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ネコの尻尾。
【48/54】
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98.
走馬燈。


時刻は18時を回った。急なスケジュール変更も有って、予定通りにとはいかないながらも明日の文化祭本番に向け、準備作業は順調に進んでいた。無機質な印象だった教室や廊下は、カラフルな織り花やカラーテープで華々しく彩られている。蛹ちゃんが去ったあとの部室で、しばし放心していた私であったが、そのまま仕事放棄をする訳にもいかず、明日に向けての準備作業をしているクラスメイトたちの元へと戻った。教室では、机にテーブルクロスを掛けたり、調理スペースと客席を仕切る為の暗幕を広げたりと、最後の追い込みと言わんばかりに皆慌ただしい。途中抜けていたことを軽く謝ったのちに、私はその輪に加わった。先に戻っていたゆかりちゃんや仁王が私の存在に気付いて近寄って来たので、蛹ちゃんに部室で会ったことを簡単に伝える。B5サイズにプリントしたメニュー表を、プラスティック製のハードケースに入れていく作業を3人で行ないながら、「フラれちゃったって」「でも多分大丈夫」とだけ言うと、二人ともどこか安心したような顔をしていた。やがてポケットの中の携帯が震えて、電話に出る。私が携帯を耳に当てたのを見て、自らのそれを確認する2人。私も腕時計を同時に見やり、今度こそ本当にテニス部のリハーサルが始まる旨を柳から聞く。なんだかんだと先送りばかりされていたので、ようやくかという気持ちで、私たちは再度クラスメイトに謝りを入れて講堂へと向かった。同じ場所を行ったり来たりと、本当に今日は忙しい日だ。

一度校舎の外を出て、中庭を歩き進む。普段は所狭しと植えられた木々とベンチしかない穏やかな空間のそこも、この時ばかりは幾つもの出店で埋まっていた。その数の多さには素直に驚く。


「そっか…高等部も合同だもんね…」

「ん?なに?」

「いや、本当だったなって。ゆかりちゃんが言ってたこと」


あれは確か6月のこと。球技大会で同じこの道を通った時に、あまりの生徒数と賑やかさにまるでお祭りの様だと感想を零した私に、海原祭はこんなもんじゃないと得意げに笑った彼女。確かに、中等部、高等部入り乱れての大行事に前日でありながらも圧巻される。こんなに皆が楽しそうに参加している学校行事、自慢に思うのも頷けた。そういえばあの時、白雪姫でもやろうかなんて話していた事を思い出す。それを口に出せば、すっかり忘れてたー!と言うゆかりちゃん。すると、私たちの一歩先を歩く仁王が振り返って、なんも考え無しにポンポン思いつくまま言うからじゃ、などとちゃちゃを入れてくる。テンポの良い言い合いに苦笑いしながら、こんなやり取りはいつの頃から当たり前になったんだろうと、脳裏では過ぎて来た日々を想いながら歩き進む。何をしても、何を聞いても、干渉的になるのはもう致し方なかった。


「ギャラリー多くない!?」

「ですよね〜!さっきこんな居ましたっけ?」

「明日は見れない子たちじゃないかな?」


講堂で皆と合流してすぐ、ゆかりちゃんが堪らず声を出し、それには高坂ちゃんも私も同意を示すように首を縦に振る。校舎内外の至る所で様々な催し物が披露される文化祭。ここでのステージ部門はその中の一部でしかない。自分に与えられた持ち回りによって、タイミングが合わないということも当然発生する。今日は昼休みの終了後すぐに午後の授業を潰して準備時間が始まっていたから、作業を開始してからは有に5時間以上は経過していた。各々の仕事に取り掛かり始めたばかりであった先程とは違い、既に校内全体もある程度の完成系が見えて来た今。テニス部のリハーサル開始時刻が実行委員の連絡アナウンスにより校内に流れるや否や、一気にギャラリーが増えた。満席とまではいかないが、さも本番を思わせる程度には客席は埋まっている。


「……さっすが」


その様子に改めてテニス部の人気を実感。こういう扱いをされている奴等ってことを、最近忘れかけていたので些か驚く。舞台袖からチラリと客席を覗き見し、これではさぞかしプレッシャーだろうと黙々と準備を進める彼らを見やると、ところがどっこい、殆どの面子が緊張する素振りもない。大勢の観衆の前に出るのには慣れっこなのだろうか。と、思いきや。灰色の衣装を身に纏い、両肩をぷるぷると震わせている男が一人。


