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ネコの尻尾。
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66.
哀愁グラデーション。


跡部に送り届けてもらって、ようやく立海へと戻った私。歩みを進めて徐々に近付いたコート、そこから微かな音が聞こえていた。よくよく耳を済まして……まさかと思った。テンポ良く繰り返されるラリーの音………いや、壁打ちか…?辿り着いたコートでは、ただ一人、仁王が静かにラケットを握っていた。見下ろした先の銀髪に、自分でも驚くぐらいに胸が鳴り出す。綺麗だな…。練習の時とも、試合の時ともまた違う、ただただ暇を潰すだけのような無駄な力が抜け切ったフォームに、つい見惚れてしまう。

やがて仁王が私に気付き、分かりやすいぐらいに大きな溜息を吐いたのが遠目でも分かったが、何と声を掛けようかと迷う内に仁王の方が先にコートから出た。


「………なにし」

「待っとった」


言い掛けた言葉は仁王に遮られる。薄々わかっていた言葉に頷くに頷けなくて、私は後頭部を掻きながらどうしたもんかと困る。さらに、その手を突然掴まれたもんだから驚いた。

な、何を……!と今までの経験上から咄嗟に身構える。が、仁王はそのまま黙って歩き出したから、拍子抜けしてしまった私は手を引かれるがままついて行くしかない。振り返りもせず無言で進むその背中にクエスチョンマークを飛ばすが、まぁ黙って見つめているだけでは気付くはずもないだろう……。


「……ムカつく」

「えっ」

「……軽々しく持ってかれよって」


低く呟かれた言葉に、私の心臓は一層煩くなった。ちょっと、ちょっとちょっと。そういうの、なんて言うか知ってる…?俗に言うヤキモチって言うんだよ…。

まさか。嬉しいだなんて言えやしない。…っていうか、そんなこと言ってるけど、むしろそんなの吹っ飛ばして先に唇奪いやがったじゃないかお前。そっちのが何倍も罪ってこと理解してんの…?

言いたい文句なら沢山ある。力強く繋がれた手が自分でも意外なくらい嬉しくて、そして途端に恥ずかしくなった。いい歳して若い子に手を握られて胸きゅんだなんて、柄じゃない。ホント柄じゃないんだから。

私は力を入れて仁王の掌から自分の手を引き抜いた。手を繋いでいなければならない理由など、私たちには無い。その瞬間、仁王が私を振り返ろうとした気配を僅かに揺れた肩のラインから感じ取ってしまい、咄嗟に空に目を向けた。少しだけ周囲の土地に比べて高台に位置するよう建てられた立海からは、夜に成りかけた空の色が美しいグラデーションを描く様がよくよく観えた。街を飲み込むような深いブルーがオレンジの上に滲むように広がっている。


「……いい色」


もうすぐ街は闇に飲み込まれる。その間際に立つ私。心の中はとっくに闇に染まっていた。ぎゅうと胸が潰される感覚を誤魔化すように、両の指先でこしらえたレンズ越しに、その闇を見つめた。


「……いつから」

「え?」

「いつからやっとん」

「何が?」

「カメラ」


その仕草を見て思いついたのか、いつしか足を止めていた私の横に並んだ仁王はラケットを肩に担ぎながら口を開く。問い掛けられた質問に、私は何と答えようかとまた迷う。


「中学入ってから、かな」

「ふーん、割と最近じゃの」


いや、もう10年以上だよ。と、結局のところどうにも上手い誤魔化しが見つからず正直に答え、返って来た仁王の言葉を心の中だけで訂正をする。


「仁王は?」

「ん?」

「テニス、いつから?」

「んー……覚えとらん」

「んなバカな…」


自分のことが探られるのが嫌で、私は仁王に質問をし返す形で話を逸らした。そういえば、無気力を体現しているかのような此奴は、どうやって何がキッカケでテニスに目覚めたんだろう。そう思ったのに仁王からは腑抜けた言葉が返って来て、私はやや呆れを込めた溜息を零した。もし本当に覚えていないとしても、明確にテニスに打ち込み始めた時期とか年齢とか何かあるだろうに…。


