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Guilty Lovers


02_ side.B

一番大事なものは、いつだってバレーだった。何故なのか理由は未だに分からないけど、幼い頃からずっとそうだったし、それを不思議に思ったこともない。揺るがない。誰にも、何にも、揺るがされることのなかった想い。ボールを手にしている間は、そのことしか考えないようにしたし、考えられなかった。特に、あのお馬鹿な天才にへし折られた心をなんとか修復してからは、もう二度と屈しないと自分に誓った。それは今だって微塵も変わっちゃいない。

それなのに、中途半端に欲した自分が悪かったのかもしれない。俺が何をしたとか、彼女が何をしたとか、そんなことよりも、隣にいて欲しいと最初に願ったこと自体が、そもそも間違いだったのかもしれない。今になって後悔したってもう遅いことだけど。

後悔するのは、知ってしまったからだ。紡がれる声の優しさと、見つめられる瞳の甘さと、触れた体温のあたたかさを。思い出してはたまらなくなる。求めることはもう叶わない、甘い記憶。

だって仕方なかったんだ。可愛いなって思って、楽しいなって思って、次の日もまたその次の日も話したいなって思った延長上に、俺たち二人は居ただけなんだ。うっかり好意を抱いてしまって、あまつさえ相手もまんざらじゃなさそうな態度を見せられてしまったら、我慢なんて効かないよ。ただ、それだけなんだ。なのに、俺たちは互いに悪意なんて一つも持ったことがない筈だったのに、こんなに罪悪感にまみれているのは何故だろう。ハッキリと明確な答えが出せるのなら、きっとこんなに苦労はしない。いつから狂った。いつから違えた。いつから、浜口はあんなに遠くなってしまったんだろう。少しずつ、少しずつ生じた溝は、気付かぬ間にとてつもなく深くなっていた。

それでも尚、毎日毎日、明くる日も明くる日も、ボールを手にすることは止められなかった。


「………オイ。寝てるだけならとっと帰れよ」

「んーーーーーーーー」

「もう夜んなるぞ!いつまで居座る気だ!寝るなら自分んちの部屋で寝ろ!」

「岩ちゃんちでご飯食べていきたい〜」

「ふざけんな!自分んちで食え!」

「えぇーーーやだぁーーー」

「なんでだよ!」

「だって〜家にいると皆が冷たいんだも〜ん」

「テメェがウジウジそんな面してっからだろ!俺だってウゼェわ!」


岩ちゃんのベッドを占拠して、仰向けに寝転がっていた俺はただただ真っ直ぐに天井を見つめていた。白い壁紙をスクリーンにして、写し出されるのは浜口の姿。別れを切り出されてからもう一ヶ月近くも経っているのに、襲われる消失感は薄れることなくこの身を蝕み続けている。


「んなに落ち込むんだったら、嫌だって言やぁよかっただろが」


困り果てた岩ちゃんの声。確かにそれもそうだと、胸の内では納得する。でも、それは出来なかったよ、岩ちゃん。だってね、もうずっと縛り付けて来たから。彼女は耐えて来たから。彼女は、ようやく自分が楽になる手段を見つけて、それを選ぶ決心をしたんだから。


「言うわけないじゃ〜ん」

「なんでよ?」

「俺、逃げる者は追わない主義なの」


いっておくけど、これは優しさなんかじゃない。あの時俺は、腹が立っていたんだから。そうならない為に足掻いていたんじゃなかったのか、離れない為にあの日、意を決して話をしたんじゃないのかって。なのに彼女は、とうとう最悪の決断を下した。それが無性に腹立たしかった。

彼女が傷付いていたことも、もちろん分かっていた。苦しんでいたことも知っていた。俺はいつだって自分優先だったから、沢山の我慢をさせたことも。

それでも、二年前の今は互いの存在が近くにあるだけで満ち足りていた。何をするにも、浜口を手にした喜びで世界の全てが好転して見えていた。憎き後輩とオサラバし、新たな場所で打ち込む部活も楽しかった。悩みなど何一つないだなんて、そんなお気楽な日々を過ごしていたとまでは言わないが、浜口の存在が光りをくれていたのは確かだった。たまに仄暗い過去に囚われそうになる日も、彼女に会えば心に刺さった棘が一つ一つゆっくりと抜けて落ちていくように、癒されていた。

