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ネコの尻尾。
【20/50】
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20.
ベッドの中心で幸村が笑う。


「はじめまして」


差し出された、真っ白な手。

見た目は華奢なのに力強く握られたその手から、やはり王者らしい只者でない気配を感じ取った。


「…はじめまして、杉沢透子です」


ついに魔王様とのご対面である。噂の彼は本当に本当に魔王と呼ばれるには相応しく無い、儚げで繊細な顔をした美少年であった。


「……遅刻だね、ゆかり。どうお詫びしてもらおうかな」


但し、顔だけ。


「ごめんて〜!連絡入れるの忘れてホントごめん!」

「親しき中にも礼儀有りって言葉、知ってるかい?」

「知ってる知ってる!だから、ごめんなさい!」

「口でだけなら、ごめんなんて幾らでも言えるよね?どれだけ俺が待ったと思って」


私と丸井がいるというのに、まぁ容赦が無いこと。本気で怒ってるんならまだ分かり易いし、扱い易い。そういう訳じゃなくて、そうやってゆかりちゃんを苛めて楽しんでるかの様な生き生きとした表情が、見ているだけで恐ろしい。

いやぁ………これは。付き合う相手としては私ならムリだなぁ…謝るより手が出そうだ…。と、彼にしたらそんな事どうでもいいよと一蹴されてしまいそうな感想が思わず浮かんでしまい、更にゆかりちゃんの困り顔が気の毒で苦笑いが出た。

約束の時間に遅れてしまったのは私のせいでもあるのだが、第三者が介入するのは彼も望んでいないだろう。そんな事は丸井と連れ立って来た私たちを見て、彼はとっくに気付いている。


「次からはちゃんと連絡入れます!すいませんでした!」

「ハイ。その言葉忘れるなよ?」


この二人、聞けばもう一年以上の付き合いだという。人が好くて世話好きで、だけど少し抜けているゆかりちゃん。知り合って間もない私でもそんな彼女の性格を理解出来ているのだから、その事はきっと彼も周知しているはずだ。丸井も失笑するだけで口は出さないのはその為か。

楽しげにも見える幸村に、丸井に習い黙ってその場を見守っているとゆかりちゃんが大きく頭を下げて、ようやく彼は納得の表情をして見せた。


「終わりましたか?…じゃあー、これ、差し入れです」


そうしてようやく一段落ついた二人に口元を緩めたまま、幸村へとここに来る途中で買って来たケーキを差し出した。


「ありがとう……さっきから気付いてたんだけど、随分と大きいね?」


受け取った彼がずっしりと重いそれを上下させて、先程とはまた違った純粋な笑いを零す。


「犯人は、あいつです」


それに対して私は、病室のソファに横柄な態度で腰を降ろしていた丸井を後ろ手で指差した。


「足りなくなるよりいいだろ!……迷い過ぎて選べなかったんだよ」

「自分が食べることばっかり考えてるからでしょ…」

「ははっ、相変わらずだね丸井は。すごいなぁ〜二十個以上あるよコレ」

「あれもこれもって丸井くん止まらないんだもん!ちなみに自分で食べる分は自腹だからねぇ」

「まじ!?」

「当たり前でしょ、これ割り勘って明らかにオカシイって…」


まぁお見舞いといえばケーキでしょ、と世のセオリー通りに洋菓子店に寄って来た訳だが、そこで丸井の甘党っぷりが暴発。迷いに迷った挙句に、俺が食うから!と押して引かない丸井に折れて、一体何のパーティをする気かと思うぐらいに大量のケーキを買い込んでしまった私たち。

幸村が蓋を開けると、箱の中には色彩鮮やかに何種ものケーキたちが引しめき合っていた。定番の苺のショートケーキ、ミルフィーユ、ティラミス、チーズケーキ、ガトーショコラ、モンブラン、フルーツタルト各種…もう有りとあらゆるスウィーツが詰め込まれている。まるでショーケースを丸ごと持って来たみたいな品揃えに圧巻だ。


