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ネコの尻尾。
【18/54】
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68.
悪足掻き。


翌日、私は立海の皆の試合を観戦しなかった。愛知代表の名古屋星徳中に彼らが勝利することは知っていたし、それよりも訳もなく沸き立つ焦燥感に居ても立ってもいられなくて、私は彼らが戦うコートとは別な場所にいた。部長の幸村や副部長の真田には許可を得ているし、毎度恒例となったカメラでの撮影は柳に託した。既に私の説明などなくてもすっかりその扱いに慣れた柳は、三脚のセッティングから的の絞り方まで完璧に習得している。そして私は、更に自宅から持参したもう一台のカメラを手に目的のコートへと向かった。彼らの一挙一動を目に焼き付けようと、私と似たような装備をしている奴等があちらこちらに見受けられて、他校である私がギャラリーに紛れ込むことに何の違和感もなかった。

今私の目の前で繰り広げられているのは青学VS四天宝寺。S1、不二周助VS白石蔵之介。その試合真っ只中である。

………負けて欲しくなかった。負けると分かっているのに、私は彼ら……立海テニス部に、どうしても負けて欲しくなかった。私が手出ししたところで運命は変えられないと頭では分かっていても、感情の行き先は真逆を辿る。皆に勝って欲しい。あんなに、あんなに必死で練習を積み重ねて来た彼らに。勝って欲しかった。どうしても。強く強く、そうひたすらに思っていた。

天才不二周助をレンズ越しの眼で追う。白石との激闘の中で見せた彼の技を逃すまいと必死に眼球と手を動かし続けた。いつかアニメや漫画で見た「消える打球なんて無い」という幸村のセリフが、不意に脳裏に蘇る。そう。ボールが消えるなんてあり得ない。例えばこの目には映らなくても、私が長年愛したこの有能な相棒には映るはずだ。ただの一枚絵に略されることも無く、派手な光の演出や効果音で誤魔化されることも無く、しかと。零コンマ一秒だって逃さない。

これが一体何の役に立つのだろう。それは自分でも分からない。ただ、今の自分にはこれしか出来ないから。結局は自分自身の自己満足で終わることになるかもしれないと、そう思っていながらも何かしなければという訳の分からない焦りに駆られて私はカメラを回し続けた。


「お疲れー!試合、どうだった!?」

「ん………やっぱ青学は強いかも。勝ったよ」


青学と四天宝寺の試合を見届けて皆の元へと戻ると、立海快勝の喜びに笑み浮かべたゆかりちゃんに声を掛けられ、当たり障りの無い言葉を返した私も笑って見せた。今ここで私が足掻いても仕方ない。私個人の葛藤など彼らには無関係なんだから。沈む気持ちを悟られまいと平静を保ち、有りのままの事実だけを告げた私。ポツリ、油断はならんな…と、真田が漏らした。既に先は見据えられている。他の面子がその言葉に神妙に頷き合うのをどこかボンヤリと私は見つめる。やりきれない思いはますます募って仕方ない。

それをどう消化して良いか分からないまま、先程撮った青学と四天宝寺の映像を自身のPCに送って欲しいという柳に同意を示すように軽く頷いた後、私は黙って手に握ったままだった大会パンフレットでスケジュールを確認した。無駄だと知りつつ何かしていないと落ち着かない。立海の皆の必死な姿を目にしたらいよいよ冷静でいられなくなるのではないかと恐くもある。あんなに楽しみにしていたのに。皆の勇姿をこの目で観たいとあんなに願っていたのに。いざ目の前にして怖気づくなんて……。考えが甘かった。

時は刻一刻と迫る。決勝戦は、もう直ぐ目の前。

顔を上げると、不意に仲間と談笑する仁王の姿が目に入る。いつものポーカーフェイスの裏で、ここ数ヶ月、間近で彼がテニスに打ち込む姿をずっと見て来た。プレイスタイルはイリュージョン。人を騙すのが得意。嘘吐き。でもボールを追いかける目はいつも正直で、いつも真剣だったように思う……。それは仁王だけじゃない。皆、皆、必死だった。脳裏に蘇る練習風景。胸が痛い。痛くてたまらない。


