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ネコの尻尾。
【36/50】
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36.
美人猫。


すげぇー………。
何この立地条件。

目前にそびえ立つ一面ガラス張りのビルに、私は度肝を抜かれていた。中の骨組みが丸見えなスケルトン構造、そのど真ん中にあるエレベーターに乗り込みながら私は感嘆の息を漏らす。ゆっくりと上昇するそれの中は、前後左右どこもかしこもスッケスケ………。


「いらっしゃいませ」


受け付けに辿り着いて感じの良い笑顔に迎えられ、予め予約の電話で告げていた名前を述べると直ぐにカウンセリング席に通された。ビルの立地もさることながら、ワンフロアを丸々ブチ抜いた店舗の広さにも脱帽…。店内の座席の数も、従業員の数も、そこらの美容室と比較にならない。

外からは無機質な印象だったこのビルも、ウッド調の什器で揃えられたこの店内は、どこか暖かい雰囲気と洗練された都会的な雰囲気とが混じり合う、不思議な空間だ。上から下まで一枚のガラス板で張られた窓が、一際存在感を放つ。

仁王め……こんなシャレオツな店に通っていたとは……どんな中学生だよ。と、センスの良いアンティーク風のテーブル席に座り、賑やかな店内を物珍しさで見回しながら出されたお茶をやや恐縮しながら啜った。


「こんにちわ〜!初めまして」


それから間も無く、背後から声を掛けられる。明るくて朗らかな鈴が鳴るような声。反射的に振り向けば、腰まであるストレートロングが艶やかな、まさに美少女と呼ぶに相応しい女の子が笑顔を浮かべて立っていた。かっ……可愛いっ……!


「まだスタイリストでは無いんでカットは出来ないんですけど……本日カラーを担当させて頂く、仁王と申します」


そして、あまりのキラキラッぷりに慄いたのち更に衝撃的な一言を聞いた。


「え!?」

「やっぱ…聞いてませんでした?」


と、美少女が、美少女らしい煌めくような笑みを零して一枚の名刺をそっと差し出した。

アシスタント………
仁王利佳子………!

それに目を落とし心の中で読み上げて、口を開けたままもう一度彼女を見た。

まさか、


「私もまさか、ですよ。アイツの会員No.で紹介客が入ってたからてっきり男の子かと思ってたら…まさか女の子だったなんて」


と、思わず名刺とその美しいお顔を見比べていたら、まるで心を読まれたかのような言葉を掛けられクスリと可憐な仕草で仁王さん……仁王利佳子さんが微笑んだ。

もう疑いようも無い…。この美少女は仁王のお姉さん…。


「では、さっそくカウンセリングしましょうか!カットの方も私がご要望を伺って、担当スタイリストに伝える形で良いでしょうか?」

「あ、はいっ」


呆気に取られて何も言えずにいると、鏡越しに悶絶レベルの笑顔を向けられて同性ながらもときめいてしまう。

くそぅ………。揃いも揃って、イイ顔しやがって……。恐るべし、仁王家の血……!

とは、彼らにとっては実に理不尽である僻みか…。アキくんだって成長するにつれてさぞ男前になるのではないかと今から予測しないではいられないし、仁王は仁王で…まぁ…今更言わずもがなだし。加えてこの利佳子さんの美しさ……。


「あっ。ちなみに今日の料金なんですが、私のモデルって事でカラー材の1000円と…すみません、カット代だけ別のスタイリストが担当しますので、お代を頂いてもいいでしょうか?一応、ご新規様対応と優待割引は効きますので…」

「あ、いえ、普通にお支払いするつもりで来たので、大丈夫ですよ」

「えっ?雅治、カラーモデルの説明もしてなかったんですか!?」

「えぇ…はい…」


なんちゅうDNAだよ…。なんて事を思っている間に業務的な説明に入り、私は美少女利佳子さんにドギマギしながら受け答えする。同級生のお姉さんであり、加えて、どうみても明らかに年下であるといういう微妙な立ち位置に初めは変に遠慮がちになってしまう私であったが、向こうの方がさすが接客業。


「まったく…初来店なんだから心構えってのが必要でしょうが…!こっちは客商売だっつの!もうなんでこう外だとあんなに寡黙なのかしらアイツ」


私がここへ訪れるのに何らかのサプライズを仕掛けたのか、自分の身内がいる事を話したくなかったのか…。口を尖らせた利佳子さんの言葉には、私も同意して苦笑。そんな風に、仁王をネタにしながら利佳子さんの方が砕けた表情を早々と見せてくれたりとカウンセリングは和やかに進み、そして簡潔に終了した。