「うまそ〜!!最初どれにすっかなぁ〜」

「待て!一番乗りは幸村くんでしょうよ」

「そうだよ!一応お見舞いの品なんだから!精市くん、どれがいい?」


先走る丸井を制しつつ、勝手知ったる手際の良さでお皿とフォークをベッドサイドの引き出しから出して来たゆかりちゃんが、幸村ご希望のモンブランを取り分け、次いで私たちも好き好きに手を付けた。甘くとろけるようなそれを頬張りながら、ゆかりちゃんや丸井と雑談を交わす幸村が案外元気そうな顔をしていることに、私は酷く安心する。

難病を抱えているという少年とリアルで会うことになるなんて……。正直、どうしたらいいか一番分からなかった相手かもしれない。

物語の上ならば単にその登場人物はそういうバックグラウンドなのだと、ただそれだけの事と受け止められる。しかし、それが生身の人間なら?しかも自分が関わり合いになる人物なら?もし、見るからに衰弱しきった様子の幸村だったら……と考えると、とても恐かった。もしかしたらそんな姿の彼を見たら自分は目を背けていたのではないかと、そう思うと、恐かった。


「すごいな…本格的だね」

「ねー!私もビックリしちゃったよ!プロみたいだもん、この写真」

「テニスする皆をこんな風に写すなんて、俺たちには無い発想だったね」


と、こちらの杞憂など知る由もない幸村がケーキを頬張りながら、私が持って来た写真を備え付けのテーブルに広げてゆかりちゃんと共に一緒に覗き込んでいる。二人から同時にお褒めの言葉を頂いて、嬉しい限りだ。


「客観視するって言っても心理戦で相手の思考を読む為にだし…他の選手の試合でも俺たちはこんな風には見たことなかったな」

「皆はプレーヤーですから、当たり前ですよ」

「ちなみに杉沢さんテニスの経験はあるの?」

「全く無いです」

「へぇ〜!それでいてそんなドンピシャに狙えるもんなのかよ。ボールの軌道、読んでんじゃねぇの?」

「いや……例えば動きを読めていても、こんなにタイミング良くシャッター切るのは難しいんじゃない?」


あらあらあら…誉め殺しじゃないの。素直に感嘆を示してくれる幸村や丸井の反応にも、ついつい顔がニヤけてしまう。自分が純粋に楽しんで撮った作品を他人に褒めてもらえるというのが、どれだけ嬉しいものか。


「……それがいいんです。タイミングを逃したら同じ瞬間は二度と無いんで、撮る側としては腕を試される瞬間でもあって、それが最高潮に意欲を掻き立てますね」


そう思わせたのは、数日前、現像から上がって来たばかりの写真たちだった。自分で写したくせに、その仕上がりを見て驚いた。自分の手によってこんな世界観を創り出せるという楽しみ、仁王や丸井に見せた時、自分の作品を人に見てもらえる喜びを思い出した。

こんなに夢中になれる物を、どうして手放していたんだろう。仕事をしていると趣味に没頭する時間も少なくなってしまい、ここ数年は遠ざかってしまった感があったカメラだったが、今の私には湧き立つように『撮りたい』という欲求が込み上げていた。


「プレーヤーとしてではないからこそ、撮れるのかもしれません。マネージャーとしては失格かもしれませんが、もう、皆の試合凄すぎて訳分かんないんですもん」


その熱が振り返したおかげで、あの日感じたなんともいえない疎外感も知らないフリが出来た。夢中になれる何かを一つでも持っていれば、きっと気も紛れる…。


「あははっ、確かに彼の試合中に、こんな瞬間をクローズアップしようとはプレーヤーならなかなか思わない」


と、柔かに笑った幸村が手に取ったのは先日のファミレスでも大好評であった跡部のどアップ。正々堂々、純粋にテニスを頑張る少年をこんなに艶めかしく写してしまいさすがに如何なもんかと思っていたが、予想外にも皆が揃って褒めてくれるので自慢の一枚になった。


「ありがと。でも、他にもオススメはあるんですよ」

「オススメ?」

「どれどれ?杉沢ちゃん的ベストショット?」

「昨日見つけたアレだよ、アレ」

「アレ……?あぁー分かった!確かに!アレは傑作だと思う」

「なんだよ?俺も見てねぇやつ?」


皆の興味津々な視線を受けケーキが乗った皿を一度置いた私は、乱雑に広げられていた写真を手で掻き分けるようにして目的の一枚を探す。


「あった!これこれ……見て下さいよ、このカーブ。アスリートでなかなか見なくないですか?こんな可愛いの」

「………ってオイッ!!それ俺じゃねぇーかよ!!」


実は、この一枚に関しては意識してそこを狙ったものではない。本当はもっとカッコイイ姿を撮ってあげようと思ったのに。偶然の産物で何とも可愛らしい仕上がりとなってしまった少年は、今まさに十個目ケーキを頬張ろうとして手を止めた。


