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ネコの尻尾。
【28/54】
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78.
剥がれかけた仮面。


どうやら私の家へ遊びに行くという連絡をゆかりちゃんから受け、彼女に有無を言わせず幸村がくっついて来てしまったようだった。事前の知らせを寄越さなかったのは二人のちょっとしたイタズラであろう…。私はといえば、突然の幸村来訪に驚きはしたものの、よくよく考えれば自然の成り行きともいえる状況にすぐ納得。二人の関係性を考えれば有り得そうなことだね。そうして、驚きで盛大な溜息を零したものの、私は苦笑いで二人を受け入れた。


「中学生で一人暮らしってだけで非常識なのに、この広さ……」

「うん…思ってたより全然広っ…!」


勘の鋭い幸村。玄関を抜けて廊下を歩き進める最中でポツリと呟いたのが聞こえ、ゆかりちゃんが大きく頷いている。確かに…学生の一人暮らしといえば1Kか1R辺りが定石だろうな。しかし私の部屋は2LDKだ。リビング、寝室、そして小さいながら仕事部屋が一つ…。長く独り身でいて社会人歴を積めばそれなりに物は増え、更に私は職業柄で嵩張る荷物が多かった。トリップ後、住む街も住む家も何も変わらなかったんだから、来訪者があっても既に誤魔化しようがない。

何より、今朝持ち帰った契約書の内容では、それを望んだのは他ならぬ自分自身であったのだ。成人を迎えあらゆる生活において自由を手に入れていた私は生活水準を下げたく無いと、ニキビと皮下脂肪に悩み垢抜けなかった中学時代の姿には二度と戻りたくないと。そのくせ、立海の皆と同じ学校に通いたい等という矛盾だらけの希望を、私は得体の知れぬ眼をしたあのマスターに突き付けたのだ。何故身分が若返りながら、容姿そのものが若返らなかったのか。住む土地が変わらなかったのか。その謎の答えは自分自身にあった。"何故"なんて、絶望に打ちひしがれていたのがちゃんちゃら可笑しいよ。全部、全部自分の責任じゃないか。


「……決めたのも金出したのも、親だから」


二人の反応には、予め決めていた台詞を機械的に口にする私。自分自身を取り繕う為、両親には娘に関して金に糸目はつけない人になってもらう事に決めていた。


「甘やかされてる系?」

「まぁ…うん、親バカ?」


罪悪感を感じながら軽く苦笑いを零す幸村に向かって、同じような表情を作って見せた。しかし嘘を重ね続けるのは、いつまでたっても慣れなくて心苦しいものだ…。そういえば、以前訪れた仁王はこの事に何の疑問も持たなかったのだろうか…。東京に越して来たことに対しても以前は怪しんでいた様だったが、その後に深く追及する素振りもなかった。アルコールを手にした姿も見られているし…。不意に、昨日の仁王の声が蘇る。

『何を隠しとん』

……疑問に思わないのではない。疑問を口にしなかったというだけか。口数の多くない奴の性格に、ただただ私は難を逃れていただけに過ぎなかったのか…。


「あのね、今日は海原祭の相談しようと思って来たんだ」

「海原祭?…まだ先のことなのに、もう?」


リビングまで二人を通し、いいなぁ一人暮らし〜とか、配色が中学生らしくないなぁ…とか、一頻り感想を言われた後、複雑な心境ながらも受け答えを繰り返した私。ソファに二人を座らせ、ガラステーブルの上に麦茶を三人分置く最中でゆかりちゃんが声を弾ませて言った。適当に置いてあったクッションを胸に抱えながら楽しそうに肩を揺らした彼女に、私はラグを引いた床に座りながら率直な疑問を返した。


「うん、夏休み明けから準備が始まるから。二学期入ったら直ぐだよ!」

「へぇ……」

「だいたいは決めてるんだけどね。そろそろ具体的に詰めていきたいと思って」


その隣では麦茶が入ったグラスを口元に寄せたまま、幸村も目を細めている。彼の言葉に、私は二ヶ月前のゆかりちゃんの言葉を思い出した。えっと…確か……。


「劇、だっけ?やるの」

「うん、多分それで決まり」

「去年から話は出てたんだ、俺たちの代になったらやろうって」

「俺たちの代?去年も皆でやったんじゃなくて?」

「それはそうなんだけど、毎年三年が決めるのさ。引退前の最後の大仕事。一、二年は秋も公式戦とか色々あるしね」


なるほど…と、幸村の説明には深く相槌を打つ。もう試合することもない上級生は引退を待つのみ。部内での引き継ぎが済めばやることも減ってしまうし準備に専念出来るのだと、幸村が続けた。


