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ネコの尻尾。
【26/54】
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76.
温かい。


俗に言う、フラれたってやつじゃろうか。自室のベッドに横たわり、天井をぼんやりと眺めながら脳裏で思った。……杉沢の言っていることの意味がよく分からない。

ーーー好きだけじゃ許されないことも、ある

杉沢が俺にそういう感情を抱いているのは、間違いじゃないと思っていた。夏休みに入ってからの彼女の言動、行動、表情…それらを思い返せばあながち俺の予測は外れてはいないんじゃないかと。勝手にそう確信していた。なのに何故。好きだけじゃ許されないなど、そんなの益々意味が分からない。所詮俺の空回りだったのか…。拒絶された感覚がショックだったのか、口から出るのは溜息ばかりだ。

おまけに、いくら考えても杉沢の言葉は謎だ。何がダメなんだ。俺が?杉沢が?許されないとは、一体誰が何を許すというのだ。俺と杉沢のことじゃろが。互いが良ければそれでいいじゃないか。杉沢が俺を好いとうなら俺が受け入れて、それだけだけで丸く収まることじゃろ。違うんか?…わからん。さっぱりじゃ。杉沢の言うてることが全くわからん。彼女言うことには何故かいつも、不可解な気配が常に付きまとう……。

ずっと、ずっと気になっていた。今までの彼女の言動、行動、辻褄が合うようでいて、突き止めようとすると確信出来ない事柄が多過ぎて。先程の焼肉屋での会話だってそうだ。親父の問いに「兄がいる」と杉沢は何の気無しに答えていた。オイ待て。編入して間もない頃、俺の問いには自分は一人っ子だと、お前はそう言ったろうが?なんねそれ。

……ごろりと寝返りを打って腕を投げ出しながら、俺は長い溜息を吐き出す。相手の言ってることの意味が理解不能というこの状況……。実のところ、そういう釈然としない感覚だけに絞れば、以前から身に覚えがある。あれは柳生の彼女づてに紹介された奴だった。俺の写真を見て気に入ったというそいつに連絡先を教えても良いか、などという経緯から付き合いが始まった。"彼女"なんてもの、おらんでも別段困った事はないが、居るなら居るで役得な事もある。柳生に居て俺におらんっちゅう、つまらない対抗心も心のどっかではあった。そして付き合いが一ヶ月ほど経った頃、不意にこんなことを言われた。

ーーー仁王くんて、私のことちっとも考えてないよね。

何を。……と、言われた時はムッとした。そげんことは無か、と。そんな言われ様は心外じゃと、そう口にしてみたら、溜息と苦笑いが混ざったような顔を返された。追求するんも面倒だし別段怒ってる訳でもなさそうだったんで放っておいたら、結局、連絡が徐々に途切れがちになって、いつの間にか終わった。

そういう奴が彼女の他にも何人かおったが、皆一様に似たようなセリフを口にした。"よくわからない"と。そう言われるとどうでもよくなって、今まで深く追求したことはない。面倒になって、つまらんことをグダグダ考える方が時間の無駄じゃき。第一、俺が何を考えてるか分からない奴なんてこと、普段から友人、家族にさえ言われ続けている。そげん性格を最初っから知っとって近付いて来たんじゃないんか。分からないなら分からないで、それまでの関係性でしかなかったのだと、結局彼女らの考えとったことは謎のままだ。


「まさぁ〜……」


カチャリ、という音がした。

枕に横たえていた頭を軽く上げると、寝ボケ声を出したアキが入って来るのが視界の端に見えた。焼肉屋からの帰宅中、いつしか杉沢の膝の上で眠りこけてしまった幼い弟。……いつもならそれは俺の役目なんに。よう懐いたんもんじゃ。

今の今まで寝ていたのか、アキは小さな目を小さな拳で拭いながら近付いて来る。


「透子ちゃんはぁ〜?」

「……もう帰りよった」


体を横たえたまま掌で頬を支えるように態勢を整えた俺は、未だ眠たげなアキの顔を見つめて短く答えた。口に出した後で、直ぐさま嫌な予感がする…。


「えぇーーーっ!!アキもっと遊びたかったぁーーーっ!!」


すると案の定、アキは途端に眉を八の字に歪め不満を口にした。ぐいとシャツの胸ぐらを掴まれて僅かに体が揺れる。


「寝とったおまんが悪いんじゃ」


そげな文句を俺に言われても…という気持ちで、アキのデコを空いてるもう片方の指で軽く弾いた。ワガママ放題やりたい放題、自分の欲求を素直に口にしても無邪気の一言で許される子供は得じゃな……後先考える必要もないしの。


「それ痛いよぉ〜!マサぁ!」

「……アキ」

「なぁに?」

「杉沢……透子ちゃんがそんなに好きか」


不貞腐れ顔になったアキに、不意に問い掛けてみる。


「うん!!大好きー!!」


するとアキは満面の笑みで自慢気に言い切った。たった一度会ったぐらいで何処がそんなに気に入ったんじゃろか…。うちの猟奇的な姉貴と無意識に比較でもしとるんか…?


