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ネコの尻尾。
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99.
追いかけっこ、鬼の気持ち。



杉沢が消えた。

それを告げられたのは、ステージを降りて直ぐだった。笹原と高坂が息も絶え絶えになりながら舞台袖へと走って来て、滞りなくシンデレラを演じきって満足感に浸っていた俺たちに、たった一言「いなくなっちゃった…」と、2人はそう言った。


「杉沢先輩、泣いてたの。なんでなのか分からないけど、多分泣いてた」


自分こそ今にも泣き出しそうな顔をして、高坂はぽつりと零し、隣の笹原もその言葉に頷きを繰り返している。2人とも取り乱した様子が無いことから、いつかのように誰かの策略に嵌められたのではなく、杉沢自身が自らの意思で居なくなったのだということが分かる。一体、なぜ、どうして。俺たちがステージでわーわーと騒いでいる数十分の間に、何があったのだろうか。見当もつかない。


「……とりあえず、皆で探そうか。カメラ、置いていったんだよね?」

「……うん」

「携帯は?」

「鳴らしたけど、全然出ない」


それは今日一日ずっと杉沢と行動を共にしていた笹原も同じのようで、一緒に居た奴らがそうなのでは、俺たちには更に分かるはずもない。ただただ、用事を思い出して抜け出したのなら、それでいい。しかし、高坂は杉沢が泣いていたと言ったのだ。2人に何も告げず、逃げるようにしてその場から消えたと。たった今、皆で演じた物語の中のシンデレラのように理由もなく突然に、だ。


「荷物も残したまま校外に出るってのは、考えにくいね。敷地内を手分けして探そう」


意味が分からないながらも、消えた仲間を放置する訳にもいかないと幸村が神妙な顔のまま皆に指示を投げる。一同それに頷き、それぞれに思い当たる場所をシラミ潰しに回ることにした。事件性がある訳じゃないが、不信な空気を感じて胸が騒つく。


「………田宮か?…ちょっと頼まれてくれんか」


皆と分かれて直ぐに、携帯を取り出した俺は、電話の向こうの相手に端的に事情を明かす。今日は学校中のどこもかしこも大勢の生徒で賑わっているはずだ。誰にも見られずたった1人で行動出来る場所なんて限りなく無いに等しい。杉沢を見掛けた奴がいたら連絡を回してもらえるようにと、田宮に頼んだ。きっと、他の連中も同じことをしているであろう。数ヶ月とはいえ俺たちのマネージャーとしてあの部室棟に出入りしていた杉沢は、少なくとも運動部の奴らの間には全く知らぬ顔ではないはずだ。電話口では案の定、意味が分からないといった風に気の抜けた声を出した田宮だったが、最後には他のクラスメイトや元野球部員にも伝えておくと言ってくれ、有り難くそれに甘えた。何処に向かうべきかと目的地も決まらぬうちに足を速めながら、深い溜息をつく。何処だ。杉沢が居そうな場所は、何処だ。脳内を占拠するのはそのこと一つだけで、訳の分からない焦燥感に見舞われていると、先程ポケットにしまったばかりの携帯が震え出す。


「雅治?」

「……お前か……どげんした」

「あ、あのっ……あたし、雅治に言っておかなきゃなんないことがあって」

「なんね」

「うん……あの、」


語尾がどうしても荒くなってしまうのは仕方ないことであった。電話を掛けてきたのは笹原で、杉沢が見つかったという知らせではなかった事に苛立ちが増す。笹原の所為ではないことは理解しているが、気の知れた友人の前では自分を取り繕う気にもなれない。向こうも向こうで、そんな俺には構わず相変わらずのマイペースで気にする素振りもない。それどころか歯切れ悪く話す笹原に、一体何なんだと怪訝に思う。


「杉沢ちゃんね、知ってるの」

「何を」

「雅治が、知ってること」


言いたいことがあるならさっさと聞かせてくれと、先を促す気持ちを口に出そうとした瞬間に、笹原が短く言った。思わず足を止める。携帯を握っている手は徐々に力んでいくのに、何故か首から下の身体は力が抜けていった。何を?と、考える間もなく、笹原が言った言葉の意味を俺は理解した。


「ごめん……。あたしが話したんだ…夏休み中に、精市くんが、雅治に教えた直ぐあと…ごめん…」


無言でいる俺が怒ったと思ったのだろうか。次いで弱々しい声で笹原が続けた。………そうか、それで。


「……いや、別に、よか」


しきりに謝りを繰り返す笹原に、その必要はないと伝えるために返事を返す。こいつが口が軽いことは以前から分かっていたことだ。今更怒りなど湧いて来ない。むしろ、今は少しばかり有難くさえ思う。


「それよか、なして今?」

「うん…いや、なんとなくなんだけど、今伝えといた方がいい気がして…。なんか嫌な予感するんだ、よく分からないけど……!」


女の勘、というやつだろうか。言っている笹原本人も、どうしてそう思ったのかは不明確なんだろう。短い気を吐くと、俺は言葉になったかどうか曖昧な頷きを返し、電話を切った。切り際に、笹原が泣いているのではと脳裏を掠めたが、それを慰めるのは自分の役目ではないと思い直す。きっと彼女の側にはあの男がおる筈じゃ。心配することなどない。

