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Guilty Lovers


08_ side.B

「ところでよ」

「んあ?」

「……あんぐらい、素直に言えばいいだけなんじゃねぇの?」

「ほえ?」


岩ちゃんが、それまでより幾分か表情を和らげて言った。何を言われたのか一瞬理解出来なくて間抜けな声が出る。軽く振り向いて岩ちゃんを見れば、今度はバツの悪そうな顔をして下を向く。


「話のついでだ!ついで!……こんな話、柄じゃねぇからな。一度しか忠告してやんねぇぞ」


首の後ろをガリガリと右手で掻きながら、岩ちゃんが続け様に言うのを俺は瞬きを繰り返しながら眺めていた。


「俺らにあんだけこっ恥ずかしい台詞吐けんだからよ、言えんだろ。こっちは未練たらたらだってよ。……相手だって満更でもねぇんじゃねぇーの?」


思いがけない言葉が出て来て、目を丸くしたのも一瞬。すぐに岩ちゃんが言おうとしていることが理解出来て、俺は瞠目した。


「気付いてたの、岩ちゃん」

「お前が気付いたのに、気付いたんだ」

「そっか」


まるで心を読まれていたかのようで、いや、実際しかと読み取られていたらしいと悟って、自嘲気味に笑う。止めていた足を再び踏み出せば、横に並ぶように岩ちゃんの足音が聞こえた。

俺たちは今日、試合に負けて来た。それは高校生活最後の試合になった。名残惜しくてまだまだとても吹っ切る気になどなれない程に、取れたれてほやほやの悔しさを胸いっぱいに抱えている。帰路についた俺の隣にいるのはやっぱり岩ちゃんで、染みったれた空気をあんなに嫌がったのは彼の方なのに、何故だか急にシリアスめいた話をされた。嬉しくて、苦しくて、ものすごく胸が詰まる言葉をもらった。それだけでも、もう俺の心のキャパシティはいっぱいいっぱいなのに、岩ちゃんはここぞとばかりに現実を突きつけて来やがった。どちらも性に合わない話だからか、まとめて一気に済ませようとしているのか?


「気付いたのは、全部終わってからだけどな」

「……うん、俺も」


お互いの家の分岐点に着くまでを、いつもより遅めの速度で歩く俺たちは、それぞれ前を向いたまま口を開いた。悔しさが消えない胸の隙間にするりと滑り込んで、俄かに広がる少し違った感情。


「たぶん、ずっと見てたんじゃね?……泣いてた気がする」


いくら仲間に励まされても、友に奮い立たされても、さっき付けられたばっかりの傷はまだまだ痛い。瘡蓋になって綺麗に剥がれるまでは、まだ到底かかる。誰が悪いという訳でもないから、怒りや憎しみのぶつけどころがなくて苦しい。こんな弱り切ったメンタルで目にするには、反則過ぎるほど反則だった彼女の姿。岩ちゃんに教えてもらうまでもなく、俺だってとっくに気付いてた。


「……ん」


何と返事をしたのか分からないぐらい上の空になって、胸がさざ波の如く静かに喚きだした。消化することの出来ない敗北感と焦燥感で息苦しくて、一度大きく吸い込む。瞬間。思いっ切り背中を叩かれる。圧迫された肺の奥から「ふぐぅッ!」と情けない声が出て、隣の岩ちゃんを振り向いた。


「助けたくったって、そっちはチーム戦なんつーもんは無理なんだからよ!個人戦はてめぇ一人でなんとかしろ!」

「い、岩ちゃん?……てか、え?なに?いつの間にそんな例え話が出来るようなったの?上手いと思ってる?微妙に臭くない?」

「っるせぇよ…!!!」


岩ちゃんの方こそ、さっきはあんなにストレートな言葉をくれたのに。今は到底彼には似合いそうもない比喩を使って、さっきとはまた違うやり方で俺を励ましてくれる。照れ隠しで叫ぶ友の後ろ姿に、今度は嘲笑ではなく素直に笑った。まさか彼からこんな助言をもらうとは。散々っぱら愚痴を垂れ流しておいてなんだけど、全然予想してなかった。全く。さすがに相棒と名乗るだけある。

胸に灯る温かな感情と、冷たく乾ききってささくれた感情と、全てをぶっ壊したくなる感情と、誰も彼も皆漏れなく讃えたくなる感情と、何かに縋りついてワーワーと泣きわめきたい感情と。その隙間にふわっと浮かんできたどうしようもなく甘えたい感情と。色々ありすぎて。きっと今日の夜は、眠れそうもない。