「ただし、次期部長には頑張ってもらうけどね」

「なにそれ?」

「準備作業を3年が仕切るのは毎年の通例だけど、2年以下だって参加しない訳じゃない。そこんとこまとめてもらうのが次期部長の役目」

「へぇ……で?誰が?」

「うん、もちろんそれは」


切原

……と、続けて、幸村の言葉が途中で止まる。僅かに開けたままの口から次いで出たのは、小さな溜息であった。ソファの背もたれに力なく背中を預けて、更にもう一つ。


「あいつ、部長としての器量あるのかな……心配」


と、眉間に皺を寄せたまま呟いた幸村に、私とゆかりちゃんは目を見合わせて苦笑い。確かに切原は強い。2年ながらレギュラーを勝ち取ったその実力は申し分無いだろう。その点に置いては右に出る者はいない。しかしだからといって部長に向いているかどうかと言われたら、それはイコールには成りづらいのかもしれない。奴の場合。


「幸村くん的には他に候補とかいるの?」

「いや……レギュラーという立場を経験してるし、2年の中では誰より部長である俺とか副部長の真田と深く関わって来たわけだし。全国であれだけ悔しい思いをしたのも、きっと来年に繋がるだろうから……切原以外は考えてないんだけど」

「まぁ…うん、言いたいことは何となく分かる。なんてったって、切原くんだし」


喜怒哀楽が激しくて、遅刻魔で、頭に血が昇りやすい……たまに悪魔化するとくれば、ね。などと、渋い顔をする幸村に同調して私も呟いた。


「でも…大丈夫だとは思うけどね」


そうは言いつつ、私は大して心配などしていない。切原が部長となるのは、なんとなく想像はついていたし他に有力な後輩の名も上がらないようだし。


「やらせてみたら?やればやったなりに、何か成長するんじゃない?」


何より、失敗することはあっても、間近で幸村を見てきた切原が部を間違った方向に持ってはいかないだろうと思うから。私個人がただただ、漠然とそう思っているだけなのだが…良くも悪くも一直線な切原は、また幸村とは違った個性で部を引っ張っていくんじゃないか?いや、引っ張って…というより、


「上手くやれるなんて期待は私も出来ないけど、その分、皆必死に支えてくれたりして。それはそれで、またいいチームワークになるかもよ」


と、切原の破天荒な笑顔を思い描きながら私は笑った。


「器用なのばっかりが、いい部長とは限らないよ。頼りになるってそんな単純なことじゃないし」


物事を綺麗に卒なくこなしていたって、皆の信頼を得られなければ意味が無い。心配してながらも、次期部長には彼以外は考えていないという現部長の幸村が言うのだ。既に信頼なら得ているじゃないか。神の子と実力も内面も恐れられているコイツに、だ。きっと他部員の気持ちも掴み取れるだろう。例え、そこに辿り着くまでに紆余曲折を踏もうとも。


「確かにね!精市くんのように、なんて絶対ムリなんだから、そっちの方向目指すべきかも」

「そう考えると上手くやってくれそうな気がして来るかな…。あ、高坂さんを副部長にしちゃおうか?操縦役にさ」

「えー……いや、反論し合ってまとまんないっしょ、逆に」


私の言葉に二人が笑う。和やかな空気が流れて、自然と肩の力が抜けていた。同じモノを見て、同じ話題を口にして、同じように笑い合える。短くとも一緒に過ごして来た時間は、やはり嘘ではないのだと、そうぼんやりと思う。どうしようね。この時を無くしたくないと思ってしまうよ。

私の胸の痛みなど知らない二人は、その後も話題を文化祭の出し物についてに戻して、楽しそうに会話を続けていた。時折り口を挟みながら、部員たちの意見も聞かぬうちに勝手に配役まで決めてしまおうとする二人に、私は更に笑った。その最中に「ちょっと失礼」と、ゆかりちゃんがお手洗いに立ち、空になったグラスを持ち上げて私も腰を上げる。


