55.
人肌から伝わるリアル。
一人引き返した部室、ロッカーから取り出しジャージのポケットを探ると、案の定入れっぱなしになっていた携帯が出て来た。こちらの世界で関わりがあるのは立海生、それもごく一部と家族ぐらいなので、これといって欠かせない物という訳ではないが、常に手元に置いていないと不安という現代病に間違いなく犯されているのだから仕方ない。ホッと息を付いて再び学校を出て歩く最中、取り戻したばかりの携帯が震えた。
「テニスクラブ?え?…あぁ……うん……は!?」
と、電話を寄越した柳の言葉に私は驚いて、幸村が入院する病院へと向かう為に駅方向に踏み出しかけた脚を止めた。
『赤也がテニスクラブで問題を起こした』
このタイミングか…!!と、私は柳の声を聴きながら、口に出せない驚きを心中で叫ぶ。もう病院を出たので、そのまま今日は帰宅しても良いという連絡であったのだが、私は一にも二も無く自分もテニスクラブへ行くと返す。
いつもながら予告無く訪れるそれ…。当たり前だ。内側に入り込んで彼らと共に時間を過ごしていると、俯瞰からの目線など無くなる。物語は常に青学を主軸に描かれていたのだから、更にだ。突然降って湧いたようにそれは訪れて、私の中の記憶とリンクする。その感覚が未だに慣れない。慣れないということは、完全にはまだ馴染めていないのだろうか。
現に、切原が今まさにきっと越前リョーマと戦っているだろうと考えると、あちらの世界で感じていた高揚感が相も変わらず湧いて来る。現実世界で起きていることなのに、テニスクラブへ向かう道すがらでは彼らの激しい交戦を脳裏に浮かばせ、いらぬオタク精神で自らの好奇心を掻き立てていた。切原の悪魔化、リョーマの覚醒、真田の鉄拳…。朧げながら、一場面、一場面と、瞼の裏にフラッシュバックする。それと共に何ともいえない興奮が未だに湧いて来るのを自分でも止められない。
何が言いたいかというと、私はとにかく、越前リョーマに会いたいのだ。
ーーーパシャッ
「か、わ、い、い……!!」
「あっ!杉沢さん何を…!」
真田の背中に担がれ爆睡かました王子様。私はその寝顔に向けて携帯カメラのシャッターを押した。越前リョーマ……。此奴が全ての元凶。…否、全てのキッカケだった。彼が桜の下で竜崎桜乃と出会わなければ、私は彼らに人生の大半を捧げることにはならなかっただろう。っていうか今は人生そのものになってしまっているけど。
「この子、家に持って帰ったらダメかなぁ…」
「痴女かよ!」
「中1って幾つだっけ?」
「13か、誕生日まだなら12だろ」
うわぁ…下手したら息子でも可笑しくないじゃん。と、越前リョーマを見つめて私は内心溜息。まだまだ小学生に毛が生えたような幼い寝顔に、私の頬は緩む。
「この間も見ただろう?今更何を珍しがっている」
「いや…あん時は、ほら、跡部くんと手塚くん撮るのに夢中だったから」
柳が不思議そうに首を捻るので、慌てて言い訳を並べた。確かにあの日、関東大会の氷帝戦でも彼の姿は目にした。しかし、どの面下げて嬉々として飛び付けよう。予期せず跡部にカメラマンをさせられ、挙句の果てに手塚戦に涙し…タイミングなど図る余裕など無い。何より自ら積極的に動くのは自重していた。あくまで私は観戦者としてではなく、立海テニス部の一員として参加したのだし…という思いもあった。
「こんな小っちゃいのにねぇ」
と、今なら許されるだろうかと、軽く越前リョーマの頭をひと撫でしてみる。柔らかい猫っ毛のような感触が生きているリアル。じんわりと感じる人肌特有の暖かさ。微かに零れ出る健やかな寝息。こんな小さな身体で奴を負かしてしまうとは…と、不意に今度は切原に目を向けた。珍しく無口で、会話に混ざろうともしない彼に苦笑い。落ち込んでいるんだろう。裏表がなく、喜怒哀楽が激しい切原が作る表情は分かりやすい。
何か言葉を掛けた方が良いかと思ったが、私は一度開きかけた口を閉じた。切原の半歩後ろを歩くように、傍らに高坂ちゃんや柳がついていたから。
「凹んでんなぁ〜赤也。でもまぁ明日には復活するだろ」
「え?」
「結果負けちまったけどな。アイツ、楽しそうだったぜ」
物語の中で、次の試合までに立派に立ち直っていた切原。振り向けば、ジャッカルは柔らかく笑っていた。切原とお揃いの、真田に叩かれぷっくりと腫れた紅い頬で。…今更私の言葉など必要ない。本来存在していないのだから、私抜きでも彼らはしっかり前進していく。テニスに関しては口出しは無用だろう。ジャッカルの他意のない無垢な笑みに私の口元も不思議と綻んだ。
