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ネコの尻尾。
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50.
叫ぶ、声に出して。



ここの所の和やかな雰囲気にすっかり油断していた頃…。その瞬間は突如として現れた。彼らが生きているという"リアル"を、強烈に見せ付けられることとなる。

たった今、目の前の扉から響き渡った胸を裂くような一言。誰も何も言えやしない。私はただボンヤリとその向こう側を見つめる。彼は足掻いていた。苦しんでいた。傷付いていた。そんな、声だった。

人はそれを"挫折"と呼ぶ。長い長い人生の中で幾つも訪れることになるだろうそれだが…彼の身に振り掛かっているソレは、彼の年端に振り掛かるにしてはあまりにも残酷な現実だった。今更ながら彼本人の言葉や感情を初めて目の当たりにした私は、改めてそれを痛感する。


「………ゆかりちゃん、呼ぶね」


なんのタイミングのズレか、そういう時に限ってこの場に居ない友人の名を口にしながら、私は重く押し黙ったままの皆を前に呟くと、鞄から取り出した携帯を操作し始める。「帰ってくれないか」と……そう幸村に言われて病室の前から離れても尚、皆、待合所の椅子に座り込んだまま帰るに帰れないでいた。


「……今この状況でか?……幸村の気持ちを考えたらどうだ」


と、そんな私に溜息交じりの柳が眉間に皺を寄せた。呆れとも蔑みとも取れる声色とその言葉に、私もまたピクリと眉を寄せる。


「………は?」

「本人が放っておいてくれと言っている……俺たちにも、笹原にも、恐らくあんな姿は見られたく無いのではないか」

「なに……そのつまらないプライド」


見られたくないとか、見たくないとか、そんなんじゃなくてさ。

思わず心の中では直ぐさま反論が出たが、真剣味を帯びた柳の表情にそれを押し留めた。何も奴だって喧嘩を売っている訳ではないのだ…。幸村の金切り声を耳にしたのはついさっき。彼にとって、どうしてやるのが一番良いのかは、私も含めて皆が迷っている。幸村本人がこの場に居て欲しくないというのなら、それを尊重すべきなのでは?、と考える柳の気持ちも分からないではない。

ただ、


「今知らされなかったら、あの子がどれだけ悔しがると思う?」


それだけは直感した。理由なんて無い。いうなれば女心のセオリーだ。"彼女"として、大事な"仲間"として…ゆかりちゃんにとって幸村が大事な人であるなら、間違いなくそうだと思う。それを考えた末での行動で有り、柳の言葉を無視して素早くメールを送信すると、私は携帯をポケットにしまい込みながら再び彼に向き合う。


「……会いたいに決まってるじゃん。違う?」


その言葉に柳は少しだけ口を開き掛けたが、返って来たのは小さく首を縦に振った無言の返事だけであった。幸村の本音が、本当の心の奥底の心理が誰も分からずにいる今、良いも悪いも、誰もが判断に迷っていた……。

その後間も無くして、委員会が長引いて皆との集合時間に都合を合わせられずにいたゆかりちゃんが、息を切らして現れた。事情を説明すると、彼女もまた悲痛な顔で幸村の病室がある方へと視線を飛ばす。


「杉沢ちゃん……!」

「……ん?」

「あたし…あたしっ、どうしてあげたらっ……」


そう言って、ゆかりちゃんは自分の両手を握りしめながら目尻に涙を浮かべた。弱々しく垂れ下がる眉。……彼女もまた、こんな場面で毅然としていられる程の年齢は重ねていない至い気な少女…。ゆかりちゃんがどう行動するのかと、又、彼女がどうすべきなのか黙って見守るだけしか出来ない彼らと同じように、彼女だってきっと恐い。


「ごめん、ゆかりちゃん。私も分からないや」


私とて…そんな皆を観察している私とて、大事な人が生の狭間で思い悩んでいるなど、どんな顔でどんな言葉を掛けて良いのかなんて…迷うに決まっている。歳を重ねたからといって正解が分かるというものでは無い。そんなに人一人の命というものは…人の感情というのは、軽くない。


「……だから、自分の素直な行動を取っていいと思うよ」


せめて後悔がないように。ああ言えば良かったとか、こうすれば良かったなどと後々悔いる事がないように。


「………うんっ」


小さく震えているその肩に手をおけば、ゆかりちゃんはズズッと一度鼻を啜って、小さいながらも強く頷いた。そして意を決して幸村の病室へと向かっていく彼女の背中を見送った。やがてドアが開かれる音と、閉められる音が立て続けに聞こえてきて………