「……なんじゃ。俺ん顔に何か付いとるんか」


心ここに有らずのまま見つめていたら、私の視線に気付いた仁王が怪訝そうな顔をする。その言葉と吐かれた溜息に、皆の目も自然とこちらに向いた。


「なに?まさかお前、緊張でもしてんの?」


その内の1人、予期せず目が合った丸井にニヤニヤ顔で目敏く指摘されて、どう答えていいか分からずに曖昧に苦笑いを作ったが、心臓を締め付ける痛みは更に増した。言葉が出て来ない。緊張してるといえば、緊張している。何に?、と聞かれても明確な答えなどないが、確かに、私は緊張していたんだ。


「もう……もう、あと一試合なんだね」


やっと口から出て来た言葉。敢えて口にするまでもない現状を、敢えて口に出してみただけ。


「なぁ〜に当たり前のこと言ってんだよ」

「……ん。やっぱ緊張してんのかも。全国大会で決勝とか、初めてだし」

「会場の雰囲気もピリピリして来たしなぁー。しょうがねぇんじゃん?」

「周囲の空気に飲まれたか?そういえば心無しか顔色が優れないような……そんな繊細な面もあるとは少々意外だな」

「ホントホント、神経図太そうなのになぁーお前」

「……アンタらねぇ…」


一言多い柳に、デリカシーのない丸井。ぷくーっと口元で膨らませた風船ガムを揺らしながらケラケラと丸井が笑い、王者の貫禄を見せつけたいのか柳は珍しく得意気な顔で茶々を入れて来た。それぞれを交互に見やって軽く睨んだら、二人ともわざとらしく肩を竦める素振りをして、呆れ顔の私を鼻で笑った。


「致し方ない。我々王者立海に向けられる世間の目は、良くも悪くも厳しいものだからな。気が張って当然だろう」

「俗に言う、プレッシャーってやつかもね。…ほら、ごらん?試合が無いレギュラー以外の部員たちも落ち着かない様子だね。皆同じなのさ」


そんな丸井と柳に更に呆れるが、表情で悟られる程に分かりやすく顔を強張らせていたのかと焦っていたら、今度は傍で会話を聞いていたであろう真田と幸村が至極真面目な声色で言った。幸村が小さく笑いを零しながら指差した先を見ればレギュラー陣以外の部員たちの姿があった。それを見つめる幸村、そして真田の目は厳しい眼差しだ。それでいて、どこか暖かい。


「まさか杉沢先輩、俺たちが負けるとでも思ってるんスかぁ?」


幸村が指す「皆」には、やはり私も含まれているのだろうか……と、嬉しさと罪悪感とが複雑に混じり合う。溜息が出そうなのを堪えていたら、私の背後を歩いていた切原から確信を突かれて反射で声が出そうになった。


「……まっ、まさか…ね」

「そ!まさかっスよね〜負けるわけねぇっスから、先輩は気楽に見てて下さいって!」


一瞬出そうになった動揺を隠して答えれば、眩しいぐらい自信に満ち溢れた顔で切原が笑う。


「なぁーに偉そうなこと言ってんのよ!」

「ってぇ…!テメェいきなり殴んなっつの!いいだろ別に、試合すんの俺だし」

「アンタだけじゃないでしょうがよ!レギュラーん中じゃ一番下っ端のくせして」

「あぁ!?何が言いてぇんだよテメェ!」

「だぁぁぁ…!大会来てまで逐一つまんねぇことで喧嘩すんのやめろって何回言やぁいいんだ、お前らは!」

「そうですよ!やめたまえ、高坂さんも切原くんも」


頼もしい切原の言葉。それに私が返事を返す前に、高坂ちゃんが手にしたスコア表で奴の後頭部を叩いた。そこから毎度お馴染みの小競り合いが始まると、何処からともなく現れたジャッカルと柳生が二人を諭す。


