「竹谷先輩は人を殺したことがありますか。」
「あるよ。」


戸惑うこともなくあっさりと返された質問。変わらない声色。指は足元に生えていた名も知らない雑草を愛でていた。さんさんと降り注ぐ太陽の熱。目眩がする。暑さのせいか、先輩のせいか。
私は驚いた。いや、幻滅したのかもしれない。大前提に私達は忍たまだ(正確に言うと私はくのたま、だが)。そして竹谷先輩は私よりも忍者に限りなく近い。実践でも何度か人を殺すことは経験しているだろう。それでも今の今まで私は先輩が人を殺したことがないと心の底で思っていた。だって今の私は崖から突き落とされたような気分だから。崖から突き落としたのは先輩。先輩よ。冷たく私を押したの。こんなに生き物を愛し尽くす先輩が、命を摘み取るなんて。想像もつかないし、したくもない。


「くのたまもそういう時期か。」
「…はい。」


竹谷先輩は空を見上げた。たらりと先輩の額から流れる汗は首筋を伝い装束にしみ込んだ。先輩の瞳は、何かを懐かしむような寂しそうなそんな風に変わっていた。そんな先輩に声をかけようとしたとき一年は組のよい子たちの声がそれを遮った。あはは、といつものように大騒ぎしながら駆け回っている。微笑ましい。竹谷先輩も私と同じ気持ちなのかうっすらと唇が弧を描いている。私も先輩も、数年前はあんな風に過ごしていたんだ。何も知らない、目新しいものばかりで楽しい。願わくばあの頃に戻りたいものだ。


「無理だぞ。」
「何が、ですか。」
「過去になんて戻れない。」


ぎゅうっと心臓を握りしめられたような気がした。どくんどくん。竹谷先輩はまさに私の心臓を握ってる。私の心の内を見透かした先輩は、私に心臓を返すことなく、は組のよい子たちに駆け寄っていった。
先輩とよい子たちの背中が見えなくなっても私の心臓は未だに握りしめられている。過去に戻れないだなんて分かってる。ぼろりと零れた涙は私が弱いという象徴に見えた。私は先輩が愛でていた雑草を踏んだ。へにゃりと倒れた雑草は、まさしく私だった。







ばしゃばしゃとキンと冷えた井戸の水を手に流す。冷たいでも気持ちいい。手を何度もこすり合わせる。手が荒れようが切れようが関係ない。この汚い手を綺麗にしたい、その一心だった。爪にこびりついた血、装束にべっとりとついた血、全身汚いじゃないか。私は一心不乱に水を頭からかぶった。夏の夜は肌寒い。今日はいつもよりもっと寒かった。水をかぶったせいもあるが。それでも私は後悔していない。そうやって何度も何度も水をかぶった。ずぶ濡れの私。なのにどうして汚れは消えないんだろう。


「やめろ。」
「  竹谷先輩。」


はなしてください、そう言っても先輩は私の腕を離さなかった。そればかりか握りしめる強さはだんだん強くなっている。いたい。ばしゃりと桶が私の手から滑り落ちた。水がじわじわと地面に吸い込まれる。いっそのこと私もこの水のように土と同化したい。


「心配するな、お前は綺麗だよ。」


いつもの先輩なら絶対に言わない言葉が私に降り注いだ。こんな汚い私を綺麗だと言うなんておかしいよ。いつの間にか流れていた涙を先輩は舐めとった。やわらかくて温かい舌が私の頬を撫でる。先輩。過去に戻れないことは分かってるけど、やっぱり願わずにはいられないよ。



20120211
ないものねだり

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