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ネコの尻尾。
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89.
託す者、担う者。


二学期が始まって、もう一週間が経とうとしていた。慌ただしい学校生活の日々が再び戻り、朝登校して制服姿の多くの生徒たちとすれ違うたびに新鮮さを感じていたのも束の間。ついこの間夏休みが終わったばかりだというのに、既に週末が待ち遠しい。


「あぁ〜あ、遊び足りな〜い」

「なんかやり残したことでもあるの?」

「ない!けど〜!もっと遊びたい〜」


四限目の授業が終わって間もなく。騒がしくなった教室で私の元へと歩み寄って来たゆかりちゃんは、そう言うと隣の椅子に座ると机に突っ伏すように倒れこんだ。手足を大袈裟にバタつかせている姿が可愛くて苦笑いする。

始業式の日、夕暮れ時の公園のブランコ。あの日に話したことは、お互い口に出すことはもう無かった。私が頑として首を縦に降らないからか、ゆかりちゃんなりの優しさか。あの日に思わず多弁になったことを自分自身では後悔しつつも、やはり、私の正体を明かした時と同様に、私の気持ちを知っていながら深く詮索して来ない彼女には本当に感謝していた。皆はゆかりちゃんを口が軽い口が軽いと揶揄するが、こういうことがあると必ずしもそうとは言い切れないんじゃないかな。などと、普段と何も変わらぬ様子のゆかりちゃんを考察しつつ、私は掌の中の携帯画面を眺めた。今朝になって届いた母からのメール。本文にはこんなことが書かれていた。

『お父さん、何も今直ぐにっていうつもりじゃなかったみたいよ。今後進学するにあたって、高校はこっちに通ってもいいんじゃないか?とか、そういう相談をしたかったのよ本当は。透子に反論されて上手く言えなくなったのね、きっと。だから、アンタもこれからのことを良く考えてみること』

喧嘩別れのようになっていた私と父の間を、母が懸命に取りもってくれていた。本来は私から先に父に謝るべきだったんだろうな…。何があったにせよ、せっかくアメリカから来てもらったのに、険悪ムードのまま帰らせることになったのだから。しかし、ここで素直に謝ったら再びあの話をぶり返されて、無理矢理アメリカ連れていかれる流れになったらどうしよかという思いもあった。が、そんなのは杞憂だと言わんばかりの母からの優しい言葉に、私は胸を撫で下ろしていたのだった。


「お待たせ」


一人静かに息を吐き出し携帯を制服のポケットにしまい込んだと同時に、頭上から降って来た声に顔を上げる。目の前には幸村が立っていた。柔かに微笑む彼と軽い挨拶を交わしつつ、私とゆかりちゅんは席を立った。約一ヶ月後に控えている文化祭の話し合いを兼ねて、本日は幸村を含めて共に昼食を取る約束をしていた。

ゆかりちゃんと幸村はクラス違いの彼氏彼女の関係である。授業の合間を縫っての逢瀬に私はお邪魔虫か?…という気持ちから一度は辞退しようとしたが、「皆がいる場所で変に気遣ったりしたら怒るよ?」、というゆかりちゃんの言葉に押されてしまった。


「今日は何食べよっかなぁ〜、杉沢ちゃんどうする?」

「ん〜……うどん」

「え〜!それだけで足りるの?」

「最近胃もたれしてて、お腹に優しいもの食べたい。夏バテでもしたかなぁ」

「それ、歳のせいじゃない?」

「なっ……!!」


そんな二人と共に長い廊下を歩いている最中、何気無い会話に突如皮肉をぶち込んで来る幸村。思わず反射で睨むと、得意気に鼻を鳴らす彼。誰にも話さないと約束した代わりかなんなのか、幸村は時折こうして私をからかう事が増えていた。相変わらずなストレートな物言いに、反応に困ることもしばしば。


「否定出来ないのが悔しいからホントやめてよね…」

「ねぇ、歳を重ねると食の好みが変わるって本当なの?」

「もうー!そういうこと学校内で言うのやめなよ精市くん…」


呆れてため息混じりに懇願するも本人は涼やかな顔。見兼ねたゆかりちゃんが私と似たような表情をして幸村を嗜めるというのが、ここのところパターン化している。しかしそれもまた、私にとっては有難いことでもあったりする。ゆかりちゃんとは逆に無遠慮に踏み込んで来る幸村だが、真実を知っている奴の前では既にあれこれと取り繕うことはもはや無意味で、ありのままの感情で受け答えするしかない。それがかえって無駄な肩の力を入れずにいられるのだ。気まずさと安心感、相反する感情が共存しているのは自分自身でも変な感覚ではあるのだが……。


