top
main
ネコの尻尾。
【11/54】
|


61.
水を得た魚のように。


空気が変わった。
それは確かに。

幸村がいるテニス部の姿を始めて見る私は、思わず背筋を伸ばす。

部長が復帰したといえども真田が響かせる怒号は相変わらずだし、柳の冷静沈着な分析と遠征費用だとかの管理は引き続いているし、具体的に何が変わったのかとか何がどう違うのかは不明確でありながら、まさに空気が違う…。皆、幸村を意識しているからだ。もちろん、目前に全国が迫っていることもあるだろう。

一層練習に打ち込む彼らに、私はついつい口元を緩めてしまう。夏の太陽にも負けないぐらい熱く一生懸命な姿というのは、セオリーだろうが在り来たりだろうがやっぱりイイ。蝉の鳴く声にも負けないぐらい活気ある少年達の姿が、とても輝かしい。魔王様にたっぷりとしごかれながら、弱音など誰一人として吐かない皆が誇らしい。


「なんか楽しそ〜杉沢ちゃん」

「そう?」

「そうですよ〜!さっきからニコニコですね、杉沢先輩」

「あはは〜なんかテンション上がっちゃって」


隠しきれない高揚感に頬を緩ませる私。一緒にドリンク作りをしていたゆかりちゃんと高坂ちゃんの言葉にも機嫌良く答えた。きっと楽しみなのだと思う。全国へ行くのが。彼らの大舞台をこの目にすることが出来るのが。先の関東大会での敗北と同様にあらすじを知る身では相変わらず複雑な気持ちはあるのだが、新たな目標を見据えた皆の姿に再び応援する気力が湧いて来ていた。きっと皆の前向きな表情を見ているからだろう。どうせ直前になれば私は再び胸が軋むに違いない。それまでは、せめてそれまではこの夏を一緒に楽しむことを、どうか私に許して欲しい。


「幸村くんの影響力はやっぱ大きいんだねぇ」


そして復活した神の姿が私にとっては物凄く新鮮でもあった。それこそ漫画の中でも多くは描かれてはいない。試合シーンでの強烈なインパクトばかりが強い彼。それか、二次創作で描かれるサディスティックな印象か。


「そうなんですよ〜部長がいるとふざけられないですし」

「そうなの?なんで?冗談が通じない奴って訳じゃないでしょ、幸村くん」

「下手に揚げ足取られたらやっかいなのよ…。ネチネチしつこく引っ張られるからって皆ボロださないように必死!」


彼女であるゆかりちゃんですら、溜息に混じりに愚痴を零すので私は思わず苦笑い。なるほどね…と納得出来るような出来ないような。まぁ確かに。訳も分からずターゲットにされて困り果てたことは、私も記憶に新しい。

しかしながら…。これから練習で毎日顔を合わせることになる彼に、さぞや私はおもしろ可笑しくネタにされるのだろうと思っていたのだが…さすが部長というべきか。復帰後の彼にはテニスしか眼中にないらしく、今の所は大きな被害は受けていない。彼女であるゆかりちゃんさえ練習中は完全放置状態。あくまでマネージャー扱いだ。


「それにね、精市くんの厄介なとこは本人が忘れた頃に掘り返すとこなのよねぇ…」


しかしながら、まぁそんな理由で、けして気は抜けないとのこと。コートで無我夢中になって練習に打ち込んでいるであろう幸村とその仲間たちを頭に思い描きながら、給水場の片隅でこの場にいない彼らの気苦労に私たちは笑い合った。


「お疲れーっス」

「…お!そっちもお疲れー。野球部、休憩?」

「午前が終わったとこ。……ってか、いいよなぁ〜テニス部」

「なに?唐突に」

「女のマネージャー三人とか、贅沢だっつの」


背後から爽やかな挨拶が聞こえて振り返ると、全身泥まみれになったユニフォーム姿の田宮くんが立っていた。流れる汗をタオルで拭いながら彼が突然零した愚痴には、返答に困りながらも笑う。

部室棟が程近いこの給水場には、私たちの他にも夏休み返上で練習に精を出す各部の部員たちが行き交っていた。種目は違えど皆、汗だくになりながらそれぞれの場所で駆け回っているのだ。そんなスポーツに夏を捧げる少年少女たちの姿を多く目にしていることも、きっと私のテンションを上げているんだろう。なんてたって元がスポ根漫画好きなのだから致し方ない。


「なんかすげぇー緊迫感なのな、テニスコート」


そして敷地内の外れに位置する部室棟まで来るには、我がテニス部拠点であるコート脇を必ず通らなければならない様になっている。田宮くんが所属している野球部もそれは例外ではなく、同じように土に塗れた男の子たちが部室棟へと向かっていくのが背後に見えていた。ついでに全国出場前のテニス部には取材陣やファンたちのギャラリーも多いし、通りすがりの各部の選手が休憩の合間に覗いて行くのが、この時期では通例らしい。


