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ネコの尻尾。
【10/50】
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10.
こういう人、スキ。


そうか…中学生として過ごすということは、そういう事か…。


「杉沢ちゃん、顔死んでる」


そんな行事があるだなんて、すっかり忘れていた。学生生活なんて遠い昔過ぎて、むしろ自分にとってそれに関連するアレコレが抹消したい過去であるが故に。

ゆかりちゃんから数日前に年間行事の大まかな流れを教えてもらうまでは、完全に頭から抜けて落ちていたソレ。それから日々少しずつ憂鬱さは募り、今日まさにそれはピークに達しようとしている。


「もうヤダ。もう帰りたい。」


テニス部の朝練もその行事に備えてお休みだった今日、教室に入って掛けられた第一声でゆかりちゃんに突っ込みを入れられた私は、投げやりな口調で答えると無気力に椅子にへたり込んだ。雑な動作で鞄を置いてすぐ、机に片頬を付けるように項垂れて溜息を吐く。


「負けよう、一回戦で直ぐ負けよう」

「えー!やだよー勝ちたいもん私」

「えー…じゃあ30秒で怪我して即退場していい?」

「こらっ」


必然的にゆかりちゃんへと顔を向ける形となって力無く訴えると、呆れ顔で頬を膨らませた彼女から叱られてしまう。そんな表情もカワイイじゃないの、と思うが今日の私は素直に頷く気にはなれず、返事は返さないまま更に盛大な溜息を吐いた。


「うんちか?」


…よく女子に対してそんな言葉を臆面も無く言えるもんだわね。と、胸の中で呟いて机上に横たえた上半身はそのままに声が聞こえた方向へと顔だけを軽く持ち上げると、こちらを不遜に見下ろす仁王と目が合った。

片眉をピクリと動かして明らかに馬鹿にしたような表情をした彼に、やはり返事はせずただただ睨み返す私。テニスがあれだけ出来て、見るからにスポーツ万能そうなアンタにこの気持ちは分かるまい。今日はもう、愛想を振り巻くことも平静を取り繕うことも出来ず、ただただ憂鬱だ。

そんな不貞腐れた態度の私を鼻で笑うと、仁王はスポーツバッグを片手にさっさと教室を出て行ってしまった。彼の背中を目で追うついでに周囲を見渡せば、制服姿とジャージ姿の生徒が入れ替わり立ち代わり教室を出たり入ったりしている。


「私たちも早く行こうー」


どうやら私が登校するのを待っていたようで、スポーツバッグを胸に抱えて嬉々としているゆかりちゃんの言葉には尚も溜息が出たが、もう流石に逆らうことは許してもらえなさそうなので私も自分の荷物を手にすると重い腰を上げて渋々立ち上がった。


本日こんな私を待ち受けているもの、それは球技大会という名の地獄である。

そうです。私は仁王の言う通り、うんちなのです。所謂、運動音痴。それこそ糞がつく程に。

小、中、高、とそれはそれは悲惨な成績を残して来た。生来の根性と忍耐力か、何故か持久力だけは定評があるこの身体も、 脚を速く走らせるだとか、器用に球を操るだとか、そういった類のコントロール力は皆無らしい。

幼い頃からそれで何度悔しい思いをしたことか…。それ故に、私にとって体育とか水泳とかレクレーションのドッジボールとか、そういうモノは恐怖の対象でしかなく、とにかく大嫌いなのである。

軽いヨガやジム通いならば自分のペースで進められる事もあって20代になってからは抵抗が無くなってきたものの、中学生として学校生活で行なう運動というのはけして『適度』ではない。常に全力を求められるじゃないか。

スポーツなど一つもマトモに出来ない私にとっては、球技大会なんて不特定多数の人間に醜態を曝すだけの忌々しいモノでしかなかった。あんな弱い者イジメみたいな行事なんて無くなってしまえばいいのにと、大昔に思った事を、再びまた思うようになるだなんて…。それもこれも、トリップなんてしまったから…。

と、仕切りに溜息が止まらない私は、そんな嘆きも無情にゆかりちゃんに引っ張られるようにして女子更衣室へ連れて行かれた。

球技大会は朝から終日いっぱい行われる為、第一試合が予定されているクラスは大抵の生徒がHR前には着替えを済ませてしまうのだという。ゆかりちゃんは私とは違って健全なスポーツ好き女子らしく、歩きながら声を弾ませて説明してくれた。

その横顔を眺めて、ふと最近彼女に関して気になることが頭をよぎる。

私が彼女のクラスに編入してからというもの、ほぼ毎日のように顔を合わせ共に行動しているゆかりちゃんにはある疑問を感じていた。

愛想も愛嬌もあって見ず知らずの私へ友好的に接してくれる、明るく世話好きな彼女。そんな好感度抜群なごくごく一般的女子中学生のゆかりちゃんには、この学校に深い付き合いの友達はいるんだろうか…と。

クラス内で特に省かれている様子もないし、他愛ない会話を交わしている場面ならいくらでも見掛けたりする。しかし、昼食や授業の合間の移動、更に今では同じテニス部として朝練や放課後の練習など、一緒に過ごす時間が増え出して尚更、あまり他の子と親密そうに話している姿を見ていない事がここ数日気になっていた。

しいて言えば仁王くらいだろうか、彼女があまり取り繕った風もなく親しげに話す相手は。加えて後輩の高坂さんや、テニス部レギュラー陣などに対してはあまり肩の力を入れず会話している印象だ。三年間同じ部で過ごした仲間としては自然な事であるからその事に関しては何の疑問も無いのだが、それ以外が皆無過ぎてここの所クエスチョンマークが頭に浮かんでいたのだ。

