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気付いて、嘘吐きアイロニック。


無礼は承知で逃げ足は早く

夏休み突入まで、あと二日。今日が終わって、明日が終わればすぐそこだ。長い休みは楽しみだが、唯一頭を悩ませるものといえば、言わずもがな宿題だ。小学校、中学校ときて、高校でもそれはまた然り。その中でも、国語の課題で出される読書感想文。それが私を最も苦しめるものであった。口でだって言いたいことをマトモにまとめられないのに、ましてや文章だなんて上手く書けやしなくて苦手意識が強いのだ。それを裏付けるかのように、提出した課題の評価はいつも、支離滅裂だの、起承転結がないだのと厳しく指摘されて、毎回落ち込む。今年もどうせ上手く書けやしないんだろうなぁ……と、心の中で溜息を吐きながらも、だがしかし、やらない訳にはいかないと重々承知している。高校に入って初めての読書感想文は特に本の指定はなかった。フィクションでもノンフィクションでも、写真集や雑誌、漫画以外ならなんでも自由に選べと言った先生。課題自体にあまり気乗りしないが為に決めるのを先延ばしにしていたが、いよいよ夏休みを目前にした今日、放課後になってようやく圭ちゃんと共に図書室を訪れた。


「人多っ…!」

「ははっ!みんな考えること一緒なんだねぇ〜」


扉を開けると、予想外の混雑に驚いた。圭ちゃんも同意を示すように笑う。あまり足を踏み入れたことのない場所なので、普段どのくらいの人がいるものなのか分からないが、多分これはイレギュラーの混雑だと思う。どう見たってアンタいつも図書館なんか来ないでしょ、みたいな人が沢山いる。そういう私も、もちろんその内の一人である。圭ちゃんの言った通り、皆考えることは同じみたいだ。先生から課題についての説明があったのは二週間前の話で、前もって準備しておけばいいのに、間近になってからでないと動き出せないという不思議な法則。

自分自身もその例に違わない私は、混み合う室内を右往左往と彷徨いながら適当な一冊はないかと、本棚を目でなぞりながら歩く。圭ちゃんは目的の本があるらしく、そちらを探すのに忙しい。一方私は、読書など必要に駆られた時にしかしない。自由に選べ……といわれても、何を基準にしていいのか迷う。適当に選ぼうにもその適当加減が分からない。分からないなりに漠然と、あまり分厚くなくて、漢字が少なくて、難しそうな話は嫌だな、とか思いながら、ふと見上げた先にある本が目に止まった。この間の日曜、お昼のワイドショーで紹介されていた今年上半期のベストセラータイトル。女性に大人気!などと言っていたナレーションを思い出してなんとなく気になり、手に取ろうと手を伸ばす。が、本棚最上段に位置するそれは、私には高過ぎた。ありったけ腕を伸ばし、脚を伸ばし、爪先立ちまで試みたが、指先がほんの掠る程度で、虚しくなる。


「取ってあげようか?」


と、その時。背後から声がして振り返る。天の助け!と、思ったのも束の間。目線の先にいた男に、一瞬喜んだ気持ちが急速に冷めた。


「…………いや、別に…いいです」

「そんなこと言わずに、人の親切は有難く受け取っといたら?」


合った目を逸らして言えば、月島は嫌味ったらしい声で返してきた。その言葉に、その顔に、有難さを感じろとか、無理だし。


「どれ?」

「……いいって!」

「どれ?早くしてよ、コッチも暇じゃないんだから」


なのに、威圧感すら感じる声でしつこく聞かれて、私はしばしの無言のあとで渋々とタイトル名を口にした。ひょろりと伸ばした手が、難なくその本を掴み取る。悔しい。当たり前だ。奴と私は多分三十センチ以上の差がある。悔しい。異常に縦に長い彼の体だが、余りあるリーチの長さにも脱帽で、それもまた面白くない。そんな思いから何も言い返せずにいると、月島は私を見下すような目線をこちらに向け、掴み取ったその本を差し出した。


