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ネコの尻尾。
【35/54】
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85.
猶予3日のとある日。


「何よコレ、ほっとんど残ってんじゃないのよ…」

「センパ〜イ!助けてくださ〜い!」


目の前に広げられた数々のテキストや問題集に呆れ返ると、切原は涙目になりながら訴えて来た。夏休み終了まであと3日。残っていた課題を皆で一気に片付けないかと、柳に誘われて出向いたファミレスで待ち構えていた光景に、私は唖然とする。


「おかしいと思ったのよ、柳がそんなこと言い出すなんて」

「悪いな。流石にこの量は一人では無理だと判断した」


ゆかりちゃんや高坂ちゃんにも同様の連絡があったと知り、それならば良い機会かもと来てみれば。どうやら宿題の大半を手付かずにしていた切原が、ギリギリになって柳に泣きついて助けを求めたらしい……という状況を、私はテーブルいっぱいに散らばったテキストやノートの類を見て理解する。柳の傍では、ジャッカルが眉間に皺を寄せて頭を抱えていた。


「予想通りっていうか、なんていうか。なんか脱力したらお腹減っちゃった…。とりあえずご飯食べていい?」

「ああ、そういえば昼時だな」

「ちなみに何時からやってんの?」

「9時だ」

「お、お疲れ…」


ということは、朝っぱらからずっとここを占拠していたということか。眈々と答えた柳がかえって哀れにも感じ、労りの言葉を掛けるとメニューを広げつつ周囲を見渡す。朝から居座られて、店側からはさぞかし訝しげな目を向けられているのでは…と思ったのだが、似たような学生の集団があちらこちらのテーブルに見掛けられ、私が押した呼び出しベルに気付き注文を取りに来た店員も別段気にする様子はなかった。これも一種の夏の風物詩なのだろう。


「杉沢ちゃん、あと何残ってる?」

「英語。と、……自由課題」


ドリンクバーから私の分のグラスにアイスコーヒーを注いで来てくれたゆかりちゃん。問い掛けられ、隣のテーブルでわぁわぁ喚きながら課題を進めていく切原に横目を向けながら答えた。雑談も許さないような厳しい柳の監視の元、必死な形相でペンを走らせる切原が可笑しい。

ちなみに、自由課題とは家庭科の授業から出された宿題で、工作でも研究発表でも何でもいいから、自分で考えて何か一つ創り上げろという課題であった。自由研究という言い方もある。基準は自作であること。家庭科のテキストにある分野から抜き出せとは一応言われているが、図工的なものであれば可というアバウトさ。逆に自由過ぎて何に手を付けていいか分からない、と生徒たちからは最も頭を悩ます課題だと言われている。


「何にするかは決めてあるの?」

「ん〜、適当な写真選んでパネルにしようかなって」

「そか!杉沢ちゃんならその手があったか…!いいなぁ〜特技あるって」


ストローを咥えたまま溜息混じりに言うゆかりちゃんに小さく笑い、やがて運ばれて来たナポリタンを頬張る。高坂ちゃんは数学の課題が終わってないのだと言い、早々に持参したテキストの類を広げ始めた。


「実希子〜ご飯食べないの?」

「あたし食べて来ちゃったんでいいです!それより……柳先輩!これ全然わかんないんですけど〜!」


分からないところがあれば聞いてくれて構わないという柳の言葉に、高坂ちゃんは遠慮する様子もなく彼を質問責めにしている。困った後輩がもう一人増えてしまったと柳は眉間に皺を寄せたが、当人のそんな素振りもなんのそので突撃していく高坂ちゃんは実に逞しい。私と同様に食事を進めながらも、聞かれた問いに律儀に答えてやる柳や、切原のヘルプに箸を全く進めさせてはもらえないジャッカルに口元が緩んだ。

こんな風にしていると、あまりに和やか過ぎて一瞬忘れそうになる。私がこの輪の中で異質な存在であることを。……どうやら、ゆかりちゃんも幸村も本気で皆には言わないつもりらしかった。いや、仁王にはアッサリと暴露してしまったのだが、だからと言って何か状況を変化させようという気配は、二人からは微塵も見られなかった。家庭科の課題ではないが、逆にどうしていいか分からない。これからどうするかは自分で決めろという自由が、今の私には息苦しくもある。ただ、二人に真実を知られても尚、これまでとなんら変わらぬ生活を送れているのは有難いことだった。


