02



仙道彰くん

という名前はよく聞く名前だった。
バスケ部の凄く身長の大きい人。

あの後二人で寝こけていると、後輩らしき男の子が血相を変えて叩き起しにきた。そしてそのまま彼をずるずると引きずって行ってしまい、私はろくにお礼も言えずに惚けたままで家路に着くこととなった。

何も起こらなかったかのような、ただの日常。
普通に帰宅して、普通にご飯を食べて、普通にお風呂に入って。

ただ自室の机の上には、意を決して書いた遺書だけが置いてあった。

「……」

なんとも言えない気持ちになって、封筒ごとくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱の奥の方に押し込む。

もう、居なくなった方がいいと思ってたのに。
掴まれた腕の感覚が、まだ残っている。

ねぇ、どうしようか。
行くあてのない言葉がしん、と静まり返った部屋で浮かんで消えた。

このままじゃ気持ちが沈んでしょうがない。
数日聴いていないラジオをつけると、好きな曲が流れた。

上等な青空うらはらに、まるで死んだ小鳥のようよ。

そうだね。
今日は、そうだった。

なんだかやるせなくて、いつの間にかぽろぽろと涙がこぼれて。

本当は死にたくなんかなかったんだなと気付いた。

彼が止めてくれてよかった。

仙道彰くん。
改めてお礼を言おう。



なんとも情けない話だが、別のクラスに顔を出す度胸が、私にはなかった。そもそも有名人の彼の声をかけられるかどうかも危ぶまれる。
なんだかんだもやつきながら放課後を迎えたが、図書館に行こうも落ち着かない。
いっそ体育館でバスケ部の練習を観る方がいいかもしれない。そう思いながら、体育館へと向かった。

「1本!じっくり行こう!」

体の大きな彼はすぐに目についた。
ボールの跳ねる音、靴のグリップ音。
選手の声だけでなく、沢山の音が溢れている。
どうやら相当人気があるようで、黄色い歓声も聞こえる。そりゃそうか。
応援している女の子たちに紛れるように、隅で見させて貰おう。
バスケットボール、体育の授業ぐらいでしかやった事ないな。

休憩タイムに入ったところで、スポドリを飲みながらはちみつレモンをかじっている彼をじっと見ていると、ふと目が合いそうになって思わず物陰に隠れる。
あれ、なんで私隠れた?
しまったなぁ、でもここで声をかけるのもなぁ、とやきもきしているうちにまた練習が始まってしまった。
どうしよう、一生声なんて掛けられないかもしれない。

でも、バスケをしている彼はとても生き生きとしていて、あんなのんびりとお昼寝をしている姿が嘘みたいだ。
あ、先輩におしり叩かれてる。
仲がいいんだな。

そうこうしているうちに、練習試合が終わったようだ。
出待ちの女の子たちが目当ての選手に群がっていった。
うーん、これはやっぱり声をかけられないかもしれないな。出直そう。

「あ、昨日の」

とぼとぼと踵を返そうとした瞬間だった。

「え、」
「見に来てくれたんだ。ありがとう」
「あ、えっと、」

見つかった!
悪いことはしてないはずなのに、背中に嫌な汗をかいているのを感じる。やばい、ここで彼に声をかけられるのはまずい。女の子の視線が結構怖い。

「お、お礼、したくて…」
「あ、キャプテンが呼んでる。ごめん、靴箱で待っててくれる?」
「え、はい…」

言われるがままだ。
とにかくファンの女の子の目線がこわくて、逃げるようにその場を後にした。

あー、ドキドキする。
靴箱の物陰に隠れていると、ぞろぞろ部活終わりの人達が靴を履き替えて去っていくのが見える。

「オレ、ちょっと用事あるんで」
「彼女かァ?」
「あはは、プライベートですよ」
「お前そんな難しい言葉知ってんだな」
「やだなぁ…お疲れ様っす」

ひとけがなくなるのを見計らい物陰から出てくると、彼は大層驚いた顔をしていた。

「そこにいたんだ。気付かなかったな」
「ご、ごめんなさい…」
「遅くなってごめんね。調子どう?」
「良いです、なんか、全然、悪くなくて…」
「そっか、よかった」
「あの、昨日は…ありがとうございました…これ、」
「わー、スポドリ。ありがとう」
「差し入れ、何も思いつかなくて…」
「助かるよ。がぶがぶ飲むからね」

にこ、と笑う彼の顔を直視出来ず、思わず前髪を触ってしまう。

「ねぇ、差し出がましいようだけど」
「は、はい」
「……昨日、ちょっと見えたんだよね」

そっと彼が私の左腕を手に取り、袖を少し捲った。
だめ、見ないで。
咄嗟にその手を振り払い、少し後ずさる。

「自分でやってる?」
「み、みないで……」
「ごめん、ホント。そんな怖がらないで…」
「……ッ、」
「でもさ、ダメだよ。そんな綺麗な体を傷つけたりしちゃ…痛いでしょ?」
「……痛い、よ」
「あ、じゃあこれあげるよ。洗ったばっかりだから汗とかついてないし」

そう言って差し出してきたのはリストバンドで、「失礼」と手を取り、それを私の手首にはめた。

「お守り」
「あ…」
「オレのわがままに付き合わせちゃうけどさ、もう切らないで。亜呼ちゃんが痛い思いをするの、嫌なんだよね」
「なんで…」
「なんでだろう。でもなんか、そう思っちゃった」
「……ありがとう…」
「うん。分かってくれたら嬉しい」

少し頷くと、仙道くんは私の頭を撫でた。
大きな手。その手があまりにも優しくて、ぽろぽろと涙がこぼれた。

「亜呼ちゃん、生きててくれてありがとう」

大丈夫、大丈夫だから。

そう言って彼は私の体を柔らかく抱きしめた。

どうして彼はこんなに優しいんだろう。
分からないまま、ただ泣き続けることしかできない。













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