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ネコの尻尾。
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57.
君は今、何を。


そして彼らは決勝戦を迎えた。その結果は…………もちろん。私にはとうの昔から分かっていることであった。

こんな時ほど尚更、言葉はいらない気がした。否、何も言えない。何も言う必要なんてない。私などに何か言う資格など初めから、ない。


「………お疲れ様」


ベンチに一人座る仁王。

返事はないし振り向きもしない所を見ると、顔を見られたくないのかもしれない。背中合わせになるように、私も腰を降ろした。



ーーー


………決勝を終えた後、私たちは幸村の病院へと向かった。覚悟を決めた彼は手術の真っ最中であった。赤いランプが灯された白い扉の向こうに想いを馳せても未だ返事は無く…。あと何時間掛かるか分からないと、幸村のご家族から告げられた。「終了したら連絡するから」と、その言葉に頷くしか出来なかった私たちは一度学校へと戻ると軽いミーティングをし、程なく解散となった。

帰宅して着替えたら皆で打ち上げをしようかと提案したのは丸井。こんな時、沈んだ空気を打ち砕くかのような明るい声を挙げられるのは彼の長所だと思った。そのまま幸村の手術が終わるのを待って、再び病院に向かうことも出来るだろうという柳の意見により話はまとまる。大きな大会の後だからか、学校にはご両親が車で迎えに来ている子たちも少なくなく…


「ほらっ銀、バイバーイ、は?」

「うー?」

「きゃあ〜!可愛い〜!!」

「丸井先輩やばいです!可愛いです!持って帰りたいです!」

「お〜、お前モテモテだなぁ〜」


去り際に乗り込んだ車から幼い弟を抱きかかえるようにして窓へと寄せた丸井は、丸みを帯びた小さなその手を自らの手で持ち上げて軽く振る。訳の分かっていない様子で窓枠に手を掛けたまま目を真ん丸にさせる丸井家の末っ子、銀太くんの愛くるしい姿にゆかりちゃんや高坂ちゃんが堪らず悶えていた。


「あれ?上の弟くんはー?」

「ん〜家で爆睡中だとよ。……お〜いっ!ジャッカル早くしろい!」

「わりぃわりぃ!」


と、どうやら送ってもらうらしいジャッカルが車に乗り込んで、私たちは手を振りながらそれを見送った。切原や柳生、ゆかりちゃんや高坂ちゃんもそれぞれの自家用車で帰って行き、真田や柳はそれぞれに去って行った。群れることなく自然と散り散りになっていったのは、皆、何か思い耽るところがあるのだろうか…。真田が言った「挑戦者として乗り込む」という事を、頭の中で整理しているのかもしれない。


「先輩、お疲れ様でした〜!」

「はーい、皆も応援お疲れ」


やがて他部員たちも帰路につき、徐々に皆の姿が見えなくなった頃、そういえば先程からずっと仁王の姿が無いことに気付いた。ミーティングしてた時はまだ居たと思ったのだが…。誰にも悟られない間に、早々と帰宅したんだろうか。

と、自宅までの道程をいつものように歩き進めながら考えを巡らせていたその時。通り道の途中に現れる小さな公園の片隅に、空を仰ぐ仁王の後ろ姿を見つけた。


「な、」


何をしてるの?、と一度出かけた言葉を飲み込む。


「……………お疲れ様」


躊躇った末にベンチに座り込んだ彼にそう声を掛けた。仁王は振り返らない。私の声に気付き僅かに肩を揺らすと、返事の代わりなのか片手を軽く上げて見せる。力無いその仕草が胸を打った。

…立海は負けた。
私が知る通り。
何も違わず、予定通りに。

悔しいだろう、そりゃ。いくら練習嫌いとはいえ、人を詐欺にまでかけて臨んだんだから。その為の仕込みにテニスそのものと同等に熱を入れたんだから。

試合開始前の、あのバスの中でのやり取りを私は脳裏に蘇らせる。その努力が効をそうしたのか、仁王自身は柳生と共に勝利した。観る側ではなく騙す側に思い掛けずに回ってしまった私は、会場のどよめきに思わず胸の中でガッツポーズをし気付けば口の端が上がっていた。目の前の相手コートを見下すように笑った仁王と同じ様に。驚愕でも衝撃でもない興奮が湧いて、それは漫画を読んだ時ともアニメを観た時とも全く違った感覚だった。彼らが勝利を収めた時の喜びも、あんなに何度も試合の展開を読んで観てを繰り返していたというのに、私はこの日初めて感じたような錯覚すらしていた。