「………しかし、彼の言うことは最もですね。我々に負けなどあり得ません」

「まぁそれはそうだな。杉沢は大船に乗ったつもりで見ていればいいのさ。そんな心配すんなって」


そして私も諭される。二人が優しく笑えば笑うほど、胸は痛んだ。


「ホラ見やがれ、結局先輩たちだって俺と同じこと言ってんだろうがよ!」

「アンタが言うのと先輩たちが言うのじゃ重みが違うの、重みが!」

「ぁあ!?」

「あーもー!いい加減にしなよ切原くんも実希子も…!」


口を挟む暇もなく、ジャッカルや柳生の忠告など右から左に流し尚も口論を繰り広げる切原と高坂ちゃんに、たまらずといった風にゆかりちゃんも仲裁に入った。いつしかそんな光景が当たり前になっていて、今日も今日とて騒がしい2年生コンビ。それには流石に素直な笑いが零れた。


「もう…アンタたち少し声のボリューム抑えなさい!ただでさえ注目されてんのに、変な目立ち方しちゃうでしょ!」


幸村の前では可愛らしい女の子のゆかりちゃんも、皆の前では歴とした先輩として振る舞う。両手を腰に宛てて後輩たちを叱るゆかりちゃんもまた、影で彼らを支えてきた一員だ。


「……悪目立ちっちゅう意味じゃ、おまんも大して変わらん気もするぜよ」


校内での彼らの人気もさることながら、学校外においても何かと注目の的になる立海男子テニス部レギュラー陣の傍、様々な噂や嫉妬の目を向けられながらもいつも強く逞しく居る彼女。


「ど、どいう意味よ…!?」

「あちこちフラフラしては、その度に幸村に連れ戻されよってからに……」

「え。な、なにそれ」


実際、部長とマネージャーという立場であれば、必然的に会場内においても幸村・笹原コンビが並ぶことは多くなる。偵察に他校の試合に出向いたゆかりちゃんを部長が呼び戻す、又は連れ戻すという仲間内では当たり前の光景も、その親しげな距離感が傍目には違ったように写るようで…。


「知らん?大会来てまで女連れとはさすが神は違うって、どっかの誰かが言うっとったきね」


戸惑うゆかりちゃんにそう告げると、仁王は意地悪く笑った。低く喉を鳴らし、鼻に掛けるようなその声が余計に私の心を乱していく。


「余裕かまして、さぞ嫌味な奴らに見えるんじゃろな」

「う…!別にそんなつもりないのに…!」

「そうなの?俺はあるけど?」

「な!精市くん…!また何でそういうことを言うの…!」


自分のことを言われていると気付いたのか、前方を歩いていた幸村が振り返り何食わぬ顔を気取ってゆかりちゃんを見た。緩く上げた広角にその言葉はただの軽い冗談なのだと皆が悟って、なのにゆかりちゃんだけが焦っている様子が可笑しいのか笑いが起きる。


「どう思われようと関係ないさ。勝つんだから。俺たちは」


そして部長幸村のその発言に、皆がそれぞれに頷く。凛々しい顔付きで前を向く彼ら…。大好きだ。私は、こんな彼らが大好きだ。いつの間にか、こんなに。だからこそ悔しい。


「……頑張って」


そうして痛む胸を押さえ付けて、私はようやく口を開いた。


「皆、頑張ってね。見てるから。ちゃんと見てるから」


それだけを絞り出すように言った。何も出来ない罪悪感を隠して、皆に向かって笑って見せた。彼らの頑張りを見届けたい。精一杯応援したい。その気持ちは嘘じゃない。勝って欲しかった。勝てるんじゃないかと、負けるはずがないじゃないかと、そう思っていたい。今だけは、今だけは皆と同じ気持ちで……。そう居たいと願うのはやっぱり我儘なんだろうか?

不意に、自分の頭の上に手が乗った感触がした。一度だけ跳ねて直ぐに離れたそれを目で追いかけたら、無言で左腕を宙に浮かせた仁王が真横を通り抜けて行った。その背中が涙で滲みそうだった。


next…

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