「だぁぁぁ〜!終わりが見えねぇ…!」

「溜め込むからいけないんでしょ!怠けてたお前が悪い」


時折り雄叫びを上げてはその都度、誰かに否される切原に笑いつつ、頼んだ昼食を平らげると私たちも課題に取り掛かる。とはいえ、切原ほどには切迫詰まる量ではなかったので、雑談を挟みながらでも小一時間少々で片付いてしまった。そこからは底の見えない課題の山を抱えた切原を手伝ってやることになる。最後まで溜め込む典型的な怠け者。やはりこいつは嫌な事を後回しにするタイプかと、切原の性質を脳裏にインプットした。


「遅くなったね」


と、そこへ爽やかな声が降って来て顔を上げると、いつの間にか幸村が私たちが座るテーブルの傍に立っていた。


「どうだ、調子は?」

「うん。問題なしだよ」


通院の為に合流が遅れるといっていた彼に柳が声を掛けると幸村は柔らかく笑い、どこかしら皆がホッとしたような表情を浮かべていた。もちろん、それは私も同じ。


「それよりさ、今面白いもの見て来たんだけど」


と、席に着くなり携帯を取り出して楽しげな笑みを浮かべる幸村は元気そのもので、何事かと皆一斉に身を乗り出す。今まで柳に差し押さえられて大人しくしていた切原も、皆に便乗して軽く腰を上げた。


「プッ…!!なんスかコレ!!」


幸村の掌の中を見て真っ先に噴き出したのは、その切原だ。遠慮がちに口元を緩ませるだけだった面々も、切原の大笑いに釣られてあっという間に声が大きくなった。


「珍しいもの見た気分で、つい撮っちゃった」


狙い通りのウケが取れて満足なのか幸村は得意気に鼻を鳴らす。欲しいなら画像転送するよと彼が言うと、我れ先にと皆手を上げたので結局その場にいた全員に一括送信された。当然私にも送られて来たそれを、自らの携帯で再度確認してまた小さく笑った。


「この子たち、何なんですか?」

「真ん中にいるのが弟のアキくん、その他は従兄妹とか親戚の子だって」


同じように自分の携帯を覗き込んでいた高坂ちゃんが堪らず問い掛けると、幸村は待ってましたと言わんばかりに嬉々として話し出す。

幸村の話を要約すると、仁王家に集まった親戚連中の子守役を押し付けられた仁王が、チビっ子たちを連れて外に出ていた所に幸村が偶然遭遇したとこのこと。幸村が携帯で写して来たのは、コンビニのレジカウンター前で3歳くらいの女の子を左右それぞれの腕に一人ずつ同時に抱き抱え、更にその脚に数人の幼子を群がらせている仁王の姿。いつもの無表情が、心無しか疲れているようにも見えて可笑しい。


「だから仁王は来ねぇのか」

「ああ。明日は法事があるらしい。今頃は集まった親戚の相手で忙しくしてるんじゃないか?」


おそらくは私に寄越したのと似たような連絡を仁王にも入れたんだろう。納得したように苦笑いするジャッカルや柳の言葉に相槌を打ちながら、頭の中では仁王がらしくない子守役をしている様子を頭に思い浮かべた。あんな風に小さい子に囲まれると、仁王もそれなりにお兄さんになるんだろうか。自分だって充分あどけない顔をしている癖に。と、何故か急に先日の夏祭りで見た仁王の様子が蘇った。幼児のように口を尖らせてみたり、真っ直ぐ歩けないと突然笑ったり、まるで駄々っ子みたいだった。いや、あれは酒に酔ったからこその挙動だと分かってはいるが。


「幸村部長と仁王先輩んちって近いんスか?コンビニでバッタリなんてタイミング良いっスね」

「近いといえば近いかな。隣の駅だから通り道だし、歩いて15分くらい?」


そういえば先日の仁王家にお邪魔した時に見たアキくんに対する態度や言動の一つ一つを思い返せば、彼はちゃんと立派にお兄さんをしていたではないか、などと頭の中で思考を巡らせつつ。今度は切原の疑問に答えた幸村の言葉に、また別なことが頭を過ぎった。

成る程。どうりであの日、私の家から直ぐさま仁王家に向かおうとなどと思いつく訳だ。自宅が通り道ならちょっと脚を伸ばして、なんて気にもなりやすい。これが移動に時間が掛かるから日を改めてということになれば、仁王への伝わり方もきっと違ったんだろうな。

人から聞いた話は72時間以内のうちに他者に伝えるか書き起こすことをしないと、話の内容の約70%も忘れてしまうという。話の大筋という意味ではなくて、その時の感情の在り方、細かい言葉のニュアンス、表情や仕草…。話の内容に付随する様々な色付けをあっという間に、人は忘れてしまう。他者に伝えるまでの時間経過が短ければ短い程に記憶の鮮度は高く、伝える側の感情もより鮮明に相手に伝わる。きっと、幸村は私の言葉や表情、そしてそれに対する己の感情もストレートに仁王に伝えたのだろう。元より自分の気持ちに正直な奴だ。それも踏まえれば尚更に。


「ところで、なんで仁王はこんな酔っ払っちゃったんだい?」


その幸村が、今度は先日の夏祭りの夜、顔中に落書きを施された仁王の寝顔を携帯の画面いっぱいに表示させて微笑んだ。問い掛けと視線の矛先が明らかに自分に向いていることに気が付く。幸村の確信犯的な投げかけは未だ健在だ。私の正体を知ったからといって、幸村は自分を曲げることはしないと無言の宣言をされたような気がして、それには思わず苦笑いが出る。


「大して飲んでないはずなんだけどね。缶1本も空けられてなかったし」

「そういや杉沢も飲んだんじゃねぇのか」

「飲んだよ、缶ビール1本と仁王が残した分」

「そうか。仁王はアルコールに弱く、杉沢は強いと」


受け答えをしている内に、柳がノートの端にサラサラと何かを書き留めているのが目に入る。ったく目敏い。仁王に関してはそれを弱味として利用されるんだろうと思うと少しだけ哀れな気分にもなつて、また苦笑した。


「何でお酒なんて飲む流れになったの?」


と、悠長に笑っていたのだが、ゆかりちゃんがぽつりと零した疑問に、皆の視線が一気に集まる気配がした。その目がそれぞれに何かを含んだような色をしていて少しばかり焦る。


「さぁ………?」

「さぁって何ですか、さぁって!」

「知らないよ!トイレから出たら既に仁王が持ってたんだもん、飲んでみたかったんじゃない?」


望んでいた答えではなかったのか高坂ちゃんに直ぐに突っ込まれたが、私はシラを切るつもりで素っ気なく続けた。だいたい、仁王がどういうつもりだったかなんて私だって分からない。今後も問いただす気はない。こうして聞かれても困るだけの質問内容なだけに、それはさっさと切り上げてしまいたい話題だった。


「前から思ってたんだけどよ…なぁ聞いてもいいか…?結局さ、杉沢は仁王のことどう思ってんだ…?」


それをこの表情や態度から察してくれと願いながら、素知らぬフリをして手元に置いていたグラスを引き寄せたら、なんとも直球な質問を更に投げられて数秒固まる。


「よくぞ聞いてくれました桑原先輩…!ハイハイハイ!私もそれずっと気になってるんですー!」


ここぞと言わんばかりに手を挙げたのは高坂ちゃん。この勢いを逃すまいとしているのか、真正面からマジマジと顔を覗き込まれて私はやや慄いてしまう。やはり来たか…幸村が仁王の話題を持ち出した時からなんとなく予感はしていた。皆、あのいつかのプールサイドでのやり取りを目撃しているのだ。その後も幸村やゆかりちゃんと一緒になって、私や仁王を捕まえてはそれを餌に遊んでいた皆。全国大会が近付くにつれて緊迫ムードが高まるにつれ一度は落ち着いたそれが、再度ぶり返して来たんだろう…。


「で!?どうなんスか?まさか、今更何とも思ってないってことはないっスよねぇーーー」


深く溜息を吐いてなんと答えようかと考える間に、目の前に広げた問題集を解くのもすっかり投げ出してしまった切原が締まりのない顔をして言う。即答出来ずに皆の顔を見渡せば、一様に切原と似たり寄ったりの表情。幸村に至っては満足げに満面の笑みを浮かべている。何なんだその顔は。


「………ゆかりちゃん助けて」


堪らず私は弱々しく呟いた。微妙な表情で私の顔色を伺っていたゆかりちゃん。私の事情と、それを仁王に知られてしまって複雑な心境でいることを悟ってくれるのは、もう彼女しかいない。藁に縋る気持ちで隣に座る彼女の肩にダラリと腕をかけ、その背中に隠れるように身を引いた。


「おっ、女の子の気持ちはデリケートなの!!こんな大っぴらなとこで、い、言える訳ないじゃん!?」

「えぇ!?嘘つけ杉沢先輩がそんなタマっスかぁ!?」

「オイ失礼だしそれ、私を一体何だと…!」


堪らず、といった様子で口を挟んだ切原の言葉に噛みつき、少々乱暴にその頭を叩いてみたら一瞬で笑いが起きた。少々力を入れ過ぎてしまったのか、声を上げて大袈裟に痛がる切原に追い打ちをかけるように二言三言、続け様に文句を言えば更にそれは大きくなった。探るような皆の視線がようやく解除されたのを感じ取ると、私は一息ついた。全く。好奇心旺盛な彼らには、振り回されてばかり…。


「………皆の期待に添えず申し訳ないけど、仁王は友達だよ」


そして、息が整ったところで、私はようやく答えを口にした。まるで自分に言い聞かせるかのように強く言い切る。それまでの冗談めいた口調を完全に引っ込めた私の言葉に、周りの空気が瞬時に冷えたのが分かった。


「あ、そうそう。私、明日は手伝えないからね」


皆の口が一瞬止まったのを逃さずに間髪入れずに話題を変える。再び声の調子を上げて軽く言うと、柳がやや間を置いたあと頷いていた。


「……何か用事でもあるのかい?」

「ん。夏休み明けに竹内と三者面談するんだけど、明日親が帰って来るの」


何を疑っているのか知らないが、疑心暗鬼な様子の幸村に私は有りのままを伝える。いっとくが、皆にからかわれるのがもう嫌だから来ないとか、そんな分かり易い避け方はしない。単に本当に欠かすことの出来ない事情があるんだと、私は幸村を真正面から見つめて返事を返した。納得したのか、幸村は短く息を吐くと肩を竦めて「了解」と一言。次いで「じゃあ助っ人が多いうちに少しでも進めなよ」と切原に向かってピシャリと言い放つと、それまでピタリと止まっていた奴の手が慌てたように動き出した。

切原が溜め込んだ課題の山々はもはや"自分でやらなきゃ意味がない"とか、そんな悠長な事を言ってられる量ではなかった。人間の肉体の一部を選びその身体能力をA3サイズの用紙一枚にまとめよ、という生物の課題を手伝うこととなった私は、冗談半分で用紙の過半数を埋め尽くす程に大きな眼球の絵を描いてみる。切原が悪魔化した時の赤目の原因について書いてやろうと思ったのだ。どの部位を調べるのか、その選択すら私に丸投げした切原には文句を言う権利は無い。用紙左上に付けた見出し『切原の真実〜赤目の謎〜』に、奴が煩く騒いでいたのも無視。イラストだけは色まで塗ってバッチリ仕上げ、筆跡だけは誤魔化せないだろうから、わざわざ調べた内容を下書きのつもりで丁寧にシャーペンで書いてやったんだから、むしろ感謝して欲しい。

それから夕方まで私たちはファミレスに居座った。切原、柳、ジャッカルは明日も同じ時間から集まるそうで、今日参加しなかった面々も来るのかもしれない。本当に面倒見の良い先輩たちで、切原は一生皆に頭が上がらないんだろうなと漠然と思った。

夏休み終了まであと3日。
もうすぐ夏が終わる。


next…

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