「……プッ」

「な、なにっ、」

「ミーハー」


それを受け取る間際に、そんなことを言われて益々悔しさは募る一方だ。月島もこの本のことは知っているのだろうか、タイトルを一瞥して小馬鹿したような意地悪い笑みを浮かべた彼に、内心腹が立つ。


「ねぇ、取ってあげたんだけど」

「ハ!?」

「君さぁ〜、この間も思ったけど、失礼だよね〜。人に優しくしてもらったらお礼言いなさいって、教わらなかったの?」


失礼なのはどっちだよ…!いちいち揚げ足取りみたいなことばっか言ってさ…!と、言い返したいのに言い返せないチキンは私だ。喉まで出かかった言葉をグッと飲み込む。


「………ありがとうございました!」

「どういたしまして〜。ちなみに、その本、今月のオススメ作品として貸出カウンター脇にもあったけどね」

「えっ」


やっとのことで出た礼の言葉に対して、余計な一言を付け加えた月島は、ひらひらと手を振りながら去って行った。置き土産のような嫌味なセリフに、こめかみが小刻みに動く。あ、あいつ…。きっと、語尾が荒い私の苛立ちに気付いていたんだろう。気付いてて尚、それを増長させるような事を吹っかけていった。一応、それなりに人として礼を言うしかなくなった私をやり込めて、今頃嘲笑っているに違いない。なんなの。ホントなんなの…!アイツは普通に人と会話するってことが出来ないのか…!


「あぁーーームカつく…!!」

「ど、どうしたの?」

「圭ちゃんとこの眼鏡野郎だよ!!」

「眼鏡野郎って……月島くん?」

「そう!!」

「な、なんかあったの…?」

「あったあった!あぁ〜腹立つわぁ〜あの巨神兵めが!」


その本を片手に再び合流した圭ちゃんに、いたもたっても居られなくて愚痴を零す。憤慨する私をよそに、肩を震わせる圭ちゃん。何が可笑しいのかと不思議に思うが、優しく背中を撫でられてしまっては大人しくなるしかない。入学して間もない頃のあの出会いから月島をよく思っていない私だが、圭ちゃんは人に流され一緒になって悪口を言うような子ではない。彼女にとって月島は一クラスメイトであるだけで、特に悪い印象ではないようだ。いや、むしろ圭ちゃんの懐が深いんだと思う。寛容で寛大で大人なのだ。小さなことで鼻息を荒くしているお子様の私とは違う。自分の幼さは理解しているが、それでもムカつくものはムカつくんだ。と、私は図書室を出てからもフンフン鼻を鳴らし続けてた。いいんだいいんだ、どうせ明後日からは夏休みだし。しばらくは顔を合わせる機会も無くなる。あんな奴に助けてもらったことは、さっさと忘れてしまおう。どうせこの本だって、どうしてもコレが良かったなんて物でもなかったし。

と、収まりかけた気持ちがぶち壊されたのは、それからたった三十分後のことだった。図書室を出たあと教室のロッカーに入れたままだった鞄を取りに行ったら、谷地さんの携帯が机に置きっ放しになっているのに気付いてしまったのだ。

あー、放っておいても、いずれ気付くだろうし、別に私が届けなくても他の誰かが、でも、万が一気が付かないまま家に帰っちゃったら、っていうか、その前に誰かに持ってかれて悪用なんてされたら、うーん、先生とかに届けた方がいいのか、いやでも、私、谷地さんの居場所知ってるのに、知らないフリとか、ちょっと不親切かな、いやでも、あー、、、…………。と、一人悩むこと約五分。結局、見て見ぬフリをした場合の気持ち悪さに負けてしまった私は、溜息を吐くとそれを右手に握って教室を出た。