カラーモデル、という立場を考慮してあまり注文は付けていない。話しているうちに私があまり拘りの無い質だと読んだのか、利佳子さんサイドから「実はやりたいカラーがあって…」という言葉が出て来たからだ。ではでは…と、最低限大雑把な好みを述べただけで細かいことはお任せする事に決めた。

自分で提案すると固定概念で似通った仕上がりになってしまいがちだし、その人のセンスを見るという点において私が初見の店で良くやる手法だ。仁王の髪も利佳子さんの手で染められたのか?という問い掛けに、ニコリと満面の笑みで頷いた彼女の腕には信用が出来たし、下手な仕上がりにはならないだろうと思ったのだ。


「杉沢さん、お肌綺麗ねぇ〜」

「まさか!言われたことないですよそんな事…!」

「ホントですよ〜!薄化粧なのにツヤツヤ!」


案の定、カラー材を塗布する手付きも実に鮮やかな利佳子さん。アシスタントとはいえその手慣れた手並みと余裕の物腰に、私は施術が始まって数分足らずで既に安心し切っていた。思いがけず言われたお褒めの言葉にはお世辞と分かっていつつも頬が緩む。普段から一回りも下の女の子たちに囲まれて、その瑞々しい肌質を見せ付けられている身だ。歳には敵わないよなぁ……なんて、悲観せざるを得ない日々。


「羨ましいです!やっぱり学生さんには負けますよねぇ〜」


それが例え先入観から来る思い込みだとしても、利佳子さんの言葉にはついついニヤけてしまう。


「いやぁ、至る所ボロボロですよ」

「そうですか?でも……ほらっ、弾力だってこんなに!」


と、不意に私の頬を突つく利佳子さんは、茶目っ気もたっぷりで益々可愛らしい。むしろ私が貴方の頬を突ついてやりたいです。………なんて、他人が聞いたら変態と罵られても仕方ない事を脳裏で思う。


「………そういえば」

「はい?」

「あの、仁王くんのカラー、あれは利佳子さんが提案したんでしょうか?」


と、そんな事をしている内に、あっという間に塗布が終了し待ち時間へと入って、引き続き隣で話し相手になってくれている利佳子さんに問い掛けた。


「そうそう!私デビュー前だから。一年で述べ1000人はカラーしろって言われてるんです。んで、先輩から指定されたカラーを忠実に再現する練習があって………あの色、普通に仕事している人だとなかなか難しいでしょ?だから弟使っちゃった」


と、肩を竦めて舌を出す利佳子さんに、成る程と深く納得した。あんな奇抜なカラー、なかなか中学生男子がしようと思うものかと疑問だったのだ。


「そしたら案外気に入ったみたいでね。最近はずーっとアレ」

「いつも綺麗に染まってますよね」

「でしょ〜?ちょっとでも根元が伸びると直ぐリタッチしろって煩いんだから!……まっ、いい練習になるから良いんだけど」

「へぇ…お家でもやられるんですか?」

「そういう時もあるけど、カット込みの場合は店に来てだよ。おかげでこの店でもすっかり顔馴染み」


どうりで……。先程から他のスタッフさんが通りかかる度に、「雅治くんの同級生なんですよねー」とか「女の子初めてー」とか、色々話しかけられると思った…。それも、主に女性スタッフから。学校外のこんな所ででも無駄に女子を引き寄せているのかアイツは……。

なんて苦笑いしていると、弟の愚痴を零しながらも頼られて嬉しいのか、利佳子さんが似たような苦笑いをしている。


「いいなぁ……私もお姉さんとか、欲しかったです」


と、そんな利佳子さんの様子を見ていたら羨ましくなり、兄しか居ない自分が小さな頃から憧れ続けていた事をポロリと零した。


「雅治と結婚したら、私がお姉さんになれますよ?」

「え………」


そしたら、不敵な笑みを浮かべて利佳子さんが突拍子も無いことを言い出す。予想外の発言になんと返したものかと迷っていると、間髪入れずに「あんなムッツリは嫌か!」と利佳子さんは豪快に笑った。可愛らしい顔なのに、変に取り繕わらず相好を崩した彼女の笑顔はまさに痛快。ムッツリか…そうなのか仁王…と、その笑い様と彼の身内から出た思わぬ暴露話に内心吹き出しつつ、私も軽く笑った。

そんな調子で終始和やかな空気感の中、私はすっかりリラックスモードになっていた。あまりに豪勢な店構えに慄いていたのもすっかり忘れ、利佳子さんとのトークのおかげで初来店というのにとても居心地が良い。