「緊張してる?」

「緊張などしていません…それよりも羞恥心で胸が張り裂けそうです…」


情けない背中が見てられなくて堪らず声を掛けると、眼鏡を持ち上げる仕草でもって顔を覆い隠した柳生が弱々しい声を出す。


「そんなことないよっ、似合ってるって!!」

「似合っているなどと言われて嬉しいものでしょうか、これは……」

「大丈夫だって、可愛いから」

「可愛いという表現が最大の褒め言葉だと思っているのは、女性の皆さんだけですよ……」


余程恥ずかしいのか、私とゆかりちゃんが掛けた励ましの言葉も言ったその場から即切り崩されて、もはや苦笑するしかない。柳生の役は鼠だ。主要のキャストを元レギュラー陣で固めようとしたら、一人余ってしまったので急遽付け足した役。本来、鼠や馬などはそれらしい模造品を木材や資材なんかで適当に作るつもりだった。それを無理矢理に人にやらせようというのだから、言い出しっぺの幸村はやはり酷い。では鼠の衣装はどうするかと悩んだ末、流石に全身タイツは可哀想だから、せめて上下全てを灰色の洋服で揃えて来いというお達しを真面目に聞き入れた柳生であったが、彼の中の問題はきっとそれではない。唯一鼠らしさを的確に表す物として、彼の頭上には某夢の国の世界一チャーミングな鼠の耳が乗せられていた。一応、それっぽさを追究するにあたって色はグレーに染められているが、その大きな耳はどうしたって目立つ。


「あんまり凹むなよ柳生。ジャッカルよりマシだって」


個人的にはなかなかキュートで可愛らしいと思うのだが、柳生のあまりの気落ち様に、かえってネタにされるからあまり落ち込みすぎない方が…と、再度声を掛けようとしたら、それより先に意地悪い笑みを浮かべて歩み寄って来た丸井がとある方向を指差して笑うので、その場にいた皆でそちらに目を向けた。


「アイツなんて、スキンヘッドにドレスだぜ」


そういうお前だって首から下だけ女装なんだぞ、とは内心では突っ込みを入れたが、その言葉のインパクトの方が強烈で取り敢えずジャッカルへと目を移し、思わず吹き出しそうになった。真っ黒に日焼けした顔と頭そのままに、華やかなドレスを身に纏った彼は、成る程、とても滑稽である。


「あはっ…!あはははははははっ…!!せっ、先輩っ…!!やっぱいつ見ても、サイコー…!!」


こともあろうに、仮にも先輩であるジャッカルを指差し笑い転げているのは高坂ちゃんだ。背後では幸村も柳もドレスを着用しており、それはそれで可笑しいのだが彼の存在感には負ける。試着は以前にも何度かしてあってその度に大いに盛り上がったのだが、これは何度見ても面白くて仕方ない。


「こっちは思ったより笑えないね」

「……失礼な発言ではないのか、それは」


それに引き換え、意外や意外。王子の衣装を身に纏った真田王子はそれなりに着こなしている。衣装に合わせて髪型を弄られたせいもあるかもしれない。


「ただ、王子ではないよね」

「……どっちかっていうと王様、かな」

「あっ、そっか、皇帝だしね」

「ね」


しかし元来の渋顏は直せない。素直な感想を零せば、ますます真田王子の眉間には皺が寄って、私もゆかりちゃんも笑った。そうしてる内に、ふと周囲を見渡すと既に皆が準備万端となっていて、応援の言葉を一言二言掛けると、私を含めた女子3人はステージ袖から降りる。今度は講堂2階に位置する機材室、そこでスタンバイしている照明チームの元へ行くのだ。それだけは部員たちでなく、それ専門の係が設けられている。今日の全体リハーサルは、その為のものでもある。とはいえ、それも実行委員から選ばれただけの生徒による有志だ。凝った趣向や演出などはするつもりはなく、とりあえず舞台全体が見易くて、幾つかの見せ場でセリフのある人にピンストでも当ててくれさえすればいい。どの場面でどの役に、という重要ポイントを伝える為、照明担当の子たちと共に実際の劇の進行を確認するのが、リハーサルでの私たちに与えられた仕事だった。

講堂のバックヤードをぐるりと一周し薄暗いその部屋に入ると、客席よりも更に高い位置から舞台が見える。さすが私立のマンモス校、その設備も最新式で素晴らしい。沢山のスイッチが並ぶテーブルに感心しながらも、私は部屋の片隅に空いているスペースを見つけて腰掛けた。そして、ポケットに忍ばせてあった簡易式の小さな三脚を適当に机の上に乗せ、おもむろにカメラを構える。