「遅かったね〜…って、妙子ちゃん?難しい顔して、どうかした?」

「あ〜…うん。ねぇ…少しだけ寄りたいところあるんだけど、いい?」


さすがに一人でそこに行く勇気はなくて、訳を話して圭ちゃんに付いてきてもらうことにする。簡単に事情を話すと、ニッコリ笑顔で了承してくれた彼女を伴い、私は目的の第二体育館を目指した。程なく辿り着いた先で、来たはいいけど、その重い扉の向こう側にどうやって踏み込めばいいかの分からなくて更に戸惑う。要件があるのは私だけなので、圭ちゃんは黙ったまま後ろに付いて来てくれているだけ。いや、携帯を、谷地さんに携帯を渡すだけだから、その扉を開けてありのままの事情を述べればいいんだけど、だけど…。

体育の授業以外では滅多に立ち入ることのない場所だからなのか、その向こうには知らない人だらけであろうことを容易く想像できるからなのか、躊躇してしまう。だって、私部外者だし。その中に立ち入ることで向けられる好奇の目の数々を脳裏に浮かべると、なかなか扉に手を掛けられない。困ったように圭ちゃんを振り返ると、ほらっ、ほらっ、と微笑みながら目線と顎で促される。こういう時に手を貸してくれないあたり、圭ちゃんはサディスティックな一面も持ち合わせているのだ。再び前方に顔を戻し、おずおずと踏み出した時、ふと鉄格子がはめられた小さな窓が目に入る。まずは中の様子を伺おうと、恐る恐る近付いて、そっと中を覗き込んだ。と、その時、突如としてそれが大きく振動した。


「わぁッ!」

「えっ」

「えっ」


鉄格子が揺れたと同時に、視界が誰か後頭部に占拠されたのに驚いて、思わず声が出た。瞬間、その頭の主も私の声に気付いたようで、壁に預けていただろう背中を反射で浮かす。やがて振り向って漏れてきた声に私も反射で似たような声を出し、それからようやく。背伸びをして覗いた先にいたのが、ついさっき遭遇したばかりの眼鏡野郎だということを理解した。


「………何してんのアンタ」


今まさに口を付けようとしていたドリンクを片手に、月島が眉間に皺を寄せて私を見下ろしている。呆れ顔の彼に、私は窓枠に手を掛けたまま気まずさで目を逸らした。


「やっ、谷地さん、いる…?」

「はぁ…いるけど」

「けっ、携帯を、教室に忘れてたみたいだから、届けに、」

「あぁ………っていうかさ、だったら中に入ってくればいいんじゃないの」

「…………ンダヨネ」


そんなことは分かってんだよ。と、胸の内で悪態づいた。が、ごもとっともな月島の言葉に、私は伸ばしていた爪先を下ろすと、観念して入り口の扉まで移動し、改めてそれと向き直った。その様子を見ていたのか、背後では圭ちゃんが小さく笑っていて、さらに気まずい。後に引けなくなった私は、一呼吸つくと思い切ってそれを左右に開けた。オレンジ色のフローリングが目の前に大きく広がり、室内だというのにとても眩しい気がした。青や黄色、緑や赤のカラフルな球が宙を舞い、色んな人の掛け声があちこちであがっていて、パシンッ!パシンッ!と小気味良く響く打撃音が幾つも聞こえた。ほぅー……と呑気な声が出そうになった瞬間、数日前に見掛けたポスターを再現するかの様に、あの小さな男の子が飛んだ。目の前を鋭い速さでボールが通り過ぎる。デジャブだ、と思った。


「で、谷地さんだっけ?」

「え!あ、あぁ…!うん」


気が付いたらすぐ脇に月島が立っていて、問い掛けられた言葉に我に返り頷く。私の返事に、面倒臭そうに息を吐きながらも、月島は少しだけ大きめな声で谷地さんを呼んでくれた。反対側のコートでボールを拾っていた彼女は、月島の声に顔を上げ次いで私に気付くと、「あ!」とでも聞こえてきそうに大きく口を開けた。目が合ったので、右手に彼女の携帯を握ったまま大きく振って見せると、今度はあわあわと口元を歪めてこちらへ駆け寄って来る。その一連の動きが小型犬のようで面白い。