………だから、だろうか。

油断大敵とは、まさにこの事である。シャンプーを済ませブローの段階に入って、私はこの店に来て初めて、背中に冷や汗が流れるのを感じた。


「り、利佳子さん……これ、派手過ぎませんか……」


濡れ髪では色濃いままだったカラーリングが、乾くにつれて徐々に露わになるその全貌。予想だにしなかった状況に、鏡の中の自分の顔が引きつっている。


「えぇー?そうかなぁ?でも良い感じ!絶対杉沢さんこの色似合うと思ったんですよー!」


と、喜々とした声を上げる利佳子さんは、満足そうな表情で軽やかにドライヤーを動かしていた。あまりに得意気に言うものだから返す言葉も無く、私はただただ呆然と自分を見つめる。

………うっかりしていた。この人は、アイツの姉なのだ。同じ血が流れているのだ。仁王と同じ血が。普通ではないかもしれないと、何故疑って掛からなかったのだと自分を責めてももう遅い……。


「さっ!どう?イイ色でしょ?」


と、利佳子さんの声がするより先にもう、目の前の自分に釘付けになりっぱなしだった私は思わず目を細める。

なんだ………この目に眩しいド金髪。


「色合いで言うとプラチナゴールドとかホワイトベージュ…って部類かな?」


利佳子さんから美容師らしい表現で言い直されたそれは、見事なまでのハイトーンカラー。


「アッシュ系入れてクリーミーにしたから、そんなにキツい印象じゃないでしょ?」

「いやぁ…まぁ……確かに柔らかい印象ですけど……。これ、制服に合いますかねぇ…」

「大丈夫だよ〜!雅治のアレがOKなら、何も言われませんって」

「は、はぁ………」

「私も立海卒業生ですけど、真緑とかしてましたもん」


校則がどうとかの話ではないのだが…と思っていると、利佳子さんがあっけらかんとした表情で言う。ま、真緑……こんな可憐な顔して真緑。やっぱり普通じゃない。


「いいですねぇお客様、そのカラー良く似合ってますよ。……うん、その色なら長さはやっぱりボブかなぁ〜」

「ですよねぇ!私も実はそうかなぁ〜って思いながら色選びましたっ」

「イメージは?」

「北欧系の男の子って感じです。ポイントは、少しだけ内側をローに落として立体感を出したのと…あと、トップからサイドに掛けては塗布量のみで少し調節を」

「うん、上手いこと出来てるね……そろそろハイトーンはクリアじゃない?」


そこへカット担当だというスタイリストさんが現れ、利佳子さんと専門的なことを話し出した。もはやウィッグ扱いだな、こりゃ……。と、鏡越しに自分の髪の毛を両者に摘ままれながら溜息が出そうになる。

が、生き生きとした表情で話している利佳子さんを見ていて……これはこれでいいかと、ついに諦めた。カラーモデルということは、利佳子さんがステップアップする為の道具になるのを了承したも同然だし。何より上司相手に真剣な眼差しの彼女に、とても好感を持ってしまった。仕事を頑張る女子が、私は大好きなのである……。


その後「前髪パッツンだけは嫌です」とだけささやかな要望を伝えると、先程提案された通り耳朶のラインまで切り揃えたボブヘアに整えられた。仕上げにヘアアイロンで軽くカールを付けられ、スタイリング剤でセットアップまでしてもらう頃には、確かに…案外悪くないかも、という気分になる。

カラーが激しく明るい分ケバケバしくならないように質感はマットなものを使う事、というスタイリング剤についてのアドバイスもいつの間にか真剣になって聞いていた私は大きく頷いた。

そうして今までとはガラリと雰囲気が変わった鏡の中の自分を見て、少しだけ口元が緩む。髪型を変えただけなのに、心無しか晴れ晴れとした表情をしているのが不思議…。


「ん!可愛い!」


と、最後の最後。会計を済ませて、店を出る直前まで見送りしてくれた利佳子さんの言葉にも、今度は素直に笑って「ありがとうございます」が言えた。


「仁王くんにお礼言っておいて下さい」

「えぇ〜?私からぁ〜?」

「ステキなお店と、ステキなお姉さんを紹介してくれて良かったです、って」

「あはは!かしこまりました!変な奴だけど、雅治のことよろしくね」

「はい」


そんな会話を去り際にして、再びガラス張りのエレベーターに乗り込んだ私。扉が閉まって下降を始めた箱の中、利佳子さんの姿が見えなくなると私はその一部を鏡代わりにしてもう一度自分を眺める。

頭を軽く振ると、一拍遅れて弾む毛先。ん……結構いいかも。と、ガラスの向こうには、再び口元が緩んでいる自分がいた。そこから微妙に見え隠れしている耳朶に、新しいピアスが欲しくなって、久々に買い物をして帰ることにした。


next…

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