「……丸井、そろそろ本気で控えないとプレーに影響が出ても知らないよ。肥満でレギュラー落ちとか、有り得ないからね」

「なっ…!?言っとくけど体重は増えてねぇぞ!!」


私が差し出した写真を手に取った幸村は、さぞかし笑ってくれると思いきや呆れ返った顔で丸井を見やると冷ややかな声で言い、その様子に私とゆかりちゃんはクスクスと笑う。

サーブを打つ瞬間。天に向かって思い切り腕を上げた丸井を狙ったのだが、その際ずり上がったユニフォームの隙間から緩やかなカーブを描くポッコリお腹が見えてしまっていたのだ。ただ見えているだけなら問題ではないが、ハーフパンツのウエストにしっかりとお肉が乗っている様子がありありと分かる。


「ちなみに、これ見つけたの仁王くん」

「最初気付かなかったもんね〜よく見ないと分からないし。雅治、笑いながらこの写真ケータイで写メってたよ」

「あいつ……人の弱みには目敏いんだよなぁ……」

「弱みっていうか、丸井のメタボはただの消化不良だから。カロリー燃やすか、甘いもの我慢するか、そろそろ覚えなよ」


と、尚も厳しい意見を丸井にぶつける幸村と、今度こそケーキを食べようと手を伸ばし掛けてまた身体を強張らせた丸井が可笑しく、私たちは更に笑った。


「いいなぁ、ねぇ、俺のことも撮ってくれる?」


と、気が済むまで丸井を存分に叱りつけると、幸村はその後も写真に目を落とし何気なくそう言った。

いいよ、と答えかけて、私は少し考える。もちろん。神の子と名高い幸村を、加えてその中性的で耽美でお綺麗なその顔を、いつかは被写体にしたいと思う。……でも、どうせなら。


「……いいですよ、試合楽しみにしてますから」


病室内の彼は、あまり撮りたくない。あまりに儚げな彼の容姿とマッチし過ぎて、作品とするにはあまりにも完成され過ぎていて、もっと胸が痛くなってしまいそうで嫌だ。


「……それか、ゆかりちゃんとのラブシーンが撮りたいです」

「なッ!?や、やだよ〜!」

「え?やなの?」

「精市くんイヤじゃないの!?」

「別に。見られて減るものじゃないし」


そんな自分の感情を洗いざらい曝け出してしまうにはまだまだ交流が無さ過ぎて、返事が返って来る前に話題を変えた。思い付きで言った言葉にゆかりちゃんと幸村が二人で会話を始めたのを傍に、私はホッとして誰にも気付かれないよう息を漏らす。


「じゃあー濃厚な感じのでお願いします」

「ちょっ…!の、濃厚なのって、ななななな何それ」

「おい、んな真っ赤になって、なに想像してんだよ」

「ななな何って別に何も想像なんか」

「普通にキスシーンでいいよ。昼のメロドラマ風と、月9ドラマ風とどっちがいい?」

「どどどどっちって…!どっちもやだよ!ってか撮らないしー!」

「ふーん…写真はダメでもプリクラはいいんだね。俺にしてればどっちも同じなんだけど」

「きゃぁぁぁー!そそそそんなこと言わなくていいから精市くん…!」


わぁーお、チュープリとか懐かしい…。出来れば恋する乙女的な部分は隠しておきたかっただろうゆかりちゃんが顔を真っ赤にさせたのが可愛くて、それを優しい表情で見つめる幸村があまりに暖かい。

そんな彼を前に、当たり障りの無い会話に逃げた自分自身が少し情けなくなった。

幸村がいずれ復帰する事は、もう知っている。だからといって軽々しく「大丈夫」だなんて、何故だか言う気にはなれない。

ただ、願うだけだ。その日まで彼が強い心を持ち続けれますように、と。どうか不安に負けないで、なんて直接彼には告げられずに心の中で呟いた。


next…

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