「部長さん復帰したって?」

「つい二、三日前からね〜」

「ありゃ仁王もサボれねぇな。っつかビックリした、俊敏な動きしてるアイツっていつ見ても新鮮」


なんて続けて言いながら笑う田宮くんに、私も皆も釣られて笑う。その空気感の違いには他者にも一目瞭然らしい。おまけに教室内では軟体動物のように気の抜けた姿しか見せない仁王とのギャップに田宮くんが零した感想が可笑しかった。


「野球部も全国行くんだよね?すごいじゃん!」

「んー……!初出場でどこまで通用すっか分かんねぇけどなぁー。まぁ頑張る」

「またホームラン打っちゃってよ〜!期待してるから!」

「またまたぁ〜どうせ見に来る気なんてねぇくせによ〜」

「あはは!」


と、田宮くんの言葉にゆかりちゃんは盛大に笑った。

そうなのだ。公式戦というのはみんな似たり寄ったりの時期に行われるようで、テニス部の大会と野球部の大会の日程が見事に丸被り。今年のダークホースとして全国に名乗りを上げたのだと同じクラスの田宮くんの嬉しそうな報告に、仁王やゆかりちゃんと応援に行くのもいいね、なんて話していたこともあったが結局それは叶いそうもない。


「あっ」


と、そんな会話を続けて数分。田宮くんが何かが閃いたように声を漏らした。


「テニス部って終わるの何時?」

「え?……予定では16時だけど、なんで?」

「お!俺んとこも同じ」


田宮くんの言葉に首を傾げながら答えると、彼はそう言って満面の笑みを作る。それが何を意味しているか分からず、私はゆかりちゃんと目を見合わせて更に首を捻った。


「じゃあさ!終わったら………」


そんな私たちを前に、田宮くんは続けて口を開いた。



ーーー



「ひゃっほぉーーー!!」

「ちょっ…!?間近で飛び込まないでよ!濡れる!」


目の前で勢い良く上がった飛沫から身を守るように顔の前に掌をかざしながら、高坂ちゃんが盛大に抗議をする。


「うわぁ…!切原くん服のまま行っちゃったねぇ!」

「よくやるよホント…」

「やる事がガキなんですよ!アイツは!」


それから二言三言いつものように軽く言い合った二人だったが、やがて切原が水面を滑らかに泳ぎ出すと高坂ちゃんは鼻息荒く言い放つ。そんな二人に、水面に浸した足を遊ばせながら私とゆかりちゃんは笑った。


「でも気持ちー!心が洗われるー!」


高坂ちゃんはそう言うが、何もはしゃいでいるのは切原だけじゃない。隣でパシャパシャと伸ばした足をパタつかせるゆかりちゃんも楽しそうで、ずっと屋外で照りつける太陽の下で暑さと戦っていた私たちにとって此処はまさにオアシスであった。


「あぁーッ!服のまま入らないって約束で許可もらったのに…!」

「まぁまぁ、いいじゃん?誰も見てねぇし……よっと!」

「うわぁっ!!……ちょっ!…丸井テメェ!!」

「だははは!」


と、傍では同じくオアシスに癒しを求めた男子どもがギャーギャーと騒いでいる。切原がガキなら、ここにいる奴らは皆ガキだ。私とゆかりちゃん同様にジャージを膝まで捲り上げ脚を浸していた田宮くんが、突然背後から丸井に突き落とされた。


「笑ってられんのも今のうち…っと…おりゃぁ!!」

「げぇっ…!!」


先公に怒られんのは俺なんだ!とかなんとか文句を言いつつも気持ち良さそうにそのまま身を深く沈ませた田宮くんは、一度潜ったと思ったら勢いを付けて水面から這い出ると、ニヤリと笑って飛び上がった。同時に仕返しと言わんばかりに丸井を引きずり落とす。

友達の友達は友達…とそんな調子で直ぐに打ち解けた様子の二人に、男の子だなぁー、なんて脳裏では呟きながら私は声を出して笑った。それと似た様な光景が彼方此方で起こっている。

田宮くんが言い出したのは、プールの使用許可を取ったから皆で遊んでいこうぜ、という話だった。許可といっても、水着なんて持ち合わせていないのでプールサイドで涼む程度なら、という話だったらしいのだが…。まぁやんちゃ盛りの男子どもが集まってそれで済む訳がない。


「あぁーあ…あっちもこっちも皆して。何着てくの、帰りは」

「後のこと考えてないよね〜絶対」


そんな切原や丸井、言い出しっぺの田宮くんを筆頭にして、やがてテニス部と野球部が入り乱れての飛び込み大会が始まっていく。まさに水を得た魚。練習の疲れもどこ吹く風で騒ぎ立てる野郎どもは元気いっぱい。


「いいですよねぇ〜男子は、あたしだって中入りたいですよ…!」


先程は切原の行動を叱咤していた高坂ちゃんも、そんな楽し気な光景を前に口を尖らせる。まぁ、こんだけ暑ければそれも仕方ない。拭っても拭いきれない汗。肌を焦がすような太陽の熱。プールサイドの片隅でその水の冷たさに癒されているのだが、気持ちの上では私だってそれを全身に浴びてしまいたいぐらい今年の夏は暑かった。


