※千夜はザキの双子の姉。※




オレが意識を浮上させたそのとき、まず知覚したのは知っているけれど知らないにおいだった。
「おはよ、原くん。えへへ、やっぱり寝顔かわいいねっ」
次いで、ちゅっ、と唇に触れるやわらかいものと、至近距離でにこにこと自分の顔をのぞきこむ恋人の顔だった。
(……あー、千夜のにおいか)
かすかなフレグランスが混ざって香るここは、どうやら彼女の部屋らしかった。オレはベッドに寝かされており、視線を少し動かせば同衾していたくたびれたぬいぐるみと目があった。が、そんなものを見ていてもなんにもならないので、すぐにすぐそばの恋人の瞳に笑いかけた。
「おはよう、千夜。千夜も寝顔かわいいよ。起きててもかわいいけどねん」
「やだもう原くんったらぁ」
彼女は照れながらもぎゅっとしがみついた。ふよん、と柔らかな胸が胸に押しつけられる。最初は絶望的なほど絶壁だったけどオレの努力のお陰で何カップか育ったらしい。(どんな努力かって?言わせんな)オレの彼女はかわいいうえにうまそうだなあ、うまいけどね、とかみしめる。それからできるだけさりげなく問いかけた。
「ところで、千夜」
「なぁに原くん?」
「なぜオレは両手両足を縛られてカノジョのベッドに転がされているの」
「それは私が縛ったからです」
にこ、と笑う。かわいい。かわいいが、解せない。

