あいつまだ来ねーの? と誰かが言ったのをキッカケに、内心ずっと気になってことあるごとにキョロキョロしていたオレは、「もしかして今日休みッスか?」と乗っかった。「いや、俺休み時間に見たよ」加具山先輩が言うので、部員一同、もちろんオレも、とっくに授業は終わっているのに部活に来ない人物を心配する。
 どうやら携帯に連絡しても繋がらないらしいということで、それはもう当然のように宮下先輩が「あーじゃあ私教室見て来るわ」とオレが言おうとしたそれと同じことを口にした。「や、ちょっと待って下さいって!」慌てて引きとめる。

「オレが行きますよ」
「え、でも榛名」
「行くっつったら行くんです!」

 相当格好悪かった、と思う。宮下先輩も、他の皆も、あーはいはいそういうことね!
みたいな、若干人を小馬鹿にしたような顔をした。「あー……そんじゃ頼むね。えっと、頑張って」宮下先輩がやっぱりちょっと含んだ言い方をして、オレは「余計なお世話ッスよ!」と吠えてから、三年生の教室に向かった。


 あまり来る機会のない場所の扉をそろりと開けると、そこは既に人気のない空間で、その中にひとり机に伏せる見慣れた後姿が目に入った。

「せーんぱい、寝てんの?」
 心持ち声を落として近付くと、想像通り目をつむっているのがわかって、心臓が音を鳴らす。寝顔初めて見んなあ、とか、可愛いなあ、とか。あ、デコが出てる。ピンで上げてんのか。いつもは前髪で隠れているところが丸出しで、なんだか新鮮だ。そんでもって、緊張する。この教室内も、壁を隔てた廊下も、オレとセンパイ以外の気配はない。それを意識してしまうと、どうにもこうにも駄目だった。この人を部活に連れていくことが目的だとわかってはいるけれど、このまま起こすなんて勿体ない、と考えてしまうのは、仕方のないことだと思う。
 だって今、手を伸ばせば触れられる距離に、センパイがいる。

 気が付けばオレはセンパイの額に手を向けていた。起こさないように、細心の注意を払って、震える指をゆっくりゆっくりと近付けていく。あと少し、もうちょっと。
 ――ぴくり。触れる直前で、センパイの体が揺れた。「え、起きた?」返事はない。なんだよ気のせいかよびっくりさせんなよ。自分を落ち着かせるために脳内で必死に文句を連ねるものの、ふと我に返って、自分のしていることを疑問に思う。なにやってんの、オレ。こんな、寝込み襲うみたいなこと。いざ意識してしまうとこれ以上なにも出来なくて、ため息を吐いた。そして欲を放棄する。あーもういいや。どうでも。とっとと起こしちまお。

「センパイ、起き」
 ガッ。擬音にするならきっとそんな感じだろうと思う。額に触れるのを諦めて肩を揺すろうとした手が、急に掴まれた。「ちょっ、えっ、なに、寝ぼけてんスか」焦って振り払おうとするものの、センパイは余計に握る力を強くして、そのまま頭を上げた。「寝ぼけてない」なんだって?

「おはよう、榛名」
「お、はよ、ッス。え? なんで」
「なんでやめんの」
「やめるって、なにを」
「いま頭触ろうとしたでしょ」

 不機嫌そうに言われて、さっと青ざめる。やっぱり気のせいなんかじゃなかったっていうかいつから気付いてたんだよこの人!
頭がごちゃごちゃしはじめると同時に「ごめん最初に声掛けてくれたときに目、覚めた」と暴露され、混乱は加速する。
 柄にもなくおたおたしていると、センパイが、ぷ、と吹き出して、オレの手を解放した。「なに笑ってんスか!」たぶん、オレの顔は相当赤い。

「や、わかりやすいなあと思って」
「ンなこと言われなくても、つーか起きてたんなら言えよなあ……性格ワッリーの」
「ごめんごめん。つい」

 くすくすと笑うセンパイは、悔しいけどやっぱり可愛い。「ついじゃねっすよ」恥ずかしさをごまかすように怒ってみせるが、センパイはまったく悪びれないで「うん。そだねー」とご機嫌だ。可愛い。むかつく。

「それより早く部活来て下さいよ。なにサボッてんスか」
「ああ、そうだ、ごめんね。日誌書いてたら眠くなっちゃった。探しに来てくれたの?」
「別に。たまたまだし」
「ふーん」
「なんすか」

 センパイは立ち上がりながら、「たまたまねェ」とにやにやした視線をオレに向ける。見透かしたような目はどうにもばつが悪く、なにも言い返せないでいると、センパイはオレの手首を掴んだ。え?

「触っていいよ」
 そう言って、センパイはオレの手を、自分の頭に当てた。

「……へ?」
「さっきの続き」
「な、なんで」
「わたし榛名に触られるのはイヤじゃないから」

 目を伏せるセンパイの表情はもうにやけてなんていなくて、それどころか恥じらいさえ感じられる。こんなのずるい。「……っ違いますよ」センパイの頭から手を離すと、反射的にセンパイが掴んでいた手は解かれて、オレのそれは自由になる。

「オレが触りたかったの、こっち」
 額に指先をそっと触れると、センパイは驚いたように目を丸くして、え、と短くもらした。相当恥ずかしい行動にオレは自分でもいたたまれなくて、半ばやけくそに「イヤじゃねーんでしょ。オレに触られんの」と吐き捨てる。そっと手を離すと、センパイがオレの触れたトコロを確かめるように、自分の額を両手で覆ったので、余計にこそばゆい。「イヤじゃない、です、けど」けど?

「ちょっとなんか、照れるね」
「……そ、そっすか」
「そっす。うん、照れる」

 自分から言ったくせに、センパイはオレと同じように顔を赤くして、「日誌出して、部活、いこっか」と背を向けた。あ、耳まで赤い。ほんと、自分が言ったくせに。
 オレの行動ひとつでセンパイがこんなになるのか、と考えて口元が緩むのをこらえていると、センパイが「榛名?はやくいこ」と振り返ったので、オレは慌ててセンパイを追う。廊下を歩きながら「センパイもオレのこと触っていーッスよ!」と言うと、センパイは困ったように笑って、オレの右手を取った。









by はちこ



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -