top
main
ネコの尻尾。
【47/54】
|


97.
どうか美しく羽ばたいて。


蛹ちゃんの告白や、客席で起こしてしまった騒動により、講堂に居づらくなってしまった私たちはその場を後にした。私のやり切れない怒りはまだ収まらない。彼女の性格がどうであれ、以前聞いた話では彼女は1年の時からずっとずっと真田を想い続けてきたのだ。3年越しの恋心を、あんな形で吐露することになるだなんて。大胆に告白してしまえるような子なら、今の今まで隠しておく筈がない。少なくともあんな形で大胆に言葉に出来るなら、もっと早くに本人に伝える勇気があったろうに。明らかに他者の意地悪い手が加えられた告白だ。根拠はないが、ステージから一目散に逃げ出した彼女の行動がそれを物語っているのではないか。

昏い気持ちで長い廊下を歩く。ゆかりちゃんに指摘されて気付いたのだが、私はあの時泣いていたらしい。悔しさで泣くだなんて、しかも他人の事で。蛹ちゃんの想いを踏み滲られたことが、自分でも驚くほどショックだったらしい。私は彼女ことが、自分が思っていたよりずっと好きであったのかもしれない。真田への恋心を知った日から、心のどこかでずっと応援していたのかもしれない。胸の奥に湧き上がるそんな想いを感じながら、ボロボロになった顔を洗おうと私は一度部室へと向かっていた。そこには置きっ放しのタオルと洗顔がある。誰にも付き添ってもらわなかったのは、私のせいで作業を中断させてしまうのを懸念したのと、1人になりたかったから。こうしている間も、明日の本番へと向けての準備は着々と進んでいる。気持ちを落ち着かせたら、男テニのリハが始まるまではクラスの方の手伝いに戻らなければいけない。例え私がいようがいまいが、この世界にはこの世界の明日が来る。投げやりにはしたくない。


「………えっ」


憂鬱な気持ちのまま部室のドアを開けて、思わず声が出た。たった一人、背中を丸めるようにしてパイプ椅子の上に乗った蛹ちゃんが居た。長い脚を折りたんで器用に体育座りをしてる彼女に、何故……と、思い掛けて、あぁそうかと納得した。蛹ちゃんを追い掛けていったのは真田だ。人気のない場所を選ぶとして、彼が思いつくにはごくごく自然なことであったかもしれない。


「さっ………仲川さん」


蛹ちゃん、と呼ぼうとして、言い改めた。その呼称は私の中だけのことで、本人に向かって呼んだことはなかったな、とふいに思い出す。名を呼ばれた蛹ちゃんは、ゆっくりと頭を上げた。


「フラれたわ」


涙に濡れた目を真っ直ぐ私に向けながら、彼女は静かに言う。


「分かってたわよ。だって、アイツ、あたしを全然恋愛対象に見てなかったもの。今の今まで一度も。それどころか恋したことすら、ないんじゃないの」


ぐずぐずと涙声のまま続ける蛹ちゃんは、まるでこうなることを予測していたかの様に冷静であった。いつもと変わらない強気な口調。笑いさえ零して、しかしながらその目は真っ赤。


「分かってたのよ、ずっと。そんなことずっと前から知ってたの。だから今更フラれたってなんともないのよ」


嘘だ。悲しくないわけがない。じゃあ何故泣いているの、と。そんな分かりきったことは口に出来ない。そんなのは嘘だと、潤んだ瞳が、固く握った手が、彼女の全身が、全力で否定していたから。何も言えないまま、私は空いている椅子に腰掛けた。


「………でもね、アイツ優しいんだ。嬉しかったって言ったのよ。馬鹿だよね。恋もしたことないくせに、好きって感情も知らないくせに何が嬉しいのよ」

「………誰かに好かれてイヤな気になる人はいないよ」

「こんな女にでも?あたしならイヤだね、こんな迷惑な女。今までだって奴の前じゃ散々喚き散らして来たしさ」

「………じゃあ、迷惑な奴だとは思ってないってことでしょ」

「…………。」


膝を抱えたまま喋り続ける蛹ちゃんに、思うまま返事を返す。そうか。蛹ちゃんの焦がれるような想いは、まだ真田には通じることはなかったんだな、と胸が痛くなる。彼自身がそうなのは否定しようもないし、批判も出来ない。テニスばかりに重きを置いていた彼を思い返せば当然とも言えた。周りの皆には既にバレバレだったとはいえ、一方通行の恋を彼女はこんな形で露呈させてしまうことに後悔はないのだろうか。それを想うと可哀相で、慰めるつもりもないし過度な期待を持たせるつもりもなかったけれど、あながち間違いではなかろうと予測する言葉を掛けた。


「………諦めないわよ」

「へ?」

「心配して頂かなくて結構よ。諦めないんだから、あたし」


と、彼女の心中を想って胸を痛めていたら、当の本人である蛹ちゃんから思い切り睨まれる。余計なお世話だと言わんばかりに強気な顔をした彼女は、力強く言うと目元の涙を袖口で拭った。