しかし…チームは負けた。

……彼らには目指しているものがある。皆で誓い合ったことがある。まさに心を一つに。誰もそんなクサい台詞は口にしないけど、無心で戦いに挑んでいく彼らは間違いなくそれを体現していた。それ程に彼らは賭けていた。間近で接していくことで強くそれを感じていた私は、試合が進んでいく度に自分ではどうしようもない焦燥感を覚えていた。隣で一緒に試合の行方を見守り続けていたゆかりちゃんのように、純粋に皆を励ますことも出来ずにただただ握った拳に力を込めるだけ。誰にも何も言葉は掛けられずに、話しかけられても当たり障りのない事しか返せず、終始愛想笑いしか出来ずにいた。

……分かっていたはずだった。マネージャーなんて立場にいたら、いつか必ずこんな時が来るだろうと分かっていた。覚悟していたはずなのに、その時ばかりは痛烈に後悔さえしてしまった。自分で決めたことなのだから今更文句は言うまいと直ぐに思い直したけれど、悔しそうな皆の顔を見ると胸は痛みっぱなしだった。

まだまだ全国があると、リベンジの機会はあるのだと励ますのは簡単だけど、干渉に浸る時間ぐらいあったっていいだろう。第一そんな安易な言葉で済ませられない想いが彼らにはあった。儚げな少年の笑顔を頭に浮かばせると、未だ返事の無い仁王にかける言葉は尚更見つからず、彼が座っていたベンチの空いたスペースに無言で腰を下ろす。振り返らないということは顔を見られたくないのかもしれないという思いと、自分自身が感じているこの気まずさを悟られまいと背中を向けて座った。

仁王が無言だから、私もなんとなく口を開けないでいる。そのくせ何故だか放っておけずにいるのは、たぶん私自身が仁王を一人にしておきたくないからなのか。こんな時こそ、自分の気持ちに誤魔化しが効かなくて困ったもんだ…。

そんな事を考えながらしばらく呆けていたら、不意に背中に重みを感じる。同時に布越しに伝わって来た体温と、首筋を撫でる柔らかい毛先の感触。そして傍らに置いてあった右手に仁王の左手の先が掠る。そのまま小指の先だけが僅かに触れ合った。先程、迷うことなく真田の頬を、仲間の頬を叩いたその手。触れた小指の先に急速に胸が鳴っていた。そして胸が軋む。

悔しいよね……きっと。と、思ったら思わず目頭が熱くなった。薄く唇を開いて息を吐き出して、涙が零れ落ちないように上を向いたら予期せず後頭部がくっつく。あ、と思ったのだが、零れ落ちそうな涙を食い止める為にはそのままでいるしかなくて、仁王が背中を向けてくれていて良かったと思った。


「………何をしとん、帰るぜよ」

「お、わぁっ…!」


と、思ったのに。急に背中を支えていたものが無くなり、背後に引っくり返りそうになるのを慌てて後ろ手で制した。あっけらかんとした仁王のその物言いに拍子抜けしている内に、奴は立ち上がり相変わらず私に背を向けたままで歩き出していた。返事が無いことにも構わず、大股でずんずん進んでいく仁王。


「……泣いてる?」


確信を持っていたのではない。小走りで追い付き、いつもより幾分大振りに揺れる銀色の尻尾を視界に捉えて、私は少々意地悪く言ってみた。


「誰がじゃ」

「お前がじゃ……あだっ!」


ようやくこちらを振り向いて、冷たい目で睨みを効かせて来る仁王に思わず小さく笑って言うと、思いっきり後頭部を叩かれた。容赦の無い力に反論より先にまた笑いが零れる。脳味噌に強い衝撃を受けたからだろうか、何気なく思い出した。


「ねぇ」

「あ?」

「今朝、幸村くんにメールしたんだってね」

「………笹原か」


おおよそ情報の出処は把握出来るのだろう。それは幸村とゆかりちゃんの関係性を鑑みれば、誰だって思いつく。無言で頷けば仁王はただ鼻で笑って答えた。彼が幸村へと送った内容をゆかりちゃんから聞いた時……というか再現してもらった時は思わず笑ってしまった。今朝早く、仁王は幸村へと何の変哲もない顔文字一つを送り付けていたのだという。何が言いたいのか分かるようで分からないようなそれは、物凄く仁王らしいような気もした。今の目の前で無機質な顔をしている彼には似つかわしく無いようでいて、実に良く似合う気もする。口下手なのではと感じさせる場面や、長ったらしい理詰めのような言い回しが苦手だろう仁王。顔文字一つに一体どんな気持ちを込めたのか。それは、


「届いたよね、きっと」


例え私には分からなくても、きっと幸村には伝わっているんじゃないかと、そう思う。だって彼らの絆は強くて深い。


「………ん」


独り言のように呟いた言葉に、仁王は短い相槌を寄越した。そして遠い目をする仁王。その瞳には今、何が写る。夕焼けに照らされてオレンジ色に染まった仁王の髪が、一陣の風にふわりと浮いた。その隙間から見えた眼が思いがけずとても力強くて、ホッとした。


next…

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