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ネコの尻尾。
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16.
洗礼。


机にばら撒かれたそれを見て、呆れるというか、なんというか……ね。


「今も昔も、こういうのってワンパターンなのね……」


溜息どころか、なんだかとてつもなく懐かしくなり、私は人知れず呟いた。

散り散りに破られた教科書、くしゃくしゃに丸められたプリント、刃物のような物で真っ二つにされた蛍光ペンとぶちまけられたインク。見覚えのある光景に、思わず小さな笑みさえ零れる。


「うっわぁ………」

「ひでぇー…っつか、恐ッ」


周囲の生徒たちはドン引き。ターゲットである私には近付かない方が身の為だという判断だろうか、皆、遠巻きから眺めているだけだ。まぁね、普通はそうだろね……。

そんな腫れ物に触るかのような視線に晒されるのは、初めてではない。十数年前のちょうど今と同じ頃、全く同じ事をされた記憶がある。

そういえばそんな事もあったと、久々にその時の光景を頭に蘇らせれば溜息とはまた違ったある種の呆れが口から漏れて、私は机脇のフックに鞄を引っ掛けると教室後方へとつま先を向けた。とりあえずは、授業が受けられる体制には戻さないとね。


「…っ!」

「わッ!」


と、ゴミ箱を片手に取り少々雑に持ち上げて踵を返したと同時に、勢いよく教室の扉を開けた仁王とかち合った。私が手にしたゴミ箱の腹と、無言で息を飲んだ仁王の腹部がぶつかり合う寸での所で、互いに身を引く。


「…ガサツやの」

「ごめんごめん、大丈夫?当たんなかった?」

「ん。」


苦笑いで軽く謝ると、大して怒った風もなく短く相槌を寄越した仁王は、何も無かったかのように私の横をすり抜けて脚を進める。朝練で顔を合わせたばかりなので、今更おはようも何も無いだろう。

前後の席なので自然とその後ろを付いていく形となり、いつものように私も仁王も無駄に声を掛け合うことなく歩を進めた。


「………………。」


そんな仁王が当然というか、まぁ当たり前に、私の席の真横で立ち止まる。ちらりと顔を少しだけ傾けて横顔を確認すると、仁王にしては珍らしく眼を見開いていた様な。肩から降ろし掛けた、鞄を持つ手も宙に浮いたまま。


「驚いてる?」

「………当たり前じゃろ」


後ろから声を掛けてみると我に返った仁王が深く溜息を吐き、すぐに私に向き直る。


「他は?」

「は?」

「何かされよったか?」

「や、別に何も」

「…上履きは?」

「見ての通り、無事だったけど?」


いや、ホントに珍しい。

私の二の腕辺りを強い力で掴んで、彼からは滅多に聞く機会のな
い真剣な口調で糾弾されて、こちらの方が驚いてしまう。上履きへの被害なんて、何も無かったことぐらい足元を見れば直ぐ分かるのに、つい口をついて出たみたいな。


「ほうか…」


相変わらずの無表情の中に僅かに焦りの色を浮かばせる仁王は、キョトンとしている私を見て溜息を吐くと静かに手を降ろした。

そんな彼の行動に脳裏ではクエスチョンマークを飛ばしながらも、私は手にしていたゴミ箱を机の横にくっ付ける。空いた方の手で適当にグシャグシャになった教科書の一頁を掴み、漏れたインクが手に付かないよう机の上の紙屑へと化したテキスト類をゴミ箱の中に滑らせた。


「うーん…やっぱ雑巾いるかなぁ」


それでも所々にシミが残る机を前に、私は顎先に指を当てる。これでは突っ伏すことが出来ない、朝のHRは大事な睡眠時間なのに。


「ついに来たのね、杉沢ちゃんにも」

「うわぁ!」


と、再び教室後方へとつま先を向けると背後には神妙な顔で眉間に皺を寄せたゆかりちゃん。


「…気配消して立たないで!恐いから!」


そんな彼女に苦笑いしながら抗議したら、無言で差し出された雑巾。仕草だけで礼を示し、有難く受け取って素早く机の上にそれを滑らせると、五分と掛からず見るも無惨な様相は消え去りあっという間に元通り。

水性インクとは生温い。私があの当時やられたのは確かペンキで、あれは拭いても擦ってもダメで専用除去剤が無くては落ちなくて困ったものだった。


「自分の手が汚れんのが嫌だったんだねぇ」


手に取るように当事者の浅い考えが脳裏に浮かび、鼻で笑いながら机の中を覗き込んでみると、案の定そこにも破かれ乱雑に丸められたノート類が散乱していたので、それらもまとめてゴミ箱へと放り込んだ。


「…冷静だね、杉沢ちゃん」


その様子を無言で眺めていたゆかりちゃんが少しばかり目を丸くしているのに気付き、私は小さく笑みを零して口を開いた。


「初めてじゃないから」

「えっ!?いつ!?」

「中二」

「何で!?」

「バスケ部のキャプテンと付き合ってたから」


まぁ、俗にいう嫉妬だ。

単語だけなら怪しまれないだろうと、話が伝わるようキーワードだけを端的に答えれば、ゆかりちゃんが納得したように小刻みに頷いている。

今では懐かしい思い出と化しているそれを呼び覚ました私は、口元だけで再び軽く笑った。当時は私も若かったから、嫌がらせをされる度に主犯格を呼び出して真っ向から喧嘩を挑んだものだった。


