どれだけ手を伸ばしても、届かないものがある。
 どれだけ願っても、掴めないものがある。
 こんなにもすぐそばにいるのに、触れられない。そのちいさな指先に、艶やかな髪に、華奢な肩にならば簡単に触れることができるのに、渇望してやまない心にだけは、決して。
 そこにあるのに、見えない。見えているのに、触れられない。
 たとえるならば、君は。
 ──真昼の星、水面の月。



 いったいどうすれば、鈍感な彼女に自分のことを『異性』として認識してもらえるのだろう。どうすれば、この近くて遠い『幼なじみ』の立ち位置から脱却できるのか。
 生まれたときからずっといっしょで、今も隣に住んでいる幼なじみを女の子として好きになってから早八年、また及川徹がそのことについて悩みはじめてからおなじく八年になろうとしている。
 原因はわかっているのだ。もうひとりの幼なじみにも呆れた口調で散々言われた。
 素直になれ。告白しろ。いくら遠回しにアプローチしたところで鈍いアイツにはちっとも伝わってねーよ、と。
 至極もっともな意見である。及川自身、言われずとも理解している。ちょっかいをかけるだけではダメだ。はっきりと言葉にしないかぎり、きっと自らの想いは届かないだろうと。
 にも関わらず実行しないのは、自分でもつまらないと思うちっぽけなプライドからだ。
 引く手数多で付き合う相手はより取り見取り、ファンの女の子たちをはじめとする異性との接点に事欠かない及川が、他に目移りすることなく、ずっとずっと一途に焦がれ続けている存在。それが彼女、佐原柚子だ。誰からの告白も受け入れることがないのは、すべて彼女のためなのに、彼女は一向に振り向いてくれない。及川に恋してくれない。
 自惚れでもなんでもなく、少しの愛想とリップサービスで落ちる女の子が多いのは周知の事実である。けれど、培ってきた手練手管も彼女にはまったく通用してくれない。自分ばかりが焦がれているのだと思うと、どうにも悔しくてならないのだ。
 元来、及川は人を振り回すのを好むタイプの人間である。策を講じて相手を翻弄すること、自分の言動に左右され、一喜一憂するのを見て楽しむのも好きだし、主導権は常に自分が握っていたい。及川の人となりをよく知る周囲に性悪といわれる所以でもある。
 恋愛に対しても、その厄介な性質は遺憾なく発揮されるようで。ゆえに、告白をしていないのである。どうにかして彼女から告白されたくて。何かにつけてちょっかいを出しては彼女の気を惹こうとしている。
 ねえ、おまえはいつまで気付かないフリをするの。俺を振り回すの。早く、こっちを見てよ。友達のコイバナを聞いて、好きな人がいて羨ましいなって思うのなら、俺を好きになってくれればすぐにでも解決するのに。
 少なくともこの八年間、及川はかなりわかりやすい方法で好意を匂わせてきたつもりだ。
 たとえば誕生日。毎年、一番に祝いの言葉を聞きたいとねだっているし、バレンタインだってそうだ。毎年山のように貰えるけれど、手作りを要求するのは彼女にだけ。わりと本気でハート型にしてくれと言ったことだってある。
 忘れもしない。あれは中学二年のときだ。休みの日に彼女の家に半ば押し掛けるようにして居座った及川は、校内をバレンタインの話題が駆け巡るようになった頃からずっと秘めていた願望をついに打ち明けた。
 今年こそは進展したい。彼女の彼氏になりたい。恋人として手を繋ぎたい。瞼の裏に幾度となく描いてきた甘酸っぱい日々を現実にするために。
 いつのまにか差ができていた彼女のちいさな両手を己の両手で挟んでぎゅうと握りしめる。気を抜くとすぐに赤くなりそうな顔に取り繕った笑みを浮かべ、握った手が汗を掻いていないか、そんなことばかりを気にしたり、彼女の華奢な指から伝わる体温に愛しさを募らせながら、懸命に余裕ぶっていたことなんて、彼女は想像だにしていないだろう。
 そうして、柄にもなく緊張で渇いた喉から掠れた声で、おまえの本命チョコがほしいと告げたのだが、結果は惨敗。冗談と受け取られ、その案は清々しいくらいにあっさり却下されてしまった。
 どうして伝わってくれないんだろう。自分で思いつくかぎりの特別扱いをしているはずなのに。