それから、浜口の顔をまともに見ることになったのは、とある日の放課後のこと。その日は、今年に入ってから何度目かの進路希望調査を提出する日だった。時期が時期だけに、そこに記した回答は最終決定に近い。もう正直に言ってしまうと、気になった。浜口が何を、どんな道を選ぶのか、気になって仕方なかった。もうあの日からマトモに口を聞くこともなくなった彼女の存在は、未だ俺にとっては大きいものだった。春高予選、烏野に負けたあの日。試合終了後の観覧席の隅に、浜口の姿を見つけた時から尚更に。結局、岩ちゃんに釘を刺された後も彼女に声を掛けることを躊躇っていた俺は、知らずに何かのキッカケをずっと探していたに違いない。

だから覗き見た。同じ教室にいる、浜口の席の真横をわざと選んで通り過ぎる間際に、彼女の手元に置かれていたそれが進路希望調査表だと察するや否や、自慢の洞察力を一身に集めて、覗き見た。見た瞬間に、胸が跳ねた。


「っ!?なっ、なに…!?」


無意識のうちに、椅子に座って俺が通り過ぎるのをじっと待っているだけだった浜口の腕を掴めば、弾かれたように顔が上がる。余程驚いたのか、目をいっぱいに見開いて俺を見上げる。久々に目が合った。咄嗟に思い出されたのは、あの日、小さな豆粒みたいな大きさの彼女の姿。観覧席の一番隅っこで、今にも泣き出しそうに顔を歪めていた彼女。


「ちょっと、来て」


我慢出来なかった。これ以上傷付けるのも可哀想だし、もう諦めようかな。なんて。少しでも思ったりした自分はどこにも居ない。そんなのは、あの日に消えた。消えさせたのは、君だろ?

有無を言わさない態度を貫けば、数秒絶句した後、浜口が立ち上がる。きっともう何を言われるのか、分かっているように溜息を吐いた彼女に、こんな時でもトキンと胸が鳴った。自分の言葉に素直に従ってくれた、たったそんなことだけで嬉しくなるなんて、俺も大概な馬鹿。自身を嘲りながら、適当な空き教室を見つけて入ると、浜口がそれに続く。


「………なに?」


扉を閉めてもしばらく口を開かないでいた俺に痺れを切らして、浜口が小さく言った。なに、って。


「それはコッチのセリフ」

「……………」

「無言、ってことは、俺が何が言いたいか分かってるんだよね?」


顔を合わせれば、自分の口からも相手の口からも、どんな言葉が飛び出てくるのか恐くなりそうで敢えて背を向けていた。何気なく窓枠に両手をつく動作で緊張を隠して、俺は続けて言った。


「どうして?」


意味はきっと、理解できてる筈だ。僕が欲しい答えは二つ。彼女は上手に答えてくれるだろうか。


「…………知ってどうするの?」


背中で浜口の声を聞きながら、俺は苦笑した。そうだよね、こんな時に真っ直ぐ欲しい答えをくれるなら、俺たちこうはならなかったんだから。


「さぁ?」


そんで、俺も。こんな風に誤魔化す癖さえ持ってなかったら、こんなことにはならなかった。


「ただ、知りたいだけ。なんで試合見に来たの、とか。なんで志望校一緒なの、とか。知りたいだけ」


そんなことはもう分かってる。分かってるんだけど、無視できない。見て見ぬフリなんて出来ないんだよ。もうずっと。ずーーーっと。

息を詰めて答えを待てば、背後から静かな溜息が聞こえて来る。浜口がどんな表情を浮かべているか、見たいけど見たくない。でも気になる。振り向こうか振り向くまいか、悩んでる間に一刻一刻と時間が過ぎていく。耐えきれなかったのは、俺の方。今日、思わず声を掛けてしまったように、一ヶ月前、余所のクラスの男に絡まれてるのを放っておけなかったように。堪え切れなくなるのは、俺の方。


「どして?」


穴が空きそうな程に睨みつけていた窓ガラスから視線を逸らして、少しだけ顔を傾けた。片目だけに浜口を写す。意識せずに口を開いたら、予想外に弱々しくなった。一体、彼女の目に俺はどんな風に写っているんだろうか。


「……言っても何にもなんないよ」


一瞬交差した視線は直ぐに逸らされた。彼女の睫毛が伏せられる。震える毛束は、つい数日前にも目にした記憶があった。その日だけじゃない。もう幾度も幾度も、この目に写して来た。弱々しく歪む浜口の顔に、怒りでもない憎しみでもない、言い様のない不思議な感情がふつふつと沸き上がる。