「よーし!月島!次、田中のブロック入ってやれ!」

「はい」


そして、彼女がここに辿り着く間に、月島は先輩と思しき人に呼ばれてコートの中へ入っていった。白いTシャツにハーパン、膝にはサポーター。本当にバレー部だったんだ…なんて、疑ってた訳じゃなかったけど、実際に現場で見て再確認する。


「うわぁぁぁあ!ありがとう芦名さん!全然気付かなかった!」

「いやいや、どういたしまして〜」

「ありがたや〜ありがたや〜!」

「ちょっ!そんな!拝まないでいいって」


月島と入れ替わりに、やがて谷地さんが私の元へやって来て、手渡した携帯を両手に挟んでしきりに頭を下げるのが可笑しい。何はともあれ、無事に持ち主の元へと戻ってよかった。と、彼女の反応に、勇気を出して此処まで来て良かったと報われた気持ちになった。さーて。用事も終わったことだし。もう行こうか。当たり前というか、なんというか、皆は部活動の真っ最中なのだ。誰かも知らない、たかが女生徒一人の存在など気にかける暇など無く、真剣そのもので精を出している……筈だが、声こそ掛けられないが、先程からチラチラと私たちの様子を伺う視線も無くはない気がするので、邪魔者扱いされる前に早くここを去ろうと思った、その時。


「あっ。ねぇ、ほらっ、月島くん」


さっきまで初対面の谷地さんの可愛さにニコニコ笑っていた圭ちゃんから、ちょんちょんと指先で肩を突つかれる。その目で促された先のコートを見たら、白いネットの向こう側で高く高くジャンプする月島がいた。長い腕と大きな手が上方に振りかざされたと思ったら、右の掌のド真ん中に当たったボールがバチンッ!と派手な音を立てて弾き返された。そのまま、ネットの向こう側ではなく手前側に落ちてしまうのかと思ったら、床に付くか付かないかのすんでのところで転がるように飛び出て来た誰かが、それを拾ってボールを再び宙に舞い上げた。弧を描いて空を切るそれに、気持ちも一緒に浮き上がる。


「う、わぁ………」


その間、一体何秒だったのだろう。躍動感いっぱいのその動きに、自分の口がだらしなく開いているのが分かった。思わず声が漏れて、慌てて口元を手で覆う。バレーボールがそういう競技だなんて、なにも今初めて知った訳ではない。昔テレビでやっていてたオリンピックや世界選手権なんかではよく見た光景だ。が、目の前で起こった出来事の迫力が凄すぎて、惚けて阿保みたいな顔を晒していた事を自覚して恥ずかしくなる。


「あッ!そこの二人…!あぶなッ…!避けて!」


と、顔を俯けたのと、その声が聞こえたのは同時で。反射で顔を上げると、物凄い勢いでボールが飛んで来るのが見えた。それは私の横を通り過ぎ、耳元で小さく「キャッ!」という声がして、考えるより先に体が動いた。体、というよりも、口が。


「け、けいちゃんッ!!!!」


叫んでしまってから、ハッとした。幸い、ボールは私と圭ちゃんの間をすり抜けていったようで、どちらの体にも直撃することはなかった。なかったのだが、それに匹敵するのではないかという痛さを横っ面に感じて、私は恐る恐る振り返る。ネットの向こう側から、こめかみの辺りをピクピクと動かしてこちらを睨み付けている眼鏡野郎が見えた。と、同時に体育館にいた全員の目がこちらに向いていることも把握した。キョトン。そんな擬音語が、この空間全体に浮かんでいた。ヤバい。


「おおお、お邪魔しました……!!や、谷地さん…!ま、また明日…!!」


中でも、視線の刃で心臓ごと貫かれるのではないかという程に鋭い目をしている月島に、この上なく身の危険を感じた私は、慌てて頭を下げると圭ちゃんの手を引っ張ってその場を逃げ出した。早く、早く。恥ずかしさでいっぱいで、一刻も早くそこを離れたかった。

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