 もちろん、翌月のホワイトデーには彼女だけに特別なお返しをしている。彼女が食べたいと言っていたちまたで人気の洋菓子店のケーキにシュークリーム、以前かわいいと呟いていたぬいぐるみ、自分が彼女に似合うと思うアクセサリーなど。今のところプレゼント選びで失敗したことはないと自負している。
 幼なじみの特権とでもいうべきか。おおよその好みは把握しているから、彼女の笑顔を引き出すことはそれほど難しいことではないのである。むしろ、照れさせることのほうが遥かにハードルが高いだろう。会話にさりげなく織り交ぜた口説き文句も、何度受け流されたことか。
 クリスマスも、午前中は部活で予定が埋まっていることが多々あれど、夜にどこそこのイルミネーションを見に行こうなどと口実を見つけてはデートに誘っているし、正月も毎年初詣に行こうと誘っている。
 夏になれば近くの神社でやっている夏祭りに行かないかと誘っているし、イベント以外でもふたりきりで出かけた際にはあえて人が混む場所を選び、はぐれないようにと手も繋いでいる。その習慣は高校三年になった今も変わらず続いていた。
 他にも、午後から雨が降ると天気予報で言っていた日に、傘を忘れたフリをして相合傘を狙ってみたり。わざと筆記用具を忘れて彼女に借りてみたりだとか。及川本人の性格を思えば若干不器用ではあるが、とにかくきっかけとなりうるであろうことは粗方実践してきているつもりだ。
 しかし。ここまであからさまに好意を示しても、なぜか気付いてもらえないのである。
 岩泉を筆頭に、中学からの付き合いである花巻や松川、後輩の金田一や国見、さらにはこの手の話題からは対極の位置にいるといっても過言ではない影山にまで気付かれているというのに、なぜ本当に気付いてほしい人間にだけ気付いてもらえないのだろう。
 ここまで報われないと、恋愛の神様に意地悪、もとい邪魔されているとしか思えない。
 そもそも仮にも年ごろの、それも思春期真っ盛りの男女が、迷子防止のためとはいえ手を繋ぐだろうか。恋愛感情も下心もなく、幼なじみを“デート”に誘うだろうか。
 成長しても距離を置くことなく接している自分に、何も思うところはないのだろうか。中学、高校と、『及川徹』の幼なじみであることで少なくはないやっかみだって受けてきているはずなのに。どうして彼女は自分のそばにいてくれるのだろう。わからない。
 考えるだけ無駄なのだ。仮に離れていこうとしても、及川は絶対にそれを許しはしないし、多少強引な手を使ってでもそばに留め置こうとしただろうから。
 冗談めかして口説くたび、触れるたび、どうかこの気持ちに気付いてほしい、察してくれと、熱を孕んだ眼差しを注ぎながら何度胸中で叫んだか知れない。
 甘ったるい展開の少女漫画が好きで、コイバナにもそこそこ興味を示すくせに、なぜ。自身に向けられる好意になると途端に疎くなるのだろう。
 はあ、と遣る瀬ないため息をついては岩泉に呆れられる。
 おまえほど面倒くせぇやつもいねーよな。彼の口からお決まりの文句が出てくるたび、及川は「うるさいな」と苦虫を噛みしめる表情で唸った。
 好き。その二文字がどうしても言えないから、こうして苦労しているのだ。彼女に好きになってもらいたいのに、回りくどいことしかできずにいる。彼女以外の子と話しているときは、そつなく対応ができるのに、上手くいかない。
 幼いころからこの胸に咲く初恋の花はとても大切なもので、それを散らす未来なんて考えたくもなくて。だからこそ足踏みしてしまう。築き上げてきた関係を壊すことは容易ではない。傷つくことを恐れず突き進むにはとてつもない勇気が必要だ。それが、今の及川には足りない。
 決定的な一言を告げない代わりに、幼なじみの枠からも抜け出せない。焦れったいのに、いつまでもこのままでいられないこともわかっているのに。ぬるま湯の幸福はあまりにも心地よくて、手放したくないと思う自分がいる。
 恋をすると臆病になる。その図式はどうやら自分にも当てはまってしまうらしい。
 ことバレーに関しては積極的で、攻撃的なスタイルを持ち味にしているというのに。これだから、仲間たちに「見た目より純情」だの「意外に奥手」だのといった、うれしくない評価を下されるのだ。