「今まで対象に見られてなかったんなら、勝負はこれからよ。恋愛なんて興味なかったんなら、私が興味持たせてやるんだから。今日から。絶対によ」


強い意志を感じさせる瞳。それが眩しかった。とても逞しくて、綺麗だと思った。まだまだこれからだと、先を見据える彼女。……私には出来ない。当たって砕けて尚、そんな真っ直ぐに前を見つめるだなんて。状況的にも、立場的にも、精神的にも。同じことが出来るとは到底思えない。


「………フフッ」

「何笑ってんのよ」

「いや、なんか、安心した」

「だから言ったじゃない、心配して頂かなくて結構って」

「うん。……期待してる、アンタが真田を落とすのを」


虚勢かもしれない、強がりかもしれない。十中八九その可能性の方が高いが、案外元気そうな蛹ちゃんに、身体の力がやんわりと抜けていく。蛹ちゃんと真田の組み合わせなんて似合わなさ過ぎだと思っていたが、今ではその図を容易く想像できる。それは蛹ちゃんが可愛いからだ。一途に真田を想う姿が可愛いと思うからだ。いつか想いが届けばいいなと願う。真田側の気持ちなど私には知る由もないから、それが叶うかどうかは正直分からないが。そうなって欲しいなと、願った。


「で、何しに来たのアンタ。私を迎えに来た訳でもないんでしょ」

「まぁね、アンタのせいで顔がボロボロになったの」

「それは悪かったわね」


憎まれ口には憎まれ口を。この距離感も嫌いではない。甘ったるい慰めはいらない。馴れ馴れしい言葉なんていらない。案にそう言われている気がして、それはそれで気持ちが良かった。この子とも、ゆかりちゃんとはまた違った関係性を築いていたんだと思いがけず実感する。胸の中に暖かい感情が湧いたのを感じつつ、すっかり元の調子を取り戻した私たちはそれぞれに椅子から立ち上がった。何故あんなに大勢の観衆がいる場で真田への想いを叫ぶことになったのか、何故あの意地悪い女の子たちに目の敵にされてしまったのか。その理由も気にはなったが、以前から敵の多い子ではあったから恨み事の一つでも買ってしまんだろうと検討をつけて一人納得した。そこまで詮索されたくはないだろう。堪え切れなければ、きっとあの日の様に怒りを露わにして喚き散らしてただろうし。そうでないという事は、きっと知られたくないことなのか、自分自身が反省しているかだろう。彼女が口を開かないうちは何も聞かないと決めて、私は当初の目的だったタオルと洗顔料を取り出そうとロッカーに手を掛けた。が、なんとなく背中に視線を感じて振り返る。


「なに?」


ポケットに両手を突っ込んで、やや言い淀むような素振りを見せる蛹ちゃん。相変わらず丁寧に巻かれた長い髪。スラリと伸びた白い脚。素行の悪さを感じさせる少々はだけたワイシャツと、そこから覗く綺麗な鎖骨。なんら以前から代わり映えしない出で待ちなのに不思議と今は大人っぽく見える。なんて感じながら、なかなか話し出す素振りのない蛹ちゃんに焦れて問いかけると、モゴモゴとその唇が動いた。


「……………がと…」

「ん?なんだって?」

「………ありがと!」


よくよく聞こえなくて聞き返したら、蛹ちゃんは不貞腐れた顔でそう言い叫ぶと手荒い動作でドアを開けて部室を出て行った。呆気に取られて彼女が消えた先を見つめる。次いで、彼女らしい幕の引き方に自然と笑みが溢れた。と、思ったら。一度は去ったにも関わらず、開け放したドアからひょっこりと蛹ちゃんが直ぐ様顔を出して驚く。


「アンタも!!……焦れったいことしてないで、さっさとアイツとくっついちゃいなさいよね!!」


今度こそ開いた口が塞がらなかった。何がどうなってその話に結び付いたのだろうか。何故蛹ちゃんがその話を持ち出すんだろう。と、疑問に思う内に、何も言葉を返せないままの私を放って蛹ちゃんは走り去って言った。さっさとって……何よ。私がいつ仁王を好きだなんてアンタに教えたのよ。と、脳裏で文句を垂れて、蛹ちゃんの言ったアイツとは一体誰のことを指していたのか、考える間もなくただ一人に決め付けている自分に気付く。


「馬鹿………。」


そんなこと。出来るわけない。蛹ちゃんと真田とは違って、私とアイツの間に、未来なんて無い。蛹ちゃんが置き去りにした残酷なセリフは、私の心に黒い染みを作った。何年経ってもその未来は永遠に来ない。私が、自分の手で潰すの。これから、もうすぐ、数時間後に。急に現実に引き戻された気がして、部室の壁に掛けられた時計を見上げて現時刻を確認したら、また涙が出そうだった。


next…

【47/54】
|
ページ:


top
main
ネコの尻尾。
- ナノ -