「はあぁぁん……エルボーの達人身長188cmのがっしりした原くんが無力化されたあげくぬいぐるみといっしょに転がされてる姿ってばマジでかわいいよぉお」
オレの隣で、恋人は自身の体を両手で抱き締め、ぞくぞくしている。目の中にハートマークが浮かんでいる。これはこれでかわいいのだが、やはり解せない。
「ええと、お前にはこういう趣味があったの。気づかなくてめんご」
彼女を見つめて謝罪する。両手両足さえ縛られていなければ、一つのベッドに二人で寝ころぶ、ごく普通の恋人たちだ。きょとん、と千夜が半身を起こす。
「こういう? うーん、どうだろう。私おつきあいするのは原くんが初めてだからこういう趣味があるのかどうかって断定できないなあ。縛りたい欲求を抱えてきたわけでもないし。原くんなら縛られてても縛ってもらってもバニーガールコスプレしててもぐっとくるだろうし」
「なぜバニーコス」
「いやまあウサギのぬいぐるみがそこにあったからね」
四肢の自由を奪われているにも関わらず、あまり危機感が無いのは千夜から悪意を感じなかったからでもあるし、千夜になにかしたいことがあるのならどんな要求でも受け入れるつもりだったからでもある。どんな要求でも、だ。だってオレ千夜にガチ惚れだし。
千夜は胸の前でがっつり縛られたオレの腕にじゃれついているので、それを見ながら目覚める前の記憶を辿る。確か差し入れで千夜のレモンのハチミツ漬けを食べたのだ。直後、意識が暗転している。手段についてはおおよその検討がついた。次は動機だ。
「どうしてオレを縛ろうと思ったの?」
「ねえ原くん。霧崎第一バスケ部って危ないと思わない?」
あ、会話する気ないなこいつ、とオレは早々に対話を放棄した。千夜は自分が伝えたいことをまずは吐き出しきらないと会話にならない。なのでとりあえず静聴することにした。
「もう引退したとは言え、今までしてきた事が許される訳じゃないし。まだラフプレーの仕返しで殴り込みとかあるでしょ?」
「全部倍返しにしてるけどねん」
「知ってるよ」
「知ってるの?」
「私を誰だと思ってるの?」
「なるほどオレの彼女だ」
両手はフェイスタオルで縛られているようだ。両足は麻縄か。わずかに手足を動かしてみたが、これはたぶん簡単にほどけないようになっているだろう。
「うん、原くんの彼女だもん。知らない訳ないでしょ。」
ふ、と長いまつげが伏せられた。
「やり返してる事は知ってるけど万が一ってあるでしょ?だからね、授業が終わって、そのあと部活して、また明日ね、って校門で手を振って別れるのがすごく怖かった。明日もこの人はこの門をくぐるのかな、こんな異常なバスケ部に戻ってくるのかな、ちゃんと私の前に現れてくれるのかなって」
彼女がそんなふうに思っていたなんて、オレは知らなかった。
「夜のあいだは集団リンチにあってるんじゃないかって考えたりもした……だからね、また明日、なんて言わないで、私の部屋に朝が来るまで閉じこめちゃおうかなって計画したことがあったんだよ。ちょっとだけ。ちょっとだけね」
ほんとにやろうなんて思ってなかったよ、だってあの頃私達はこういう関係じゃなかったしね。原くんに私がまとわりついてただけだもの。
続けられた言葉に、とりあえずうなずいておいた。いいたいことはたくさんあるが、話し終えるまで反論は控えたほうがいい。
「あの、ほんとにするつもりなかったの、ただ、ぐるぐる悩むよりは前向きっていうか現実逃避っていうか?」
「うん」
「ちょっとした思考実験だよ。拉致の手段やその後の隠蔽工作を大学ノートに書き留めてたら一冊分つぶしちゃって、なんか我ながらよくできてるなあと思ったからとっておいたんだ。それだけだよ。ほ、ほんとに実行する気はなかったんだからね?」
「……ん」
「ちなみにこれがその当時のノート」
ベッドに隣接したデスクから、ひょいとそのノートを取り上げた。オレの前で紙芝居のようにぱらぱらとめくってみせる。
「その表は?」
「さすが原くん、目のつけどころがいいね。これはね、睡眠薬の服用量と昏睡時間の実験データだよ」
睡眠薬。昨年、授業、部活動中。オレの脳裏に記憶が交差する。
「まさか あのころ瀬戸がやたらに寝てたのは」
「あ、瀬戸くんは違うよ。もともと寝てる人に薬盛っても実験になんてならないでしょ」
「じゃあなにで実験したの?」
「弘くん」
「ああ、そういや授業中よく寝てたね」
不真面目なやつだとあきれていたが、実の姉に薬を盛られていたのであれば納得である。一年後に誤解が解けた。でもまあたぶん盛られてなくても寝てただろうな、とあいつへの評価はあまりかわらなかった。
それにしても、と紙面に目線を戻す。実に詳細に書き込まれていた。一度書き込んだのちに何度も何度も同じページで推敲と見直しが繰り返されている。練り込まれた計画なのは紙面から十二分に伝わった。
(千夜は……こんなものを夜な夜な一人で作りこんでいたのか……)
誰にも言わないで、一人きりで、幾度もシミュレーションを繰り返したのだろう。睡眠薬以外の実験も何度か行っているに違いない。紙面にはその痕跡もある。移動距離の計測記録だとか、台車の調達方法とその処分、アリバイ工作のための手段だとか。長期における監禁のための諸問題のリストとその対処も書き込まれている。
当時は恋人どうしではなかった、友人だったかどうかもあやしい。それなのに、自分を拉致するために、こんなに綿密な計画を。そのことを思って、オレは。
「……千夜……
お前、あのころからそんなにオレのことを考えてくれてたの……!」
ときめいた。
なんていじらしい子!と、頬を染めた。
千夜も「や、やだもう、こんなのたいしたことじゃないよぉ」と照れ照れとノートで口元を覆った。
「それに結局勇気が出なくて決行できなかったしっ」
「いや、すごいよお前。一年前からこんなに思われてたなんて...オレは幸せ者だったんだなあ」
「もぅう、原くんってば褒めすぎ!」
ばふ、とノートがオレの顔にかぶせられた。
「で、なんで今になって決行したんだ?」
頭を降ってノートを払うオレに、うん、あのね、と千夜が心なしかしおれてしまう。
「原くんがモテるのは知ってたんだけどね、同輩は今さらだし他校生もそうなんだけど、新入生見てたらねえ」
「新入生」
そういえば今日も昼時に新入生の固まりに囲まれたなあ、とのんびり思い出す。お坊ちゃん校にこの髪色は、やはり物珍しいらしい。
「なにもね、原くんのこととられちゃう、とか、浮気される、とか、そういう心配してるわけじゃないんだよ。私は原くんを愛してるからね」
こっちこっち、と手招きされるままにオレはベッドの上を這って正座する千夜のふとももに頭を乗せた。細い指先が薄紫の髪を梳く。
「でも、みんなに囲まれてる原くん見てたら、私だけの原くんでいる日が一日くらいあったっていいんじゃないかって思えてきて。視界に私しかいない24時間が一日くらいあってもいんじゃないかって。
で、いろいろ決行できる条件が揃ったものだから、ついうっかりやっちゃった」
ついうっかり、で男を攫って自室に連れ込む千夜である。人事を尽くして天命を待つ、とは彼女のためにある言葉だろう。
「あの頃は難易度高かったいくつかの項目もクリアできるようになっちゃってたし」
頬に手を添えて示された視線の先には、見慣れたショルダーバッグが置かれていた。オレが合宿時に使っているもので、当然、自宅に置いてあったはずのものだ。中身がつまった風情でそこにある。
「原くんの着替えとか身の回りのもの詰めてもらったんだ」
誰に、とは尋ねない。答えなどわかりきっているからだ。兄や弟が千夜に協力するのは意外だったが、考えてみると拒否するのも意外だ。
(てことは心配しなくてもいいのか)
不安材料はほぼ消えた。
「千夜、今日は何曜日で今は何時だ?」
「金曜日。昏倒は6時間だったよ。薬の効き目自体はもっと少なかったはずなんだけど、たぶんそのまま普通に寝ちゃったんだね。原くんの神経の太さには慣れたつもりでいたけれど今もまだびっくりさせられるよ。で、今は22時。両親がもう帰って来てるから私の部屋から出さないよ」
「出ていきたいわけじゃない。理由がないからね。オレがしばらくここにいて誰とも会わなければ千夜は満足するの?」
「むむむぅ……そういう言われ方しちゃうとなぁ。でも、まあ、そういうことになるのかな」
「よし、じゃあここにいる」
「私が言うのもなんだけど、原くんてほんと適応力高いよね」
「さすがに相手がお前じゃなければ多少は暴れるよ。で、いつまでにする?」
「んー。日曜のお昼まででいい?」
「意外と短いね」
「拉致監禁ってやつをしてみたかっただけで長期間の隠蔽は目的じゃないから」
手の甲で頬をなでられながら、さてどうしたものかと考える。
日曜の昼までと言うならその時刻には解放されるのだろう。延長してもべつにかまわない。千夜を不安にさせたのはオレだし、それが解消されるのであればいくらでもつきあおう。
(……でも一つだけ問題があるな)
「なあ、手だけでもはずしてくれない。逃げないから」
「だめ。逃げないでいてくれるのはわかってるよ?でもなんか」
「なんか?」
「縛られて転がってる原くんながめてるうちにぐっときちゃって」
「結局そういう趣味ってことなんじゃないのそれは」
「生殺与奪を全部握ってるんだなあっていう満足感?みたいな?ああ、このヒトってば今は私がいないとボタンひとつとめられないんだぁ、みたいな?」
「オレにきかれても」
「それに拉致監禁、って言葉、ロマンがあると思わない?」
「だからオレにきかれても」
「拘束をといたら監禁じゃなくて軟禁になっちゃうし……監禁と軟禁はまた楽しみの種類が違うし……」
千夜は困ったように言い聞かせてくる。
(別の方向から行こう)
「食事は?」
「安心して。食材は調達済み。月曜まで私の手料理だよ。ちゃーんと私の手で食べさせてあげるからね。ふふ、二日あったら原くんの内蔵の中身、ぜんぶ私のごはんになっちゃうね」
「風呂は?」
「見える?私の自室にはシャワールームがあるの。バスタブはそんなに広くないけど、なんとか二人で入れるかな?あ、お風呂のときは足だけはずしたげる」
「オレは筋トレを日課にしてるんだけど」
「うふふ、「運動」ならたっぷりつきあってあ・げ・る」
指先でオレのあごをついとなぞり、は蠱惑的に笑ってみせた。
「……トイレは」
「うふふふふ。それもばっちりだよ。道具とやりかたしっかりがっつり勉強そして買ってきたよ!」
見ればショルダーバッグのわきに介護用品が積み重なっている。もう五十年もすれば日常的にお世話になるかもしれない器具や消耗品の山が。
(…………ううむ)
「ね、原くん。私に監禁されてくれるよね?」
目を細め、さかさまに自分の顔をのぞきこんでくる。かわいい。彼女からすれば障害はオールクリア、何一つ問題なし、といったところだろう。
だがオレにはなお、ただひとつ、問題がある。
「千夜。これじゃお前を抱き締められない」
前髪越しにじっと見つめると、千夜は柔らかく微笑んだ。
「そんなこと。私にまかせて、原くん」
そっとオレの頭を腿から下ろし、芋虫状態のオレをベッドの壁際にごそごそと落ち着かせる。そうしてから、千夜はくくられた両手首が作る腕の輪をくぐった。もぐらたたきの穴から出てくるもぐら、プールに浮かんだ浮き輪から出てくるこどものように。そうして頬に頬を寄せて、「ねっ?」と笑った。