 現に及川は今も、休み時間の教室で友人との会話に花を咲かせている笑顔の彼女をそっと盗み見することしかできない。
 日頃から女の子に騒がれていて、周囲にいる男子の誰より女の子の扱いに手慣れているはずの、この及川徹が、だ。
 いいなぁ、女の子は。無条件でアイツのそばにいられてさ。
 ついには彼女の友人たちにまでヤキモチを妬く始末。恋煩いもここまでくれば重症だ。
「はーあ……、てか何で俺だけこんなモヤモヤしなきゃいけないかなー」
「俺だけも何も、てめーの片想いだからだろ、グズ川」
「グズ川!?突然の悪口やめて!」
「うじうじジメジメして、いまだに告白のひとつもできてねーんだから、グズだろ」
「うっ……それは、そうだけど、でも」
 痛い指摘に胸を抉られつつ、くちびるを尖らせながら言い訳を探していると、目の前にいる幼なじみがふいに目線を鋭くした。
 その力強さに思わず背筋が伸びる。
 いつもの説教じゃない。反射的にそう悟った。半コミュニケーションの一環と化している、眦(まなじり)を釣り上げ、怒鳴りながら殴ってくるのでもない。この真面目な顔は。
「つーかおまえ、そんなのんびり構えてる暇あんのかよ」
 決まって、自分を案じて忠告してくるときの顔だ。
 静かな声が一滴の雫となって心の水面に落ち、ゆらりと波紋を広げていく。
「え?」
「アイツ、きのう告られたらしいぞ」
「っ、ウソ!?」
 目を限界まで見開き。ガタン!派手な音を立てて立ち上がる。
 突然の大声に、クラスメイトたちが一斉にこちらを向いたが、ざわつくまわりなんて全然気にしていられなかった。それくらい、岩泉の放った一言は及川にとって衝撃的だったのだ。
 いったい、誰が。どこのどいつが。
 どくりどくり。冷や汗を流す心臓の音がいやに大きく響いている。はっ、はっ。無意識に呼吸が浅くなる。さっと全身から血の気が失せていくようだった。
 戦慄くくちびるをきつく噛みしめる。彼女に悪い虫がつかないよう、それなりの牽制をしてきたつもりでいたのに。大抵の男は、及川が幼なじみで常日頃からそばにいると知ればすごすごと引いていく。そのせいで油断していたのかもしれない。迂闊だった。
 立ったまま机に両手をつき、冷静な表情で見上げてくる岩泉をきっと睨み付けて詰問する。
「どこの、ダレ」
 誰が、あの子を誑かそうとしてるの。誰が、俺からあの子を奪おうとしてるの。
「さあな」
 一音一音強調し、威嚇するようなその低い声にも岩泉は怯まない。答えを上手くはぐらかされ、苛立ちが募った。
 腹の中でぐつぐつと、嫉妬と焦燥と独占欲と昏くドロドロとした感情の入り混じったものが煮えている。
 ただの幼なじみでしかない自分に、他人の事をとやかく言う権利はないとわかっていても、我慢できなかった。彼女を好きでいていいのは、俺だけだ。こんなとき、己はつくづく欲深な人間だと思い知らされる。
「ちょっと来て」
「えっ!?」
 つかつかと大股で事の成り行きを見守っていた柚子の席へ向かうと、彼女の手を掴み、強引に立たせて教室から連れ出す。廊下に出た瞬間、耳に予鈴の音が届いたが、足を止める理由にはならなかった。ひっぱられてふらつく彼女が後ろで戸惑う気配を感じたが、今は気遣う余裕もなくて。結局、足を止めたのはそれから数分後。すっかり人気の絶えた廊下の踊り場だった。
 ここなら先生も滅多に通らない。誰にも邪魔されずに話ができる。
「と、徹くん……?」
 おずおずと見上げてくる彼女を、不機嫌から無表情になった及川は無言で壁へと追いやった。ぴりぴりとした空気と威圧感で自然と足を後退させた彼女の背中が背後の壁に当たると同時に利き手を伸ばし、顔の脇へと着ける。ねえ。静かすぎる空間に響く低い声に、彼女はびくりと肩を揺らした。
 ああ、恐がらせたいわけじゃないのに。
 怯えさせてしまったことに、ほんのすこし罪悪感がこみあげる。それでももう、止まれなかった。蛇口が壊れてしまった水道から水が噴き出すように、彼女を責める言葉が口をついて出る。
「きのう、告白、されたんだって?どこのダレに?どこのクラスのヤツ?後輩?まさかバレー部じゃないよね?」
「え、あ、それは……」
 早口でまくし立てる己の、なんと狭量なことか。鏡を見ずとも、歪んだ表情をしているのがわかる。
