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Guilty Lovers


07_ side.G

携帯の写真フォルダをぼんやりと見返して、ますます気分が落ち込んだ。遅く起きた休日。家の中は既にもぬけの殻で、両親も兄弟も皆出かけてしまっていた。母から昼食の用意はしてあると携帯にメッセージが入っているのに気付き、リビングで冷めたチャーハンを食べた後、ただただベッドに寝転がっている。

………以前からこんなだったろうか。こんなに気の抜けた日々を、私は過ごしていただろうか。………否。原因は分かっている。それは今手にしている携帯画面いっぱいに映し出されたこの男のせいだと、勝手に責任転嫁をした。

これは去年の夏休み。休み中も部活で忙しい及川と、彼が学校へと向かうまでのほんの短い時間の逢瀬。電車通学をしていた彼を駅まで迎えに行った時の写真。その日は七夕祭りの真っ最中だった。駅構内の高い天井から垂れ下がる、大きな大きな吹き流し。十メートル以上にもなるそれは、当然ながら通行人の視界をしばしば遮る。豪華絢爛で観光客には人気であるそれも、通常そこで暮らす人々にとっては些か邪魔だと思われることも少なくない。

でも、彼の反応は違った。目前に垂れ下がる吹き流しの群れに、及川は躊躇なく突っ込んで行った。何が楽しいのか、周囲からの視線もなんのそのではしゃぐ彼に私は呆れた。呆れながらも、好きだと思った。揺れる和紙の間から「浜口!」と、私を呼んで振り返る及川の笑顔が眩しくて。撮って撮ってとせがまれて仕方ない素振りを装ったが、そんな彼を写真に写したいと思ったのは私の方だった。カラフルな色彩に包まれて顔を覗かせた及川は、無垢な笑顔でこちらを見ていた。

…………思い出に浸って何になる。溜息を吐いて、画面を暗転させた。もう一度息を大きく吐いて、大の字で仰向けになる。何もやる気が出ない。起き上がる気力すら湧かずに、もうこうして一時間以上が過ぎていた。ふと視界に入ったカレンダーを見つめて、また溜息。二ヶ月ごとに括られたそれには、一体いつ書き込んだのか、十月末のとある週末に赤マルがしてある。……私はこんななのに、きっと及川は今日も部活に精を出していることだろう。それを思うとキリリと胃が痛んだ。

数日前の、及川との出来事を脳裏に思い返す。久々に言葉を交わした日。久々に、私の住む街まで共に歩いた日。口を開けば責める言葉が止まらなくなりそうで、無言を貫いた。いつもお喋りな及川が、あの日はそんな私に何も話しかけなかった。ただただ、繋がれた手の温かさにやり切れなかった。

なぜ及川はあんな事を?それを知りたいと思うより先に、もう難しいことは考えたくないとも思っていた。アイツといると疲れるの。頭を使うの。苦しくなるの。だから、考えたくない。……考えたくないのに、時折こうして未だに自分の背後にまとわりつく及川の気配が恨めしい。


「………ってか、やらなきゃなんないことならあるじゃん」


濁る思考を取り払いたくて、独り言を零した私はベッドから起き上がるとノロノロと勉強机に向かった。一応、曲がりなりにも受験生だ。志望校も決めた。今の自分の学力レベルを考えると、少し無理をしなくてはいけない。うだうだしてる暇があるなら勉強しろと、己に言い聞かす。何のために家族が私を置いてけぼりにして行ったのか。その誘いを断ったのは、他ならぬ自分である。そう、それは自分で決めたこと。一つぐらい、最後までやり切ったと言える事がそろそろ私も欲しい。その想いは、先日の及川との衝突を境にますます強くなった。開きっ放しだった問題集とノートに向き合うと、私は溜息を一つ吐き出して、おもむろにシャーペンを手に取った。

そうして月日は過ぎ、私は学校にいる時も、休みの日も参考書を片時も手放さなくなった。そんな奴は、私だけではない。クラス中、学年中が、秋も深まる頃にはすっかり受験モードに染まっていた。


「熱入ってんね〜」

「ん〜………ちょっと本気で頑張らないとって、焦って来て」


休み時間、苦手教科の一つである英語の過去問に悪戦苦闘中だった私は、ナカちゃんの言葉にも顔を上げないまま返答した。見慣れない名詞が多くて大元の英文すら正確に理解出来ず、問題を解くどころじゃない。まだまだ英単語の暗記が不足しているのだと痛感させられる。


