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ネコの尻尾。
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52.
喝を一発。


幸村の一件以来、様子がオカシイ奴がもう一人。分かり易過ぎるぐらい、分かり易い。


「ちょっと…誰か声かけてやったらどうなの」

「んなこと言われてもなぁ〜…何てだよ?」

「いや、わかんないけど…」


丸い背中と僅かに落ちた肩のライン。哀愁漂うその背中を遠目に眺めつつ、見兼ねた私は傍にいた丸井を捕まえて提案した。しかし丸井はポリポリと頭を掻くと困った顔をして見せただけで、全くその気はないようだ。その最中にも、傍目からも分かるぐらいに大きな溜息を吐いて、彼の巨体が大きく揺れる。


「まるで捨てられた子犬だね」

「子犬にしちゃデカ過ぎじゃね?」

「じゃあ子熊?」

「むしろ"子"はいらねぇだろい」

「熊さんか…逆に可愛らし過ぎない?」

「"さん"もいらねぇー」

「コラ…!二人とも先程から失礼ですよ…!」


無遠慮な言葉のやり取りを丸井と笑い混じりに続けていたら、そのまた傍にいた柳生から二人揃って叱られてしまった。冗談が冗談で通じない真面目な紳士様には、その会話が不謹慎であると捉えられたかもしれない。いや私たちだってふざけている訳ではなく、至って真面目に話をしているのだ。


「馬鹿にしてるつもりはなかったんだって。ただあんまりにも、アレだからさぁ…?」


と、曖昧な返事と共に視線を向ければ、柳生も同じ方向を見て溜息を吐く。


「笹原さんは思っていたよりも顔色が良くて安心したのですが…」


今朝の竹内との面談後、ゆかりちゃんはなんとか落ち着きを取り戻していた。朝のようにもう泣き腫らすことはなく、皆の前では平静を保てるようで。部活が始まる頃には、普段通り元気に駆け回る姿が戻っていた。

気落ちしている様子は否めないが、それは致し方ないだろう。直ぐに全てが解決、という訳にはいかないのだから。しかし、これからは毎日病院に行くことに決めたと、そう宣言した彼女はもう大丈夫ではないかと思われる。心を決めたからなのか、覇気も戻りつつあった。

ちなみに、今朝のことを知っているのは私の他には同じクラスの仁王だけ。ペラペラと人に話して回るような奴でも無いから、部員の皆はゆかりちゃんがあまり取り乱していないことに意外そうにしていた。が、「精市くんは私が打ち負かしてやるから!」と強かに笑う彼女に首を傾げながら皆が安堵した。何らかの決着がついたのだろうと思わせる彼女の表情には、むしろこちらの方が安心させられる。

しかしながら。人一倍酷い落ち込み様を見せる奴が、まだ1名。


「真田くんも相当心配しているのでしょう、幸村くんを」


そう。真田だ。

どうやら彼はゆかりちゃんに負けず劣らずの幸村大好きっ子だったようで……。正直、今の今までそんなことは特化して感じていなかったのだが、あの落ち込み様と傷心っぷりがそう思わせる。情けなく八の字に垂れ下がる眉は、今朝のゆかりちゃんとソックリだ。涙こそ出ていないが、完全に背中で泣いている。渋い。

彼は彼で、あの日面と向かって幸村に怒鳴られてしまっていたのだから仕方ない。真っ向から拒絶されて、幸村の苦悩を真正面からぶつけられて…そのショックは大きいだろう。

しかし。放っておけないようで、何と慰めたらいいのか相手があの真田だから故に言い淀む…、といった様子の皆はそんな彼を遠巻きに見守っている。このまま放置も可哀想だと思っていながら、やはりこの件に関しては軽々しい言葉は口に出来ないという躊躇もあるんだろう。要するに、皆、不器用なのかもしれない。

幸村の壊れる様を目撃した翌日は、そんな風にして一日が過ぎていった。ゆかりちゃんや真田だけでは無い、もちろん皆が複雑な感情を抱いたままなのは言わずもがな…。


更にその翌日。

授業の合間の移動時間、私は少々意外な人物から話しかけられる。意外というか、ある意味では納得出来るというか……。


「真田、どうしたの」


えっと…名前は仲川といったか。仲川歩子。私が蛹ちゃんと呼び続けていた真田に想いを寄せる女の子。

廊下を歩いていた最中、背後から突然投げかけられた問いに振り向くと、相変わらずの仏頂面で蛹ちゃんは口を尖らせていた。


「なんかシケたツラしてんだけど、アイツ」


斜め下に走らせた視線。聞くのが不本意だと言わんばかりの態度ながら、その目は真剣で思わず吹き出しそうになる。先日のあの一件から彼女に対しての嫌悪感は無くなり掛けていた。性格に難ありながらも、真田の前で顔を真っ赤にさせたのは純粋に可愛らしいと思ったから。


