委員会が思いの外長引いてしまった。今度行うクラスマッチの試合時間、対戦クラス等を模造紙に書いていたら既に六時になっていた。
それもこれも、集合がかかっているのにサボった先輩や他クラスの委員のせいである。いない人の分まで手を回していた結果、こうなることはまぁ目にみえていたのだが。
早く帰りたかったのになぁなんて思っている私を突き落とす要因は、まだこれだけでは終わらなかった。




今朝の今でどうしてこうなったのか。黒ずみ汚れた後輪のゴムを指で押せば、それは簡単に指先を取り込み沈んでしまった。そして徐々に元の形に戻り弾んだ。ぺこんと間抜けな音である。

「パンク…」

数時間前までは私の足となり、颯爽と風を切って家から学校へ運んでくれたというのに。
ある日突如として降り懸かる怪我、事故、病魔。形ある物いつか壊れる。一件関係性を見出だせないような気がするが、本質はそれと同じという話か。悪質なる人為的行為でなければ諦めるしかない。
つい一昨日タイヤの空気入れをしたばかりだというのに。過去を振り返っていてもパンクが直る訳でもないのだが、遡らずにはいられなかった。
しかしながら納得できないという気持ちが大半胸の内を占める。委員会のことも相俟って最悪、と不平不満を思わず漏らしたくなってしまう。
六時を回って、自転車屋は丁度閉めているところだろう。修理にも出せない。
自転車圏内とはいえ、自宅までは5キロ程の距離がある。正直歩いて帰るのは嫌だ。いつ家に着くのか、着いた後の自分の足はどれほどの疲労を蓄積しているのか。考えるだけで体力不足の祟る我が身は震えた。
バスに乗れるほどのお金は生憎手元にない。学生と金欠は切っても切れない縁である。これからはお昼も切り詰めていこう。心にそう誓わなくてはならない程、懐は寂しいものだった。

こうなれば用務の先生に使われていない自転車を借りるとしよう。まだいるか期待は薄いが、いれば儲け物だ。

校舎へと踵を返す途中に、今日が誕生日だという榛名と鉢合わせた。
何故知っているのか、クラスの子がそこはかとなくおめでとうと云っていたのを耳にしたのだ。でなければこんなこと、クラスメートという枠がなければ知る由もない。

「あー、お前、忘れもん?」
「いや…忘れもんというか、まぁそんなところ」
「ふーん」

自分から聞いておいてその反応はないだろう。
ちらりと横目で用務室を見遣る。まだ明かりが点いているようだ。ここでいらんタイムロスをしなければまだギリギリ間に合うはず。
榛名には悪いが、一刻も早く会話を切り上げ自転車の有無を確認しなければ。

「部活お疲れ。それじゃー…」

またね、は吐息となって消えていった。
がっしりと左手首を掴む大きな手。たくましい腕を辿ることなく見上げれば、面白くなさそうな表情の榛名。

「え…これはえーと、なんのつもりですか」
「俺と話すの、そんなに嫌?」

淡々と放たれた言葉にそれはもう動揺した。さっきのテンプレ会話の何が気に入らず、この野球少年を不機嫌へと導いたのか。
夕日の射している方向と加減の逆光に、榛名の威圧感は増すばかり。
半端なく怖え…。
イエスかノー。二択のどちらかを迫るように、鋭い眼光が促した。ように私は見えた。

瞳で語る男、榛名元希。かっこいいじゃない。聞こえだっていい。目の前にしてそんな気持ちは沸くか、と問われればそれこそノーだけど。瞳で射殺す男の間違いだ。

ふいに視線を反らした先、用務室の明かりはもう消えていた。

「あああ!」
「な、なんだよっ!どうせUFOだとか言ってその隙に逃げるつもりだろ!」
「なんの話ですか」

UFO…UFOて。似合わない。ぷすっと笑うと榛名は赤くなりアホ毛を揺らしながら怒った。
そもそも逃げたとしたって男の子に、ましてや野球部の榛名から逃げ切れる訳がないじゃないか。