「泣いてくれたの?」

「…っ!?」

「泣いてたよね」

「そ、それはっ………お、及川が……」

「俺が?」

「お、及川が………が、頑張ってたから……」

「感動しちゃった?」

「やっ!!やめてよ!!……ヤダ!!嫌なの、部外者が、部外者の私が、そんなわかった風なこと言いたくないんだってばっ……!!」


そう言いながら目尻に涙をいっぱいに溜めてる浜口と、いつの間にか俺は真正面から向き合っていた。俯く彼女の顔を覗き込もうと首を傾ければ、捉えられるのは嫌だというように逸らされる。それでも負けじと視線で追いかければ、眉間に皺を寄せて死んでも零してたまるかという風に首を左右に降り出す彼女に、胸が疼いた。


「こんな話するなら来なきゃよかった!!」

「分かってて付いてきたくせに」


抵抗を続ける彼女に、言ってやる。最近会話らしい会話も、他に話題に上がる共通の出来事も、なんにもないんだから。思い当たるのはそれしかないんだから。それしか失くしたんだから、俺たちは。


「………それ、分かってて、付いてくる気なの?」


彼女の瞳が、一際大きく揺れた。挙動が止まった隙を逃さず覗き込めば、困惑しているのか、更に瞳が震える。


「………迷惑なら迷惑ってハッキリ言って」


案の定、俺の言わんとすることを察して、彼女が低く呟いた。皮肉だね、こんなに直ぐに俺の思考を読み取ってくれるのに、肝心なことは何にも通じ合えないまま終わったなんて。


「そんなこと、言ってないじゃん」

「じゃあ何よ」

「何って…………なんだろう?」


問われて、ふと考える。迷惑だなんて思わなかった。思ってないから、こうして連れ出した。


「私に聞かないでよバカ…!」


とうとう呆れ出した浜口の様子に、俺は少しだけ気が抜けた。喧嘩した時にいつも聞いてた彼女のご立腹な声が、とても懐かしい。頭の片隅で、ボンヤリ岩ちゃんの声がした。いい加減進もう、前に。


「そうだね。じゃあ言うね。嬉しかったよ」

「は?」

「試合来てくれたことも、同じ進学先選んでくれたことも。嬉しかったよ」


真っ直ぐ、浜口の目を見て言う。驚くほど自然に声が出て、もう限界だったんだってことが自分でも分かった。抑えておくこと自体が苦しかったんだって。予想外だったのか、口を開いたまま言葉を無くした浜口は、今まで以上にもっともっと目を丸くした。


「あのさ」

「えっ、なにっ」


放心している彼女に構わず言えば、それまでのつんけんした声色から一変した間抜けな返事が返ってくる。


「ちょい、肩かして?」

「え、か、肩?」


言い終わるか終わらないかのうちに、浜口の両腕を掴んで引き寄せる。強張ったその肩に、瞼を押し当てた。堪えていたつもりはなかったんだけど、不思議と目頭が熱くなった。もう散々泣いたっていうのに。


「寂しんだよね。もう試合ないから引退しなきゃだし、皆と同じコートには立てなくなるし。今直ぐいなくなっちゃう訳じゃないけどバラバラにされた気分ていうか。居場所なくなる的な」


顔を見ないでいるせいか、一度切り出すとするすると思いの丈が口から漏れ出ていた。蘇る敗北感。そして痛烈な寂しさ。もしかしたら、浜口と別れた時とどっこいどっこいかもしれない。


「寂しいからさ、側にいてよ」


どちらも俺には大事だった。


「慰めてよ」


どちらも大事だから、離れたくない。


「きっと、ずっと、こんなことばっかり繰り返すんだろって、俺をよく知る奴に言われたよ。その度に、慰めて」


どちらとも離れられないから、側にいて欲しい。身勝手だと分かっている。一度はそんな弱い自分を、醜い自分を見せたくなくて遠ざけたというのに、それが二人を分かつキッカケだったっていうのに。懲りもせず、縋りいている自分が情けない。情けないけど、離せない。離したくない。こんな時、立ち上がれるまで側にいて、慰めて、手伝って欲しい人の中に浜口も入ってる。


「…………お、及川…?」


瞼に感じる浜口の挙動から、彼女が戸惑っているのが分かった。泣き言を零す俺に、どう対処すべきか迷ってるんだろう。やがて沈黙が訪れる。拒絶されないことに安心して、詰めていた息を吐く。肩の力がゆっくりと抜けていった。お互い呼吸するごとに、静かに身体が揺れあった。しばらくして。背中に浜口の手の感触が乗る気配がした。下から上に。上から下に。ゆっくりと撫でられる。それを合図に、俺はめいいっぱい浜口を抱き締めた。

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