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Guilty Lovers


06_ side.B

何度も何度も謝りながら、胸の内ではどうしようもなく満ち足りていた。泣いている浜口が可哀想で、可愛くて、俺への憎悪で顔を真っ赤にさせた彼女が、心底好きだと思った。罪悪感と幸福感。その二つを同時に感じながら、彼女の背中をできるだけ優しく包み込んだ。

浜口の嗚咽が落ち着くと、床に散らばったプリントを無言で二人で集め、目を腫らした彼女の代わりに俺が提出した。そして、項垂れて表情の無くなった彼女の力ない手を引いて帰路を歩いた。手を繋ぐのも久しぶりだったけど、浜口が手を握り返してくることはなく、ただただ、文字通り、手を引いていただけだった。

二人でバスに乗り込み、賑やかな街並みを抜けて程なく。とあるバス停に降り立つ。視界にまず映るのは、既に橙色に染まりつつある空を反射し眩しい程の輝きを放つ広い水面。彼女の家は、この川沿いの土手を更に歩き進んで約十五分。二年以上も通い慣れたその道を、俺は彼女と共に歩き続けた。商業ビルや繁華街の存在により比較的都会の雰囲気を残す学校周辺とは違い、目の前に広がる青々とした山肌や土手を埋め尽くすように生い茂る草木の群は、どこか郷愁の香りを感じさせる。

………杜の都。誰が付けたか知らないが、この土地にその言葉はよくハマると、いつも思っていた。風が吹けば囁くように樹々たちが唄い、足元からは優しい瀬音の響きが絶えず聞こえて来る。 遮る物が少ないからか、ここは陽が落ちてから町が闇に染まる速度も早い。空の移り変わりの早さも、視界に広がる色濃い緑も、車で一時間もしないのに此処に来るとさっきまでいた都会の喧騒が遥か遠くのもののように感じた。あっという間に藍色と真紅を混ぜたような深い紫が俺たちを飲み込み始め、大人しく従うだけの人形みたいになってしまった浜口を時折り振り返ってみるが、どんな顔をしているのかは暗くてよく分からない。

彼女の家に着き、門を開けて玄関に入るまで見守っていたけど、浜口は最後まで口を開くことなく中に入って行った。完全に締まり切った玄関の扉を見つめて、溜息を吐く。自分も帰宅しようと方向転換してすぐ、名残惜しくて、道路側に面した彼女の自室の窓を見上げた。空はもう、すっかり群青色に染まっていて、やがてその窓に明かりが灯り、彼女が部屋に入って電気を付けたのだと理解して、次いで目を見張る。

浜口も、俺を見たのだ。カーテンを閉めようとして、窓際まで寄って来た彼女と目が合う。浜口は肩を小さく震わせ、まるで金縛りにあったように固まった。俺が振り返っていたのが、そんなに予想外だったのだろうか。それは自分も同じだ。表情を取り繕う暇もなく、窓越しに数秒見つめ合った。逸らそうとしない浜口が、複雑そうに顔を歪めているから目が離せない。

今、何を思っているの?
俺はまだ好きだよ
浜口は?
ねぇ、どうなの
今日なんで話しかけたか、
わかってるの?
他の男になんて、
頼むから振り回されてくれるな

……全ては言葉にしなければ伝わるはずがない。懇願にも近い想いで見上げていたが、やがて彼女は意を決したように俺から目を逸らすとカーテンを閉めた。まるで拒絶されたような気分で、俺は嘲笑して再び歩き出した。

今来た道を戻って駅に向かうバスに乗り込みながら、約一時間前の自分の行動を振り返る。窓の外をぼんやりと眺めながらも、俺の目には違う景色が写っていた。不覚にもあの時………強引な奴に弱いんだなと指摘してやった時、彼女から返ってきた言葉に、予想以上に心が乱されてしまった。


『もう、好きだった』


嬉しかった。どこの誰かもよく分からない変な野郎と、自分をそんな風に比較してくれていることが、この上なく嬉しかった。嬉しくて咄嗟に言い返せなくて、困った。彼女を困らせてやろうと思ってちょっかいを出したのに、逆に自分が焦ってどうするの。違う。俺がしたいのは、あんな野郎のことで浜口の頭が占拠されるのが嫌で、こっちを向かせたくて。怒りでもいいから。憎しみでもいいから。それで……結果、最低なことを口にした。一瞬にして、浜口が俺のことしか考えられなくなるような、そんなインパクトのある一言が必要だった。彼女を惑わすのは、俺だけで充分なんだよ。突然割って入った野郎なんて蚊帳の外にしてやりたかった。……それはきっと、成功した。左頬に受けた痛烈な衝撃と浜口の目から溢れた涙に、俺は満足したんだから。

吊り革を握る手に、必要以上の力が入る。胸は罪悪感で溢れていた。わがままな独占欲で、彼女を傷付けた。今回だけじゃない、もう一体どれくらい彼女を傷付けたんだ。何回泣かせれば気が済む。今の俺は何もしてやれないというのに。むしろ汚い執着心の塊でしかないのに。なんで、こんな方法しか思いつかなかった。手放したのに束縛したいなんて、矛盾してる。