(…………かわいい。 かわいい、けど。これじゃだめなんだよ、千夜)
ぎゅっ、とオレは、千夜をはさんだまま両手首を胸に引き寄せるようにして彼女を胸におしつけた。
「やん原くんったらぁ、ちょっと痛いよぉ?」
オレの一応鍛えてる胸筋にふわふわの胸がぐいぐいおしつけられる。千夜も悪い気はしていないことが伺える口調ではあるが、実際痛みがないわけでもなさそうだった。それでもオレは無心に押しつける。
「は、原くん?おーい?」
「……やっぱり違う……」
「は?」
「千夜、お願い。手だけでいいんだ、ほどいて」
苦悩に満ちた表情に、千夜は顔を赤らめながらもおずおずと問いかける。
「えっと、衣食住は保証するよ?快適に過ごせるようにする、約束する。何が不満なの?」
何がもなにも、睡眠薬を盛る、縛る、監禁する、どの行程ひとつとってもアウトである。そのうえこれらを全て実行している。それでもオレらにとってそのあたりはあくまでも些事だった。
オレは食いしばった歯から、吐き出すように告げた。
「……さわれないのは、いやだ」
なんだそんなことか、と、千夜の顔がぱぁっと輝いた。
「そこも含めての監禁だよぉ!だいじょうぶ、いっぱいくっついてあげるからさみしくないよ!ほら、ぎゅっぎゅー」
「いや……手のひらでさわるのとくっつくのは、やっぱり違うんだよ。ミントガムはフーセンガムの代わりにはなれないじゃん?そういうことなの」
「だからぁ、」
「そりゃあお前は頼めばくっついたり乗せたり押しつけたりはさんだりもしてくれるだろうけど」
「えぇぇぅう?」
「丸二日!二日間も!二人っきりでいるのに揉めないなんてどういう拷問だよ!オレは嫌だ!!ふざけんなよ!」

