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ネコの尻尾。
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69.
ナミダ。



全国大会が始まってからの日々は、あっという間に過ぎていったように思う。

色々あったが、まぁ結局のところ宣言通り幸村の目には全国しか写っていなかった。不在だった期間を埋めるように誰よりも必死だったように見えた。のめり込めばのめり込む程に冷徹な目をする幸村が恐くもなったが、奴の気持ちは皆が理解していたつもりだ。何より全国にかける想いは同じ。

そういう幸村に俺らはついて来た……というか引きずられて来たっちゅう感じが強いがの。三強は一年の頃から三強やし、それ以外のレギュラーになった奴らはそこに食らい付こうと必死だったけぇ、特に群を抜いて強かった幸村には誰も文句なんか言う奴はおらん。男っちゅうのは実力ある猛者に、どうしても一目置いてしまう生き物らしい。


「マジ…パネェ幸村くん…本番前に潰される…」


……が、たまの愚痴が出るんは仕方なかね。そうは言うてもキツいもんはキツい。そんな幸村にたっぷり絞られ、丸井が息も切れ切れに言う様子に皆は苦笑しきり。軽口を叩き合う暇も無く、その日の丸井はそのままクールダウンへと向かってった。

幸村復帰後の空気の変わりようには誰もが気付いていた。しかしその日々が始まってから、俺たち選手陣は一切それを口にしなかった。当然だ。暗黙の了解じゃ、そんなんは。

幸村の目が鋭くなればなる程、口調が厳しくなればなる程、不思議と士気は高まった。

「ドMか、俺らは」と誰かが言えば、「やっべ、新しい自分を発見しちゃったスか?」と誰かが答える。「…改めて尊敬するわ、あんなんが彼氏なんて」と誰かが言って、「いや、テニスしてる時は別格だから。私も恐いよアレは」と笹原が答える。

…そんな冗談を交わし合いながら、夏は佳境を迎えた。一戦一戦、勝ち進んでいく毎に祈りは強くなり、熱くなっていった。

皆、同じことを願っていた。
皆、同じ所を目指していた。
皆、きっと同じ想いでいた。

なのに。
俺たちはまた負けた。



深く溜息を吐き出せば、何か憑き物が取れたようにドッと気が抜けた。悔しいのはもちろん、ホッとしたような…それでいて寂しいような…。色んな感情が一片に襲って来ているようだった。自分がこんなにも己の感情に振り回されるなど思ってもみんかったの。

ぼんやりとした頭のまま迎えた閉会式。その後、さて皆で帰路に着こうかという段になってアイツの姿が無いことに気付く。バスを停めてあった集合場所の駐車場にも、いつまでも現れない彼女。お前がやれよ、と幸村からの無言の合図に軽く息を吐いて、取り出した携帯で長いことコールしたのち、ようやく通話が繋がった。


「どこにおる」


静かに問えば、携帯の向こうからは涙声になった奴の声でその場所が告げられ思わず苦笑。短い会話だけで切ると、俺は足を進める。会場となった敷地内の歩道から大きく外れた草むら。大きな木の根元に寄り掛かり、膝を抱える杉沢を見つけた。


「なしておまんが泣く」


返事は無い。代わりに顔を埋めている腕の隙間から鼻を啜る音が聞こえた。

思えば……今日の杉沢は試合開始時からして様子が可笑しかった。

1試合目の勝敗も見えぬうちから時折り涙ぐみ…俺ん試合が始まる頃には既に目が真っ赤じゃった。俺が杉沢に対してそういう感情を抱いていると周囲に公になってから、更に輪をかけて不用意に近付かんよう気を配っとったような彼女だったが……。


俺は昨夜のことを思い返す。彼女から掛かって来た一本の電話。その時間に杉沢からの電話など、とても珍しいことだった。

要件がなければ無駄な電話はしないような奴じゃき何だろうかと疑問符を浮かべた俺に、自分のPCは持ってるか?、バージョンは?、中に入っている動画再生ソフトは?、と矢継ぎに聞かれて全て答えたのち、アドレスを聞かれた。やがて数秒の間が空いて、一通のメールを受信する。件名も本文も無い殺風景なメールに、二個のファイルが添付されていた。

『……関東大会と昨日、撮ったやつ』

と、端的に述べた杉沢は興味あるなら見てみて、と付け加えるとすぐに通話を切りよった。

開いたそれは……今日俺が対戦した不二周助が先の関東大会で見せた試合の様子が、クリックと同時に動画再生された。ハッとしてもう一つのファイルを開けば、昨日の四天宝寺戦での不二周助…。なぜこの選手をピンポイントで、なぜ今日の相手を予知するような事を杉沢はしたのか……いや、出来たのか。何より、なぜ突然そんなことをしようと思った?だいたいデータ分析は俺の得意分野じゃない。そんなん彼女だってよう知っているはずじゃろ。が、それを把握していながら何故わざわざ?

おまけに彼女は俺が試合に向かう直前に、それこそほんに珍しく杉沢の方から触れて来た。両手で俺の右手を包み込み、赤い目をしたまま彼女は小さく呟く。

『…頑張れ、自分の為に』

いつかも似たようなことを言っていたな…などと頭の片隅で思い返した俺。そんな彼女の言葉を胸に俺は試合に臨む。勝ちたかったさ、そりゃ。今まで一緒にやって来た皆で。勝ちたかった…彼女を手に入れる為に。その全てが自分の為だった。


「……賭けは成立せんかったのぅ」


未だ杉沢からの返事は無い。そんなことは別段気にならなかった。ただ率直に事実を述べただけじゃったが、杉沢は肩を大きく震わせた。やがて静かにその顔が上がる。


「かっこよかったよ」


そりゃ何の返事にもなっとらんし……と、杉沢の言葉には何故だか苦笑いが出た。


「かっこよかった、アンタ。すごく。今までで一番。」


単語単語で話す彼女の言葉は素直に嬉しい。


「…だから…悔しいっ」


そうして再び赤い目から涙が零れる。堪えきれないんだろう、手にしていたタオルを目元に押し付けて彼女はまた膝に顔を埋める。

それは…単純に俺が負けたことが?それとも賭けが成立しなかったことが?……などと不謹慎なことが頭を過って、大概俺も現金な奴じゃと自分を思い知った。

だが、その答えなどどうでも良くなるぐらいに彼女を愛おしいとも思った。自分らの為にこんなにも涙を流している杉沢、俺たちが負けて悔しいと泣きじゃくる彼女が心底好きだと思った。そんな奴がマネージャーとして自分らの側にいてくれていたんがどれだけ有難かったか、今になって初めて幸せなことであったのかもしれないと実感した。


「のぅ……抱き締めたら怒りよる?」


いつも衝動に任せて行動していたのに今更何をビビってるんだろう…。だが、今日に限っては拒否されたくはなかった。不意打ちで驚かすとか欲を吐き出すとか、そういう意味合いでは無い触れ方をしたかった。

僅かに間が空いて杉沢が顔を上げる。その頬に涙の筋が残っていた。潤んだ瞳が可哀想で、可愛くて。


「ダメ」


しかし。杉沢は涙声でハッキリと言った。ズキリと胸が痛む。


「頭なら……撫でてあげる」


そしてそんなことを言うから、俺はまたしても苦笑するしかない。返事をする前に杉沢の手が自分の頭上に乗り、そのまま後頭部の曲線に滑り落ちた。それが数回繰り返される。っちゅうか、狡いじゃろ。抱きしめるんはダメで、なのに、こんな風に優しく撫でるとか何なん。

そんな事が脳裏に浮かんでも、今の俺は何一つ口に出来なかった。


next…

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