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ネコの尻尾。
【42/54】
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92.
感情制御不能。


真っ白に艶めく車体。滑らかな曲線美を描くボンネット。太陽の光を反射してキラキラと輝く、純銀細工。


「………今日はロールスロイスか」

「あぁ?何か言ったか?」

「いえ、なんでも…」


案の定、見るも豪勢な華やかさを讃えてやって来た跡部。地面に降り立つ間際に、私が密かに呟いた声が聞こえたらしく彼はつるりと美しいその眉間に皺を寄せていたが、何と言ったまでは分かってなかったようでそのまま鼻を鳴らしてツカツカと車体の後方へと歩みを進めた。


「おらよ、御所望のブツだ。受け取れ」


どこのヤクザだってんだよ。と、思わずツッコミを入れたくなるようなセリフだったが、それを発したのが跡部景吾だというだけで唯の口の悪い金持ち坊ちゃんの傲慢にしか聞こえないから不思議である。なんて事は到底本人には言えない。そんな事を思いながら、私は跡部が開けたトランクの中を一緒に覗き込んだ。


「ありがと、助かった」


そこに積まれていたのは、大きめの段ボールが計4つ。確認の意味をこめてその内の一つを開けてみると、綿がたっぷりと入って箱から出せばたちまち膨らむであろうドレスの裾がフワリとはみ出た。


「これ、もしかして一箱につき一着…?」

「んな訳あるかよ。主役のが特別ボリュームあるだけだ」


両手で抱えるように持ち上げてみたら大きさの割に思いのほか軽かったので、まさかと思って問いかけると跡部が呆れたように言う。自分でも半分予測していた通りの答えに、私は曖昧に苦笑いを返した。


「じゃ、さっそく運ぼうか」

「了の解っ!一人一箱ね」

「は〜い!あ、部室でいいんですよね?」


昼間、早く跡部へ連絡を入れろと急かした張本人であるゆかりちゃん、そして事の経緯を説明して一緒に来てもらった高坂ちゃん。放課後を待ってわざわざで神奈川まで送り届けてくれた跡部の好意にそれぞれ礼を口にしながら、ツヤツヤと眩い輝きを放つロールスロイスには似つかわしくないダンボールを、私たちはトランクから手分けして運び出した。


「残りもすぐ取りに来るから、少しの間ここで待っててもらっていい?」

「アーン?人手はお前らだけか?ったく……しょうがねぇ」


しかし私たちは3人。ダンボールは4つ。一人一箱では全てを一度に、という訳にはいかないので跡部に少しの間待機してもらうしかなさそうだと思っていたら、なんとお坊ちゃんは舌打ちをしながら残りの1つを胸に抱きかかえた。


「お前らのとこにも野郎どもが沢山いるだろうがよ……ったく、何で連れて来ねぇんだ。もしくは台車の一つや二つでも用意すべきだろうが」


まさか。と、思ってる内に、跡部様は小言混じりにすたすたと歩き出す。足早に進みながら「さっさと案内しやがれ」と言い放つ跡部に、慌てて私たちはその後を追った。その間際、校門前に横付けした状態のロールスロイスの窓から、「申し訳ございません!今日は私と坊っちゃまの二人だけで来たものですから…!」と、運転手らしきおじ様の恐縮する声が聞こえた。学校の正門からは関係者以外の車両の入門は禁じられている。職員駐車場には客用スペースもあるのだが、それだと敷地内のかなり後方となるので、荷物を運び入れるに当たり部室棟に近い北門まで来てもらった訳だが…。成る程、道路脇に停車しているだけの状態で、駐禁でも切られたらたまったもんではない。車を無人にする訳にはいかないという、跡部としてはそれも加味しての行動だったんだろう。ほら、やっぱり、


「跡部さんて何気に良い人ですよねー、ナルシストの割りに」


なんて彼には聞こえないように小さな声で零した高坂ちゃんに、私もゆかりちゃんも小さく笑いを零しながら頷く。お家柄と顔の淡麗さが、更に輪をかけてそれを利点として際立たせてしまう彼の後姿に、私たちは目配せをし合って笑った。しかしながら、校舎が近付いて来て、はたと気付いた。ちょっと待てよ。そんな跡部だよ。氷帝だよ。ここは立海。


ーーーきゃあ!
ーーー何でいるの!?
ーーーめっちゃカッコイイ!
ーーーねぇ!?あれ誰!?
ーーーヤダ知らないのー?
ーーー跡部様だよ、ア・ト・ベ・サ・マ!!