だが………

敷地も広大なら校舎も広大な立海の、一言で更衣室といえども軽く教室の二つ三つは入りそうな程に広いその場所に足を踏み入れた時、その理由は直ぐに判明する事となる。


「ちょっと邪魔なんだけど〜」


扉を開けて中程まで進み適当に空いているスペースへと滑り込んだ私たちに、背後からなんとも言えない甘ったるい口調で突然罵声を浴びせられた。

振り返ると年齢不相応の濃ゆいメイクを施したギャル予備軍みたいな集団に睨まれていて、安っぽいプラスチック製のハート型ピアスを耳にぶら下げた一際偉ぶっている女子が更に口を開く。


「そんな薄っぺらい身体なんだから、わざわざ更衣室使う必要なんてないのにぃー」

「だよねぇー!教室で充分じゃん?」

「あっ!分かった!男子に色目遣われると困るから、追い出されたんじゃない?」

「ありえるぅ!それウケんだけどー!」


…いや別にウケないけど。

と、続けて浴びせられる言葉に自分の眉が動いて思わず声を出しそうになったが、私はそれをグッと堪えた。彼女たちの視線の先にいたのが、自分では無かったからだ。


「早くどいてよ、アタシそこがいいんだけどぉー」


ゆかりちゃんへと真っ直ぐに向けられたピアス女子の瞳に、蔑むような鋭さが増す。

しかしゆかりちゃんは何も言わずにただじっとピアス女子の言葉が切れるのを待っていて………チラリと見えた彼女の横顔に、私は思わずどきりとした。妙に落ち着き払った冷たくて何の感情も読み取れないような眼が、今まで見たどの彼女とも違って見える。

ーあれ誰?
ー男テニのマネだよ
ーどっちが?
ーどっちも
ー最近増えた人だよね、アノ人
ーひぇっ、メッチャ睨まれてんじゃん
ーこわっ

外部からは噂好きなお嬢さんたちの囁き声が漏れ聞こえるが、それでもゆかりちゃんは冷徹な顔をしたまま無言を通す。そしてロッカーの扉からそっと手を離すと静かに方向転換をして歩き出したので、私も無言で後に続いた。

背後からは尚もピアス女子の「ばっかじゃないのぉー」と、言われる所以も無い罵声、そしていかにも馬鹿っぽい笑い声が複数浴びせられたが、彼女は動じない。

始めて見る、こんな背中。凛としていていっそ清々しいのにどこか儚いような……。私はまた彼女の新しい一面を知った気分だった。1年生から3年生まで全学年が利用するその場所で向けられた嫉妬と好奇の目、その中をピンと伸ばした背筋で俯かずに真っ直ぐ進む彼女が、格好良いと思った。


「杉沢ちゃん」

「なに?」

「こういうのがあるって知ってて誘ったの……。許してね」


彼女がようやく口を開いたのは着替えを済ませて更衣室を出た後、教室へと戻る最中、人影もまばらになった階段の踊り場に足を掛けた時だった。

泣き出してしまうかと要らぬ心配していた私を他所に、柔らかに苦笑いを零したゆかりちゃんはもう既に私が見慣れた彼女に戻っている。心のどこかで安心して、彼女の言葉に私は笑みを返した。


「それでも辞めてもいいよ、とか言わないんだね」

「え!?だってせっかく掴んだ人材だし!?」

「そういうとこ揺るがないんだ、ゆかりちゃんは」

「撤回するなんてヤダよー!逃がさないよ!?」


同じく苦笑いを零しながら言えば、すっかり元の調子に戻った彼女に強く言い切られてしまい、その固く握った拳に更に笑った。


「あんな幼稚な陰口に遠慮してみすみす手放すなんて、そんな勿体無いこと私はしないよ!だったら最初から声なんて掛けない!だから、お願いだから付いて来てよ!」


が、彼女は真剣な眼差しだ。真っ直ぐ見つめられながら言われたその台詞に、私は一瞬言葉を飲み込む。


「……男前だねぇ」


場面が場面なら物凄い殺し文句にもなり得る言葉を真正面からぶつけられて、私は何だか気恥ずかしくなる。

あのピアス女子に売られた安い喧嘩にも、感情的に成ることもなく言い返しもしなかった彼女。不快であるはずのこれ見よがしな嫉妬の言葉や視線にも動じなかった彼女は、ああいった類の状況は既に達観視しているんだろう。だからこそ彼女はもう、周囲の女子たちには軽々しく踏み込まないのだろうか。

それなのに知り合って間もない人間に、それもこの世界で異質であるはずの私を嗅ぎ分けて声を掛けたゆかりちゃんの嗅覚に、少女の中に覚醒されつつある『女』の部分を感じる。


「………あの女、ピアス引き千切ってやればよかったのに」

「あはは!あの子ね、ああ見えて真田くんのこと好きなの」

「うっそ!?結構ギャルギャルしかったけど!」

「そう、真田くん風紀委員会だからああしてれば突っ込まれるでしょ?でもあの真田くんだし、全然相手にされてなくて。私へのアレは完全に八つ当たり」


敢えてハッキリと返事をしなかったのは、この子とはホントに友達になりたいなと思ったから。けれど、本当の意味でそれが果たして叶うのかどうか、私の今の状況や自分自身の心境では分からなかったから…。

ただこの世界に来て、一番最初に親しくなったのが彼女で良かったと心から思った。


next…

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