「そんなの用意してたの?」


それに気が付いたゆかりちゃんは、私とカメラを交互に見てキョトンとした顔をしていた。確かに。どうせ同じ物を撮るなら、明日の本番のがいいに決まっている。何故に今なのだと、彼女が不思議に思うのも無理はない。だがしかし。私には、今日しかないのだ。もう今しかないのだ。皆が作業に一生懸命になる中で、私だけ不自然に写真ばかりを撮りまくっては、絶対に変に思われると思った。思い出作り〜、なんて言って、適当に誤魔化すことも出来なくはなかったが、正直きっとキャラじゃなくて不信に思われたに違いない。何より思っていたより今日はとても忙しかった。

ゆかりちゃんからの問いに無言の笑みを返して、カメラに向き直る。ここへ来た時、以前この手で写して来た過去様々な出来事がこいつにはしっかり残ったままだった。もしかしたら、明日が来て、元の世界へ戻っても、この中にはしっかり彼らの姿が残るのかもしれない。定かではないけれど。それ以前に、ここでの記憶に関してどう処理されるのかすら不明だ。始まりも分からないことだらけだったのなら、終わりもそうであって当然かもしれない。彼らを覚えているだろうという確信はなかった。何を未練たらしいことを、とも思う。けれど、何か残したかった。最後の最後、皆と一緒に明日を迎えられない寂しさを埋める何かを残したかった。

やがてステージ上では男子テニス部の演目、シンデレラの幕が明けていく。僅か1ヶ月足らずで作り上げたそれ。前夜祭のつもりか、本当はリハーサルでは不要と言われていたのにわざわざ衣装まで着込んだサービス精神旺盛な彼らに時折り笑う。客席を見て目配せをしたり、手を振ったりしている姿に、クラスメイトや友人たちを見つけたのだろうかと検討を付ける。誰彼に愛想を振りまいている訳ではない、この学校内で築き上げてきた様々な人間関係の中で、そうするのは自然なことなんだろう。たったの数ヶ月ここに居ただけの私にも、身に覚えがあることだ。大いに盛り上がる観客と、堂々とした態度で滞りなく役を演じていく彼らに、その人気は、ただただ闇雲なカリスマ性やアイドル性の様なものだけで作り上げられている訳ではなかった。人として、魅力的だった。とても。血が通っていて、心があって、その手は柔らかかった。夏の全国大会が終わったあの日、バスの中で己の頭上に感じた幾つもの温かさを思い出す。テニスの実力者、強烈なインパクトを残すキャラクター。そんなものだけが彼らの魅力ではないと、私は身を持って知った。素直に、それはとても良かったと思う。知らなければ良かったなんて、そんな悲しいことは言わないでおこう。寂しさを受け止めよう。最後の日くらい、あるがままの自分を認めたい。抗ったところでなんにも変わりはしないのだから。


『いいかい、シンデレラ。これだけはけして忘れるでない。夜の12時を回ったら、お前は元の姿に戻ってしまうのだ。私がお前に仕掛けたイリュージョン、そのタイムリミットは夜の12時。いいかい、12時だよ。元の姿に戻るその前に、姿を消すのだ』


物語の途中、シンデレラが華麗な姿に変化する舞踏会の夜。魔法使い役の仁王のセリフ。部屋に備え付けのスピーカーから聞こえて来た声が、昨日直に聞いた彼の声と重なる。そう、私は消える。元の姿を晒す前に、アイツの前から消える。ガラスの靴なんて持ってない私はシンデレラを気取れないし、仁王は王子様にはなれない。きっと、何も残してはいけないのだろうだから。明日になれば綺麗さっぱり、私の存在など初めから無かったかの様に。


「……………っ……!」


その時になって、自分の頬が濡れていたのに気付いた。顎の辺りから、カメラを持つ手の甲に冷たい何かが一雫落ちる。声が出そうになるのを堪えた。必死で堪えた。口を開けば、嗚咽が出そうだった。私の目前には、劇の進行と共に照明係の生徒と細かい打ち合わせをする、ゆかりちゃんと高坂ちゃんの背中がある。カメラを手にした時の私がどうであるかを既に知っている彼女たちは、もはやこちらに構うことなく自分たちに与えらた任務をしっかりと進めていた。声が出ないように、音が出ないように、息を飲みながら、私は後ずさる。左手で口元を抑えたまま、やがて背中に当たったドアノブを右手で握ってゆっくりと回す。スピーカーからは止まることなく繰り広げられるシンデレラのセリフが流れ続けていて、シリンダーの回る音を掻き消してくれていた。静かに開かれたドアの隙間に半身を滑り込ませて、彼女らがこちらを見ていないのを確認した私は、そこからはドアの閉まる音など気に掛ける余裕も無く一目散に部屋を飛び出る。


『シンデレラ!!』


顔を背ける直前に目に入ったステージ上では、たった今まさに灰かぶりの姫が王子様を振り切って逃げ去るそのシーンだった。


next…

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