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ネコの尻尾。
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17.
気掛かりなのは。



杉沢が嫌がらせを受けたという話は、あっという間にテニス部内でも話題となった。彼女自身が特に口止めしなかったこともあるし、笹原の心配しようも酷かった。


「…ごめん、ゆかりちゃん、ちょっといい加減ウザい」


元々杉沢の側に付かず離れずじゃった笹原だが、それからは更にベッタリ。何処に行くにも側を離れようとしない笹原に、さすがの杉沢も引き気味じゃ。

杉沢は、例えば連れ立ってトイレに行くという類の、女子には多く見られる群れるという行為があまり得意ではないらしかった。休み時間の度に私も私もと、後ろに付いて来る笹原に呆れ笑いを零しつつやんわりと拒否る。


「だいじょぶだって、たった一回あんな事されたぐらいで大袈裟だなぁ」


なんて何事も無かったかのように笑う杉沢の表情は空元気を装ってるようでもなく、ごくごく自然体であった。まるで気に留める様子もない彼女を見てると、本当に大した事では無かったかのように思えて来る。

杞憂なら、それでいいんじゃが…。と、至って穏やかな表情を浮かべる杉沢を前に、俺は誰にも聞こえることの無い呟きを頭の中でだけ囁いていた。


「杉沢がやられたというのは本当か?」


放課後になってテニス部の練習が始まる頃には、レギュラー内でもその話題が蔓延していた。本人には直接聞きづらいのか皆が遠巻きに彼女の様子を伺う中、目の前のコートで行き交うボールを目で追いながら、真面目くさった顔で問いかけて来た柳の言葉にはついつい笑いが出た。


「聞きようによっちゃ、誤解を招きそうな言い回しじゃの」


柳自身はごく端的に問おうとしたのだろうが、それはまるで、彼女の名誉まで傷付け兼ねない如何わしい何かにも聞こえてしまう。


「意味は通じるだろ」


しかし相手が柳生なら途端に慌てふためきそうな指摘にも、柳が相手では涼しい顔で流されるのが常。俺としてもそれは予測済みなんで、今更しつこく詰めることはしない。気力の無駄じゃきね。


「まぁな、本人はけろっとしとるがの」

「そうか。杉沢もだいぶ肝が座っている」


ほんまじゃのぅ。次いで柳が苦笑交じりに言った言葉には頷ける。破られた教科書やノートを目の前に、悲しむどころか悔いも見せずにアッサリ片しよって…。

あんまり杉沢が普通通りなんで、朝は遠巻きに彼女の様子を伺っていたクラスメイトたちも放課後になる頃になってやっと、アレは何だったのかと好奇心を丸出しに聞いて来て、それに対してだってヘラヘラとした笑顔で答えていた。そういう気負い感の無い所も、杉沢特有の性格と言えるだろう。

普段から無駄口を叩き合うような仲ではないので、柳と俺はリズム良く跳ねるボールを見つめながらしばし無言。立ちっぱなしもダルいんで地面に直接座り込み、隣の男を見上げれば、何やら思案顔だ。

……まぁ、考えてることは恐らく一緒じゃろな。小事から大事まで、色々含めて笹原や二年の高坂が受けて来た出来事は、俺たちにも大なり小なり影響を及ぼしている。発端となっているのが俺たちの存在そのものだとなれば、尚更じゃ。


「仁王」

「なんじゃい」

「犯人の目星はつくぞ」


ボソッとそう呟いた柳が斜め下にある俺の顔へと僅かに顔を傾けるので、無言で見上げる。何処からのどんな情報を元にして何を根拠にそんな事を口にしたんか分からんが、相変わらず謎多き男じゃ……。と、いうか何故杉沢自身にではなく俺に言うか。


「恐いのぅ…参謀は」


その意図をじっくり探ろうには分が悪すぎる相手に、居心地の悪さが先に立って俺は軽く鼻から息を出した。


「……今んとこ杉沢はそんなん気にしとる様子もないきに、知りとうなったら教えてやりんしゃいよ」


実行犯を暴いた所で、杉沢が何か行動に起こすとは思えん。サラッと流さられるのがオチじゃろう。


「本人にはな、それでいいだろう。だが、あいつらの二の舞いにさせたくないだろ」


二の舞いとは笹原と高坂のことだろう。確かに奴らが受けた扱いは酷いもんじゃった。

また一つ、また一つと、そんな状況を幾つも見せられて、嫌な予感なんていう根拠の無い勘とは別に、逐一疑わざるを得なくなる柳の気持ちも分からないでもない。人が貶められている様を見るのは不愉快極まりなくて、直接的な被害を受けたのが自分ではなくても、あの屈辱的な光景は軽くトラウマ化するというもの。