「で…なんの話してたんだっけ」
「は」
「あーそうだ。なに急に叫んだの」
「あ、そっからなんだ…」
「は」
「いえ、なにも」

その方が都合いいし。またあの眼光向けられるの嫌だし。

あーあ、どうしよ…最悪だ…。帰り困った。めんどくせ。
唯一の頼りの綱がなくなってしまったこの絶望感は異常なものだ。

「榛名め…」
「あ?」
「すいません」

本人は聞き取りづらかったのか、それとも聞いていたのか。どちらにせよ低い声にびびって私は即座に謝った。

「どっか用事でもあったの?」
「うん。間に合わなかったけどね」
「へー」

さっきから自分で聞いておいてこいつは…。「へー」ってなんだよ。わりぃとか!一言でも!ないのか!
罪悪感も感じないとは図太い男だ。

「おのれ榛名…」
「俺のせいかよ!」
「お前のせいだよ!」
「はああ!?意味わかんねえ!」
「自転車借りれたかもしれないのに…!」
「は?パンク?」
「そうでござーますよー。あーあ、委員会さえなければ」
「不運だったな」
「あんたが言うか…」

その不運へのとどめを刺したのが榛名、お前であることがわからないのか。

「じゃあどうすんの?」
「歩き」
「バスは?」
「……バス代すら…」
「うわっ、かっわいそ…!」
「本気で憐れむのやめてくんない」
「ちなみに家までどんくらい?」
「5キロ」
「お前が歩いて5キロ…」

顔をじっと見詰められ、恥ずかしくなって反射的に俯くと同時に榛名に手首を掴まれた。

「ちょっと来い」
「は…」

榛名に引っ張られるがまま向かうと思われる先は、私が数分前後にした二年の駐輪場。今歩いている場所から見ても、とまっている自転車の数はさっきよりも減っていた。
それまで迷いなく進んでいた榛名が止まり、ある自転車のカゴへ乱雑にエナメルバックを入れた。
これはどう見てもこれから帰宅するようにしか見えないのだが。

「榛名、帰るの?」
「おう」

ならばどうして私をここまで連れて来る必要があったのか。
ストラップも何も付いていない質素な鍵が鍵穴へ差し込まれると、盗難防止のフックが勢いよく住家へ還っていった。この音、なんか好きなんだよな。

「私ここまで連れて来る必要あった?お見送り?」
「ばっか、お前も帰るんだよ」
「ん?榛名と?」
「そうだっつってんだろ。もう暗いし送ってってやるよ」

上から目線な申し出でも、「鈍臭ぇな。早く後ろ乗れよ」なんて急かしてても

「あ…ありがと…」

嬉しいと感じるのは、なんでなんだろう。

「し、失礼します」
「なんだよそれ」


そして榛名のワイシャツを握…れるわけがない。




「ところで家どこ」
「そこから始まるんですね」


なるべく榛名から目を逸らして自転車に跨がり進みだしたこと約十秒。校門手前で「左」と指示すると左へ体が傾いた。

「あのさぁ」
「なんだよ」
「榛名の家から逆だったりしない?」
「なにが」
「私んち」
「いや、ほぼおんなじ」
「ならよかった」
「お前んなこと気にしてたのかよ」
「申し訳ないじゃん」
「好きでやってんだからいーんだよ」

好きでって、どういう意味だよ。

榛名を通り越えて首筋に届いた風はほんのりぬるい。梅雨を過ぎれば夏も近いなぁなんて。まるでこいつを先頭に夏がやってくるようだ。

普段使っていた道から逸れると、適当に舗装された汚い道路に出た。
小さな凹凸を踏み越えると、所狭しと榛名のエナメルバックと私の鞄がカゴから飛び上がった。余程窮屈だったのだれるわけがない。

