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ネコの尻尾。
【43/50】
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43.
送り狼。


店を出るとさすがに陽は傾き、夜の気配を感じさせていた。

人が行き交う駅ビルを通り抜け、電車に乗った柳生とセーラー服の彼女は三駅ほど下った場所で降りた。何の変哲もない住宅街を歩く二人の背後を、俺と杉沢は静かに付いて行く。


「………なんか、すっごい変な気分なんですけど」


賑やかな街中と違って人の気配が格段に少なくなった周囲に、視線を彷徨わせながら僅かに声を潜めた杉沢が呟いた。


「罪悪感か?」

「……友達を尾行って、よくよく考えてみたら何か悪いことっぽくない?」

「こういうんはな、よく考えたらダメなんじゃ。楽しんだもん勝ちじゃけぇ」

「なにそれ……」


彼女に合わせてやや低めの声量で返事を返すと、杉沢はやっぱり呆れて溜息を吐いた。


「紳士の柳生くんらしく、彼女を家まで送り届けて"さようなら"、じゃないの?もう」

「……そんなに完璧な紳士なもんかのぅ」

「どういう意味?」

「奴も曲がりなりにも男じゃきね、それだけで済むかの」

「え、えぇ〜?…まさか、柳生くんがぁ〜?」


送りオオカミ、とまではいかんくても楽しく会話をしてそのままハイさよーなら、なんちゅうのは少々清らか過ぎやしないか。杉沢は訝し気な顔をしているが、俺的には腑に落ちない。

柳生があの彼女と付き合い出したと聞いたのは、確か昨年の春頃からじゃ。あの男がまさか。と、部内でも一際色恋沙汰には疎いと思われていた奴だけに皆が驚いたのは言うまでもないが、更にそれが一年以上続いているからまた驚きだ。

逆を返せばそれだけ一途で真っ直ぐな男だという事も分かったが、だからって健全な十代の男子中学生が好きな女が側にいて、この一年、指一本触れずというのは考えにくくないか?と、自分の考えを掻い摘んで話して聞かせると、杉沢は「……そこまでの背景を聞くと、確かに」と静かに唸る。


「……例えそうだとしても!それを盗み見しようだなんて悪趣味なのよ」


そして、言い返す言葉が見つからなくなったのか、矛先を俺に向けて口を尖らせた。剥れたような表情が可愛らしいなと感じてしまう程には、もう末期なのかね。俺は。

暗がりの閑静な住宅地。人通りの少ない路地の街灯に照らされた横顔に、まだ肌寒かった五月の夜を思い出す。真っ赤な靴を履いて、上質な革の財布とビールを片手に、とてもじゃないが中学生らしくない雰囲気を纏わせていた彼女を。

あれから彼女の私服は何度か目にしたが、あの時の杉沢は殊更に大人びていたと思う。そう感じた理由は分からないが、あの時の他人行儀な彼女の態度も相まって、強く印象に残っていた。

それをふとした瞬間に目の前の杉沢についつい重ねてしまう日々。あーぁ…。柳生より先にオオカミになってしまったら、どうしようかのぅ…。


「あっ、着いたみたい……?」


頭の隅でそんなことを考えていると、その杉沢がポツリと言った。とある一軒家の前で二人が立ち止まったのを確認した俺たちは、曲がり角に身を潜めるようにしながらそれを眺める。

………確かに、なんだか何をしとるんか、ちょっと情けのうなって来たな。

電柱の影から杉沢と俺と揃って覗き込む姿勢になって、思わず笑いが出そうになる。背の低い彼女が身を屈めるようにするから、その後頭部の上に更に顔を出す形になっている俺。


「何も変わった所は見られないけど………。完全に解散になるまで見続けますか?」


と、真面目くさった声を出した杉沢に俺は急激に吹き出しそうになった。自分で言い出しといて何だが、確かに楽しめばええと言ったんは俺だが………。


「……くくっ……これは、なんか」

「ちょっ……いきなりツボらないでよっ、聞こえちゃうから…!」

「刑事ごっこでもしとるみたいじゃな……なんかっ……」


実にくだらない事を俺たちはしているのだなと。そう実感してしまって急に可笑しくなった。こんな事に付き合わせた俺も俺だがのこのこ付いて来よった杉沢も杉沢だと、非常に自分勝手だと分かっているが零れ出した笑いが止まらない。


「ちょっ……アンタが言い出したんでしょうが…!」

「ま、待てって……わ、笑いが止まらんぜよっ……くくっ……」

「なっ…!」


堪らず振り返った杉沢が、笑いが収まらずに片手で口元を抑える俺を信じられないとでもいう顔をして睨んで来る。すまん。突っ込みたい気持ちは重々承知じゃが、ちょっと今はそれどころじゃなか。と、文句を言いた気な杉沢を無視して喉を鳴らしていたら、視界の端にそれが写り込む。


