06.
グリーンアップルと魔王の話。
「うぁっ…!」
「おっと…!」
移動教室で理科室へと急ぐ道すがら、すれ違い様に肩と肩がぶつかり合う。
「すみません…!」
明らかに私の前方不注意だ。けして狭い訳ではない廊下なのに、下ばかり見て歩いていたからだ。衝撃によろめいた身体を立て直しながら、反射で誤る。
まだ、昨夜の酔いが抜けてないのかな…なんて。
あれから…数日前にあの酷い二日酔いになってからというもの、毎晩のようにお酒を大量摂取するのが、いつの間にか日課になっていた。
毎日の晩酌はこれまでもしていたが、格段に量が増えている。帰宅して自宅に入ると、学校での自分と、以前と変わらぬ生活感の中にいる自分とのギャップが激しくて、シラフでは眠れないのだ。
心配していた買い出しには、さほど困っていない。着替えて街に出れば、身分証など無くても、缶ビールをレジに差し出す私を誰も未成年などとは疑わないから。それはつまり、肉体年齢が明らかに中学生のものでは無いということを物語っている。
まぁ…かといって、本当に今、昨夜の酔いを引きずっている訳ではないけれど。さすがに、連日のように二日酔いで授業に出る訳にはいかない。
つい俯きがちに歩いてしまうのは、あまり顔を見られたくない気持ちがそうさせている。この学校に通う日々が始まって一週間、教室内にいることは慣れた。
でも、やっぱり、制服を着ている自分への違和感は拭い切れない。だって可笑しいもの、つい一週間前にはジャケットにピンヒールを履いて毎日出社していたのに。
と、未だ慣れない生活に戸惑いを感じている私は、俯き加減のままで床に散らばったノートやテキスト類を急いで拾う。知らない人が目の前にいると思うと、やはり顔が上げにくい。
「はいっ」
全部拾い上げて俯いたまま立ち上がると下を向いたままの私に見えるよう、ずいとボールペンを差し出された。ケースに仕舞っていたはずなのに…と思ったが、前の授業でノートに挟んだままにしていたことを思い出す。
「…ありがとうございます」
さすがに受け取るのに無言でいるわけにはいかず、顔を上げてどきりとした。
………丸井ブン太。
「こっちこそ、すみませんでした先輩!」
意外と礼儀正しい……。
ってか…私を高等部の生徒だと思ってるの?言葉と同時に、素早く身体を折り曲げた丸井ブン太。
「じゃ!」
「あっ」
訂正する暇も無く、赤い髪を元気になびかせて彼は去って行った。その後ろ姿を見送って、一つ溜め息を吐く。まぁ…私から近付くことがなければ関わり合いになる事はなさそうだし、別に焦って訂正しなくてはならない理由も無い。
間近で見られただけで、ラッキー…かな?心中で一人呟き、再び視線を下に落としたら足元に何かを見つけた。
コーラ味のチュッパチャプス。
あぁ…なるほど。
くすりと小さく笑って、それを自分の胸ポケットに入れた。
「あ!杉沢ちゃーん、来ないかと思ったー」
理科室に入ると隣の席を確保してくれたらしいゆかりちゃんが、私を見つけて手招きしてくれる。
「迷っちゃった」
駆け寄ってもっともらしい言い訳をしながら席に着くと、向かいでは仁王雅治が携帯をいじっている。
「これ……返しといて」
その前に、さっき拾ったチュッパチャプスを転がす。
「…誰に?」
「いや…間違えた、あげる。いらなかったら、誰かにあげて」
「どったの?コレ」
「拾った」
「んなもんを俺に…」
チュッパチャプスを手に取った仁王が、口を尖らせた。
最近気が付いたが、仁王はこの表情がお得意らしい。猫のようにツンとしてさも無関心を装いながらも、ちょっとしたことですぐ拗ねる。だが煩く喚き散らすタイプでもないので、口には出さずに勝手に拗ねる。
結果、物言わずにこうして口を突き出して剥れるらしい。
………ヘタレ説有力なのか?自分はヘタレじゃない方の、男前な仁王のが趣味だったんだけどな。余裕しゃくしゃく、ニヒルな男前になるにはやっぱ若すぎるのかな。
