25.
闇に降る雨A
PM17:00
「杉沢がいない?」
「うん…ドリンク補充しに行ったのは覚えてるんだけど、まだ戻って来てないよねぇ?」
腕時計を確認しながら首を傾げてる笹原の言葉に、俺はラケットを弄んでいた手を止めた。
「そういえば……長く見てないな」
問いかけられたのは柳で、その返答と同様に、俺自身、言われて始めてコート内に杉沢の姿が無いことに気が付いた。
「部室掃除とかじゃねぇの?」
「いや、今日は実希子の当番だもん。一応さっき携帯で確認したけど、来てないって」
盗み聞きをしている訳じゃないが黙って傍で聞き耳を立てていると、そう遠くない位置から丸井も歩み寄って来て口を挟む。眉間に皺を寄せた笹原は、胸元のジャージを握り締めて俯いていた。
心配性の奴のことじゃきね…。ちょっと姿が見えんくらいでまた何か考え過ぎとるんじゃないかと、その時はその程度にしか思うとらんかった。
「ふむ…顔色が悪かったのは気付いていたんだがな。保健室にでも行って休んでるんじゃないのか?」
「誰にも何も言わずに?」
「急に吐きたくなって、トイレに駆け込んでるとかじゃん?」
「うーん…」
どれもあり得そうで、どれもが考えにくい。
確かに柳の言う通り、放課後になってからの杉沢は俺の目から見ても覇気が無いように感じられた。
だが、先程まで普段通り作業をこなして走り回っていた彼女の姿に、それも杞憂だったかとやり過ごしたのも記憶に新しい。
「理由があって抜け出すなら、誰かに言ってるはずだよね」
「まぁ…何も言わずに、というのは杉沢らしくないな」
「真田は?言っときゃ間違いねぇのはアイツだろ、なんか聞いてんじゃねぇの?」
「そっか…そうだよね、うん。ちょっと後で聞いてみる」
答えが出そうもない微妙な空気感の中で、尚も心配そうな顔をした笹原が顔を上げて目の前のコートを見つめる。現在第一コートでは、真田と切原の試合が行われている真っ最中であった。怒号を響き渡らせながら赤也をしごくのに一心不乱な真田に、その試合を中断しようとする勇気ある奴はなかなかいない。
その時点では、そこまでするような事態では……と、皆そう思っていたのだ。
PM18:00
「何も聞いとらんぞ、俺は」
たっぷり一時間近く、全力投球で赤也を叩きのめした真田。流石の赤也も皇帝が相手では短期決戦とはいかなかった様子だが、それでも相当足掻いていたらしい。
多少息の荒くなった真田に、笹原が先程柳に向けたのと同じ質問をしている。その間、自らもコートに出ていた俺は、背後から聞こえて来た無駄にデカいその声に腕を止めた。
「そう……じゃあ、やっぱりオカシイよね?いくら携帯鳴らしても出ないし…どこ行っちゃったんだろう」
いよいよ笹原の顔が泣き出しそうに歪むのを遠目に見て、俺はネットの向こうから緩やかに飛んで来たボールを素手で受け止めた。
「仁王くん?」
「柳生…ちぃっとヤバイことになりそうな予感がするぜよ」
それを打った柳生が不思議そうな顔をして近づいて来るが、向かい合う笹原と真田から視線を逸らさないまま呟いた。ざわざわと胸が騒ぎ出すのを感じながら、再び耳を澄ませる。
「……笹原先輩っ!」
「実希子!」
「杉沢先輩、携帯持ってませんっ!部室掃除してたら、鞄の中から着信音が聞こえてましたっ……!」
それから間も無く部室棟から走って来たであろう高坂が息も切れ切れに大声で告げ、それをキッカケに空気が変わる。コートを包んでいく不穏な影を察知して、さすがの真田も表情を曇らせた。
「………心当たりは」
「あったらこんなに心配してないよ!!」
試しに聞いてみた、という真田の発言を遮るようにして笹原が力強く叫ぶ。
「もう一時間以上も行方知れずなんだよ!!」
その一言で、いよいよ事態は深刻さを増した。
「………赤也!!行くよ!!」
コート内がしばし沈黙に包まれ、何事かと部員たちの視線が笹原と真田に向かう中、逸早く動き出したのは高坂だった。
「はぁ!?どこにだよ!?」
「聞き込み!!」
いつも喧嘩が絶えないながらも、部内では一番気心が知れた相手だと自覚しているんだろう。駆け出すと同時にその名を呼んだ高坂に、赤也は「オイ!待てって!」とぶつくさ言いながらも後を追って行く。
その光景を眺めていた俺の頭には、いつかの柳の言葉が蘇っていた。
『あいつらの二の舞にさせたくないだろ』
………クソッ。まさか、マジで、そういう事なんか。
根拠の無い悪い予感を感じて全身に力が入り、口の中でギリリと奥歯が音を立てた。得体の知れない不信感に苛立って、次いで舌打ちを零した瞬間に、鼻先に冷たい雫が落ちた。
反射で空を見上げれば、静かに降り出して来た雨。固く握った拳に力を込めながら、徐々にダークグレーに染まって行く雨雲を睨みつけた。
next…
【25/50】
← | →
ページ:
≫
top
≫
main
≫
ネコの尻尾。