 ウソだと言ってほしかった。冗談だと思いたかった。けれども、目の前にいる彼女の狼狽える様は真実なのだと及川に伝えてきて。胸中に激しい憤慨と後悔の荒波が押し寄せてくる。
 臆病風に吹かれた結果が、これなのか。
 告白されたときのことを思い出したらしい、彼女がほんのりと頬を染める。そんな顔、見たくなかった。それが他の男を思っての変化であるのならばなおさらというもの。
 屁理屈をこねて彼女からの告白を求めた結果、どこの馬の骨とも知れない相手に抜け駆けされてしまった。笑えない話だ。
「ねえ、何で俺に相談してくれなかったの。何で岩ちゃんを頼ったの」
 彼女のことはすべて知りたい。知っておきたかった。だからこれまで、どんな些細な相談にも乗ってきたのに、なぜ。今回は自分を頼ってくれなかったのだろう。
 自分の知らない彼女のことを、他人が知っている。それがたとえ付き合いの長いもうひとりの幼なじみであっても許せなかった。悔しくてたまらない。
 上体を屈め、間近で目線を合わせると、彼女はますます困った様子で瞬きをくり返した。
「え、と。さ、最近徹くんにばっかり頼ってたし、頼りっぱなしなのもよくないかなぁ、って」
「……、いい」
「え?」
「頼っていいから。昔からずっと言ってるよね、俺。最初に相談して、って。迷惑だとか考えるな、気にしなくていいって」
 しどろもどろに返答を返す彼女は、及川がどうして激昂しているのか、頼るよう迫っているのか、その意図を掴めないでいる。
 伝わらない、どうやっても。本当の意味で、自分は彼女の視界に入っていない。
 及川は、きゅうっと胸が締め付けられる心地になった。口のなかにじわりと広がる苦みに、眉が寄る。
 これだけ顔を寄せても、彼女は意識してくれない。今にもキスできそうなくらいの距離にいるのに。影の落ちたその顔に浮かぶのは、いつもと様子が違う幼なじみを気遣う色だけ。
 幼なじみだから?家族同然の付き合いをしてきたから?だから、男には見られない?恋愛の対象に入らないの?あれこれ考えすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
 真っ白なキャンバスが、何色もの絵の具で乱暴に塗り潰されて、やがて黒に呑み込まれていく、そんな感覚に陥った。
「柚子にとって、俺って何?」
 空いた片手で白い頬に触れながら、問い掛ける。その声色は自分でもゾッとするくらい温度がなく、無感情だった。
「徹、くん……?」
 彼女の柔らかな吐息がくちびるを撫でる。
 こんなにも、近くにいるのに、遠い。それを埋めるにはどうしたらいいんだろう。
 狂おしいくらいに色付いたこの気持ちを素直に吐露していればよかったのだろうか。それとも、骨が軋むくらいにきつく抱きしめて、勘違いなんてさせないくらい熱を帯びた声で真摯に愛を囁けば、意識をこちらに向けることが叶ったのだろうか。
 何が正しい選択なのかなんてわからないけれど、たったひとつ、言えることは。
 いつまでも幼なじみ離れができない、するつもりもない自分に対し、彼女は自立しようとしているということだ。
 結局、自分だけが彼女に執着している。彼女に頼られたい、好かれたい。依存されたい。その思いを潜ませた親切心は、いつだって下心と打算と恋情に塗れていた。こちらはもう何年も片想いをしていて、優しい幼なじみの皮をかぶっているだけのただの男だというのに。そう考えたら、どうしようもなく、切なくて。恋しくて。
「答えてよ。おまえにとって、俺はただの幼なじみなの?告白してきたヤツなんかより、俺のほうがずっとずっとずっとおまえのこと知ってるのに!ソイツよりもおまえのこと──……」
 ずっと、想ってるのに。
 耳元でそっと囁いて。くちびるで触れた耳朶が熱を持つより早く。及川は柚子の頬を撫でていた手で腕を引き、前のめりになった身体を思いっきり抱きしめた。逃げられないように、背中と後頭部へ回した腕に力を篭める。そして。

「好きだよ」

 淡い花の香りのする髪に鼻先を埋めると、真剣な声色で精一杯の想いを吐き出した。
 本当は、こんなこと言うつもりなんてなかった。勝算の見えない賭けに臨む気はなかった。だが、歩みの遅い彼女をのんびり待つだけの時間はもうないのだ。