「気になるなら自分で聞けば?」


が、しかし。ご丁寧に一から十まで説明してやる程、私はお人好しではなかった。何しろ事は真田本人だけのものでは無い。聞かれたからといって、ペラペラと広めていい話題ではないのだ。


「っていうか、そう思うなら元気付けてあげたらいいじゃない?」


それにしても、さっきの言い方は挑発的だったかなとすぐに思い直し、私はあとを続けた。口をへの字に曲げたままの蛹ちゃんに、少しばかり肩を竦めて苦笑いして見せる。


「………ふんっ!アンタに聞いたアタシがバカだったよ!」


だが、彼女はそれを否定も肯定もしないままに鼻息荒く言い捨てると、踵を返して足早に去って行ってしまった。喧嘩を吹っかけて来なくなった辺りは少し友好的になったのか、もしくは彼女自身何かを反省してくれたのか……。どちらにせよ、無駄に攻撃されなくなったのは有難い。揺れる栗色の髪を見つめて、私は口元を緩めた。そんな彼女の姿がむしろ微笑ましいなぁ、なんて感じていたからなのだが……。

そこはさすが、蛹ちゃん。彼女はとても彼女らしい行動を取ってくれた。


「ちょ、ちょっと…!!」


放課後、部活開始前のテニスコート。観覧スペースである階段状のベンチを通り過ぎて中に入る寸前、真後ろから呼ばれて振り返ったのは真田だ。大きな声量に加え、男どもには到底出せない高い音域で発せられたその声に、既に集まり出していた部員たちも一斉に振り返る。


「あれは…仲川、か?」

「だ、ね……」

「え?え?何で?」


いつものようにカメラのセッティングをしてた私。その姿に隣で柳がポツリと呟いたのに、私は頷きを返しながらも驚いた。焚き付けたのは自分であるが、まさかここまでダイレクトに来るとは思っていまい。スコア表をまとめてあるファイルを抱えたまま、こちらに駆け寄って来たゆかりちゃんも目を丸くする。


「仲川ではないか…何か用か?用件があるなら手短にしてくれ。そろそろ部活を開始させなければならぬ。今は時間が惜しいものでな」


引き止められた真田はというと、じっと自分を見据える蛹ちゃんに向かってやや眉間に皺を寄せる。そして冷たく言い放った真田は、彼自身、幸村のことで些か気が立っているのか、蛹ちゃんが何をした訳でもないのに苦々しい顔をして見せた。


「っ!」


それには案の定、蛹ちゃんの目も釣り上がった。途端に不機嫌顔となった彼女は、対面した真田を上目遣いで下から睨みつけるようにして、薄く開いた唇から声を漏らした。


「ん?お前…また髪が明るくなってはいないか?確かに頭髪の染色について校則で禁じられてはいないがな……我々中学生には少々不似合いではないのか。けしからん」


さらに極め付け。盛大な溜息と共に真田が言った言葉に、いよいよ蛹ちゃんの手がわなわなと震え出す。


「え〜、それ今持ち出す話題?」

「弦一郎だからな」

「どういう理屈よ…っていうか」


柳とゆかりちゃんの呟きに答えながら、日中の蛹ちゃんの不安気に揺れる瞳を見てしまっていた私は、真田の態度にあちゃー…と片目を瞑った。彼女にしてみれば何と励まそうかと悩んだ末で、ここまで来たのではないか。それを口にする間もなく真田からつまらぬお小言を言われてしまっては、それを切り出すにも切り出せなくなるのではないか。

と、そこまで読めていながら口は挟まず二人を見つめていたら、やがてふるふると肩を震わせた蛹ちゃんが勢いをつけて顔を上げた。


「っるさいわねぇー!!!赤とか金とか銀とかスキンヘッドとかモジャ男とか散々やりたい放題の奴らばっか従えてるアンタに言われたくないわよぉー!!!」


確かに。


「そりゃそうだ」

「うむ、一理あるな」

「切原くん天パなのにね」

「……ね」


と、内心で同意を示しつつ私は柳やゆかりちゃんと共に頷き合う。仲裁に入ろうとせず成り行きを見守るに徹しているのは、私も皆も、ちょっとばかりこの状況を楽しんでいるからに違いない。他部員たちが割って入ろうとしないのも似たような理由だろう。