「……………。」

「…………フッ」


と、しばし無言でいると鼻で笑われる。


「お前にしては珍しい」

「何が」

「眉間の皺が寄りっ放しだ」

「………ピヨ」


しまった…と、つい舌打ちが出そうになった。一番取らせてはいけない奴に余計なデータを取らせてしまったらしい…。これ以上は危険じゃと、俺は立ち上がる。


「詐欺師にも、多少の良心はあるもんぜよ?」

「ほぅ、それは更に興味深い。詐欺師が良心を擽られる瞬間とは何か、是非データとして残しておきたいものだ」


乾いた笑いを零して言えば、負けじと嫌味な面で言い返して来る。どちらもただでは引かん者同士での会話では埒が明かず、視線は合わさないまま互いに鼻で笑い合うと、追いかけていたボールの往復が終わったのに気付いて俺も柳も別な方向へと歩き出した。

ようは、アレじゃろ。皆、新参者の杉沢は俺たちに被害を加える側ではなく、その逆の立場に立つ者だと知って心配しとるんじゃ。

練習後の部室でもマネ達の姿が無い所で丸井や切原辺りが過去の事件を振り返りながら、長引かないといいけど…などと口々に言っていたのがその証拠じゃ。どう見られてるんか知らんが、俺だって例外じゃなかよ。…とは、絶対口にはしないが。


「仁王、俺帰んぞ〜」

「ん〜…俺も出るきに、待ちんしゃい」


そんな騒がしい部室もじきに、やれ、やりかけのゲームがどうとか、塾がどうとか、親父の手伝いがどうとか……皆が散り散りに帰って行くと静まりかえって、さて自分も…と同じく残された丸井と共に帰路についた頃、校門付近で一人歩く杉沢を見つけた。

やや前方に首を傾けたままの姿勢で、ゆっくりとした足取りの彼女はどうやら携帯を見ながら歩いているらしい。チャリンコとすれ違った際に僅かに身体をビクつかせ、数歩進んで更に電柱に激突する寸前の所で慌てて立ち止まったんを敢えて声は掛けずに二人して笑う。


「ちゃんと前見て歩かんと」

「携帯見るか歩くか、どっちかにしろぃ」


と、そんな姿をたっぷり堪能して気が済んだ所で、ようやく声を掛けた。


「っ!…二人していつから後ろに」

「校門からずっと見てた」

「ス」

「ストーカーとか言う気なら大間違いな上に自惚れもいいとこじゃき」


その言葉を遮ると、杉沢は突っ込みを入れるでも無く拗ねるでも無くただ笑う。たぶん俺たちのその反応も予測済みで、逆に彼女の思い描いた流れに沿った言葉を言わされたのかと思いつくと少々悔しい。が、そんな心情を読み取られるのはもっと嫌なんで掘り下げはしない。


「何を熱心に見てたんだ?」

「ナビだよ。教材買いに行かないと」

「そっか、気の毒だったなぁ〜お前。結構ダメになった?」

「そうだね〜、数学、英語、世界史、倫理…あと何かあった?」

「俺に聞かれても………確か、地図帳に、生物の資料集もやられとった気がするの」


今朝教室で見た惨状を頭に思い描いて答えれば、杉沢は面倒くさそうに顔をしかめる。そんなに持てるかな…と、小さく呟いたのを俺は聞き逃さない。


「ダブルチーズバーガーセットで良か」

「は?お前何言って……あぁー!なるほど!じゃあ、俺はそれにアップルパイ付きな!」

「…………は?」


俺の言葉に察しの良い丸井が便乗し、杉沢は途端に眉間に皺を寄せた。食べ物のことになると目がない丸井、加えてそのノリの良さ。あとは任せても勝手に話が進むじゃろ。


「喜べよ、荷物持ちが二人もいんだぜい?」

「ちゃっかり見返り要求しといて何を…」

「いいからいいから!頼むぜアップルパイ!」

「えぇー!強引だなぁ………じゃあ…どうせならファミレスにしない?」

「やけにすんなりじゃの」

「んー…教材十冊近くって、結構しんどいし」


手伝ってくれるならお駄賃くらいあげないと、と笑う杉沢。穏やかな表情やその言い回しが、やはり中学生らしからぬ奴だと思った。

こうして今晩の夕飯が確約された俺たちは、立海生には行き慣れた駅前の書店へと杉沢を案内することになった。


next…

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