その瞬間、私たちは再び固まった。


「………っあぁぁあぁぁぁあぁあああぁぁっ……!!」


耳をつんざくような幸村の叫び。先程より何倍も、数倍も、悲痛に上がったその声に、金縛りにあったように皆が動けないでいる。嗚咽に変わり、しゃくりあげるような呻き声に変わり…。泣いていた。痛々しい声で、激しく。幸村が泣いていた。

それを私たちはじっと聞く。成す術もなく、じっと。視界に入った真田の拳が、血管が千切れそうになるほど握られていた。丸井が堪らず傍の壁を叩いた。切原が泣いていた。…彼だけじゃない、皆涙を流さずとも、心で泣いているような顔をしていた。

それからしばらく、幸村の声が聞こえなくなるまで皆でその場に立ち尽くしていたのだが、ゆかりちゃんが病室に入ってから1時間近くも経過した頃には、まだまだ彼女が出て来る気配が無い事を悟って皆で病院を後にした。帰路についた道中での空気は、当たり前に重く昏い。同じ駅から同じ線に乗り込んだ電車の中でも誰も何も口を開くことなく、それぞれの分岐点で散り散りになっていった。


「……部長、大丈夫っスかね」


やがて皆が降車して行き、残るは仁王と切原と高坂ちゃんとなった時。切原が堪らず……といった表情で呟いた。威圧感すら醸し出してた真田や、いつも穏やかであるはずの柳ですらピリピリとした空気を出していたので慄いていたのだろう。丸井ですら珍しく終始眼を釣り上げて、誰も寄るな触るなオーラを出していた。柳生やジャッカルは目に見えて消沈しており、文字通り抜け殻だった。切原だって、いつも自信有り気にギラギラさせている吊り目が、今は弱々しく揺れている。

切原のその不安定に揺れる声とその言葉に、不意にまたあの叫び声が耳に蘇る。


「………わかんないよ」


……それは、正直な話では嘘である。幸村が大丈夫かどうかなんて……。だって、だって私は幸村が復帰することなんて、とうの昔に知っている。


「人の気持ちなんて、わかんない……立ち直れるかどうかなんて、結局本人次第なんだ」


しかし考える間もなく出たのは、そんな言葉だった。


「自分で乗り越えるしかないんだよ、幸村くんが」


沢山の矛盾を胸に抱えながら、しかしそう思うのは本心だ。他人の命の行方を、他人の心の葛藤を無理矢理周りがどうこうしようだなんて…私にはおこがましく思えてしまうのだ。あんな…あんな悲痛な声を聞いてしまったから尚更に。そして同時に、何も出来ないのが悔しい。


「…っ大丈夫ですよ!!もぅ…赤也のバカッ!!幸村部長が乗り越えられない訳ないじゃないのよ!?だから、ね!?杉沢先輩…泣かないで下さいっ…!!」

「………え?」


膝の上に置いた拳を握り締めていたら、突然慌てた様子の高坂ちゃんからそんな事を言われ、初めて自分が泣いていることに気付いた。


「……奈落の底に突き落としたって死にゃあせんじゃろ、アイツは。奴は神の子じゃ。死神なんぞ負かしてしまうきね、きっと」


続けて溜息混じりの仁王の声が聞こえて、私は顔を向ける。


「……そういう奴なんじゃ、昔っから」


どうやら励まされているらしいと気付いたと同時に、窓の外を睨み付ける仁王の力強い目に思わず気が引き締まった。皆、心配なのは一緒、悔しいのは一緒、信じたいのは一緒なのだ…。


「……メソメソしてんじゃないよ、切原」

「っえぇー!?杉沢先輩だって今……!!」

「お前が泣くから貰い泣きしたんだ、バーカ」

「そうよ!赤也のせいよ!バーカ!」

「バーカバーカ。そげんワカメみたいな頭しとるき脳味噌に締まりがのぅなるんじゃ」

「ちょっ、ちょっとー!!それ今関係なくないっスか!?」


どうか……どうか頑張って。どうか不安に負けないで。またコートに立てる日が絶対に来るんだから。絶対に絶対に来るんだから。幸村は幸村らしく返り咲くんだから。

初めて対面したあの時と全く同じ祈りを再び脳裏に浮かばせながら、私は切原の嘆きに笑い声を上げた。


next…

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