エイプリルフール 2022


※「優しい嘘でかき消して」の番外的なお話。時間軸は謎。設定だけは現在(section2.19話)時点のもの。



 クラウドが、頭を打った。わたしが部屋から出るために扉を開くと、偶然わたしの部屋の前を通りかかっていたクラウドの頭に、扉が当たってしまったのだ。
 クラウドは、頭を抑えたまま、しゃがみこんでいる。わたしは、突然のことに驚いて一瞬固まってしまっていたけれど、自分が起こてしまった事態の大きさに気が付いて、急いでクラウドの状態を確認しようと顔を覗き込んだ。

「く、クラウド! 大丈夫!?」

 わたしの呼び掛けに対して、クラウドはなんの返事も寄越してはくれない。もしかして、打ちどころが悪かったのだろうか。たしかに、結構いい音がしていた気がする。

「あの……無事、ですか?」
「――平気だ」
「よ、よかった! 急に開けちゃってごめんなさい」
「いや、あんたは悪くない」
「え? あ、あんた……?」

 この間、あんたと呼ばれたことに対してわたしが怒ってから、クラウドがわたしのことをそう呼ぶことはなかったはずだ。それが、突然どうしたというのだろう。
 もしかして、口では平気とは言っているけれど、本当は痛すぎて怒っているのかもしれない。

「もしかして、怒ってる?」
「いや、俺は丈夫だから気にするな。なにより、初対面の人相手にそんなに怒ることはできない」
「しょたっ――い、めん……?」

 一体、何を言っているのだろう。クラウドの言っていることの意味を、わたしは理解できそうにない。
 初対面と言われて思い出したのは、クラウドと再会した日に行われたやりとりだった。わたしが、クラウドを忘れたフリして放った台詞と、ほとんど一緒だったから。

「えっと……クラウド?」
「俺のこと、知っているのか?」
「いや、あの……わたしたち、友達、なんだけど」
「そうなのか? すまないが、全然分からない」

 頭を、強く打ったせいだろうか。本当に、わたしのことを忘れてしまったのだろうか。
 あまりの出来事に、わたしは思わず、泣いてしまいそうになった。わたしに忘れられていると言われたとき、クラウドもこんな気持ちだったのだろうか。
 とてもじゃないけれど、耐えられそうにない。過去のクラウドとの思い出が蘇って、辛い気持ちが押し寄せる。

「……名前」
「な、なんですか?」
「どうして、敬語なんだ?」
「だ、だって! 初対面の人に馴れ馴れしくされたら、困るでしょう?」
「名前。誰と誰が初対面なんだ?」
「だから、わたしとクラ、ウド……って、え? あれ? クラウド、わたしの名前呼んだ?」

 一体全体、どういうことなのだろう。クラウドは、わたしのことを忘れてしまったのでなかったのだろうか。
 訳が分からなくて瞬きを繰り返していると、クラウドは口許を手で抑えたまま、吹き出してから肩を震わせて笑い始めた。そんな様子のクラウドに、わたしは更に意味が分からなくなって、首を傾げることしかできなかった。

「あの、クラウド……?」
「すまない、嘘だ」
「……は?」
「ジェシーが、今日はエイプリルフールだって教えてくれたんだ」
「はあっ!?」

 まさか、クラウドがそんな理由で嘘をついてくるだなんて、思ってもいなかった。嘘の内容も内容だし、やっぱりクラウドは、会わないうちに変わったのかもしれない。
 しかし、嘘をつかれたにも関わらず、わたしは怒る気にはなれなかった。それは、呆れたからだとか、わたしがクラウドに嘘をついているからという原因ではない。
 わたしは、クラウドに忘れられていなかったことが、怒る気も失せてしまうくらいに嬉しかった。忘れられていたのではなくて、本当に良かった。嘘で、良かった。

「名前、怒ったのか?」
「ううん、怒ってないよ」
「……じゃあ、嘘でいいから、俺のことを忘れたのが嘘だったって、言って欲しい」

 クラウドの言葉に、わたしは目を見開いた。やっぱりわたしは、クラウドのことを傷つけてしまっていた。
 クラウドに忘れられていると思ったとき、とても傷ついたしショックだった。だけど、それが嘘だと分かった途端に、そんな気持ちは一気に消え去っていった。
 本当に、良かった。クラウドに忘れられていなくて、心の底から安心した。わたしがそう思ったからこそ、わたしはクラウドに「クラウドを忘れたことが嘘だった」なんて、そんな軽率な嘘をつくことはできない。

「それは、できない……」
「は?」
「そんな悲しい嘘、つきたくないから。それに……エイプリルフールについた嘘は、叶わなくなるっていうし」

 本当は、忘れてなんかいないんだよ。そう、言ってあげるべきだったのかもしれない。それでも、わたしはまだ、それを言ってあげることはできない。

「クラウド」
「え?」
「わたし、早く思い出すから……だから、ごめんね」

 やっぱり、嘘なんかつくものじゃない。
220401
April fool.

「待ってる」
「え?」
「友達だからな」
「うん……!」
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