる。研磨が望んだ世界で、研磨が望んだとおりに廻る世界にしてやる」

 渦を巻いていく視界の中、その渦の中心に居る黒尾は楽しげな声で最後にそんな言葉を漏らした。

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