「どうぞ。」

金のレース模様が縁取られた上質な白磁のティーカップには龍水様のお付きの執事――フランソワさんが入れてくれた紅茶が湯気をたてている。

「ありがとうございます。」

冷めない内にと手を伸ばすと、カップの中には輪切りされたレモンが浮かんでいて清々しい夏を連想する爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。ゆっくりと味を確かめるように一口。想像したよりもずっと酸味が効いて、それでいて蜂蜜の贅沢な甘さが口に広がった。ほっと心が落ち着くその味にもう一口が止まらない、一気飲みする勢いでカップを傾ける。財閥のお嬢様とは思えない行為だがこの反則級の美味しさには抗えなかった。

「…すみません。 とっても美味しくて…。」
「名前様にお気に召していただけて光栄です。」

そう言ってフランソワさんは空っぽになったカップに七分目まで注いでくれた。

もう一度カップを手に取りながら辺りを見回した。青々とした美しい緑樹の葉が心地の良い風に吹かれ踊り、その陰から小鳥の囀りが聞こえる。そして整地された馬場で一人楽しそうに乗馬を楽しんでいるのは龍水様で、可憐な白毛を持つ馬の小気味いい蹄の音が響いていた。



私を迎えにきた車の行先は、屋敷ではなく七海財閥が所有する乗馬クラブだった。屋敷で龍水様と顔合わせだと思い込んでいた私は、ぐんぐんと山を登っていく車にとても驚いた。私が到着した頃にはもう龍水様は乗馬に夢中で、…多分私が来たことにまだ気づいてないんじゃないかな。コースの邪魔にならないところに用意されたテーブルに案内され、フランソワさんと共に龍水様が休憩しにくるまで待っている。

そんな中、時折聞こえる笑い声は記憶の中と同じあどけないものだった。






あれから十分ほどたつと思い出したかのように突然龍水様はするりと馬から降り、乗馬用ヘルメットを外しながらこちらに向かって歩を進めた。フランソワさんと同様に立ってお辞儀で迎える。


「…貴様が名前か。 顔を上げろ。」

同じ十五歳と思えないほど威圧感がある声に心臓がバクバクと速くなる。顔を上げると体格差で必然的に龍水様に見下ろされる形になり、興味ありげな瞳が私の全身を見定める。十年、その成長は想像以上に凄まじいものだ。見惚れてしまう美しい顔は勿論のこと乗馬用の燕尾服にしまい込まれたその厚みのある体に、すっと伸びた足は一歩でどこまでも行けそうなほど長い。龍水様はあの日のことを忘れているだろうなと確信しながらにこりと私は微笑んだ。

フゥン、それだけをこぼし龍水様は私の挨拶もそこそこにパチンと軽やかなフィンガースナップを鳴らした。…え?その行動に思考が追い付かない。ハテナを浮かべるのは私だけで、フランソワさんはいつの間に用意した――龍水様が持っているものと違うヘルメットを私に手渡す。


「名前も来い!」

力強く私の手を引き先程まで乗っていた白毛の馬の名を呼んだ。龍水様に名を呼ばれ嬉しそうに駆け寄る姿はとても可愛らしい、が、もしかして私も乗るのか?ヘルメットを言われるがまま被るが、いかんせん乗馬に不釣り合いなワンピースを着ているし何より乗馬経験はお遊びの物で片手で数える程度だ。近くで見ると大きく立派な体格の馬に怖気づきながら龍水様の名を呼んだ。

「そんな顔をするな、俺が後ろについている」

龍水様は鐙につま先を引っ掛けその長い足で軽やかに鞍に跨り、私を勢いよく引っ張り上げ龍水様の前に跨る形になった――手綱を引く龍水様に後ろから抱きしめられているようだ――密着する体はどうしようもなく熱いが、ずいぶん高くなった景色と足元の浮遊感の恐怖で気を紛らわした。


ゆっくりと歩いていたスピードが段々上がっていき軽快に走り出す。風を全身で受け徐々に慣れてきたこの景色に視界が広がり、何とも言えない爽快感に笑みがこぼれた。

「あの…龍水様。ありがとうございます。 すごく…楽しいです!」
「はっはー! そうだろう!」

風の音で聞こえにくかったのかさっきより詰められた距離。私の背中はぴったり龍水様に引っ付いている。全身の血液が沸騰しているような感覚は知らんぷりして、この時間が長く続くよう願った。




20200914
2話


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