「あ」

「アンタ…」

「久しぶりだね」

「まぁ〜ね」


そんな風に幸村にからかわれながら海遊館に続く通路を歩き進んでいると、これまた懐かしい顔を見つける。すれ違いざまに声を掛けたら、相変わらずのつっけんどんな返しと表情に思わず頬を緩ませた。


「焼けた?」

「夏だもん、日焼けぐらいするし」


単純な疑問を口にしただけだというのにこの切り返し。約一ヶ月ぶりに会う蛹ちゃんはやっぱり蛹ちゃんで、予想通り過ぎる彼女の言葉に笑った。「それもそうだ」と簡単に答え、互いに軽く手を上げながら通り過ぎる。こんな風に挨拶を交わし合えるようになったことだけは、一学期とは少し違った関係性になっているのかもしれない。


「あの子、真田の」


そんな私と蛹ちゃんのやり取りを見て、幸村がポツリと零した。以前から真田の周りをウロウロしていたというから、幸村も蛹ちゃんの顔には見覚えがあったんだろう。


「そうそう!最近すっかり大人しいよ〜」


いや……。例えば幸村に見覚えがなくとも、ゆかりちゃん情報によって知っていたかもしれない。「あれが噂の」なんて呟いて、軽く口元を歪める幸村は少しだけ楽しげでもあった。そういえば、幸村の精神崩壊により皆がしょげていた時、蛹ちゃんが真田に一喝を入れた様子を誰かが携帯で撮って幸村に送りつけていたはず。彼が此処に居られなかった間の穴を、皆が必死で埋めようとしての行動だ。それのおかげか、幸村は蛹ちゃんの後姿に新しい玩具を見つけたような生き生きとした眼を向けていた。


「そういえば…あん時の杉沢ちゃんカッコよかったな〜」

「え?いつ?」

「ほら〜!仲川さんが泣いた時!部室で色々言い聞かせてたじゃん?」

「あぁー……そう?」

「ビシッ!って言ってやった感じ」

「それ言うなら、私は球技大会ん時のゆかりちゃんカッコイイと思ったけど」

「え!?ウソ!?」

「ホントホント。誰になんて言われても動じない感じが」

「何の話だい?それ、詳しく」


それは僅か三ヶ月ちょっと前の出来事だったが、もはや懐かしくも感じる。春だった季節が夏を迎え、それももう時期終わる。過ぎ行く季節をもの悲しく思いながら、私たち三人は他愛ない話をしながら尚も歩き進んだ。


「あ!こっちっス!幸村部長!」


海遊館に入ると、私たちの姿を見つけて切原が手を上げるがの見えた。その声に微笑みを返した幸村は進行方向を変え、切原が着いているテーブルへと向かい出したので、私たちもその後に続く。切原の横には高坂ちゃんも座っていた。


「遅れて済まない」

「待たせたな」

「いや、俺たちも今来たとこさ」


加えて柳と真田も現れた。切原がいることも、高坂ちゃんがいることも、更にこの二人まで集められていたことを知らなかった私とゆかりちゃんは、揃って目を見合わせた。


「さて……。この面子で何の話をするか、分かる?」


しかし、皆が座ったタイミングを見計らい間髪入れずに口を開いた幸村の言葉にモジャモジャ頭がピクリと揺れた。同時に、私もなんとなく幸村の目論見を察した。


「……ハ、ハイ!」


その鋭い視線と声色に、口を半開きにしたまま呆けていた切原だったが、数秒後にはいつになく力強い返事が返ってきた。そして開いていた口が真一文字に閉じられる。多分、本人としては今日この場に呼び出された時から予測していたのかもしれない。当事者でもない私でさえ、この顔ぶれには漠然とだが考えつくことはあった。


「俺は次期部長にするならお前しかいないと思っているよ」

「……は、はいっ!」

「やれるかい?」

「…や、やります!俺も、誰にも譲りたくないッスから。上手くやれんのか、自信はないっスけど、でもやるしかないっス!」


案の定、幸村の口から出た言葉に切原は一にも二もなく、直様返事を返した。まるで聞かれることを事前に分かっていたかの様だ。拙いながら懸命さが伝わる声色。それを聞きながら心配そうに切原を見つめる高坂ちゃんの方がよっぽど不安そうに見えて、なんていうか、凄く可愛らしくて、不謹慎にも笑いが込み上げた。