それよりも、だ。笹原の話で、昨日の杉沢の言葉に合点がいった。どこか悟ったような顔をして、誤魔化すどころか珍しく挑発的な言葉を投げ掛けてきた彼女。投げやりではなかったが、これまでになく力の抜けた声だった。何故今になってそんな事をと、ずっと疑問だった。しかし、追求すればまた拒絶され逃げられてしまうかもしれないと、そうさせずに口を開かせるには、と。思案していたところに、今日杉沢は行方を眩ませた。それが何を意味するのかは全くもって意味不明。だが、笹原から教えられた事実には、その片鱗が隠されているような気がした。きっと彼女は、もう認めていたのだ。俺自身が彼女の正体を知った上で接していることを認めて、自分自身も、もう偽らないと認めていたのだ。だからだろうか。昨日の杉沢は今までのどの彼女より自然体に思えたのは…。だが何故、今になって急に?ずっと隠し通してきたのに、どうして今なんだ。それが分からない…。

それからは広い校内の思いつく限りを探した。ポケットに入れていた携帯は、それから絶え間なく震えるようになって、探し初めて30分後には左手に握りっぱなしになった。中庭で、図書館で、音楽室前の廊下で、彼女を見掛けたという連絡が次々に入る。しかし、誰一人彼女を捕まえられたという者はいまだおらず、どれもこれも数分前に見たという目撃情報に留まるものばかり。結局のところ、現在彼女が何処にいるのかは、まだ分からずじまい。


「オイ仁王!さっき職員室前の廊下走ってった!」


奥歯を噛み締めてそれを苦々しく思っているその途中、田宮から着信があった。通話ボタンを押して間髪入れずに田宮が叫ぶ。


「捕まえらんかった?」

「いや、中庭挟んで反対側の教室の窓から見えたんだよ〜悪い!でもついさっき!」

「いや助かる、どっちの方向に?」

「たぶん特別棟?」


要件だけの短いやり取りを終えると、俺はすぐに身を翻した。走り回っているってことは、杉沢も一人になれる場所を探している。どこにいっても人がいて困っているのだ。それに皆が自分を探していることを勘付いているに違いない。突然姿を消してしまって、そんなことも思いつかない程の馬鹿ではない。きっと彼女が慣れ親しんだ場所には、むしろ居ないだろう。それよりも今までに縁のない場所、且つ今日は誰も立ち寄りそうもない場所。それは一体、何処なんだ。もはや皆目見当もつかないその疑問に、俺は更に焦っていた。

正直なところ、杉沢は何を思っているんだろうか。夏休み中の出来事を幾つも思い返すが、その都度の彼女の反応や言動を繋ぎ合わせてはみても、やはり分からない。2学期が始まってからは教室内でも、それ以外でも、2人きりで話す場面は急激に減った。それは杉沢がそうなるように意図してのことだと思う。むしろそれは、俺と真っ向から対面するのは気まずいからじゃろ。気まずいということは、意識しているということだ、俺を。もしかしたら、やっぱり杉沢は俺に対して……。と、予測することは出来ても、本人の口から明確に聞かない限りは確信など持てない。例えばそうであったとして、正体を知られていることの何がそんなにネックなのか、何故こんなにも拒絶を示すのか。理由を、本心を、俺はまだ聞いてない。つまらない言い訳や体裁など、どうでもいい。本音の本音、彼女自身はどう在りたいのか、本当の素直な心では何を望んでいるのか、それを暴かなければ前には進まない。そんな気がしている。

その欠片が、昨日は見えたのだ。皆が合流してしまい、話は流れたがすぐにでも問い詰めたい気持ちだった。しかし衝動のままに行動すれば、彼女はきっとまたその欠片を隠してしまう。巧妙に、俺には理解出来ない大人の言い回しで。逸る気持ちを抑え、この先も続くであろう彼女との付き合いの中でそのタイミングを図ろうと思っていたのに。なのに。なんでこんな時にいなくなる……。


居なくなる


その単語が脳裏を掠めた時、鳥肌が立った。一泊遅れて、一筋の冷たい汗が背筋を流れた。途端に早まる心臓。………どうして思いつかなかったのだ。彼女は『突然』この世界へ現れた。その逆のことが起こり得ると、何故今まで思いつかなかった。彼女はこの世界でずっと生きていくと、そう信じて疑わなかったからだ。しかしそれを杉沢が断言したことは、果たしてあったんだろうか。例えば、幸村や笹原に。例えば、自分自身に。そう問いかけたことは、今まで無かったんだろうか。此処にいていいのかと、自問自答することは無かったのか。俺なら、俺ならどうする……。きっと俺なら……。

そう考え始めたのと、再びポケットの中の携帯が鳴り始めたのは同時だった。



next…

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