「もしかして、杉沢ちゃんの編入して来たホントの理由って……」

「あぁー違う違う、それは全く無関係!とっくに決着付いてるし」


何やら勘違いを起こし掛けているゆかりちゃんに、慌てて否定する。最近ではそんなケースが珍しくないのだろうし、彼女の立場では中二といえばついこの間の出来事にも感じられるタイミングだった為か、そう思われるのも無理なかろう。

綺麗になった自分の席へと座り、とりあえず持ち帰って無事だった筆記用具類を鞄から出しながら話し出す私に、ゆかりちゃんもようやく自分の席へと着いて聞く体制を整えていた。前の席の仁王も、窓枠に背を預けた姿勢で何気に聞き耳を立てている。

いや、そんな構えられても大した話じゃないのだが…と思ったが、二人の無言の視線には先を促されているように感じて苦笑いしつつ再び口を開いた。


「ホントだよ?今じゃいい友達だし、その子」


……友達だった。という方が今は正しいのだろうか。もう会えないのだから、あの子には。しかし、余計な詮索を避けるために語尾は捏造になった。


「友達?嫌がらされた相手と?」


私の言葉に訝しげに眉をひそめるゆかりちゃん。先日の彼女の様子では、自分にはきっと無い選択肢なのだろう。


「うーん…時が経って、いい思い出になったというか」

「こんな事されて?だって嫌な思いさせられたんでしょ?…人としてサイテーだよ」

「そりゃねぇ〜嫌は嫌だったよ。でも、私も私で黙ってなかったし」

「仕返しでもしよったんか」


私よりも表情が暗くなってしまった彼女に努めて明るく言うと、仁王の方が興味を示して口の端で笑う。そのタイミングで口を開いた彼とその笑い方に、やや沈んでしまったこの空気を除去する為の助け舟だと分かって、私は乗っかった。


「呼び出して平手打ち、その後は取っ組み合いのケンカ」


当時はそれが出来た。気に入らないなら気に入らないと、真正面から突っかかる強さがあったからこそ、イジメには発展せずに済んだのかもしれない。


「お互い文句があったから、直接やり合ったの。んで、スッキリしたもんだから後腐れもなかった」


私が当時受けた嫌がらせでは、主犯は影でコソコソしていたのではなくて、自分の力を誇示するかのように、人を嘲笑うかのように高らかに笑って存在をアピールしていた。


「まぁ……そんな事が出来るのは、話が通じる相手というのが前提だろうけど。でも、誰だって道を誤ることはあるよ」


あの子は、ただ純粋にヤキモチを焼いていただけで、憧れの先輩を取られて悔しかっただけ。ただそれだけだった。


「表現の仕方が間違ってるだけで。あとは反省出来る子か出来ない子か…あの子は反省してくれてた。時間は掛かったけど」


とはいえ、中学を卒業してからもずっとずっと大嫌いだった。嫌がらせを受けた事実は変わらないのだから。でも、同窓会で再会したあの子が苦笑いで誤ってくれた時には、不思議と全て許せたのである。


「私は、まだ、そんな風には思えないよ」


すると、ポツリとゆかりちゃんが零した。眉間に皺を寄せている所を見ると、完全に自分の身に置き換えているんだろう。その気持ちも痛い程分かる。


「……たまたまじゃない?私のケースは。無理やり和解したって意味ないんだし」


ますます暗い顔になってしまった彼女に、背中を軽く叩きながら言った。


「…ただ、あの子、球技大会の時の、あのピアスの子は面白いなと思うケド」

「えぇ!?アイツ!?」

「うん。確かにムカついたんだけど、今思うとあんだけ大勢の人間の前で直接向かって来るのはいい度胸してんなぁーって」

「ピアスの子?…なんねその話、前にも何かされよったんか」

「ほら!前からあの真田くんを追いかけてる子!またやっかまれたんだよ〜球技大会の朝に。ブツブツ文句言われた程度だけど」

「あぁー………あの蛾みたいな奴か」

「蛾?」

「蝶に似とって派手派手しいが、何か間違った方に着飾っとるんが蛾みたいじゃ…いつの間にか湧いとるしの」

「練習とか大会とかね、たまに見に来てるんだよ」

「なるほど。上手いこと言うねぇ仁王くん」


蛾、ねぇ…。

仁王の言葉とその例のピアス女子の姿を頭で重ねて、それはそれで可哀想だ、なんて私は苦笑いをした。

いやいや、蝶になりたい蛹かもよ?

そんな言葉も浮かんだが、二人にはまだその意味は通じないのではないかと思って、普段通りの饒舌さを取り戻したゆかりちゃんに安心し、私はいつものように時折相槌や質問を挟みながら、二人の話に耳を傾けた。


next…

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