ろうか。
慌てて押さえ込む榛名に少し笑ったら怒られてしまった。

「そんな端握ってないで腰に腕まわせよ。さっきの鞄みたいに飛ぶぞ」
「ワイシャツを犠牲にしてでも断る」
「おいやめろ」

そんなことを言いながら、無理矢理手首を掴んで腰に誘導する掌はとてつもなく熱い。

「はっ榛名、ハンドル両手で持ってなきゃ危ないよ」
「ちゃんと掴まってないお前のが危ねっつの」
「だって…」

強引に回されてしまった腕が馬鹿みたいに熱い。じっとり汗が滲み、密着しそうな場所も熱気でやられそうだ。

「どきどきすっとか?」
「え」
「なっなーんてな。ははは!い、言っとくけど冗談だからな!」
「榛名さん柄じゃないっすね」
「うあああ忘れろ!!」

ほんと柄じゃない。あんたも、私も。
言い当て妙とはこのことで、別の意味でもどきっとした。

遠い間隔にある街灯を通り過ぎる度に深くなる濃紺の空を見上げた。もう夜になってしまった。

さっきはなかった星がひとつ、ふたつ
ブレザーのポケットにひとつ、ふたつ

「UFO飛んでるかなぁ」
「おまっまだ引きずってんのかよ!しつけえぞ!」
「だってさぁー。榛名がUFOって……はっ…くくっ」
「笑うな!!言っとくけど信じてなんてないからな!」
「ぷっわかってるよ、あーはっはっはっ」
「コノヤロー…!!」

みっつ

「榛名さぁ」
「ああ?」
「今日誕生日なんだってね。おめでとう」

よっつ、いつつ、むっつ

「お…おう、ありがとな」
「せっかくの誕生日なのに送らせてごめん」
「別にいーよ。好きでやってんだから気にすんなって、言ったろ」

ななつ、やっつ

「今日送ってくれたお礼も兼ねて、一緒くたにして悪いけど今度なんかあげる」
「まじ?楽しみにしとく」
「なにがいい?」
「それ本人に聞くかよフツー」

ここのつ、

「仕方ないでしょ、あんたの好みなんて知らないんだから」
「じゃーこれから知ってけよ」
「…えー……」
「なんで嫌そうにしてんだお前!」


とお


「…とりあえず今日はこれで我慢してね」

信号で止まっていた隙を見計う。掌から零してしまいそうな大好きな飴を、後ろから榛名の胸ポケットに十個詰め込んだ。

「!?」
「ふはは。ぱんっぱんー」
「うわっ なんだこれ」
「飴ですよ。ほんとは歳の数だけあげたかったんだけど」
「節分かよ」

信号が青に変わった。
機械チックな童謡のメロディーが流れたと同時に周りの人は歩き出し、榛名はアスファルトを蹴る。

私を乗せた自転車は、いつの間にか見慣れた大通りを走っていた。
今日は知らない道を沢山通った。榛名はよく知ってるなぁ。

「今通って来たとことか、部活で使ったりするの?」
「なんで?」
「通ったことないから」
「あーまぁ、走り込みの自主練とか」
「うわぁすっごー…」
「なにが。別に凄くなんかねえよ、こんなの」

私からすればかなり凄いことなんだけどな。

見たことのない景色で風を切りながら、私は榛名の知らない一面を沢山見れた気がする。UFOとか。
「なんか…帰るまでは不運だと思ったけど、今はむしろそれでよかったなぁ」
「なんだソレ。意味わかんねー」

遠回し過ぎたか。
くすくす笑うとまた怒られた。茶化されるのとごまかされるのはどうやらお気に召さないようだ。


「簡単だよ。今はすごく幸運ってこと」
「……あっそ」

自分から聞いた癖に。なんて、今度は思わない。
真っ赤になった榛名の耳を見ていたら、なんだかむず痒くなってたまらなかった。

本日何度目になるか、ほてりを冷ます為という理由をつけて空を見上げた。

星は今日も綺麗である。
胸ポケットに詰まったそれは、同じように輝いているのだろうか。








by 浅野



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