深く追求することは止めて、私は再び越前リョーマへと目を向ける。スヤスヤと気持ち良さそうに寝入っている。可愛らしいというか愛くるしいというか。真田の背中にピッタリと頬を寄せて…。
「……パパ?」
「パ…!?」
「パパとか似合わねぇー」
「に、似合う似合わないの問題ではい!オイ、杉沢!写真など撮るな!」
その構図があんまりにも、なんていうか、ツボで。それもオタク的分野でツボで。今度は真田も含めて写してやる。すると柳から転送を頼まれ、どうする気かと問えば幸村に送りつけるとのこと。真田がからかいの対象となっているのは、こちら側の世界でもあちらの世界でも変わらない。それは、自分自身が素直でいられる数少ない事項で、救われている部分だった。
そうしている内に、しばし真田パパと越前リョーマの二人を被写体にしての撮影会が始まり、皆で携帯を向けて笑う。転送しろと言ったくせに、結局柳も自ら写真を撮った。一頻り騒いで、越前リョーマを送り届ける組と、それぞれ帰路につく組とが分かれて行く。越前リョーマとの分かれ際、皆して彼の顔を凝視する姿が印象的だった。自分の対戦相手になるかもしれない相手なのだから、当たり前か。次は青学戦だと既に皆知り得ていたが、誰が誰と当たるかまでは分からない。しかも彼らは青学を舐めている。
この小さな男の子がいずれ幸村と……なんて、まだまだ先のこと。それは私しか知る由がないのだ。それぞれがリベンジに燃える姿も。それ即ち、次の関東大会決勝で立海は負けること。胸が痛くなるよ、ホント。
立海が敗北する運命にあるかと思うと、今の余裕綽々な彼らの様子に、足元すくわれるとはまさに…という気持ちだが何も口出しをしないと決めている。知っているのに励ましもしない、助言もしない、何もしない。私は部外者なのだから、その権利も資格も無い。何より、彼らはそんなことは喜ばないのではないかと思うから…私の実態が明るみに出ることはなくても、だ。当事者でない者に口を挟まれる不快感。それを想像すると、例え彼らが私の正体を知らないままであろうと躊躇われる。
果たしてそんな私は薄情者なんだろうか?未来が分かっていて助言するのと黙っているの、どちらが残酷なんだろう…。そんな気持ちを抱えたまま、私は越前リョーマと真田パパ、立海の面々と別れたのだった。
奴からのメールを受信したのは、その日の夜遅く、日付けが変わろうとする頃。
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差出人:nioniopun124@s...
20XX.07.24.23:58
<件名>におーまさはるくんです。
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<本文>
変更したナリ
登録よろプリ
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よろプリって。
…と、丸井の"シクヨロ"宜しく、とんだ語呂合わせの末尾に口元が緩む。昼間のことが気掛かりだったんだろうか…それはメールアドレス変更の知らせだった。皆が色々と騒ぎ立てる中、口数は少なかったが人一倍不快感を露わにしていたからな。何処の誰だか分からない奴らに知られているかもしれない不安を、すぐさま払拭したかったんだろう。しかしまぁ、なんていうか、仁王自身とのギャップが激しい字面である。
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差出人:杉沢透子
20XX.07.25.00:11
<件名>無題
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<本文>
りょーかい。
また明日。
おやすみ。
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が、それは一人笑うだけに留めて端的に返信すると、私は数秒考えたのちに携帯の電源を落とした。
明日も早い時間から朝練があるのだ。眠りを妨げられてはたまらない。……想い人からの返信を待って眠れなくなるなど、そんな少女のような思考に苛まれるなど真っ平ごめん。封印すると決めたのだから、余計に踏み込むようなことは止めよう。
充電を兼ねて所定の位置に携帯を立て掛けると、私はすぐさま布団に潜りやがて間もなく眠りに落ちた。
next…
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ネコの尻尾。