 岩泉に不気味だと引かれるくらい優しくして、どろどろに甘やかして、ときどき意地悪をしたり、からかったり、そうして過ごす何気ない日常はとても楽しかったし安らいだけれど、ここが限界だ。
 彼女を誰にも渡したくないのなら、今、行動を起こさなければ、彼女に告白したという男とおなじ土俵にすら立てない。
 負けたくないのだ、この勝負にだけは、絶対に。辛酸を舐めさせられるのは、白鳥沢の牛島と、烏野の影山だけで充分だ。
 素直になるのが遅すぎたけれど、彼女を想う気持ちは誰にも負けない。
「小学生のころから、ずっと、好きだったんだ」
「っ、」
 切実な声が空気を震わせる。胸に押さえつけていて顔の見えない彼女が驚きで息を呑む気配がした。
 これまでにないくらい、心臓がドキドキしている。
 ちょうど胸のあたりに頭がある彼女には、心音の速さで丸分かりだろう。ここまでされれば、いくら鈍い彼女だって及川の気持ちを知るはずだ。
 いったん口を噤むと、踊り場には再び静寂が訪れる。外ではどこかのクラスが体育をしているのだろう、いくつもの話し声がかすかに聞こえてきた。
 腕に抱いた身体は温かくて、胸を支配していた激情が静かに引いていく。心を嵐のように荒れ狂わせるのも彼女なら、鎮めてくれるのもやはり彼女なのだ。
 そう、いつだって。
 甘える仕草で髪に頬をすり寄せると、彼女はくすぐったそうに身動いだ。
「だから告白なんか断れよ。俺のそばにいて。俺から、離れないでよ」
「とおる、くん」
「……おまえじゃなきゃ、ダメなんだ」
 キザったらしいセリフだと我ながら思う。しかし、彼女しか見えていない及川にとってはそれが嘘偽りのない本心で。彼女だけが欲しいとこの瞬間も願っている。
 物心つく前からずっとそばにいた。空気のような存在だった。その距離感はこれからも続いていくのだと、幼心に信じていた。
 それが間違いだと気付いたのは、及川が彼女に恋をしてから数年たった頃だ。中学生。いろいろなものに直面する、繊細で多感な時期。恋に恋する少年少女の想いに触れるたび、及川は苦しくなった。
 みんなは好きな子に近づこうと必死に努力している。ならば自分はどうすればいいのだろう。好きな子の一番そばにいるのに、近付けない。近すぎて、見える場所にいすぎて、互いのことを知りすぎていて、これ以上どう距離をつめればいいのかわからなかった。
 焦がれれば焦がれるだけ、遠くに感じる。伸ばした手は何も掴めやしない。
 ヤキモチを妬いてほしくて、女の子に愛想を振りまいてみても彼女はどこ吹く風。逆に自分がいると邪魔になるのではと離れようとする始末。
 悪手を打ったことに気付いてからは、他の子に思わせぶりなことをするのはやめて、告白もきっぱりと断るようにして、彼女だけを一心に見つめてきた。想ってきた。
 それでも、まだ、足りない。
 彼女のトクベツになりたいのだ。
「俺の、カノジョになってよ」
 今はまだ、俺とおなじ『好き』じゃなくても構わないから。
 縋るように掻き抱いて、懇願する。
 暫くすると。胸に顔を埋めたままの彼女の垂れた両腕が、恐る恐る及川の背中に回され。頼りない指先が制服のシャツをくしゃりと掴んだ。
 言葉はない。期待しても、いいのだろうか。赤くなっている耳を、重なる鼓動を、伝わる高い体温を、自分の都合のいいように解釈してもいいのだろうか。
 身体が燃えるように熱い。双眸が熱で潤む。緊張で喉がカラカラに渇いている。
「徹くん」
「……ん?」
「あのね、」
 直後、鳴り響くチャイムの音。
 それにかき消されそうになったちいさい声が紡いだ返事は、及川が長年望んでやまなかった未来。
 告白の件について岩泉に相談したのは、『及川にはしたくなかった』からではなく。『及川だからこそできなかった』からだということを知るのは、のちの話である。
 体内で急激に膨れ上がっていく幸福感に身を委ねながら、及川は心の底から幸せそうに、ゆっくりと目を細めた。

 ああ、やっと、つかまえた。


真昼の水面の


Fin.
凾ソよこさまへ
幼なじみ離れができない及川の片想いの話
Happy Birthday,Dear Chiyoko!!