「………………あ。」

「ん?なに………?」


途端に引っ込んだ笑い。代わりに薄く開いた口から漏れた声に、杉沢が眉間に皺を寄せたまま俺の視線の先を辿る。


「あ………」


背の高い柳生が、少し屈む様にして彼女に口付けていた。


「……やっぱりのぅ」


決定的瞬間をようやく目に出来て、俺はニヤリと笑うと、ポケットから取り出した携帯で素早くその光景を写した。もち、スピーカーを指で押さえ込んでシャッター音を掻き消すことも忘れない。


「………っちゅうか、長いの。そうか、柳生もちゃんと男じゃったか。ほれ、言うた通りじゃろが」


柳生が彼女の首元を軽く支える様にしながら、なかなか離れる気配のない双方の顔に俺はからかいの意味を込めて言って笑った。しかし、問い掛けたのに杉沢からの返事が無くて、不思議に思った俺は彼女の顔を覗き込む。柳生の方へと身体を向けていた杉沢の肩に手を掛けて僅かに振り向かせると、彼女は予想外の反応を示していた。

予想外過ぎて、一瞬言葉に詰まる。

目元を潤ませて胸元を強く握り締める杉沢。今にも泣き出してしまうのではないかと思う程、顔を歪ませている様子に訳が分からなくなる。


「………おまん…まさか柳生を好いとったとか?」

「ち、違うしっ……だったら最初から付いて来てないでしょっ…」


………だよな。これまで柳生の彼女の話題が上がってもそんな素振り一つ見せたことはないし、今日だってわざわざ自分の首を締める様な、そんな馬鹿なことをする奴でもない。

じゃあ一体、何故…


「………どうしたんじゃ?」


泣くのを堪えているのか、胸元を抑えたまま杉沢はじっと押し黙っていた。零れ落ちそうな…とまではまだいかない様子だが、潤ませた瞳を伏せ目がちにして足元を見つめ続ける彼女は、酷く傷付いた顔をしている。質問の答えは返って来る気配は無く、彼女はひたすら口を閉ざしていた。

不意に視界の端で柳生が動き出したのを見て、俺は咄嗟に杉沢の手を引く。ただでさえ弁解するのは面倒なのに、杉沢のこんな様子を見られては更に厄介だ。住宅地に張り巡らされた路地を、大人しく手を引かれるまま従う杉沢を連れて適当に歩き、やがて小さな公園と自販機を見つけると俺は立ち止まった。


「………何か飲むか?」


尚も黙ったままの杉沢に溜息を吐いて、仕方無しに適当に言うが彼女は弱々しく首を横に振る。軽く巻かれた毛先がふわりと揺れ、耳元では自販機の明かりに反射したピアスが一瞬光る。眩い輝きを見せたそれとは対象的に、彼女の眼は昏く沈んでいた。何が彼女をこうさせたのか全く謎過ぎて、吐き出す息はますます深くなる。


「どうしたと?突然そんな顔しよって」


言いながら傍らの鉄柵に軽く腰を預けると、俺は杉沢の顔を改めて見つめた。


「黙っとったら、何も分からんぜよ」


不思議と苛立ちは無い。しかし、焦る。意味が分からないから、焦るしかない。


「なぁ?……杉沢?」


終始大人しい彼女は、呼吸を整えているようにも見えた。その呼吸に合わせ、握ったままにしてある手を自分の太腿辺りに数回叩くようにして引くと、その顔が上がった。


「なんでもないよ」


潤んだままの眼で無表情を作る彼女は、静かに開いた口からそんな言葉を吐き出した。


「………なんて、もう通じないよね」


そして、弱々しく笑った。

なんちゅう……なんちゅう顔をしとる。

…今までに無い初めて見せる顔だった。凛としていて、常に余裕があって、冷静で、あくまでも友達の域を出ない杉沢が見せる、女の子の顔。脆くて頼りなさ気なその表情は、俺の理性を吹っ飛ばすには充分だった。


「……………っ!」


繋いでいた手を強く引いて、空いたもう片方の手を後ろ首に添えると半ば強引に唇を合わせた。身を強張らせて逃れようとした杉沢には気が付いていたが、繋いだ手を離して腕と背中を同時に包むようにして押さえ込む。

すまん…。止められん。本当は、無理矢理なんていうのは趣味じゃないのぅ……。けど杉沢のあの顔に、何か頭のネジが吹っ飛んでってしまったようじゃ。だって、我慢しとったんじゃぞ。あの時も、あの時も、この間だって。

脳裏ではそんな言い訳を並べつつ、身体の方は触れた唇の柔らかさに酔っていた。一度触れたら最後、この機会を逃すかと、今が境界線を打開する時なんじゃないかと、杉沢が逃れられんよう彼女の意思を無視してその唇を貪る。

力を込めて、俺の腕を跳ね除けようとしていた杉沢。しかし、息継ぎに一度唇を離す頃までには、彼女の手からはその力が徐々に抜けて行くのが分かった。


「杉沢」

「…………」

「……………………透子」

「……っ!」


唇が触れるか触れないかの、至近距離感。先程とはまた別の意味で潤んだ瞳と蒸気した頬が堪らなく可愛くて、ほぼ無意識のうちに囁いた名前の響きに俺の方が参っていた。


next…

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