「だから透子ちゃんはアキのお嫁さんにするんだよー!!」


続けてアキはそう言うと、再び口を尖らせた。両手で握った拳に力を込めていきっているが、その丸っこくてぷにぷにのカーブはまだまだ頼りない。一丁前の男みたいな目をしたアキに、俺は少々苛立つ。なんじゃろうか、コレは。血は争えんいうことかねぇ…。


「いはぁっ…!ましゃぁ!いはいおぉー!」

「黙りんしゃい」

「やぁ〜!はなひへぇ〜!」

「やじゃ」


素早く状態を起こした俺は、アキの両頬をつねって左右に伸ばす。間抜けヅラになったアキは、必死で逃れようとするが勝てるわけなかろう。そのうちに身をグネグネとよじり暴れ出した奴を、今度は自分が乗っているベッドへと引き上げる。


「きゃはははははッ!まっ!まさぁ!くすぐったかよぉ〜!!」


そのままの勢いでシーツの上にやや乱暴に転がすと、腹やら脇やら手当たり次第にくすぐってやる。途端に大声で笑い出し、コロコロとベッドの上を転げ回る我が弟。その姿には次第に俺の口元も緩んでいった。


「アンタたち何やってんのよ…」

「なんでも良かろうが」

「うるさいのよ!下にまで響いてるからアキの声が!」

「おまんのその金切り声のがやかましい」

「なっ…!?てめぇ…!」


アキによって開けられたドアはそのままになっていたらしい、通りががった呆れ顔の姉貴に言い返せば鬼の形相になる。


「アキほれ、敵は向こうじゃ、行け!」

「リカちゃーん!!とおぉーッ!!」

「こっち寄越すなって!!だぁぁぁ〜止めろ!くすぐんなバカ!」


何をしろとも言わず床に下ろしたアキの背中を押すと、奴は勢い任せに突進していく。機嫌を良くしたのか、何も考えず無邪気な顔してじゃれつくアキは、可哀想にその代償として頭を思いきり引っ叩かれた。こんなにバシバシどつかれてりゃ、そりゃ姉貴以外の女は優しく見えるかもしれん。リカ姉だって一歩外に出りゃ虫も殺さぬような顔で笑っとん。女にゃ二面性があると知るのはまだまだ先じゃな…。


「あら?アキ起きたの?ちょうどいいわ、お兄ちゃんアキと一緒にお風呂入っちゃって」


なんて黙って2人のじゃれ合いを眺めていると、更に通りがかったオカンからいつものように促され、溜息交じりに頷いた。ベッドから立ち上がって歩き進むと、声を掛けずとも暗黙の了解でアキがヒョコヒョコと付いて来よる。外食の日は毎度こうだ。車中で眠りこけ帰宅しても爆睡から目覚めないアキを放置し、オカンも親父も先に済ましてしまうきね…。俺はいつものように二人分の着替えを手に階下のバスルームへと向かった。


「マサぁッ!もういいよ!」

「ん……ほら、はよ目潰りんしゃい」


アキに急かされるがまま、バスタブから手を伸ばしてシャワーヘッドを掴むと泡だらけのその頭に向けてやる。アキの手と俺の手とが入り乱れながら全てを流し落とすと、息を止めていたのか「プハーッ」という間抜けな声が聞こえてくる。その後、派手な音を立ててバスタブに飛び込んで来たアキを軽く叱りつつ、互いに向き合うようにして身を沈めた。オカンから口酸っぱく言われとるきに、アキを抑え込んで肩まで浸からせることも忘れない。


「……あぁ〜あ。おれ、透子ちゃんと一緒に入りたかったなぁ」


眉間に皺を寄せている様子に、額にベッタリと張り付いた前髪が不快なのかと掌で掻き上げてやったが、どうやらそうではなかったらしい……。人の気も知らんで、やたらと図々しいことを抜かすアキ。そやの。同感してやってもええよ、その言葉は。とは、よう口にはせん。無理もない。俺も立派な男子中学生ぜよ。アキの歳なら難なくそれが叶えられそうなんが憎い。そんな不埒な考えが頭を過るが、更に奥の方では全く種のことなったざわめきが胸に広がる。


「アキ……透子ちゃん、好きか?」


湯気が立つバスタブの中、ぼけた視界の中で気が付けば口にしていた。


「うんっ!!!」


先程と同じ問い掛けだとか、何故そんなことを聞くのかとか、そんなことは微塵も気にする素振りの無いアキは、それこそ先程と全く同じような笑みで大きく頷く。


「透子ちゃんのおてて、すっごくあったかくて柔らかくて、気持ちいいんだよ〜!!」


弾けんばかりの笑みでアキが言った言葉が胸に刺さった。あぁ、そうじゃの。アイツの手は何故だかとても暖かかった。自分にも身に覚えがあるその温もり。先程、求めようとして拒絶されたその温もり。屈託のない顔で笑うアキの頭を撫でてやりながら、俺はただただそれを思い返していた。


next…

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