「…がんばれ」
イミフな言葉を掛けると、何の事かと仁王が眉間に皺を寄せていた。ちょっと唐突過ぎたかな…とは思うが、特に興味が湧かないのかそれ以上の突っ込みは来ない。
「ん?…今度の大会のこと?杉沢ちゃん良かったら応援来てよー」
代わりに私の言葉が聞こえていたらしいゆかりちゃんが、閃いたように声を上げる。
「今、人手が足りなくてさぁ…助けてよ〜」
言いながら、力無くへなへなと萎れるゆかりちゃん。その肩を片手で軽く揉んでやりながら、苦笑いした。
「ご苦労様です」
「なんじゃ、俺らの応援じゃなくてお前の応援か」
「あんた達は絶対勝つんでしょ、いらないじゃん応援」
「そうくるか…冷たいマネージャーじゃの」
私が編入して三日目のこと。
同じクラス内でも特に仲の良い様子の二人に、冗談半分で『付き合ってるの?』と聞いてみたら死に物狂いで二人に否定された。
ゆかりちゃんは男子テニス部のマネージャーで、なんと幸村精市の彼女らしい。そんな噂が立ったら殺されかねないと、顔を青くした二人の様子に、幸村精市という男の子の人格を少し垣間見た気がした。幸村精市は彼女持ち……なんてことを、いらんヲタク脳にインプットさせたばかりである。
「…ねぇ、マネージャーになったのが先?彼女になったのが先?」
なんだかリアル夢小説のようで、つい好奇心が沸いてしまう。恋バナで楽しめる所は、いくつになっても共通している女の特性だ。
「幸村が自分の気になっとった女子をマネージャーに引っ張り込んで、そのまま上手いことやって自分の女にしてしまったんじゃ」
「…なんでアンタが答えんのよ!」
「テニスしか興味なさそうな顔しときながら、恐しい奴じゃ」
代わりに口を開いたのは仁王で、ややオーバーな身振りで説明してくれた。
あらまぁ…ホントに夢小説みたいな話である。いや、現実に生きている人間ならば夢も何も無いのだが…私としてはついついそういうフィルターをかけて見てしまう。頬を紅くしながらも否定しないゆかりちゃんを見ると、大方合っているらしい。
あれ…?
幸村精市といえば今…
「でも、人のこと落としといて、居なくなるなんてズルいよね」
案の定、ゆかりちゃんの表情に影が差す。
…そりゃ心配にもなるだろうな。漫画の、アニメの、病院のベッドに横たわる幸村精市のワンシーンが脳裏に浮かんで、少し胸が痛んだ。
大丈夫、ちゃんと戻って来るんだから。そんで戻って来た途端、どエラいドSっぷりで波紋を呼ぶんだよ。なんて事は、口が避けても言えない。
「ちょっと入院中でな」
「…そう」
無言の私に、仁王が端的に説明してくれた。それを聞いても、いくら幸村精市のこれからを知っていても、私は彼女にそれを告げることは出来ない。
「じゃあ……居ない、だなんて勝手に殺しちゃマズいんじゃない?ゆかりちゃんが一番笑顔でいないと」
それが悔しくて、余計なお世話と分かっていても黙っていられなかった。ちょっともどかしいけど、未来を告げてしまうより、信じてたから皆で祈ってたから奇跡が起こったんだって、そう思えたら彼らにとって一番いい気がした。
「…だよね!」
偉そうなこと言ってしまったかなと、少し不安になったが、ゆかりちゃんが納得したように笑ってくれる。
可愛い。素直な反応が、ホントに可愛い子だ。
「…またじゃ」
「え?」
「お前さんの笹原を見る目、たまにマジで気持ち悪いんじゃけど。それこそ変な虫がついたら幸村に殺されかねないから、止めときんしゃい」
「うそっ、そんなつもりは…」
ついゆかりちゃんの笑顔に見惚れていると、呆れた顔で仁王が釘を差して来る。そんな自覚は無かった私は本気で焦ってしまった。
next…
【6/50】
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ネコの尻尾。