予想通り、敷地内を歩き進むにつれて注目の的となる氷帝生の跡部。他校の制服を身に纏っているだけでも部外者として目立つというのに、一際派手なオーラを身に纏う跡部は尚更。その存在を知ってる人も、知らない人も、彼の姿に多かれ少なかれ目を惹かれているようだ。当の本人といえば注目されることに慣れているのか全く気にする素振りも無く、言われた通り部室を目指して一直線。練習試合で何度も来ているからなのか、もはや迷う素振りもなく先陣を切って歩き進んでいく。その躊躇の無い足取りや、いつでもすっと伸ばした背筋は美しく、その後姿だけでやたらナルシー。段ボールでも手にしてなければ、直ぐ様カメラに収めたいところだ。


「オイ」

「え、何?」

「アレ、お前らんとこのエースじゃねぇのか」


と、やがてその背中がピタリと止まった。両手が塞がっている為に、やや顔の向きをこちらに傾けて眼だけでそれを指し示す跡部。その目線と、僅かに動いた顎の先を私は目で追った。本校舎からやや離れた、部室棟に向かう途中の道すがら。歩道から少し横に逸れた給水場の辺りに、切原が居た。しかも一人ではない。奴と向き合うように一人の女生徒が立っている。やや俯くようにして顔を傾けているので表情はよく見えない。しかし、


「ハッ、やるじゃねぇの」


跡部が揶揄するように鼻を鳴らしたのも頷ける程、シチュエーションとしては間違いない。告白シーンだ、これは。声までは聞こえないが、女の子の方が二三何かを口にしたのが遠目でも確認出来た。その途端、やけに赤く染まった両者の頬が、更にそれを裏付けた。所在無げな手をポケットに突っ込み、居心地の悪そうな気まずそうな切原の困り顔は、今まであまり見たことが無い種類の表情で少し面白い。思いっきり戸惑っているのが赤ら様だ。


「やだっ初めてかも〜!人が告られる場面見たの〜」

「しかも切原くんってのがね…貴重なシーンに出くわしたね」


ゆかりちゃんもそれは同様だったらしく、耳元でヒソヒソと私たちは囁き合う。覗き見をしようという訳ではないのだが、自然とその脚が止まってしまうのは人として仕方ない。好奇心という物は人間なら誰しもが持っている習性だ。


「………オイ。こいつ、なんかヒデェ顔してるぜ」

「はい?」

「あっ、実希子っ…」


この後どうやって切原をからかって遊ぼうかなぁ、なんて、少々人の悪い考えを脳裏に浮かばせていたら、跡部が今度は高坂ちゃんの方を顎で指し示す。振り向けば大きな瞳を分かりやすく潤ませた彼女が居た。口元も心無しか歪んでしまっている。途端に影が落ちたような昏い表情となった高坂ちゃんは、一度だけ大きく息を飲み込むとそのまま無言で脚を踏み出した。一言も発しない辺りがいつもの彼女らしくない。最後方を歩いていた高坂ちゃんは私とゆかりちゃん、跡部もを追い抜かし大股でずんずんと歩き進む。


「成る程。案外モテてやがる」

「茶化さないであげてよ、真剣なの」

「ハッ!マジなら横入りするぐらいの勢い持てよ」


そんな彼女の様子を見て後に続くよう私たちも再び歩き出すと、その無言の背中を見つめながら全てを察したのか跡部がポツリと零した。内緒話なんてするタイプではないだろう跡部の声は、当然高坂ちゃんにも聞こえているはずだ。彼女の心情を察してフォローするも、更に跡部は強い口調で言い放った。


「それが出来たら苦労しないって」

「なんだ、テメェもハッキリ言えねぇ質か?」

「ハイハイ、そうかもね」

「面倒くせぇな。言いたいことがあんなら、さっさと言っちまった方が気持ちがいいだろが」


そんなの時と場合による。人の目なんて気にせず猪突猛進に行ける奴もいるだろうが、世の中そんな奴ばかりではない。しかし彼自身は自分の感情にブレーキをかけるようなタイプではないのだろうし、だからこそ、そういう奴の気持ちが理解し難いんだろう。そう思わせるには充分な程、跡部は堂々とした態度で言い切っていた。それが出来れば誰も苦労なんかしないんだって。皆、恋に悩んだりしない。


「あたしは跡部くんに同感だなぁ〜」


と、内心で跡部に文句をつけていた私だったが、思わぬ所から賛同の声が上がる。


「あんな場面見て焦っちゃうぐらいなら、我慢出来なくて口から出ちゃいそう」

「あぁ……確かにゆかりちゃんはそんな感じするけどねぇ。考えるより先に言葉が出るタイプ」


口が軽いんだと、自らのコンプレックスを以前明かしてくれた彼女は私の言葉に屈託無く笑った。そんな風に感情の表現がストレートなのも、そう思った一因である。


「そういうもんだろ。うかうかして、誰かに取られちまうってのも癪に触るしなぁ?」


他者からの共感を得られて得意気になった跡部は、尚も持論を続けて不遜に鼻を鳴らした。その瞬間、ピタリと高坂ちゃんの脚が止まる。同時にドサリという音がして、気が付けば彼女が手にしていた段ボールが地面に垂直落下していた。