土日も祝日もバレー三昧の俺に、浜口は文句の一つも付けたことがない。丸一日ゆっくりと会える日が、例え一月に一度か二度あるだけであったとしても、浜口はいつも笑って俺の元へとやって来た。我慢しているだろうに、そんなこと、少しも感じさせずにいつも笑っていた。


『………浮気、してたりして』


むしろ、あんまりにも平気そうな顔してるから、半分冗談、半分本気で刺した程だ。思えば彼女を本気で怒らせたのは、あの時が初めてだったと思う。見事なまでのド派手な平手打ちをくらったけど、痛がる間も抗議をする間もなく、浜口の顔に釘付けになった。大粒の涙をはらはらと零した彼女が、可愛かった。本気で憤ってくれたことが嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、初めて彼女に口付けた。

一年前の今は、そんな日々を懐かしむことが増えた。何をするにも二回目であることが、二人が重ねた時間の長さを証明してくれていた。つまらない喧嘩もこの頃から多くなった。嫉妬されて、嫉妬して。至る場所で女子の声援を多く受けた俺は誤解を解くのに苦労して、自分とは離れたクラスに居た彼女の身辺周りを無駄に警戒して。そんなことを繰り返しながらも、この先もずっと一緒に……なんて、よくあるラブソングみたいな在り来たりな常套句を並べ立てた。陳腐な言葉も、二人きりの時に囁き合うなら砂糖菓子のように耳に甘く溶けた。

それ程までに、浜口の存在は自分の中で大きかったのに、俺の優先事項はやっぱり変わらなかった。

二年の終わり頃から、俺の中で言い表せない焦りが大きく膨らみ始めるのを感じた。もうすぐだ。もうすぐ、アイツが上がって来る。俺の努力も自信も、アッサリへし折った憎き後輩が。蘇る負の記憶。存在そのものが忌々しい。もう二度とあんな想いをするものか。そう思えば思う程、黒々しい感情が俺の思考を支配し始めた。それまでだって意識していなかったと言えば嘘になるが、冬が過ぎ春が近づくにつれて、心は剣山の如く鋭さを増した。

といっても、表面上は大してそれまでと変化はなかった筈だ。何故だか俺は、昔っから内心を読まれることが大嫌い。本音は誰にも悟られたくない。結果、表情を取り繕うのは何よりも得意となった。それでも、俺の心境の変化を見逃すことなく目敏く察していた連中がいた。岩ちゃんを始めとするバレー部の、主に三年の奴ら。それと、浜口。


『……大丈夫?』


二年以上も側にいた浜口は、俺の些細な変化を見事に読み取った。気を遣わせているんだと、その一言で察する。影山のことは、いつか誰かの口から耳に入る前にって、自分の口から話したことがあった。憎たらしい後輩が居たんだ、という軽い雑談の中でだが。俺としても、仮りにも惚れてる女の子の前で自分が腐った過去をベラベラと話したくはなかったし。……今にして思えば、その軽さがいけなかったかもしれない。


『あのクソ生意気な後輩が進級する時期だなぁーってさ』

『あぁ……前に話してた。なんだかんだ言いながら、やっぱ気になるんだ?』

『まぁね。どこの学校行くんだか知らないケド』

『うち来たらどーする?』

『んー……どうすっかねぇ…』

『でも、たかが後輩に負ける及川じゃないよね?』


彼女は笑っていた。俺を励まそうと、優しく微笑んでいた。俺はその浜口の表情に言葉の一つ一つに、激しく苛立っていた。………何を言う。俺はハナっから負けているんだよ、才能という名の土俵の上では。脳裏で呟けば、半紙に溢れた墨汁のように真っ黒な感情が胸にじわじわと染み渡る。その挑発自体は、俺を奮い立たせる為の可愛い彼女の戦略だった。分かっている。きっと他のことなら容易く乗っていた。