普段から、自分のことは自分が一番よく理解しているつもりだった。どう立ち回って、どういう表情を浮かべて、どんな言葉を並べれば、皆を先導していけるのか。恐がらずに、不安がらずに、気持ちを託してくれるのか。そればかり考えていた三年間だった。俺は別に、皆を操りたい訳じゃない。ただチームであることを守りたいだけだ。その為の手助けがしたいだけだ。自分だけが英雄になりたいのなら、とっくにもう他のことに惹かれてる。チームでありたいと思うからこそ、皆を信じたい。だから信じて欲しかった。そうでなければ、想いなんて一つに出来ない。一つになれなければ、同じ先など目指せない。同じ先を目指せないチームなんて、チームじゃないもの。一人一人の能力が高くたって、バラバラではただ足し算しただけの結果しか生み出せない。かける二乗すればもっともっと強くなれるのに。それをしないのは傲慢という名の自己満足であり、いつかは独裁という名の裸の王様に成り下がる。………あの馬鹿な後輩がそうであったように。そうはなるものか。そうはさせるものか。その為に、司令塔である俺の信頼が危うくてどうすると、そう思って自分を律する術を身に付けたと思っていたのに。


「………マインドコントロールには自信があったんだけどなぁ〜」


翌日。練習後の体育館で、一年たちが汗に濡れたコートを一生懸命モップがけをしているのを横目に呟いた。先輩思いの後輩たちが、ネットの片付けも散乱したドリンクボトルの回収も全てやってくれていて、することの無くなった俺は、コートの片隅でボールを手にその光景をなんとく眺めていた。


「んあ?」


壁相手にギリギリまで打ち続けていた岩ちゃんが、袖口で汗を拭いながら変な声を出す。


「俺って、器用な方だよね」

「……自分で言うなよ」

「部員からも慕われてるし〜」

「いや、馬鹿にされてんだろ」

「先生からの評価も良い方だし〜」

「呆れられて何も言われねぇだけだべ」

「女の子の扱いも上手いし〜」

「無駄に愛想よくすっから寄ってくるだけだろ」

「…………ねぇ?さっきからテキトー過ぎない?真面目に考えてよ」

「真面目に考えなきゃなんない意味がわかんねぇ」

「俺の自尊心復活に協力してくんないの?」

「んなもん、いつ消失したんだよ!」

「昨日」

「は?」

「昨日、消失した」


終始ため息混じりの返事を寄越す岩ちゃんだったが、その言葉には何かを察してくれたらしくて、次の返答までに少しの間が空いた。


「……お前ら、まだグダグダなんかやってんのかよ」


それまで以上に一際大きい溜息を吐いて、岩ちゃんは言った。彼との付き合いは浜口以上に長い。ちょっとした言動や仕草から機敏に心情を察知されてしまうのは致し方ないかもしれない。イエスという返事の代わりに、無言で肯定を示した。胡座を掻いた脚の真ん中、両手でクルクルとボールを回しそれをジッと見つめる。


「………てめぇの女事情なんてどーでもいいがなぁ、ウジウジしてられっとこっちも鬱陶しいわ!」

「んーーーーーー」

「燃料切れみてぇな声出してねぇで、早く準備して体育館出っぞ!鍵掛けらねぇんだろが」

「んーーーーーー」

「聞いてんのか!?」

「んーーーーーー」

「…………オイッ!!今日は及川が牛丼奢ってくれるってよ!!」

「んーーー………え?…えぇえ!?」


落ち込んでいても凹んでいても、いつだって通常運転の岩ちゃんの態度は、むしろ過剰な気を遣われていないことが分かるから安心する。安心して物思いにふけっていたら、聞き逃せない提案が予期せず降って湧いて現実に返る。


「部長あざーっす!!」

「ちょっ!待っ、」

「だから今日は僕らが終わるの待っててくれたんすね!?」

「皆で飯食って帰るの久々ッすね!なんかミーティングですか!?」

「いや〜〜〜及川はセッター以外でもたまには役に立つ」

「ちょちょちょっ!たまにって失礼じゃない!?ねぇ!ってか勝手に決めないで!」


なんで、どうして、いつの間に?訳がわからないうちにどんどん盛り上がる皆の様子に、今更岩ちゃんの言葉を無視していたことを後悔する。我も我もと寄って来て、一体いくら使わせる気だ。


「ミンナ!部長のいうこと聞きなさいよ!」

「おい、及川」

「なんだよ!ダジャレっぽく呼ばないで!」


焦って抗議するも誰も聞いてくれなくて必死になって声を張り上げると、冷静な顔した岩ちゃんが俺を見た。


「そんなんで器用とか言ってんじゃねぇ、バーカ」


告げられた一言に一瞬目が点になって、親友の辛辣な指摘に思わず苦笑した。

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