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ネコの尻尾。
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04.
それはリアル。



学生の時、勉強が嫌いだった。

机に張り付いて勉強するなんてもう嫌だ、なんて安易な考えで大学に行かずに就職をした。なのに、今になって、友達や同僚が大学生活の思い出話をする度に羨ましさを感じた。

所詮ない物ねだりだと、そう思っていたのに…。気が付けば、持参したノートには黒板が律儀に丸写しされていた。何やってんだろ私…。

ぼうっとしている間に一時限目が終わり、溜息を吐いて腕を投げ出した。とりあえず授業を受けるフリをしていなければ…と思ったのは確かだが、無意識にペンを走らせていたらしい。

状況の理解と、受け入れ難い現実を前にして戸惑っているのに、進む時間に逆らえず流されるだけの自分が嫌になる。閉じたノートの上に転がったボールペンを見つめ、また溜息をついた。

どうしたらいいのよ…
今日、この後のことも、
明日も、
明後日も…

ここへ来続けなければならないの?それで、そんなのを、あっさり納得しろって?そんなの…無理だ…。


「…何か不安なこと、ある?」

「えっ?」


突然図上から降って来た問い掛けに、思考が読まれたかと思わず焦りの声が漏れる。顔を上げると、隣の席の女子がこちらに向かって探るように遠慮がちに顔を傾げていることに気が付いた。

まん丸な目と健康的な肌、ツヤツヤの長い髪がなんの飾りもいらないぐらい眩しくて。いかにも真っ当な、可愛らしい女子中学生だった。


「あっ、突然ごめんね。…でも、すごい眉間に皺寄ってたから」


私がどういう人物か測り兼ねているのだろう。恐る恐るといった様子で言葉を続けて、自分の眉間を指差した。


「あぁ…」


その動作で初めて、他人から気遣われる程に自分が険しい顔をしていたことに気付く。思わず自分の眉間をさすった。


「いや…授業とか、この学校とか、ついていけるかなって…思って」


こんな時、本当の中学生で本当の転校生なら、何て答えるんだろう。憶測でしか答えられない私は、全ての言葉が嘘臭く聞こえてしまいそうで…。あながち嘘とも言えない、しかしそれらしい言葉を選んで答えた。


「…そっか、そうだよね。初日だもんねっ」


すると、自分の問いにちゃんとした返事が返ってきたのことに安心したのか、その子は可愛らしく頬笑んだ。


「あたし、ゆかりっていうの。笹原ゆかり、よろしく。分からない事あったらいつでも聞いて!…あっ、授業の方は、ちょっと自信ないんだけど」


最後に付け加えた謙遜するような言葉に、ちょっとだけ情けない顔をして見せたゆかりちゃんは実に年齢相応に可愛らしく、同年代の中でも好感が高い子なんだろう
と感じられた。

他人に対して屈託なく笑いかけられる。今になって、それがとても高いスキルだということが分かるが、自分が同じ歳の頃に出来ていたかと問われると自信が無い。それを気取らず自然にこなしてしまうゆかりちゃんは、とても気持ちの良い女の子だと思った。


「…よろしく」


こんな女の子になれたらいいな、と遠い昔に抱いていた憧れが蘇り、一瞬懐かしい気持ちになった。無垢な瞳で真っ直ぐに見つめられたのが少し気恥ずかしくもあり、小さく口元だけで笑いながら短く返事をする。


「さっそく出よったの、笹原のおせっかいが」


しかし、その彼の声が聞こえた瞬間、和んだ空気が一気に引き締まり私は耳を疑う。

………さっきの授業中だって、気になって仕方なかった。少しでも彼が動くたびに、自分が異世界へと飛ばされたことがますます現実味を帯びていくようで…。彼が発した声が、嫌んなる程聞き覚えがあるその声が、作り物ではなく歴とした一人の人間の物だという事が、また私に衝撃を与えた。


「っ!何よそれー失礼だし!」

「見んしゃい、急にごちゃごちゃ言われて困っとる」


気が付けば、私の机に肘を掛けるようにして、仁王雅治がゆかりちゃんの方へと振り返っていた。その横顔はよくよく見知っているようでもあり、人間らしく柔らかい曲線を描くその頬や、机に乗せられた筋肉質な腕と手は全く知らない人にも感じられる。

いつの間にか開けてあった窓、そよぐ風に僅かに揺れる髪の毛も、一本一本が生身の人間であることを示していた。興奮と絶望がない交ぜになって困惑してしまう。生身の人間仁王雅治を直視出来なくて、私はゆかりちゃんに向き直るように身体の向きを変えた。


「…ゆかりちゃんの友達?」


何も言えなくなってしまわないうちに、とりあえず口を開く。…なんだか親戚のおばちゃんみたいになってしまった。


「え…トモダ、チ…?」

「なんじゃ嫌そうな顔じゃの」

「やだよ〜!こんなふざけた奴がトモダチなんて」


ゆかりちゃんは渋い顔をして否定しているが、その掛け合いが明らかに友達の間合いである。そうだよね、中学生なんだからクラスの中に友達ぐらいいる。生身の仁王雅治が、こんな風にテニス部以外の子と会話をする姿が新鮮だった。

それこそ、二次創作の夢の中でしかあり得ない。実写映像を見ている感覚にも陥ってしまう。


「…仲、いいんだね」

「え、杉沢さん…今の会話、聞いてました?」

「うん、とっても仲良さそう」

「だからー!」


ムキになって否定するゆかりちゃんが可愛くて微笑ましくて、ちょっとだけ声を出して笑ったら、朝からの憂鬱とした黒い感情が少し晴れた気がした。


「なんじゃ…お前さんも人で遊ぶんが得意なタイプと見た」

「いや、遊んでは…ないですけど…」


そしてすぐ、彼の初めて自分に向けられた言葉に一瞬で身体が強張る。


「仁王雅治ナリ…よろ」


私の返答などさしてどうでもよかったのか、簡単な挨拶と共にさり気なくケースに入ったままのガムを差し出された。


「あ…ありがと……」


その時、転校生に対する仁王雅治の行動なんて夢小説の中でしか見たことがなくて、実際どうであるかなんてこんな状況になってみるまで予想もつかなかった私は、明らかに思考力が低下していた。


「…いっ!」


そして一枚のガムを引き抜こうとして、思い切り親指の爪を挟まれる。

しまった…。
やはり…彼は仁王雅治。
それは紛れもない事実らしい…。


「コラッ!またアンタはそういう事を…!」

「俺流の挨拶をしただけじゃろが」

「杉沢さん文句言っていいんだからね!じゃないと懲りないんだからコイツ!」

「……詐欺師」

「あっ。それよう言われる」


でしょうね。
…だって知ってるもの。

知っていたのに、まんまと引っかかってしまったことが悔しくて、彼はやっぱり私のよく知る仁王雅治で、でも、私の言葉に得意気に屈託なく笑った彼は、今まで見たどの仁王雅治とも違って見えた。


next…

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