「あ!み、実希子……!?」


そのまま無言で駆け出した高坂ちゃんに何事かとゆかりちゃんが声を掛けるが、彼女は振り返りもせずたった今来た道を引き返す。呆気に取られて見つめているしか出来なかった私たちの目の前を通り過ぎ、高坂ちゃんは一直線に走って行った。何処に。誰の所に。答えは聞かなくても分かる。そして、既に先程の女生徒が立ち去り一人立ち尽くしていた切原の元まで辿り着いた彼女は、その両肩に手を乗せグイと乱暴に引っ張ると勢い任せにキスをした。見ているだけだというのに、その光景に痛いぐらいに心臓がドキドキした。


「ほぅ…やるじゃねぇか」

「うわ!うわぁっ…!!すっ、すごい!すごいよ跡部くん!!あの子、一年も前から片想いしてたのよ!?」

「ッイテェな…!俺様を叩くなよ…!」


同じくその光景を眺めていた跡部とゆかりちゃんがそれぞれに口を開く。思わず、といった風に衝撃のまま跡部の肩口を片手でバンバンと叩くゆかりちゃんの横で、私は高坂ちゃんの突発的行動をただただ黙って見ていた。何がどうしたというんだろう。いつまでたっても口喧嘩ばかりを繰り返し、一向に進展する気配がない二人だったのに。その事に悩み続けていた高坂ちゃんだから、きっとゆっくりゆっくりと恋心を育むのではないかと思っていたのに。急すぎる展開に、やたらと心臓が煩く鳴る。


「ほらな?人間、メーターが振り切れりゃあ、頭で考えるより先に体が動くもんなんだよ」


至近距離で重なっていた二人の後輩たちの顔がやがて離れると、慌てた様子でたちまち走り去ってしまう高坂ちゃん。顔を真っ赤にさせて呆然と立ち尽くす切原はその場にポツンと残されている。そんな様子に尚も跡部が乾いた笑いを零しながら言った。

跡部の言葉に…………自分の事を考えた。正しくは、自分の身に起きたことの数々を。一番最初の時も、プールサイドの時も、それを拒んだあの日も。仁王はそれを行動に起こすような素振りなんて見せなかったし、予告などしなかった。何を考えているのかサッパリ分からなかった。しかし、跡部の言葉を引用すれば、あの時の仁王は何も考えていなかった…のか…?


「んで、コレどうすんだ?」

「そりゃやっぱアイツに手伝わせるしかないっしょ!………オーイ!切原くーん!」

「っ!?げっ…!!せ、先輩たちいつからそこに!?っつーか何で跡部さんがいるんスか!!ハッ?!ままままさかっ今の見てて…!?」

「あぁ、実に面白い余興を見せてもらった」

「げぇぇぇぇぇっ…!!!」


赤い顔が一転、途端に顔を真っ青にさせた切原。多くは語らずひたすらニヤニヤ顔で近づいた私たちは、高坂ちゃんが投げ捨てていった段ボールを切原に運ばせることにした。しかしその道中では、切原へは何一つ言葉は掛けてやらない。否、掛けられなかった。思いの他に切原が真面目くさった顔をしていたからだ。

しかし、私たちが言及しないのがかえって気分を落ち着かなくさせているか、切原は終始無言のままずっと眉間に皺を寄せていた。高坂ちゃんが勇気を出した結果がどうなるのか、それは切原に委ねられている。先輩としてはからかいたくなる気持ちもあるが、珍しく深い溝をこしらえた切原のオデコを見て、私もゆかりちゃんも目を見合わせて小さく笑うだけに留めておいたのだ。


「んで。アイツらの姿が全く見えねぇが、何してんだ?」


それが意図としてだったのか、そうでなかったのかは不明確だが、影の立役者となってしまった跡部は、だがしかし大して切原を気に留める様子もなく、代わりに小さな疑問を投げかけて来た。その単純な問い掛けに「シンデレラの練習中、元レギュラーが主要キャストだから」と答えれば、「……お前らがやんじゃねぇのか?」と真顔で更に質問を返される。どうやら私たちマネージャー陣がこの衣装を着ると思っていたらしい。普通に考えれば当然だ。このふわふわのドレスを野郎どもが着る為に要請されたとは、なかなか思いつかない。そこで皆で決めた配役のアレコレを跡部に説明してやると、奴は一瞬の間を空けた後に今日ここへ来て一番の笑い声を挙げる。


「ハッハッハッ!あの真田が王子とはな!なかなか期待出来そうじゃねぇの」


そして部室棟の階段を上がる最中、そう言い放って不敵に笑った。


next…


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