「あっ」


しかし。怒鳴られて目を見開いた真田を見て僅かに口元を緩めたのも束の間、次の思わぬ彼女の行動に驚いた。蛹ちゃんが思い切り振りかざした右手で、真田の頬を勢い良く張り倒したのだ。スパーンッ!!という小気味良い音が鳴り響いて、一瞬にして静まり返ったコート内。


「……や、柳センパイッ!!あ、あれ誰!?真田副部長の知り合い!?っつか殴ったっスよねぇ!?今!!」

「え?切原くん知らないの?」

「うそっ、そんなはずないよー!前からちょくちょくコート来てたもん!顔ぐらい見掛けたことあんでしょー?」

「マジすかー!?ぜんっぜん記憶にないっス!!」


そんな中、ストレッチをしていた切原が思わずといった様子で柳の元に駆け寄って来る。


「赤也は人の顔を覚えるのが得意ではなくてな…自分が関心が無い者は特に」

「ふーん、試合とか見に来てるっていうから、皆の間でも有名なのかと思ってた…」

「試合って誰の…まさか真田副部長の!?え、彼女!?あれまさかの痴話喧嘩!?」

「違う。だが仲川は真田に気があると以前から噂されているのだ」

「マジでー!?えぇ!?趣味悪ーッ!!」

「切原くん…それ殺されるよ…」


あまりに衝撃的過ぎたのか、切原は三人の先輩を前にしていながら敬語すら崩れ気味である。あの堅物で鬼の形相が標準装備な先輩は、プレーヤーとして尊敬はされても男として憧れられてはいないのか。


「なっ…な、何故だ!!何故俺がお前にこのような仕打ちを受けねばならぬのだ!?」

「あんたが腑抜けたツラしてるからでしょ!?」

「何!?部外者の貴様に言われる筋合いなど無い!!俺の顔ごときでいつお前に迷惑を掛けたというのだ!?」

「何があったのか知らないけどその染みったれた顔見ると気分が沈むの!!なんとかしなさいよねぇ!!」


無遠慮な驚きを立て続けに叫ぶ切原の相手もそこそこに、私たちは再び真田と蛹ちゃんの会話に耳を向ける。真田がそう言うのも無理はない。彼は蛹ちゃんの胸の内など知る由もないのだから、そんな事を言われても、と腑に落ちないのは当たり前だ。おまけに、蛹ちゃん特有の根拠の無い、訳のわからない言い掛かりも炸裂中で尚更。


「真田が仲川の意図を読み取れてない確率100%だな」

「そりゃそうでしょうよ、いきなり殴られて理解しろって方が無理だって」

「そういう俺も、仲川が何の用件で弦一郎に話し掛けたかは図りかねるのだが…」


混乱しきりの真田を眺め、続けて疑問を口にした柳に日中の蛹ちゃんと私のやり取りを簡潔に話して聞かせたら、柳は「そうか……あれが俗にいうツンデレか」と手にしたノートに何やら素早く記入していた。それは蛹ちゃんのデータとして取ったのか、真田に纏わるデータとして記録したのかが気になるところだ。

そんなやり取りの間も、蛹ちゃんの不器用な励ましは尚も続き、未だ理解不能のまま怒りを露わにする真田。そんな二人の応戦に、徐々にコート内にはクスクスという笑い声が広がっていった。集合時間が迫り皆が集まるまでそれは続いて、面白がった仁王と丸井が携帯カメラで動画を撮りはじめる。


「のぅ、練習はいつ始まるんじゃ?」

「ん〜……誰か止めに行けよ」


二人して地面にしゃがみ込んだまま携帯を構えてボソリと漏らすが、その口元は楽しげに緩んでいる。自分たちで行く気はさらさらないらしい。しばらく皆で見守っていたのだが、程なくして見兼ねた柳生とジャッカルが止めに入ると、騒ぎはようやく終焉となる。

仁王と丸井が撮ったその動画、「幸村にも送ってやろうか」と、誰かが練習終了後の部室で呟いた。


next…

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