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気付いて、嘘吐きアイロニック。


最悪ワンデイ

今日は朝からついてなかった。遅刻こそしなかったけど、いつもより三十分も遅く起きてしまった。たったそれだけのことで、一日の予定が全て狂っていく。ベッドから飛び起き急いで着替えたせいでタンスの角に小指をぶつけてしまうし、いつもならシャワーで一度全て濡らしてからブローをするのにそんな時間は最早なくて髪が上手くまとまらなかったし、昨夜からのリクエストでせっかく朝食を好物のベーコンエッグにしてもらったのに、それを食べる暇もなく身支度を整えて即家を出るハメになった。そのおかげで、食卓の片隅に置いてある弁当を持って出るのが毎日の習慣だったのに、慌てていたせいでまんまと忘れて来てしまった。何故今日の朝は寝坊してしまったのかというと、何気なく布団の中から覗いた自室テレビの深夜の映画が面白くて、翌日の予習もそこそこについ夜更けまで見入ってしまったからだが、そんな日に限って四十分の一という確率で数学教師に当てられ、全く解答が分からず何一つ答えられずに皆の前で怒られた。沈んだ気持ちと寝不足のまま受けた体育のバスケットボール、注意力が散漫だったのかグループ対抗で行われた試合中に突き指をしてしまった。昼休み。テーピングで分厚くグルグルに巻かれて、それにも関わらず未だじんじんと痛む指先を上手く扱えずに、お弁当の無い私の為に今日は学食でと言ってくれた友達を食堂の片隅で待たせているのに、先程カウンターでおばちゃんから受け取ったばかりのかけ蕎麦を、そこへ辿り着く前に盆ごとひっくり返してしまった。

………最悪だ。自分が悪いので誰にも文句は言えない。ただ、サイアクだ、と心の中で繰り返して溜息を吐いた。派手な音を立て、無残に床に散らばった一杯のかけ蕎麦。周囲がその音に静まり返り、一拍遅れてヒソヒソとした声が聞こえて来ていた。後悔したってもう遅い。笑われようが、哀れみを受けようが、一刻も早くこれを片付けるしかもう道はない。不機嫌を取り繕うことも忘れて、私は舌打ちと共に床に膝を付きしゃがみ込んだ。方々に散らばる蕎麦を指で摘み上げ、再び器に戻し入れる。手が汚れるだとか、支払った金が無駄になっただとか、そういう幾つもの不幸が積み重なって惨めになった。やがて賑やかさを取り戻す食堂内。皆、他人には無関心であるらしい。別に助けて欲しいなんて思わないけど。と、心の中で虚勢を張る。この時間、最も陽当たりが良いという窓際の良席を確保してくれている友達は、私の身に何が起こったのか気付いていないようであった。誰の助けもなく一人黙々と蕎麦を拾う。一刻も早くこの場を去りたいが故に、早急な手付きでそれを繰り返していると、ふいに視界に誰かの足が写った。こちらを向いてピタリと止まった爪先に、不審に思って顔を上げる。


「うわぁ……悲惨極まりないね」


アイツだ。


「…つ、月島………………くん」

「今呼び捨てにしようとしたデショ」


問題は今、そこじゃない。と、思うのに、それっきり声が出ない。それはそれは高い位置からしゃがみ込んだ私を見下ろす月島は、明らかに私を馬鹿にする目をしていた。奥歯を噛み締めて、悔しくて睨み返す。なんなの。何がしたいの。笑いに来たの。文句ばかり頭に浮かぶのに、口には何一つ出てこない。それは、口元は可笑しさに耐えられないという風に意地悪く歪んでいるのに、眼鏡の奥の瞳を物凄く冷徹に感じてしまったのと、コイツの考えていることが全く分からなくて、恐いからだ。心の内を読める程、私は月島という人間の人となりをまだ知らない。


「こんな大衆の面前で大恥もいいとこだよね、ほんと無様」


だからなんなの。何でアンタにそんなこと言われなくちゃならないの。自分でも痛い程に感じていることを改めて言葉にされては、もっともっと惨めになる。そもそも何故突っかかって来るの。嫌な奴。本当に嫌な奴。分かりやすく罵られて、目を合わせているのが辛くなって、私は再び床に散乱した蕎麦に目を戻した。さっきまで不快感を拭えなくて指で摘み上げていたそれを、今度は掌を大きく広げてすくい上げる。月島に対する悔しさから早くその場から逃げたくて、躊躇も吹っ飛んだ。蕎麦と出し汁と、更に塵や埃も一緒に手全体に纏わり付いて気持ち悪かったけど、周囲からの憐れみの目と意図の分からない月島の目から早く逃れたかった。願いが通じたのか、その内に月島の爪先がくるりと反転し見えなくなった。そのことにホッとしたのも束の間。汁までもが飛び散ったその場は中身を拾っただけでは綺麗にならず、雑巾を借りて来なければと更に憂鬱になる。床に置いた盆の上に、すっかり汁気のなくなった蕎麦とぐちゃぐちゃになった葱の塊を集め終えると、片膝を付いて脚に力を入れた。


「はい」


が、立ち上がるその前に、目前に今し方取りに行こうと思っていたそれを突き出される。困惑しつつ泳いだ視線でそれを持つ手を辿り、その先の腕を辿り、行き着いた先の顔に声が出なかった。


「わざわざ持ってきてあげたんだけど、礼とかないの?」

「あ……………ありがと…」

「は?何?小さくて聞こえなーい」

「ありがと………!!」


二回目を言い切る前に、雑巾をもぎ取った。親切なの嫌味なのどっちなの。複雑な思いで、私は月島から奪ったそれを床に投げるように落とした。予想外の出来事に騒つく胸は、どう繕っても無駄で手付きが荒くなる。乱雑な動作で必死に床を拭き終えた私は、水分を吸って重くなった雑巾を片手に、傍らに置いてあった盆を持ち上げようとして、それが無いことに気付く。反射で顔を上げると、月島の背中が見えた。もう既に小さくなりつつある彼は、食堂脇の返却口にそれを置いた後、再びこちらを振り返った。無表情な顔がこちらを見ている。何も言えないでいる私に対して、向こうも何も言わない。数秒後、月島が口元に宛てた掌の中にプッと小さく息を噴き出す素振りをする。が、直ぐに目を逸らして、食券カウンターへと向かっていった。その仕草に一度収まりかけた羞恥心と苛立ちが再度ぶり返す。なんなの。本当に、なんなんだ…!腹立たしいこと極まりないのに、しかし、彼からまさかそんな道徳的な親切を受けるだなんて思ってもみなくて、私は混乱していた。


「妙子ちゃん!遅かったねぇ〜!列混んでた?」

「いや…………蕎麦ぶち撒けて買い直してた」

「えっ!?嘘っ…!遠くて気付かなかった!ごめん助けてあげらんなくて…!」

「あぁーいいのいいの!一人で勝手にミスっただけだから。それに……、」

「それに?」

「あぁ…………手伝ってくれた人いたから」


それが月島だなんて、認めたくない。へぇ〜誰?などと聞いてくる友達たちを前に、正直に言うのが何故か悔しくて。


「…………知らない人」


つい嘘をついた。その瞬間、胸の辺りに何か黒々しい異物が堕ちた感覚がしたが、それはきっと月島への不信感だろうと騒めきの正体に決着を付ける。嫌な奴だと思うのに、あんなことをされて人並みに良心は持ち得ているんだと知ってしまうと、人として貶せなくなるではないか。そういうことも含めて、やっぱり嫌いだと思った。そう思ってしまう自分が、何だか嫌だった。

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