「二人は?」

「あぁ、異論は無い」


僅かに視線を横に流した幸村が問いかけると、柳は特別に気構えた風も無くさらりと言った。その言葉に切原は小さな息を吐き出す。が、直ぐに再び肩を強張らせた。その様子をゆかりちゃんと共に固唾を呑んで見守る私は、切原の視線の先を追う。


「真田」


呼び掛けたのは幸村。腕を組んだまま険しい顔を崩さない彼がどんな言葉を口から出すのか、皆が注目し視線が集まる。


「……やれるのか?」

「や、やります!」

「簡単な事ではないぞ」

「わ、わかってるッス」

「部員の模範とならねばならぬのだぞ」

「わ、わかって、ます…」

「お前にそれが出来るのか?」

「で、できま……っつーか、やらなきゃなんないなら、やるしかないっス!!」


先ほど幸村が口にしたのと似たような言葉を真面目腐った顔で繰り返し念を押す真田の厳しい口調に、切原も切原で似たような返事を返していく。二人の間の緊張感が高まる中、事もあろうか、幸村は彼らには聞こえないよう必死に笑いを噛み殺していた。

オイオイ…何を笑って…と、内心突っ込みを入れていたら、ふと見たその向こう側では、伝染したのか柳も口元を軽く抑えているじゃないか。


「お、お父さんっ……」

「やめないか、精市」


そんな彼らの囁き声など全く聞こえていないであろう真田と切原の睨み合いは更に続く。末席に着いていた私も、幸村と柳、真田と切原、それぞれのやり取りを複雑な心境で眺めていた。それは、ずっと目に掛けていた可愛い後輩に対しての、彼らなりのそれぞれの優しさにも見えた。


「うむ……覚悟があるなら、それでいい。精進しろ」

「え。ねぇ、あれだけ厳しいこと言っといて最後の締め甘くないっ…?」

「なっ…!?精市!何故笑う!?」


やがて切原との睨み合いから視線を外した真田に、幸村が笑いを堪え切れなくなったという風に吐き出す。予想外の事を言われた真田が焦った様子で噛み付くと、その場の緊張感はいよいよ無になってしまった。おまけに、そのまま一人笑う幸村のせいで場の空気は一気に柔らかいものになる。


「あ、あの!俺が部長に相応しいとか、そういうの自分でもわかんないっスけど、でも自分以外の奴にはやらせたくないッス!…たぶん、青学は海堂が、氷帝は日吉が次期部長になるんスよね…?そん時に俺がそこに居ないのはなんか悔しいっつうか、負けたくないんスよ!っつうか負けねぇし!だから、やります!俺」


しかし、その緩んだ空気を裂くように切原が言った。それこそ誰もが予想外で、一瞬にしてざわめきが止まる。他生徒たちの話し声がやけに大きく感じる程に、その場だけが数秒間、静寂した。


「な、何か変なこと言いました…?」


皆が彼を凝視し、途端に不安顔になった切原が弱々しく零す。私はといえば、そんな切原が無償に逞しく思えた。なかなかカッコイイとこあるじゃないか、と少しばかり誇らしい。


「うん。決まりだね。これからの立海テニス部を頼むよ、切原」


そして、最後は満足気に頷いた幸村の言葉でその話は締め括られた。心なしかその表情には嬉しそうにも見えて、先ほどから一言も口を挟まず見守る側に徹していた私やゆかりちゃん、高坂ちゃんのマネージャー陣もホッと息をついた。

なんだか、新しい時代の幕開けに立ち会ったような気がする。幸村、真田、柳の三強が引退となり、切原がトップに立ち皆を先導して行く日が一歩一歩、着実に近付いている。そこれこそが彼らが生きている証。まだ誰も見た事のない未来。その日々がどんなものになるか想像しながら、私たちは毎日を過ごしていくのだ。これから先の未来は、私も彼らと同じ目線で生きて行けるのかもしれなかった。邪念など持たずに、ただただ純粋に前だけを見て…。

私が覚悟を決めればそれは容易く叶えられる。そんな想いがまた私の進むべき道を惑わせ、そして胸を痛ませるのだった。


next…

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