バレンタイン 2022


「あ、チョコだ」
「げ……」

 目の前の男が靴箱を開いた瞬間に、私の足元に落ちたのは、紛れもなくチョコレートだった。可愛くラッピングされたそれは、間違いなく本命そのものに見えた。
 私は、足元の物を拾うと、目の前の男……御幸一也に、それを差し出した。御幸は、なんとも言えない表情でそれを受け取ると、頭を抱えてため息をついた。

「おはよ」
「おー。今日、なんか早くね?」
「まあね。バレンタインだし」
「え? お前もそういうのやんの?」
「うん。女子の一大イベントだからね」
「へえー」

 御幸は、なぜか終始不機嫌そうに私の話を聞いていて、私は思わず首を傾げた。今の会話に、御幸の気分を害するようなことがあっただろうか。
 御幸が甘いものが嫌いで、バレンタインというイベントを快く思っていないことは知っている。しかし、だからといって私相手に不機嫌になられても困る。

「チョコもらってるんだから、もう少し嬉しそうな顔しないとほかの男子に恨まれるよ?」
「……こんなイベント、なくなればいいんだよ」
「そんなに甘いもの嫌い?」
「それもあるけど、なにもそれだけじゃねーよ」
「ふうん。でも、チョコくれた子には、感謝しなー?」

 そう言って笑って見せると、御幸は顔を顰めつつも素直に頷いた。御幸の手にあるチョコレートをあげた人が、心から羨ましい。私は本命に、あげられそうにないし。
 御幸は、甘いものが嫌いだから。私はそれを、既に知ってしまっているから。知らなかったら、無謀にもあげることができたかもしれないのに。
 本命に渡すことができない、私にとってのバレンタインは、友だちとチョコレートを交換するイベントだ。それはそれで有意義な時間だし、私は結構楽しんでいると思う。

「それ、手作り?」

 私の手にある紙袋を指さして、御幸が尋ねる。どうしてそんなことを聞くのかと疑問に思いつつも、私は質問に答えるため、二回ほど頷いて見せる。

「女子って、なんでそんなにマメなわけ?」
「女子だからね」
「はは、なんだそれ。答えになってねー」
「あげて、美味しいって喜んでもらえたらさ、嬉しいじゃん? そういうことだと、思います」
「そう、なんですか……」
「はい」
「なんで敬語?」
「いや、女子を背負うには荷が重すぎた……」
「あ、そう……で? お前は一体、誰にあげんの?」
「え?」

 私は、御幸の質問を理解できず、瞬きを繰り返した。質問の意味は分かるけれど、それを聞く理由が分からない。単純な興味なのか、それとも……と、そこまで考えたところで、私は勢いよくかぶりを振った。そんなわけ、ない。
 御幸のことだから、私の好きな人を知ってからかいたいだけに違いない。そうではないとしても、ちょっと興味が湧いたから聞いてみただけだろう。

「残念ながら、友だちと交換するだけだよ」
「へえ。友だちって、女子?」
「そうだけど……さっきから、なに?」
「なにが?」
「私が誰にあげようと、御幸には関係ないでしょ?」
「うっわあ。そうやって、すぐに冷たいこと言うよな。俺が気にしたら悪いのかよ」
「悪いよ。女の子の好きな人を聞き出そうだなんて、悪い通り越して大罪人だよ。即死刑だよ」
「執行猶予は?」
「ありません!」

 御幸と行われるくだらないやり取りに、どちらともなく笑いが起こる。格好いいなあ、好きだなあ。私がそんな風に思ってしまうことを、御幸は知らないんだろうな。紙袋の一番下に、一際綺麗に包んだものがあることなんて、御幸には想像もできないんだろうな。

「……それ、甘い?」
「え?」
「お前が作ったやつ、甘いの?」
「あー、うん。チョコだからね」
「そっか」
「はい」
「頂戴――って言ったら、くれたりすんの?」
「え……?」

 御幸は、私から目を逸らして頬をかいた。そんな御幸の頬が紅く染まっているように見えて、心臓が騒ぐ。
 甘いものが嫌いなのに。バレンタインなんて嫌いだと、なくなればいいと言っていたのに。それでもそんなことを聞いてくるのは、私のチョコレートが欲しいということだろうか。私のことが、好きだということだろうか。
 そう考えたら、少しだけ勇気が湧いてきた気がした。

「御幸、もらってくれるの?」
「え?」
「甘いのに、バレンタインなんか嫌いって言ってたのに、もらってくれるの? 御幸にチョコ、あげてもいいの?」

 私の質問に、御幸は照れくさそうに頷いてみせた。私は嬉しさのあまり、御幸の腕に抱きついてしまった。

220214
Happy Valentine!

「あのなあ、本気で勘違いするぞ」
「勘違いもなにも、本命チョコなんだけど……」
「え、まじで?」
「うん。あ、来年は塩っぱいの作るね」
「それはなんか、バレンタインじゃなくね……?」
back
- ナノ -