千夜プロデュースの監禁生活についてのオレの考えは、ほぼ肯定的だった。
食事に関しては願ったりだ。もともと段取りの鬼であり頭の回転も良くセンスもある千夜は、めきめきと料理の腕前をあげている。それを三食「あーん」で食べさせてもらえるのは悪くない。というかすばらしい。入浴に関しても同じだ。きっと忘れられない時間になるだろう。「運動」は言うまでもないし、下の世話に関しては、まあ、千夜がその気になっているなら多少葛藤はあるがなんとかなるだろうとすら考えている。
(結婚するんだし、長い人生の間にはそういうこともある)
確かにその考えは間違ってはいないが、高校生のうちにそこまで進む男女は稀であるしこれはやむを得ない事情でもなんでもない。回避可能な事態である。
しかしオレの「普通」の範囲は広い。広いというか、境界が存在しない。
つまりオレにとって、恋人に拉致監禁されることも下の世話をされることも、イレギュラーではあれど異常事態ではなかったのだ。よくある青春の1ページなのだ。
そのオレが、唯一、受け入れられないとしたもの。それは諸々の拘束ではない。

「ちょ、原くんやめて、タオルむりやり引きちぎろうとするのやめて!危ないよ骨とか飛び出しちゃうかもしれないよ手首がちぎれる可能性もあるよ布って強いんだから!!」
「かまわない!千夜と密室空間にいるのに胸も揉めないこの手なんてなんの意味もない!!」
「原くん……!キミって人は、そこまで……!」
「ああ、オレは、オレはたとえこの両手が砕け散ろうとも」
うっとりと千夜がよだれをたらして恍惚となったところで、「千夜姉、原の兄貴と弟が「一哉をお願いします」って言ってきたんだけどどういう意味」と、ザキが千夜の扉を開けた。
「お前の胸を揉みたいんだ!それ無しで生きていく理由なんてない!!」
「はぁぁああああん原くゥうううううんかっこいいよぉぉおお」
ザキが倒れた。


「千夜、考えたんだけど」
「なあに原くん」
「やっぱり監禁されてやるのは無理。軟禁で手をうってよ。部屋の長さぎりぎりの首輪とか、雰囲気出そうじゃない?」
「うーん。私ってこうみえて完璧主義者なんだよね。妥協は望ましくないなぁ。一度監禁という最上の手段を見てしまった以上ね」
「じゃあ着眼点を変えよう。オレが千夜を監禁するのはどう」
「......! 原くんが、私を?」
「ん。きちんと世話するよ」
「原くんが......私を......(ポッ)」
「ん」
「え、えっと、えっと、じゃあ、両手両足縛って床の上に転がしてくれる?畳じゃイヤだよ、フローリングだよ?(もじもじ)」
「もちろん、好きなように縛ってやる」
「じゃあじゃあ、手は後手に縛ってほしい!それから食事は原くんの足元に置いて立ったまま見下ろして「食えよ」とか言ってほしい!どうしよう考えただけで興奮してきたよぉ!」
「はは、かわいいやつ」

千夜の部屋にて。
引き続き四肢を縛られて転がされたままのオレと、その横で正座させられている千夜は、ザキの説教を完全に無視して和気藹々と、「じゃあ次の休みに」と監禁計画を練っていた。
説教しているザキを完全に無視して。いや、無視ではなく、愛し合う二人の前には傷害どころか認識すらされていないのだ。
己の無力さに床ドンを繰り返すザキを気に掛ける者はいなかった。





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他の短編とは少し毛色が違いますが、ちょっとおかしい感覚の持ち主達でしたので、ここに入れました。


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