「麦茶でいい?コーヒーとか、紅茶もあるけど。あと、お菓子とかなんかあったかな…」

「あ、手伝うよ」

「いいよいいよ、お客さんは座ってて」

「ふふっ、他人の家のキッチン覗くのって楽しいじゃないか」


そう笑いながらキッチンまで付いて来た幸村。真夏だというのに、冷房の効いた部屋で飲む熱い紅茶が好きなのだという彼に、茶葉とティーポットを渡してやると器用な手つきでお茶を入れ始めた。じゃあせっかくなので、と、三人分のティーカップを取り出そうと私は背面の戸棚を漁った。数年前に祝い品か何かで貰った洒落たガラス製のそれ。3組セットになっていたものの、一人暮らしの身には多過ぎて普段は1組しか出していなかった。


「ねぇ」

「ん?何?」


シンクに対面するように設置されている戸棚。頭上よりもやや高めに位置にしたその中に手を伸ばしながら、背中で受けた声に返事を返す。


「杉沢さん、朝、駅で何してたの?」


ーーーカシャンッ


手が滑った。砕けたカップの破片が床に散らばる。


「……大丈夫かい?」


冷静な顔をした幸村は、ゆっくりと振り返ると私より先に床へとしゃがみ込んだ。割れたカップの欠片を一つずつ摘んでいく彼の姿に、ふと我に返る。急いでキッチンの片隅に放置していた雑誌を雑な動作で破ると、私は幸村の傍に跪き手に広げた。脈拍の上がった心臓に息苦しさを感じながら幸村の目前に無言で差し出せば、幸村もチラリとこちらを一瞥し、手にしたカップの欠片を静かに乗せていく。


「……何故あんな時間に?」

「いや………駅なんて行ってないよ、私」

「ふーん………なら人違いかな。良く似てたけど、とても中学生には見えなかったし」

「……幸村くんは、何を」

「通院さ。外来って、朝早く行かないと予約取れなくてね」


一つずつ、敢えてそう努めているかのように、ゆっくりと床に散乱したガラスの破片を広い集める幸村。そうは言っているが、その声色は私の言葉に納得していないのは明白。焦る。まさか目撃されていたなんて。例え見られていたとしても、それが私だと気付かれるなんて。


「その髪の色、珍しいから。てっきり杉沢さんかと思ったんだけどな」


思わず、自分の後頭部を片手で摩る。激しいほどに明るく脱色したこの髪。自分と似たようなハイトーンの仁王だって遠目からも良く目に付く。私も同じようなものだということか。

それよりも。まずい。先程から何一つとして幸村の言葉に答えていない。焦る気持ちが大き過ぎて、どんな返答をすべきか迷う内に矢継ぎに繰り出される幸村の言葉に、また迷う。


「あれ?どうしたの!?」

「いや…カップ割っちゃってね」


ガチャリ、とリビングのドアが開く音とゆかりちゃんの声が響いて、私は肩を震わせた。返事を返したのは幸村。ニコリとゆかりちゃんに笑いかける彼は、今しがた私にぶつけた疑問を彼女には伝えていないのか。もしかしてここへ来たのは、本当は私を突き詰めるのが目的だった…?


「ひゃー!高そうなカップ!ごめーん杉沢ちゃん…!」

「あ……違う違う!私が落としたの、幸村くんじゃないよ」


彼氏の失態と思って謝るゆかりちゃんに、私は慌てて苦笑いを作って訂正をした。


「掃除機持って来る、危ないから向こう行っててね」


急いで残っていた破片を手早く広い上げると、私は立ち上がる。気まずさで幸村からやや顔を背けるようにしながら言い、キッチンを出た。背中に視線を感じる。幸村は納得していない。多分、きっと。どうしようか…。いや焦って否定すればする程に怪しまれるのでは…。一応人違いではと既に口にしたのだから、そのままにしておくのが最善だろうか。幸村が何をどう不可解に感じているかは分からないが、先程のように真っ向から疑問をぶつけられてもマトモに返答出来る訳もないのだから、それは避けた方がいいか…。

もしこのままこの世界に留まるとしたら、私はこういう嘘を幾つも重ねていくことになるのだろうか。この心苦しさと気まずさを、いつ迄もいつ迄も抱えて……。


「精市くん!?」


と、その時。

掃除機を片手にキッチンへと戻る途中に、ドアの向こうからゆかりちゃんの切羽詰まった声が聞こえた。幸村の名を叫ぶその声色が、非常事態であることを知らせていた。


next…

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