歪んで

あれほど急かされたのに学園長室は無人で人の来る気配もない。最初は立派な革張りのソファにかしこまって座ってたけれど、チャイムの音に授業が始まった事を知ると落ち着かなくなってきた。

(これはまずいんじゃないかな?)

欠席扱いになるのは嫌だ。戻ろうと立ち上がりドアを開くと一人の男の人が立っていた。

「君が亜神田木巴君かい?」

私を押し退けるように部屋に入るとその男の人は尋ねた。

「は、はい」
「すまないがもう少し待っていてくれ」
「でも」
「安心してくれ、欠席扱いにはならないようにしているから」

その人は資料を何冊か掴むと入って来たのと同じ勢いで出て行ってしまった。閉じられた扉の前でしばらく呆然とする。

「待っていろって言われても…」

教室に戻るのは諦めて、もう一度トロフィーや賞状に囲まれたソファに座る。




それから一時間。チャイムの音に一時限目が終わったんだ、と読んでいた参考書から目を上げた。鞄を開くとスマホがメールの着信を報せている。人の入ってくる気配のない扉を確認してから見てみると、日向クンから心配のメールが届いていた。
今のところ何もない と送り返してすぐにドアが開き、慌ててスマホを鞄に戻す。

「亜神田木君、遅くなってすまない。学園長の霧切仁だ」

先程の男の人が向かいのソファに座り柔和な笑みで挨拶をした。

「今日来てもらったのはね、君が本科に移動する意志があるかどうかの確認をしようと思ってね」
「え?」

急な話題展開に思考がついていかない。

「君は子役としてテレビ等で活躍していたよね?」
「!!?」
「様々な個人演技賞も何度も受賞している。しかし人気絶頂の最中いきなりの引退。説明もないままきっぱりメディアへの露出を止めた。理由はわからないが君には女優の才能があると見込んで本科への移動をしてもらいたいんだ。」
「あ、あの…」
「もちろん昔の業績だけでは移動はできないよ、何本かテレビドラマに出演してもらって最高の評価を受けて欲しい。そうすれば君は予備学科で初めて本科に入学できた生徒となれるんだ」
「あの、わっ私っ」
「御両親の了解は得ているよ。後は君の実力だけだ」

その言葉に混乱と緊張が解け、頭が急激に冷めた。

「父と母が?」

睨むように学園長を見ると、私が彼に対して怒ったと勘違いしたのか切羽詰まった声で答える。

「了解を強制していないよ、むしろ喜んでもらえた。君に相談もなく話を進めたのは悪かった。でも、不利益な話ではないだろう?」
「いいえ、不利益です」
「え?」
「編入は…もちろん嬉しいお話ですが条件が」
「どういうことだい?」

学園長にお父さんとお母さんへの八つ当たりをしてしまい、申し訳なく思う。ゆっくりと息を吐いて私は頭上に手を回した。凪斗からもらったヘアバンドの結び目をほどく。スルリと落ちたそれを鞄にしまい、髪を耳にかける仕草をしてみせた。もっともかけれる部分などないけれど。
生々しい傷跡を前触れもなく見せられ彼はひゅっと息を飲んだ。それを知りながらなおも続ける。タートルネックを下ろし、首に巻かれた包帯を解いていく。喉仏の下にある縫合跡を晒し、次はカーディガンの袖を捲った。

「あ…亜神田木君」

指出し手袋とリストバンドを外す。手の平から甲を貫通した跡の残る両手を見せ、囲む様についた切傷がミミズの様に残る手首も同時に見せる。靴とニーソックスを脱いで足からふくらはぎにかけた火傷の跡を見せ、私はもう一度息を吐いた。

「今の映像技術は凄いです。産毛まで鮮明に映しますから。女優は身体が売り物です。こんな傷だらけの身体じゃ、メイクでも隠せない」
「…すまない」
「いいえ、霧切先生は何も悪くありません。悪いのは“これ”を知ってて了解の意を告げた両親です」
「…………」
「この話は無しと言うことでよろしいですか」
「………ああ」
「甘いですな、霧切学園長」

いきなり入ってきた数人の男の人に立ち上がりかけた姿勢のまま止まる。

「亜神田木巴。先程の話はお願いではなく命令だ」

入ってきた内の1人が告げる。

「予備学科の連中は録な才能もなく、そのカケラも無い。それなのに本科へ移れない不満ばかり募らせている。だから、まぁ、少しでも可能性がある君を編入させることで不満を収めると言う訳だ」
「酷い」
「何?」
「皆の本気で希望ヶ峰学園本科を目指している、その思いを蔑ろにするなんて」

脳裏に過ぎったのは日向クンの「胸を張れる自分になる」と言う言葉。

「予備学科が何を言った所で変わりはしない。才能を持つ者が世界を変えるのだ。君が与えられたチャンスを使わんのなら、予備学科から退学してもらう」
「は?」
「所詮予備学科は資金集めの為の学科。しかし、途中入学を希望する者も多い。君の変わりはいくらでもいる 」

気付いてはいたけれど本当に聞くと衝撃はすごかった。輝かしい名声の裏になんて最低な…。その怒りよりも私の頭の中は退学させられたら凪斗に会えなくなる事の方が重要で。

「わかりました。その話、お受けします」
「亜神田木君!?」

霧切先生が止めようと立ち上がるけれど首を振って遮る。

「その傷ではテレビは難しいだろう。舞台役者としてはどうかな?いくつか斡旋しよう」

舞台とテレビの違いを理解していないのか。しかし現状それしか手段はない。

「宜しく御願いします。数年のブランクがあるため難しいと思いますが「猶予は五ヶ月だ」……」
「ごっ、いくら何でもそれは厳し過ぎませんか!?」
「わかりました五ヶ月ですね」

霧切先生の不安気な視線を無視してそのまま学園長室を後にしようとすれば「話はまだ終わっていない」と引き止められた。眉を寄せながら振り返ると「誓約書を書いてもらおう」と紙を突きつけられる。

頼み事でも命令でもない。ただの脅しじゃないか。

(それに乗せられる私も最低な奴か)

心の中で舌を打ち、薄っぺらな書類と向き合った。



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