昼休みに借りている本に目を通していたらクラスメイトに「あれ、珍しいね」と声を掛けられて、彼女は斜め前の席の某さんだ確か所属は図書委員会ああだから古本屋でも今時なかなかお目にかからないだろう絶版されたこれに目を留めて声を掛けてきたのだろうか違ういくら図書委員会といえそう親しくもない俺の持つハードカバーの中身になど一々注意を払うことはない彼女がそこまで無類の本好きだったという話も聞いたことがないだからやはりこれはいつも机に突っ伏している自分が起きているというただそれだけに対しての物珍しさを感じたというだけの話に過ぎないということか自分はどれだけ寝てばかりの人間と思われているのだろう普段そう話さない相手にまでその認識が広まっているというなら相当なものだな釈明を試みるべきだろうか、 「別に俺だって、一日中寝てるわけじゃない」 この辺りまで考えてから舌に乗せた言葉は、しかし彼女が先の台詞に続けて発しようとしていたらしい「瀬戸君が起きてるなんて」という声に重なって。 ああまたやってしまった、と思った時には、目の前の女は不気味な物を見るように眉根を寄せて此方を見ていた。 自分の思考が脳内を駆け巡っていたのは人の息継ぎよりも短い時間の内であったかと実感してしまったところで、全身が圧迫されたような感覚に苛まれる。 息が苦しい。 「......瀬戸、いい加減起きて」 は、と意識が浮上した。 ずらしたアイマスクの向こうに広がるのは見慣れた教室の風景で、そうだ帰りのSHR後に苗字に声を掛けたら今日はバスケ部は部活ないでしょ 私は職員室に用があるから待っててとか何とか言われて、ならばと此処で眠る体勢に入っていたのだった。 今のは、夢だ。 ただし近しい(具体的に言うなら、今日という日の正午の)過去の現実でもあった。 苗字は呆れたような面持ちで此方を見下ろしている。何か言わねばなるまいと口をひらいて、 「で?本は?」 そんな自分よりも先手を打ってきた苗字の言葉に、目を丸くする。 確かに自分は苗字に借りた本を返すために彼女を待っていたのだけど、そんな話は全くしていなかった。 そもそも借りたのだって昨日で本自体も文庫本などではない分厚いハードカバーで彼女も来週までに返してと言っていたくらいだから少なくとも週末くらいまでは読むために時間が費やされることを想定していたのだろうし、 「...なんで」 「瀬戸だから」 私に『来週までに返せ』なんて言われたら可能な限り早く読み終えて返そうとするだろうし瀬戸なら一晩と少しあれば片付けられるだろうと踏んでいたところに呼び出されたのだからその用件が本の返却であると解る。 必要最低限の苗字の言葉から咄嗟にそこまで悟って「相変わらずすげぇ予測だな」と反射的に呟いた、しかしその声は誰の台詞と被ることもなく部室の中にただぽつりと響いた。 代わりに、当然だと言わんばかりに苗字が笑む。 苗字との会話には、余計な言葉が要らない。 現実と思考とのタイムラグに絞め殺されそうになる心地を味わう必要もない。 「......名前」 「なぁに?」 「好きだ」 お前でないと駄目なんだ。 お前でないと、俺は世界との齟齬に殺されそうになる。どうしてお前は平気なんだろう、俺はいつだって酸素のない水の中と変わりなく感じられる世界が疎ましくて疎ましくて微睡みの中に逃げ込んでばかりなのに、お前は悠々と魚に擬態して生きている。 それが俺がお前を求める、お前に成れない所以なんだろうが。 例え俺がお前の癒しになれなくても、俺にしか側にいる利点がなくても、それでも腮のない俺の欠陥を認めてくれたお前のことがどうしようもなく好きだ。 この、言葉にならないくらい暴力的に脳の中を弾け飛ぶ感情の嵐が、一筋も余さず苗字の元に届いてはくれないだろうか、と。 自分すら捉えきれないものを、他人が掬い上げることなんて出来るわけもないのだけれど、と。 だが苗字ならばもしかしたら、と。 「知ってるよ、健太郎」 そう言って彼女は、慈しむようにまた美しくわらうのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 苗字さんはIQが高いのではなくて人間観察が得意。それで他人の行動を先読みする。と言う設定です。 |