『軽々しく言ってくれちゃって〜』


返事は返さず、笑顔を作って背を向けた。己を支配する毒を吐き出す相手は、彼女ではない。これは自分の問題だ。他意も悪意も無い彼女に、それをぶつけるのは間違っている。しかし、こうして直接投げ付けられるのは実に痛い。それからだった、彼女と向き合うのが何故だか苦しくなったのは。浜口は疑わない。俺がバレーに打ち込む日々を見てきたからかもしれないが、これまでに築き上げた青城の強さを、俺の力を彼女は微塵も疑わない。それが辛かった。

それからは練習と銘打って、浜口との予定を入れるのを控えた。電話もメールも数が減っていった。


『いよいよ三年だからさ。賭けたいんだ』

『ホントに、それだけ?』

『疑うの?』

『そうじゃないけど……ホントに部活に専念したいだけ?』

『何が言いたいの』

『………飽きたんなら、飽きたって言ってよ』

『そういうことじゃないって』

『今までだって、アンタの一番はいつもバレーだったじゃない。それと何が違うの。急に避けられ出したら、変に思うのは当然だよ』

『避けてるんじゃないよ。言ったろ、目の前のことに専念したいんだ。別に浜口がどうとか、そういう問題じゃない。浜口とは関係の無いことだよ』

『関係無い。そう……。関係無いのね、私は』


これまでとは質の違う喧嘩が増えた。何を言われるか、何を言ってしまうかが恐くて、互いに距離を置き始めた。冬休み、三学期を経て、春休みに入る頃には、学校以外で顔を合わすことも滅多になくなった。一応は、部活に専念したいという俺の意向を汲んでくれたらしく、彼女からの連絡は殆ど無いに等しかった。

新学期になり、念願叶って二人一緒のクラスになったというのに、それは尚も続いた。プライベートでは一切予定を合わせなくなったのに、毎日同じ教室で顔を合わす日々。そんな状況で、堂々巡りで良い方向へと向かう兆しも無く、いつまでも悪化した関係を続けていくことは苦痛であったろう。もしかしたら、彼女はそのうち、それを選ぶかもしれないと思ってはいた。

けれどそれは、あくまでも推測でしかなかった。ずっと側で見てきたからこそ、勝手に察していただけに過ぎない。浜口はその苦しみの理由を、けして自分の口から明確に告げたことはなかったから。予想が外れればいいと願っていたのに、最後の最後まで俺には何も言わないまま彼女は結局別れを選択した。これまで、付かず離れず深く干渉し合わないことで束の間の平穏を保っていた訳だが、インハイ予選が終わったタイミングでそれを切り出された。それが彼女の一抹の優しさであると察しられる自分が、恨めしい。


「だから…!勝手に人んちで自分の世界作んなっつーの!」

「イッタァッ!!!痛いよ岩ちゃん!ヒドい!俺傷心なのにぃ!」

「何が傷心だ!引きずってグタグタしてるぐらいなら今直ぐアイツんとこいって前言撤回してこいや!」


後頭部を叩かれて大袈裟に泣き喚くフリをすると、こめかみに青筋を立てた岩ちゃんが叫ぶ。部活後、嫌がる岩ちゃんを尻目に、強引に彼の自室へいつものように転がりんでいた俺は、その時になってようやく身を起こした。反論の意を唱えようと口を開きかけて、先に腹の虫の方が鳴る。低音を響かせて盛大な音を立てた俺の腹。確かに、存分に腹は空いている。半開きの口のまま自らの胃袋ら辺に視線を落としたあと、次いで岩ちゃんを見たら、怒りと呆れが入り混じった剣呑な目を向けられる。


「お腹へったよー」

「知らねーよ!!!」


今にも刺されそうな視線を受けて、俺はさも子供のように訴えた。意識してめいいっぱい微笑みを浮かべていると、観念したのか岩ちゃんは読みかけの漫画を閉じると、足音荒く部屋を出て行った。きっと、俺が今日の岩泉家の晩餐に出席可能かどうかを確かめに行ってくれたんだろう。なんだかんだで、優しい友である。

主が居なくなった部屋のベッドで、再び俺は身体を横たえた。力が入らない。練習後で体力を使い果たしたというだけが理由じゃない。きっと岩ちゃんが戻って来たら、また怒られるんだろう。

………不意に思う。あんな風に、さっき岩ちゃんにしたみたいに、浜口に甘えることが出来たのは、一体どれくらい前になってしまったんだろう。

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