「じゃあー、ペテンを覚えたのは?」


そんな仁王には、その質問にもマトモな言葉は返って来ないだろうなと思いつつ、何気無く思いついた疑問をただただ口から零す。


「俺は生まれた時から詐欺師じゃき」


返って来た言葉に、今度こそ呆れる。思わず薄め目で仁王を見れば、ペロリと舌先を出していた。戯けた表情の似合わない奴。


「やめたやめたっ。会話にならない」

「なんじゃつまらん奴じゃの」

「いちいち面倒臭いのよっ」

「別にツッコミとか期待しとらんぜよ」

「マトモに言葉を交わせない奴は面倒臭い。コミュニケーション能力皆無ね、アンタ」


大袈裟に溜息を吐いて身体を反転させると、私は再び足を進めた。スムーズにいかない会話を楽しむ余裕なんて無い。芸人のように面白可笑しい切り返しなど出来ないし、弁護士と検察ように腹の探り合いがしたい訳でもない。


「会話のキャッチボールが成り立たないのは、無駄に疲れるから嫌なの」


眉間に皺を寄せて私は呟いた。まだ先程の跡部の方が素直であった。そういえば車中では会話が途切れることは無かったな、と思い返す。何も考えずに思ったことを口にするだけで返答が返って来るから、あまり身構えずに話が出来る奴だった。正直者というのは、なんだかんだやっぱり得をする。跡部のように精神年齢も高く賢ければ尚更。他者との会話能力に優れているんだろう。

そう考えると、仁王の性格と自分の性格は合わないんじゃないか。一挙一動、逐一斜に構えた仁王は、相手をしているとどことなく疲れる。挙句先日からの突拍子もない問題行動を思い返すと…ますます頭を悩まされる。


「……始めたんは、姉貴の影響じゃ」

「へ?」

「小学生だった姉貴がテニスやるっちゅうんで、送り迎えするオカンに連れられてスクール行っとったき、成り行きでの」

「……ふーん」


と、思考を巡らせていると、何を思ったか突如語り始めた仁王。相槌を打ちながら、半歩後ろを付いて来ていた彼を僅かに振り返ると、一瞬合わさった目がすぐさま逸らされる。何か続きがあるのかと言葉の先を待ってみたが、それ以上続く気配は無い。逸らされた顔がただただ落ちかけた夕陽に照らされているだけ。何だ。相変わらずの会話下手か。


「っあははっ……っくく…」

「……何を笑っとん」

「いや?別に?」


喉から込み上げた笑いを、口元に手を当てがい抑えた私に今度は仁王の方が眉間に皺を寄せる。不服そうに歪む顔に、更に笑いが出そうになった。素直なんだか捻くれてんだか…。ちょっと前言撤回してもいい。正直者じゃない奴は、ある意味コミュニケーションを取る上で一度殻を破らせると人一倍面白いのかもしれない。

そして鳴る。掴みそうで掴みきれない、仁王の反応に。やっぱり私の胸は鳴る。ついでに歯に衣着せぬ率直なダメ出しにこうも分かりやすく反応されてしまっては、可愛げまで感じてしまうじゃないか。どうにも出来ないというのに。そう思ったって、頭も撫でてやれないのに。自分に自制を掛けるため、私はその後余計な口を開くのをストップさせた。何より仁王は私を待っていたと言ったのだ。過度な期待は、もう持たせてはいけない。

そうしている内に、空に広がる夕闇はどんどん広がっていた。私の心も同じような速度で曇っていっている。ここのところ、私が知る彼らのストーリー通りに現実が進んでいく度、胸が締め付けられることが増えていた。夏休みが始まった当初のあのワクワク感はどこに行ったのか。確かに楽しみでもある。こうして連日練習に励む彼らの姿には、心から誇らしく思え、そして逞しく感じている。大舞台でその成果が発揮される瞬間を早く見たいという気持ちも当然湧いている。けれどそう思えば思うほど、涙が滲んだ。


next…

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