top
main
Guilty Lovers


01_ side.G

世の中には、頑張っても、頑張ってもどうにもならないことがある。努力してもしても、全てが悪い方向へと傾き続けることがある。己の意思とは無関係に、幾ら手を伸ばしても届かない仄暗くて先の見えない奈落へと、大切な何かがコロコロと滑り落ちて行ってしまうことが、稀にある。

自分では最早どうすべきかなど、とっくの昔に分からなくなっていた。自分が出来ることは、自分がすべきことはもう、この負の連鎖を断ち切ることだけだと、そう考えていた。もうこれ以上、縛り付けられたくないし、縛り付けておくことも出来ないと思った。


『浜口がそうしたいなら、いいよ』


それを告げても、この後に及んで仮面を被り続けるあの男が憎かった。そんな上っ面だけの言葉が聞きたかった訳じゃない。そんな言葉を引きずり出したかった訳じゃない。なのに、そう言わせたのは自分のせいだということも、痛いほど分かっていた。哀しみの波が襲う思考の片隅で、耳を滑るように流れていったその言葉をどこか遠い意識で私は聞いていた。

今更絶望などしない。その予感はあった。不穏な影は、もうずっと長いこと二人を取り巻いていた。おかしいな。こんな日々を望んだわけじゃなかったのに。私も、彼も。どこで歯車が狂ったのだろうか。わからなくて、わからないことが悔しくて、どうにも出来ないことが悲しくて。何を言うのが正解で、何を言えば自分が納得し彼を納得させられて、何をすれば修復するのかなど。もう考えることすら疲れ果てていた。ただただ、心は叫んでいた。まだ好きだと、叫んでいた。けれど、もう遅いと知っている。


『……今まで、お世話になりました』


いやに丁寧に告げられたその一言に、一縷の涙が頬を滑り落ちた。


私が彼と出会ったのは、高校一年生の春だった。同じ委員会になった彼と仲良くなって、友達になって、連絡先を交換して、色んな話をして、いつの間にか好きなって、告白して、付き合うようになった。私たちは高校生活が始まった早い段階から、所謂、彼氏彼女の関係だったのだ。よくある普通の恋の始まり。特別な経緯など何もなかったように思うし、どれもが特別だったとも思う。彼と共に居たからこそ、他愛ないことが眩しく全てが輝いていて。最初は確かにそうだった。


『浜口ちゃん、一緒に帰ろっか?』


初めてそう言われた時の笑顔が眩しかった。言葉が優しかった。見つめられるとドキドキした。何しろ彼は、新入生の中でも格段に二枚目でカッコよくて、モテモテな人だった。心が騒めいて煩くて、あっという間に恋に堕ちた。

そんな彼は、大人っぽく見えるようで実は子供っぽくもあり、他の人とは違うものを持った人と思ったら案外フツーなとこもあって。聞き分けが良いのかワガママなのかよく分からなくて、強くもあって脆くもあって、カッコイイのにたまにとんでもなく可愛らしくて。好きになった理由なんて幾らでも出てきた。だけど、どれも後付けでしかない気もしていた。そんな所に惹かれたのだと言える気もしたし、そんな所だけで好きになったのではないとも言える気がした。言葉に出来る理由など、全てがただの辻褄合わせでしかない。ただ、好きだった。彼を見ていると、彼を想うと、頭で考えるより先に勝手に心が騒いで落ち着かなかった。きっと出会った瞬間からもう好きになっていた。それだけが、確かな信実だった。

翌朝目覚めた時、当然ながら寝覚めは最悪。腫れぼったい瞼が重くて、掌で強く擦る。昨夜から何度も何度も、繰り返し頭に浮かぶのは出会った頃のこと。幸せだった日々のこと。あの時はもう、戻らない。取り戻せなくした。他ならぬ、自らの意思によって。


「うっわ……酷い顔。どしたの?」

「んーーー。別れた」

「へ?」

「別れたの」

「えっ…えぇ!?別れたって……ウソでしょ!?いつ!?」

「昨日」

「マジで!?」

「そんな驚かないでよ……。知ってたでしょ、上手くいってなかったの」


学校へ行って教室に入ると、友達のナカちゃんが眉間の皺を濃くしながら寄って来たのでありのままを伝えた。とはいえ、以前から及川とのことは話してあったので、短い説明だけで察してくれたようだった。


「とうとうそうなっちゃったか……」

「ズルズル引き伸ばしててもね、仕方ないでしょ……夏も忙しそうだし」

「春高予選前にって?……かえって残酷な気もするけどね、私は」

「どうだか。アッサリ了承したよ、アイツ」


神妙な顔つきで逐一溜息を吐くナカちゃんに対して、私は極力感情を抑えるよう努めた。気を張ってないと、涙が出そうだ。さめざめ泣きたいのなら、学校なんて来てない。


「気まずくない?」

「気まずいに決まってんでしょ。……ナカちゃん、余計なことしないでね」

「何かするもしないもさぁ………。アンタ、この場に居るだけで空気最悪でしょ?よく来たね」

「………休んだら、気にする」

「へぇーーー、尚も気遣うワケだ」

「うるさいな……!いいでしょ……別に。……嫌いになったわけじゃないし」

「まぁ、ね……うん」


鞄からテキストの類や筆記用具を机へと仕舞いつつ抑揚のない声で話す私に、ナカちゃんはまた大きな溜息を吐いた。優しい友人の気遣いを感じながらも、僅かな理性で溢れ出しそうな絶望を押し留める。休まずに登校したのだから、教室ではなんとしても平常心を保つと決めたのだ。


「…………あ、来た」

「…………また後でね、ナカちゃん」


何故って?それは、昨夜別れたばかりの男、及川徹は、同じクラスであるからだ。視界に入ってないのに、足音と気配だけでわかるようになってしまっている。伊達に二年以上も一緒に居た訳じゃない。彼が教室に足を踏み入れたことを悟った私は、唇を真一文字に結んで押し黙った。緊迫感は、とうに無い。一年の時から悲願であった同じクラスになるという望みは、叶った時には既に重圧だった。もう私たちは、長いこと心から笑えていない。昨夜の、あの会話があろうがなかろうが、今更なのだ。

瞼を伏せて、出来るだけ及川を視界に入れないよう気を配る。四月から習性となったそれは、ごくごく自然な動作として私の身体を動かした。


「浜口」


なのに、不意に名を呼ばれて、驚いて、顔を上げた。同時に机越しに差し出された右手に、瞬きをした。


「まだ、クラスメイトではあるしね」


ニッコリと満面の笑みを浮かべる及川に、私は納得した。


「…………うん。」


頷いて、目前の手を見つめる。数秒後、その掌を取った。合わさった互いの手は、どちらにも力はなかった。触れただけで、同時に引き戻される右手。ペタリと冷たい机に手を落とした時、及川はもう私に背を向けていた。他のクラスメイトたちの輪の中にするりと入っていく彼は、笑っていた。白々しいまでにいつも通りの彼の様子に、私は自分を責め立て、そして彼を責めた。

そう。そっか。アンタがそうだから。私がこうだから。私たち、きっとダメになった。

1

前へ | 次へ

top
main
Guilty Lovers
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -