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ネコの尻尾。
【31/54】
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81.
真っ赤な嘘。



「………っていう話なんだけど、信じられる?」


信じられるか、んなもん。


……目の前で幸村が口にした全ての言葉があまりに非現実的で、奴が話し終える頃には俺はすっかり呆れ返っていた。問いかけられても直ぐには返す言葉が見つからず、話しを聞きながら片手間に投げ遊んでいたダーツをまた一本、壁に向かって投じる。…くそ。突然こんな時間に二人して押し掛けて来て何かと思ったら、突然変な事を言い出すきに外してしまったじゃろが。

盛大な溜息を吐き出し、先程からゴチャゴチャと煩い声の主を俺はようやく視界に入れた。この部屋の所有者である俺を差し置いて、机とワンセットとなった椅子を陣取り不遜な態度で足を組んだ幸村は、実に嫌味ったらしい顔でこちらを見つめている。っちゅうかなんね。予告も無しに突然人ん家に来て、深刻な顔で話があるというから仕方なしに通せば理解に苦しむ話を淡々としよって。は?まさか。そんな馬鹿げた話を信じられるわけなかろうが。


「ね、ねぇ…!精市くん、いいの?」


無言で睨みを聞かせても当の幸村は至極冷静で、それでいて冗談とは思えぬ程に真顔で見つめて来る。その隣では、何に緊張しているのか知らないが無駄に丁寧な正座で俺に向き合っている笹原。彼女はおずおずと幸村の方を振り向くと、焦り顔をして言った。


「い、言わないって約束したんじゃなかったの?」

「あんなのは嘘。杉沢さんだって俺たちに嘘をつき続けていた、お互い様さ」

「ちょっ…いや、それは、杉沢ちゃんだって致し方なくであって…!」

「それは分かってるよ」

「分かってるなら何で!なんていうか、こんなアッサリ裏切るなんて…。あ、あまりにも可哀想ではないのかと……!」


呆けている俺を他所にお節介カップルが何やら揉めている。待て待て待て。よう話が見えんぜよ……。いや。今しがた話されたことは確かに聞いてたが、なんちゅうか…、


「突拍子がなさすぎじゃろ……」


ようやくそう一言声に出した俺は、言うなり続け様に再び溜息を吐き出した。あまりに現実味がなさすぎて思考が回りきっていない。俺は声を出す代わりに、間を持たせる為に手の中で転がしていたダーツの内の1本を、再び壁に向って投げ込んだ。…5のシングル。それもボード上で最も広く取られた陣地の一つ。ブル狙いだったのに…どうやら自分は集中力に欠いているらしいと気付いて、眉を寄せた。

宙に浮かしていた手で後頭部を軽く掻くと、俺は力無い動作で背後のベッドへと腰掛けて息を吐く。先程の幸村が俺に突き付けた言葉の数々。あれをどう理解しろというのだ。しかし、こうしている間も二人は真剣な表情でじっと俺の反応を伺っているのだから尚も呆れる。しかし、逸らされることのない二つの視線が痛くて、俺は仕方なく幸村の話を脳内で整理しに掛かった。

驚いたことに、杉沢は元よりこの世の人間ではないという。年齢は俺たちより一回り上の27歳で、元会社員。彼女の認識の中では、俺たち立海テニス部の面々は漫画のキャラクター。杉沢はひょんなことから三ヶ月前からこの世界に身を置くはめになり中学生として生きている……らしい。


「阿呆か」


どこのファンタジーだ。呆れてものも言えん。脳内整理をしたはいいが、冷静に考えれば考える程に馬鹿馬鹿しい。なんじゃソレ。あり得んし。俺はオカルト話なんぞ好まん。


「阿呆らしいよね、ホント。タイムマシン?神隠し?なんにせよ、この世の事として起こり得るなんて、無いね」


不快な気分を誤魔化すことなく露わにすれば、幸村が同調したように短く息を吐く。ならば、何故。何故そんな話を俺に?


「で、でも…!とても嘘ついてる様には思えなかったよ…。それに、そんな可笑しな作り話をして杉沢ちゃんに何の得があるのかな…?信じてもらえないかもしれないのに、わざわざそんな嘘つく必要ってある?」


その問いの答えは幸村ではなく笹原から返って来た。それこそ、嘘をついているとは思えない真剣な表情で。そう言われると確かに…。杉沢が嘘を言っていたと仮定すれば、では何故、何のメリットも無いのに口にすれば馬鹿にされると容易く予測できるような話を、敢えてわざわざこの二人に聞かせたのか更に謎は深まる。

二人の話によれば、今日、杉沢は脱水症状を起こした幸村を乗せて車を走らせたのだという。……なんじゃ、車ぐらい。俺とて二輪だけなら10年近い運転歴がある。誰にも言うとらんし、俺の密かな趣味を明かせば皆は同じように驚くんじゃないのか。それに日本の法律じゃ、二輪も四輪も然るべき敷地内での操縦なら免許なんぞ無くとも容易く運転出来るんじゃ。サーキットでは俺と似たような年頃の奴等が、厳つい装備の四輪駆動を軽々転がしとるでの。そう考えると、杉沢もその経験があったのではないかという可能性もある。


「……あり得ない」


等々…どう考えても幸村の言ったことは現実的ではない。俺は壁際のダーツボードをぼんやりと眺めながら、ポツリと零した。


「……でもさ、杉沢ちゃんの話が本当だとすると、なんだかしっくり来ない?」

「………は?」

「具体的には良く分かんないんだけど……その方が自然ていうか」


笹原が眉間に皺を寄せながら何やら考え込むように唸っている。彼女の言いたいこと…その方が自然…とは、何か。


「容姿だって編入して来たばっかの時は年上だって皆に勘違いされてたし、自分のことあんま話さないし、妙に他人行儀なとこあるし……」


笹原が言う言葉を耳に、俺はこれまで見てきた杉沢を思い返す。同時に昨夜の出来事も……。

『好きだけじゃ許されないことも、ある』

確かに。確かに、杉沢の話が真実であるなら辻褄が合うような気もした。今まで感じて来た様々な疑問や、昨日突き付けられた言葉の意味も…。

しかし、だからと言って、まさか。


「ちなみに杉沢さんには誰にも言わないって約束してあるから、間違っても本人に直接確かめようとはしないでくれよ」

「約束しときながら易安と暴露しに来たんか、おまん……」

「俺だって他の奴らに話す気は無いさ。仁王だからだよ。意味、分かるよね?」


ぬけぬけと釘を刺して来る幸村に思わず鼻で笑いを零せば、鋭く睨らまれる。コイツ…日中倒れたとかなんとか言っとらんかったか?なんでこんなピンピンしとる。仮にも体調不良者が家にも帰らずこげん所で油売ってていいんか、全く…。

幸村の赤みの少ない元来の色白な肌は、万全であるのかそうでないのかの判別が付きにくい。至って本人は平然としとるんで余計な詮索はせんが、去年、そう思っていた所に突然倒れよったんじゃ、この男は。俺の目の前で…皆の目の前での。多少なりとも心配になるのは当然だ。本当にこんなことをしていて大丈夫なのかと少しばかり幸村の体の具合を気に掛けた時、ドアがノックされる音が室内に響いた。


「こんばんは、お腹空いてない?簡単なものだけど夕飯食べてきなさい」


立ち上がってドアを開けると、大きな盆を両手で抱えたオカンが立っていた。その上にはガラス製の大皿が二つ。その言葉は自分に向けられたものではなかったが、チラリと見上げた時計は既に20時を回っていた。いつもならとっくに夕飯の時刻だというのに、幸村らの来訪にお預けをくらっていたから正直なところ有難い。


「お久しぶりです、芳恵さん」

「ふふっ。お久しぶり幸村くん、笹原さんも。元気になって良かったわぁ」

「芳恵さんも、相変わらず仁王と瓜二つ。お綺麗ですね」

「ホントホント!相変わらず美人です〜!」

「ヤダわぁ〜。二人も相変わらず口がお上手ね」


そんなこと言っていながらも満更でもない顔で笑うオカンは、中に歩き進むと部屋の中央に置かれたテーブルに素麺と蕎麦がそれぞれ入った皿を順に置いていく。予め全て用意してからノックしたんだろう、廊下を覗くとつけ汁やら薬味やらが乗せられた盆をもう一つ見つけたので仕方なしに自分で運び入れた。所狭しと全ての皿や器の類を乗せ終えると、けして大きいとはいえないテーブルがあっという間に食卓と化す。


「……手抜き」

「いいじゃない、夏の定番でしょ?」

「足りん」

「幸村くんも笹原さんも、お家の方が夕飯用意してるかもしれないでしょ?小腹を満たす程度で許してちょうだい」

「俺は無視か」

「アンタは後で冷蔵庫でも漁りなさい」


仮りにも息子の友人らが来ているというのに見栄はないんか。普段と何ら変わりばえしないメニューに文句を言うと軽く盆の背で頭を叩かれ、溜息を吐き出している間に幸村や笹原が言う礼を背中で受けながらオカンは出て行った。食べ盛りの中学生相手には少しばかり物足りなさを感じるが、確かに食欲さえ削いでしまう暑い夏には、これが不思議とご馳走にも見えてしまう。


「丁度いいよ、肉とか食べる気してなかったし」


現に幸村はそう言って嬉々として椅子から立ち上がり、床に座った。それを合図に俺や笹原もテーブルに着くと、それぞれが箸を手に取りしばしの食事タイムとなった。


「氷一個もーらいっ」


麺と共に盛られたそれを器用に箸で掴み上げると、笹原は自分のつけ汁へと入れる。それを見て「俺も」と幸村が真似た。もちろん自分も。笹原は素麺ばかりを口に入れ、幸村は蕎麦ばかりを口に入れている。最近言動が徐々に似てきている二人だが食の好みは違うんかの…などと、どうでもいいことを頭に浮かべつつ、俺はどちらに箸を付けようかとその都度迷う。指先に挟んだ箸を数秒彷徨わせ、ようやく蕎麦を摘み上げた。そんな風にして食事を進めながらも、上がる話題は当然ながら杉沢のこと。


「………おまんが倒れんかったら、この先も杉沢はずっと騙し続けるつもりだったんか」


口に入れた蕎麦を飲み込み、何気なく呟いた。いや。まだ完全に信じた訳ではないが、そうだと仮定しての話だ。


「そうじゃない?そんな素振り、今まで見せなかったじゃない」

「素振り……ねぇ…」


箸で摘み上げた玉ねぎやらミョウガやらの微塵をつけ汁に混ぜ入れながら、幸村の返答で頭に浮かんだのは先の全国大会でのこと。……もしかして、杉沢は知っていたのか?俺の対戦相手も、試合の行方も、立海の敗北も?だからあんなに…?だから前日のあの夜、不二周助の試合模様など俺に送りつけて…。


「のぅ…杉沢が読んどったっちゅうその漫画、どういう話じゃったんじゃ」


思わぬ合致点が見つかりそうで、胸が騒いだ。


「………さぁ。それは聞いてない。知らない方がいいよ、きっと」


彼女はどこからどこまで、俺たちの何を知っている。湧いて出た疑問をポツリと漏らせば、幸村がやや強めの口調で言い切った。


「もし万が一、この先知ることがあっても俺には言わないでね。自分の運命が決まってただなんて、知りたくない」


病に倒れ、必死の思いで復帰を果たした幸村の言葉は辛辣なものだった。あれが…奴が乗り越えてきた苦難が、誰かに作られたストーリーだなんて思えるはずがないし思いたくもないんだろう。当然だ。自分の意思で生きてきたという事実を真っ向から否定されて、気分が良いわけがない。他者からどんな認識をされていようが、例えば杉沢の居た世界ではそうであろうが、そんなのは俺たちには無関係だ。


「ゆかりも」

「え?」

「ゆかりが知りたいなら聞くのは自由だけど、俺には言わないで」

「わ、分かってるよ…!さっきの話聞いてたよ、私?」

「どうだか……おまんは口が軽いきね。あやしい」


実際、俺たちは一人の人間として息をして脳を働かせ自身の脚で立ち、腹が減りゃこうして食事を摂って生きている。そして自分らの意思で会話を繋ぐ。……やはりあり得ない。杉沢が自分たちとは異なる世界の人間などという話は。空間を移動するだとか次元を越えるだとか、なんねソレ。

しかし…そう思うのに。考えれば考える程、否定しながらも幸村らの話を信用せざるを得ないような確信に近い事柄がそれから幾つも脳裏に浮かび始めて、俺の胸は更にざわめきを増していくばかり。


「仁王、杉沢さんのこと本気?」


そんな俺に、幸村が箸で掴んだ蕎麦をつけ汁に浸しながら言う。ストレートな物言いに一瞬顔を顰めるが、その表情はいつものように揶揄している雰囲気ではなかった。真顔で蕎麦を啜る幸村に、俺は溜息を零した。


「……だったら何」


隣では上目遣いで俺を伺う笹原。その目が少しウザいと感じながらもやはり真剣味を帯びていて、俺は疑問に疑問をぶつけた。


「いや、別に」

「なんじゃそれ」

「どこまで本気なのか気になってさ」

「……まさかおまんまで、俺が遊び回っとるっちゅう馬鹿げた噂を真に受けとるとは知らなんだ」

「謎を作るからだろ?お前の本性なんて、俺も知らないよ」


マトモに答えてやったというのに、今度こそ小悪魔のような笑いを浮かべた幸村に呆れが出る。こいつが本気でそんな噂を信じている訳では無いとはとうに分かっているので、それ以上の反論は止めた。


「ホントに!?ホントに、本気で杉沢ちゃんのこと好き!?」


なのになんね。笹原が尚も念を押すように食いついてくる。無駄に力んだ声色が相変わらず暑苦しい。


「それが奴の話が本当かどうかの議論に関係あるんか」

「いいから!どうなのよ!?」

「………じゃから。何べん言わす気ね…。そうだと言っとろうが」


隠す気はないが自分から何度も宣言するようなことではない。おまけに昨夜の出来事のせいで少々心穏やかとはいかない心境である。分かりやすく溜息を吐きながら、俺は仕方なく答えた。


「もっとちゃんと言いなさいよ!」

「なんねさっきから!充分じゃろうが!」

「いいからー!ちゃんと言葉にして言いなさいって!!」

「……おい幸村!こいつを黙らせんしゃい!」

「俺も聞きたいなぁ〜」

「早く〜!!!」


が、しかし。自分では素直に白状したつもりだったのに、更に詰め寄られて俺はとうとう声を荒上げた。確かめる意味が分からんし、目的も分からないでは答えるのも嫌になって当然じゃ。


「………杉沢さん、12歳上だってよ?それでも?」


しかし、苛立ちを露わにして拒む俺に更に幸村が言う。先程の口調とは明らかに違ったそのトーンに、俺は一瞬言葉を飲み込んだ。

そげんこと………


「知らん…実感ないしの。関係なか」


そげんこと言われても、杉沢から真実を直接聞くまではよう考えられん。言い捨てる様に答えた俺は、もう何も聞くなと示す様に口に入れた蕎麦を勢い良く啜った。

……確かめたい。確かめる必要がある。杉沢の真意を知る為にも。本当に本当の意味で彼女考えていることを聞く為にも。

俺が口を閉ざすと、何をどう納得したのかは分からないが、幸村と笹原の同時攻撃はそこで打ち止めとなった。二人して無言で口を緩めていたのが気に食わないが、1対2では分が悪過ぎる。突っ込めば突っ込んだだけ言い返してくるだろう世話焼きカップルを前に、俺はもう余計な事は言わないと心に決めた。

その後、テーブルの上の大皿を綺麗サッパリ空にして、幸村と笹原は帰って行った。二人が居なくなってから、そういえば今後杉沢の件をどうするだとか、そういう類の話はしなかったなと思いつく。…どうもしないという訳か。とりあえずのところは、二人は杉沢と共にその秘密を共有すると決めてたのだろう。

さて……俺はどうするかの…。

杉沢に対して、どう接すれば良い……。どんな言葉を掛ければ、彼女は俺に本心を晒すのだろう。本当の杉沢自身の俺への感情は、如何にある。

俺は、たぶん、彼女が何を隠し持っているのかよりも、彼女自身がどんな人間であるのか知りたがっている。ただただ知りたいのだ。興味が湧いたなどという、そんな域ではとっくに無い。杉沢のことをもっと知りたい。どうすれば彼女は、幸村や笹原に聞かせた真実を自分にも話してくれるのだろうか。出来れば、杉沢自らの意思で。彼女が俺に真実を告げようと、そう腹を括ってもらうには一体何が必要なのか…。結局、その夜はそればかりを考えていた。


next…

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