「ちょっとお嬢様方。何自分ら無関係みたいな顔してんの?」


と、思っていたところへ突然水面からぬらりと田宮くんが顔を出して、意地の悪い笑みを浮かべる。


「きゃあぁ!!」

「ゆ、ゆかりちゃん!?」

「大丈夫ですか!?笹原先輩!?」


あ、嫌な予感…?と、思った瞬間に案の定腕を掴まれて、ゆかりちゃんが抵抗する間もなく引きずり込まれてしまった。待て待て待て…!と、私は突然の出来事に焦る。彼にしてみたら奇襲を仕掛けるにあたり誰でもよかったのかもしれない。いや、そうでないなら更に。それは何かまずいような気がした。


「…ッちょっとー!!酷いよ田宮くん!!」

「ぎゃははは!水も滴るいい女じゃん!?」


田宮くんと共に仲良さ気に騒ぐ二人のやり取りに私の方がヒヤヒヤしてしまう。いや、…だって、そんなん幸村が見てたら…。


「……何してくれてんの?」


幸村って確か束縛激しい質なんじゃなかったけ?…なんて、いつかの教室でゆかりちゃんと交わした会話を思い返していると、黙っていられなくなったらしい幸村が、いつの間にか私たちの背後に立って冷ややかな目で二人を見下ろしていた。


「あれ?部長さん?」

「そうだけど何?…ゆかり、コイツ誰?」

「ク、クラスメイトの田宮くん…」


仁王立ちになった幸村に見下ろされてきょとんとした顔の田宮くんと、焦りを露わにするゆかりちゃん。彼女に至っては気まずさからか顔半分を水面に浸すように沈めて…


「…あーもー!精市くん怖いー!」

「あ、逃げた…」

「あははは!」


思わず、といった風にゆかりちゃんはそのまま泳ぎ始めて遠ざかって行ってしまう。去り際に言い捨てた台詞が可笑しくて高坂ちゃんが盛大に笑い、私も苦笑い。


「ちょっと…ゆかりちゃん白Tだよ。何とかしてあげた方がいいんじゃない?」


目を瞬かせて僅かに呆然としていた幸村に言えば、彼は呆れた様に溜息を一つ零すと美しい弧を描いて水面へと飛び込んでいく。病み上がりで身体を冷やしていいのかと少し心配にもなったが、やがてゆかりちゃんを捕まえガッチリガードした彼にはもう何を言っても無駄だろう。


「なんか俺、まずいことした?」

「若干ね」


首を傾げた田宮くんに端的に答えながら、私は二人の仲が変にこじれない事を祈るしかない。


「神に呪われたくなければ、奴の前じゃゆかりちゃんに変なことしない方がいいよ」

「はぁ?神?」

「あの二人、付き合ってんですよ?先輩知りませんでした?」

「マジ!?…やべぇ、それ早く言ってよ〜!睨まれ損じゃん俺〜」


水面に身体を浸したままプールサイドに腕を掛けて疑問符を浮かべていた田宮くんだったが、私と高坂ちゃんの言葉にようやく状況が呑み込めたのかガックリと項垂れた。きっと彼としては、ただ友達とふざけ合いをしていただけのつもりだったに違いないとそのう様子で悟る。


「きゃぁあっ!」

「高坂ちゃん!?」


嫉妬深い幸村に誤解されちゃったかもねーなんて、田宮くんをからかって笑っていたら、今度は隣の高坂ちゃんの姿が消えた。


「ひっど…!!何してくれてんのよー!?」

「へへっ!油断してっからだよ!」


彼女の代わりに自分の隣に現れたのは切原。濡れていつもに増してクルクルになったウェーブがよりリアルな若布の様だ。アレみたい、増えるワカメ。


「……っていうか、アンタ足で!」

「サイテー!!普通女子の背中蹴る!?」


前方に蹴り出されたように止まっている切原の脚に呆れて叱責するが、当の本人は高らかに笑ってそのままプールへと飛び込んだ。どうやらテンションがブッチギリでハイらしい……。

勢いを付けてわしゃわしゃと高坂ちゃんの頭を引っ掴み、嫌がる彼女を無理矢理沈めようとしている切原。あーあ…本気で嫌われても知らないんだから…。とは思えど、なんだかんだ楽しそうな二人に私は呆れながらも口元を緩めた。


「……残るは一人だねぇ」

「は?」


と、低く呟かれた声に気付いて見下ろせば、ニヤニヤ顔の田宮くんと目が合う。嫌な予感がしたのも束の間。逃げる間もなく力強く腕を掴まれ、しまった…!と思った。

だが。前方に強く引かれ前のめりになっていた身体を、更に強い力で抑え付けられて私の水面落下は免れた。


「そうはさせんぜよ」


next…

【11/54】
|
ページ:


top
main
ネコの尻尾。
- ナノ -