「浜口の成績なら無難に入れるそこそこの大学、もっとあったんじゃない?なんでまた、そんなレベル上げたの」


思わず眉を顰めていると、ナカちゃんが不思議そうに言う。なんて答えようかと考えを巡らすうちにアルファベットを追う視線が止まり、私は顔を上げた。


「受かったら、自己満……?みたいな?」

「なんじゃソレ。全然わからん」

「あははは」


即座に返ってきた鋭い突っ込みに、本当の理由を胸を張って口にすることが出来ない自分の弱さに苦笑した。安直で不純だと、自覚している。だからこそ、他者にそれを知られるのには抵抗があった。幸い、そこへの進学を目指すことは結果的には高みを目指すという形になってくれているから助かったけど、志望校を決めた基準に関しての本当の真意は誰にも知られたくなかった。

愛想笑いで誤魔化す私に、ナカちゃんはそれ以上の詮索はしないでいてくれた。軽く息を吐いて肩を竦めた彼女は、チロルチョコを二個ほど私のノート上に転がすと身を翻して自分の席へと戻って行ってしまった。ここ最近テキストと睨めっこしてばかりの私を、気遣ってくれたんだろう。そんな友人の優しさが有難かった。そんな日々が、繰り返し繰り返し続いていった。


『これから放課後は塾に通うことにしたの。それに、迷惑だから。ごめん』


自分の中でのひとまずの最重要事項を決めてしまうと、元クラスメイトの執拗な誘いもようやくきっぱりと断れた。口に出してしまえば、所詮自分は慣れない事態に困惑していただけなのだと冷静になれた。戸惑いから曖昧な言葉しか出せずにいたそれまでとは違い、拒絶の意思を明確に露わにした私に「………まっ、嫌われたくはないし」と、彼はアッサリ身を引いた。思わず、なんだこんな簡単なことだったのかと些か拍子抜けするほどに。「一年越しの気持ちだから諦められる気はしないけど」と、そう言われて再び困りはしたが、連日のように教室に訪れることは無くなりホッとした。申し訳ないが、こちらも彼の期待に添えられる気は到底しない。


「及川はいいよなぁ〜、どうせスポーツ推薦だろ?」

「ん〜〜〜、いや、そんな楽なもんでもないよ?確かに学科試験ないけど、結局入学しちゃえば一般で入ったやつと取る単位もなんも条件変わんないみたいだし」

「え?そうなの?部活やってりゃ単位もらえるとかじゃねぇの?」

「そんなの一部の大学だけっしょ。俺も野球推薦狙ってるけど、スポ推なんて成績も落とせないうえに常に戦績残さないとだし、むしろ大変そ」

「そうそう!俺なんて、結局インハイも行けてないしねぇ……春高の頃には推薦の締切過ぎてるし〜、そうなったら皆と同じセンターだから!及川さんだって必死だから!」


不意に、教室の片隅から男子たちの声が聞こえてきて否応無しに会話が耳に入る。やっぱり推薦狙いなのか、と脳裏で呟いた。確かに、スポーツ推薦での合否には、必須ではないが全国区で活躍してるか否かが相当の鍵になるっていう噂だ。学科がなくてもこれまでの部活生活に関しての論文提出があるらしいとも、誰かが愚痴を零していた。夏を過ぎても部活を引退をしてない及川は、受験に試合にと、きっと慌ただしいのだろう。冗談めかして言ってはいるが、必死というのはあながち嘘ではないと悟ったところで、私は一度きつく瞼を閉じると改めて目の前の英文に意識を集中させるよう努めた。

勉強をしている間は楽だった。目の前の課題に集中していれば、他に何も考えなくて済んだ。逆を言えば、勉強していない時には、未だにモヤモヤが晴れなかった。こんな風に同じ教室内に入れば、その声も、その存在も、無視出来ない。それは及川が目立つ部類に入る人種だからなのか、自分自身の思惑がそうさせるのか。どっちにしろ、厄介だ。厄介だと思うのに、今必死にペンを走らせているのは何の為かを思い返すと、更に心は乱れた。乱れる度に、呼吸を整えて、目の前の難問に立ち向かう。そうしていなければ、冷静ではいられなくて。

出口の見えない葛藤を抱えたまま、いつしかカレンダーに付けた赤丸の日は、翌日に迫っていた。

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テーマ「人外ファンタジー」
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